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『メルマガ北海道人』第138号 2009.9.24.―「北海道人」、夏と冬の間に―

 秋まっただなかです。大雪山系では紅葉もはじまったとのこと。みなさんは秋をどのようにお過ごしでしょうか。
 夏と冬の間のこの季節はちょっと複雑な心持ちです。こんがり肌の夏子さんに未練がありながら、まもなくやってくる色白冬子さんの姿も脳裏にちらつきます。目の前にいる秋子さんは豊満、いや豊穣で魅力的。
 秋子さんだけに向き合えず、夏子さんと冬子さんの間でこころ揺れ動く、複雑メランコリックなこの季節です。
 『メルマガ北海道人』第138号、137号と139号の間でゆらりゆられながら配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 日本人と話したことがない中国の人から、初対面で投げかけられる質問がおもしろいという上林さんですが、なかでもこれまでに中国人男性から100回は持ちかけられた話もあるそうです。さてそれはいったい……。中国の人たちの興味や疑問から、知らない日本が見えてくる!

連載【とろんのPAI通信】

 世間はシルバーウィークに突入、とろんさん一家はなんと9月にゴールデンウィークを楽しんだそうです。生まれてはじめてのキャンプ生活をしながら、「山水人(やまうと)」の祭りに参加、飛び入り演奏もしたりで盛り上がったそうです。第59回は「ボクらのゴールデンウィーク」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 今年の夏、黒島研究所には各地の大学から学生が研修生徒して訪れたそうです。北海道からやってきた女子学生、某地方からきた元気のない海系サークルの学生は、黒島研究所でどんな生活を送ったのでしょうか? 第40回は「研修生たちとの夏」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第66回

初対面の第一声

 中国の人、とりわけこれまで日本人と話したこともない人から初対面で投げかけられる質問がおもしろいと思う。その発言そのものが中国人の日本に対する認識をもっともよく表しているし、私の知らない日本が見える気がするからだ。
 私が女ということもあって、もっとも多い質問は日本女性についてである。
「着物の後ろに付いているカバンには何が入っているのか」(帯の結び目のことだが、中国の人にはヒップバッグに見えるらしい)
「本当に三つ指ついて夫を出迎えているのか」(1970年代のテレビドラマの影響)
「主婦はみな外に男をつくるものなのか」(日本製アダルトビデオの影響)
 なかでも平均して年10回、これまで少なくとも計100回は中国人男性に持ちかけられてきたのが「独身の友だちを紹介してほしい」といった話である。仕事先をはじめとして、診察中の産婦人科医、暇つぶしに話しかけた出稼ぎの日雇い労働者、道端で油を売っていた手相師にまで言われるのだから、そのニーズは驚くほど幅広い。なかには証明用写真を私に握らせ、「気に入ったという女性がいたら、連絡がほしい」と言い残し去っていく人や、僧侶を名乗っていたくせに日本人とわかったとたん嫁探しの相談を持ちかけてくる人もいて、日本人女性に対する「心優しくひかえめで家庭的」「夫に尽くす」といったイメージはまだまだ根強いようだ。あまりに美化されすぎてプレッシャーなので「それは幻想です」といちいち反論していた時期もあったのだが、たいていは信じてもらえず、いたずらに夢を壊すのもナンセンスなので最近ではあえて否定しないことにしている。

船上で暮らす少年。安全のため首に鈴がかけられている(上海市長沙島)

 次に目立つのはなんといっても歴史についての質問だろう。ダントツはやっぱり靖国神社と南京事件、教科書問題。最初からケンカ腰の人もたまにいるけれど、ほとんどは日本人が事実をどう認識しているのかを知りたい、あるいはまちがってすりこまれた認識を正してあげたい、という意気ごみによるもので、そのあまりの真剣さに圧倒されることが多い。言葉の通じる日本人を前に開口一番、「靖国神社(ジングオシェンシャー)」と来るあたり、この問題について普段からよっぽどフラストレーションがたまっていたようで、それが愛国心ゆえの苦悶であることを考えると、愛国どころか日本人の自覚さえ薄い私にはうらやましく思う。
 素朴な質問にハッとさせられるのが政治の話題だ。先日、タクシーの運転手から「日本の総理大臣はこれほど入れ替わりが激しいのに、どうして国が乱れないのか」と聞かれた。中国ならとっくに動乱が起きるはずの事態なのに日本はいつも平和そのものだ、というのである。もし中国ならば、その機に乗じて行動を起こす人たちが少なからずいる。選挙権などぜいたくな要求はしないから、一党独裁でガッチリと管理し、平和な暮らしを維持させてほしい、というのが運転手ふくめ、車内一致の意見だった。もしも日本にいたら、中国市民のなかにこうした発想があること自体、思いもつかなかったにちがいない。
 相手にとって言葉の通じる日本人第1号であることは、その人がテレビや新聞を通して抱いてきた日本像をダイレクトに感じられるということ。イメージが事実とかけ離れていることもあれば、今まで思いもつかなかった視点に気づかせてくれることもあるし、それに対する説明がうまくいかなかった場合は落ちこむことだってある。だけど、お互い遠慮がちに話題を探り合うあの空気や、好奇心に満ちた人びとの顔が私はやっぱり大好きである。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第59回

ボクらのゴールデンウイーク

 58歳にして生まれてはじめて、家族キャンプ生活をしてきた。滋賀県の山の中、朽木村で2週間以上もつづく「山水人(やまうと)」の祭りに行ってきた。8泊9日だから祭り全期間の3分の2くらいは楽しんできたことになる。母が余命2カ月の中、痴呆症の父も放っておいてのスペシャルなボクらのゴールデンウイークだ。
 このボクらのゴールデンウイークの間は、東京で個人タクシーをやっている弟が岡山に戻ってくれ、ホスピスに入所しながら死を待つ母のもとへ毎日お見舞いに行き、ますます痴呆化する父とともに生活してくれていた。弟は母の産みの子。母の残されたイノチの期間中、一日でも多く会った方がいいので、今回のボクらのゴールデンウイークは、介護生活をつづける中での「ゴールド」に値する展開だと思う。
 9月3日に家を出て11日に戻ってきたのだけど、この11日が弟の52歳の誕生日で、そして、13日が父親の84歳の誕生日なのだ。この連続した誕生日さえなかったら、ボクらのゴールデンウイークはもっとつづいて祭りの最後まで居たと思う。
 自分の揺れ動く心を一つの方向へ決め、スイッチオンしてゆく瞬間は「自分力」と「宇宙力」の織りなす美しい風景だ。延命措置は一切しないで緩和ケアーに重きを置くホスピス。そこに母が入所するまでに、ボクは2回スイッチオンしてきた。一回目は「手術」をするかしないかで、全エネルギーを込めて「手術」をする方向に決心したとたん、精密検査結果で「手術不可」になってしまった。アチコチ転移していて手術どころではないほど悪化していたのだ。そして、2回目は「抗がん剤」を使うか使わないかで、やはり、ボクの全エネルギーを込めて、家で生活しながら「抗がん剤」を使っていく方向に決心したとたん、医療チーム会議で「使用不可」になってしまった。抗がん剤に耐えられる体力がないのだ。
 この2回のボクのスイッチオン風景は、まるで、ボクが母に捧げたイノチの作業のようで、今、最後のイノチの灯をともしながらホスピスで生きながらえている母に接するたびに、これでよかったのだ!! と心から思えるのが嬉しい。毎回の食事がスプーン1〜2杯しか喉を通らないのに、ほんのちょっと口にするどら焼きやリポビタンDに目を輝かせる母を見ていると、手術や抗がん剤なしでよかった!! と思うのだ。手術や抗がん剤を使ったら少しは延命できても、あんなにおいしそうに嬉しそうに食べたり飲んだりはできなかっただろう。

母性8しほさん(3歳になった粋空くんの母。パートナーのひでさんとともに岡山市京橋の異空間『かるら』を運営中)

 祭りに行こう!!! とスイッチオンしたとたん、テント、長靴、ランプ、折りたたみテーブルセットなどのキャンピング用品を、全エネルギーを込めて探し購入してゆく作業には、とても人間的シアワセを感じたな。そんな厳選された美しいキャンピング用品を、祭り会場で最も静かなる処、岩清水滴る水汲み場に一番近い処、杉が聳える森の中に設営し、朝起きてすぐ七輪に炭をおこしゆく日々がはじまった。6泊7日の予定で来たのに、8泊9日に伸ばした。この祭り期間中、何度も心が揺れ動いて、祭りの最後まで居よう!!! という想いが高まり膨らんだものだ。
 3歳の太一も、たくさんの友だちができて小川でフリチンでシアワセそうだったし、愛妻はるかも「来てよかった!!!」となんどもなんども喜んでいたし、ボクはボクで9年ぶりの祭りシーンに気合が入りふくらんでゆく。9月7日の夕方6時には「わくせい広場」のステージでマイク3本をつかって「くるくるPAIバンド」の演奏もできて、久々にボク作詞・作曲の『元気のなる木を訪ねてよ♪』を大勢の前で歌えて、シアワセ!!! だった。 
 このボクの歌のシーンや祭りの様子は「山水人(やまうと)」のホームページでさがしてみてくださいね、よろしく。来年は最初から最後まで居るぞ! みんな、山水人で会おう!!
 母も父も逝ってしまおうとする中、家族全員で迎える「最後の誕生日」がつづく。祭りで見つけたプレゼントを11日に弟に渡し祝い、そして、13日は父の誕生日だ。「金庫を開けろ!!」とボクに一日に何度も迫りくる痴呆の父に、愛妻はるかは「御札入れ」をプレゼントし、ボクはそれに新品の一万円札を3枚入れて祝った。でも、誕生日に間に合うように!! とスイッチオンして家に戻ってきたこのボクの決心エネルギーこそ、彼らへの最大のプレゼントのような気がしている。

 介護になれてきた、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第40回

研修生たちとの夏

 今年の夏も各地の大学から学生が研修生として訪れ、黒島研究所はにぎやかだった。北海道からも2つの大学から男女1名ずつがやってきた。とくに女子学生は自己主張の強い学生だった。その主張の強さが女子学生用の寝室で発揮され、クーラーの設定温度をめぐるバトルが女子学生の間で勃発していた。
 北海道から来た女子学生は温度を24度に設定し、その冷え具合に耐えかねた他の女子学生が設定温度を上げるも、気がついたら再び下げられているというものだった。やはり北海道暮らしで寒さに強いのかと納得しそうだったが、彼女が泥酔したある晩に真相が明らかになった。
 彼女はアルコールが入っても元気で、近くの男子学生をポコポコ叩きながら泥酔していた。タレントの和田アキ子の飲み方もおそらくこのような感じなんだろうなと思いながらその光景を眺めていた。一方的に騒いだあと、彼女は千鳥足で寝室に消えた。嵐は去った。あとは静かに楽しくお酒を飲もう、と思ったら、他の女子学生から「彼女がベッドの上で吐いて寝ている」との訴えがあり、みんなで駆けつけた。
 皆の心配をよそに、彼女はすやすや寝ていた。寝ている場所を移動させようと思ったが、学生用の寝室は2段ベッドで、彼女は上段に寝ていたため、彼女の大柄な体型も考慮して、無理に移動せず、簡単な掃除と吐しゃ物で窒息しないように横向きに寝かせるだけの対応となった。
 その時、世話を焼いた女子学生が気づいた。「ベッドの上段は寒くない」と。それ以降、寒がりな学生は上へ、暑がりな学生は下段を割り当てる配慮ができるようになった。これ以上北海道の学生の失態を紹介するのは不適当な場所だと思うので、他の事例を見ていこう。

回遊調査のために静かにウミガメを放流する某地方大学の学生。黒島研究所で人工ふ化させたばかりの子ガメを見ても無表情で、居合わせた島の人から「子ガメの誕生を見ても歓声あげない人がいるんだねぇ」と驚かれた

 大学の研究室から研修生が黒島研究所へやってくるのは、研修が単位と認められているからだったり、自主的に見聞を広めるためだったりする。ある時はサークルの合宿としてやって来たりもする。単位として認められるのはまず私大である。単位をエサに真面目に実習させ、願わくば実習先で気にいってもらい採用を……という意図も見え隠れしているように感じる。こちらはこちらで、それらの学生を研究所の維持のために最大限活用している。存続自体が奇跡的なことなので、採用なんてまずあり得ないだろうと、権限も持たない身ではあるが思っている。
 今年は東京の大学の海系サークルが元気だった。一方、似た活動をする某地方の海系サークルは元気がなく、まるでお通夜のようだった。世代が同じで、メンバー構成も同じように全国各地から集まった学生たちなのに、なぜ元気に差があるのだろうと考えていたところ、年に数回やってくる上司が、「地方から地方を目指した学生より、地方から東京を目指した学生は自分に対する自信があり、活発なのではないか」という仮説を立てた。なるほど、それも一理あるかもしれない。
 元気がない某地方大サークルの学生の一人は、高校時代と全く同じ朝7時半の電車に乗って大学に通っているという。「カラオケとかで何歌うの?」と聞くと、「行きません」と即答だった。高校時代とは一味違う青春を謳歌できることを祈りたい。さらにその某地方大サークルの中には関西出身者もいた。関西人が活発だと思うのは勝手な偏見かもしれないが、その学生は静かだった。「僕は本当はヤドカリが目的で来たんです」と、自分からしゃべることはヤドカリの魅力についてだけで、普段はヤドカリのように殻にこもっていた。
 各大学からやって来たいろんな個性を持つ学生を、似たもの同士で固まらないようにシャッフルし、作業や調査をさせながら交流をさせ、その後の変化を楽しむ夏であった。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

次号予告

 次号の配信は、10月1日です。ついに10月に突入です。11月にも、12月にもきっと、ついにとか書いてしまいそうです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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