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『メルマガ北海道人』第134号 2009.8.27.―「北海道人」、芸術の夏― 北海道近代美術館所蔵:伊藤隆道「回転螺旋・1月」

 この夏、小樽や札幌の美術展に行く機会がありました。一日は雨、一日は晴れでした。雨の日、歴史ある美術館にはなんとも言えない趣がありました。晴れの日、美術館につづく森の道や水辺を歩いているとそれだけで幸せな気持ちになり、「何しに来たんだっけ?」と、あやうく目的を忘れてしまうところでした。美術展そのものの感動もさることながら、それを取り囲む環境もなんとも芸術的、夏ならではの風情がありました。そろそろ夏も終わり――。芸術の夏のすぐあとには、もっと芸術の秋が待っています! 
 『メルマガ北海道人』第134号、8月が終わると秋なんでしょうか配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 友人チャンインの半生を描いた「上海日記」は、なんと今回が最終回です! 「あれは質が良くない人物だ」という知人の反対を押しのけ、上林さんがチャンインについて書いたのはなぜだったのでしょうか? チャンインという人物の魅力はどこに? 最終回、お読みのがしなく!

連載【とろんのPAI通信】

 癌にかかってしまったとろんさんの母親が、余命3カ月の宣告を受けました。そのことを痴呆状態にある父親に話してみましたが、理解してもらえないようです。8月6日の広島の日、太一くんの誕生会に行われた「太一のおじいちゃんの被爆体験談」に、とろんさんがたじろいでしまったのは、なぜ?

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 八重山を訪れる観光客は減っているのに、黒島研究所を訪れる人は前年を上回っているそうです。夏休みは全国の大学などから研修生がやってきますが、今年は心配なことがひとつ。新型インフルエンザです。先週、夜に微熱が出たという若月さんが、石垣島の病院に行って発熱外来を受診。その結果は……。

【上林早苗の『上海日記』】 第64回 最終回

「60後」の夢

 「ついに長年の夢がかなったぞ。監獄にぶちこまれた!」
 チャンインがチャットで興奮ぎみに知らせてきたのは2005年の冬。元義兄との乱闘が傷害事件に発展したことから公安局に拘留され、釈放されたばかりのことだった。「離婚」「裁判」「牢屋」――人生で一度は体験したいと思っていた三大イベントのうちの最後の一つが実現した彼は、まるで職場で昇進したかのように、知り合いじゅうにふれまわっていたのである。
 このときの私はといえば、親の介護で疲労困ぱいしていた。意味不明の自慢話に耳を傾ける元気さえなく、適当に相づちを打って受け流したように覚えている。けれども、それは私が無意識に抱いていたチャンインへの好奇心を自覚した最初の瞬間だったと思う。発言、行動はハッタリだらけ、マナーやモラル、友情もあったものではない。しかし、その貪欲なまでのエネルギーがいつもどこかでうらやましかったように思う。ちょうど私が10年前、はじめての中国に衝撃を受けたときと同じように。
 そうして2年半前、「あれは質がよくない人物だ」という共通の知人の反対を押しのけ、チャンインにその半生を話してもらうことにした。まず驚いたのは、彼の家族史がそのまま中国の近代史だったことだ。西太后に仕えた宮廷医・曾祖父、軍隊学校を逃げ出した開業医の祖父、国民党・日本傀儡政権・共産党の計3政府に仕えた公務員の父。一つの時代が訪れ、終わるというサイクルのなかで曽祖父・祖父・父それぞれがいくつもの時代を経験し、それに翻弄されてきた。そしてチャンインもその例外ではない。3歳のときに文革がはじまり、15歳で改革開放、25歳で天安門事件、30代で高度経済成長、40代でバブル景気を経験した。まさに中国が大きく方向転換をした時代、「富は悪」といわれた時代から「富める者から富め」とされる時代への移行期に多感な時期を過ごした一人である。
 いま中国では初の一人っ子世代「80後(1980年代生まれ)」、そしてデジタル世代の「90後(1990年代生まれ)」が「新人類」として注目されている。メディアの報道によれば親でさえもその思考回路は理解不能でニート予備軍ともささやかれ、社会問題に発展するのではともいわれている。しかし、いま現在の中国が抱えている重大な問題、たとえば食品偽装、ニセブランドの氾濫などの原因を考えてみると、明らかに「60後」(1960年代生まれ)の価値観がカギなのではと思うことが多い。1963年生まれのチャンインはこうしたニュースについてこう分析する。

上海近くの離島に暮らすスイカ農家(上海・崇明島)

 「文革が終わったのは俺たちが中学生のとき。ある日突然、それまで信じてきたものがすべて否定され、偉大な毛沢東主席さえまちがっていた、と言われた。本当に衝撃だったよ。信仰危機という言葉が学生のなかで流行したぐらいだ。世の中信じられるものなどなにもない。唯一たしかなのは金だけだ、と思うやつがいっぱいいたはずだ。金以外に物事の基準を見出せないのがこの世代なのだと思う」
 たしかにチャンイン自身、違法行為スレスレのエピソードはいくつもあったが、そのことについての後悔や反省の言葉はまったくなかったし、むしろ「うまくやってやった」という表情が誇らしそうでもあった。実にピュアなのである。ちなみにここ数年、中国人のモラル低下に危機感を覚える中国政府は、国をあげての孔子文化普及キャンペーンをはじめている。が、政府がその孔子思想の糾弾キャンペーンを実施したのはつい30年あまり前のこと。当時を記憶しているチャンインたちにとっては、これも空々しい話だ。
 一方で、貪欲さという意味ではよくも悪くも「60後」の右に出る世代はない、と思った。大学を卒業したころに計画経済という安定したシステムから放り出され、がっつかなければ豊かになりつつある時代の恩恵にはあずかれなかった。チャンインもまた、敷かれたレールから外れることでいくつものチャンスを得た一人だったのだ。そのたくましさが私にはまぶしく思えたのだろう。
 チャンインが好きな言葉に、毛沢東主席の「人生自古(自信)三百年、会当撃水三千里」がある。「人間の命は長くても300年、泳げてもたったの3000里。どうあがいても、なるようにしかならないのだから何も恐れず突き進め」と解釈しているそうだ。
 「しょせんは人間のやることなんだから世の中、重大なことなんて何もない。やりたいことをやるだけだ。俺は新聞記者、起業、株、女、離婚、再婚、裁判、監獄と、やりたいことすべてにチャレンジしてきた。それって成功ってことだろ? 女の尻を追っかけるのと同じで人間、手に入れることより挑むことが大事なんだから」
 正しいかどうかではなくて、自分がしたいかどうか。チャンインの基準はそれだけだ。
 いまチャンインは念願のアパートを購入し、母・シューリャンさんと妻・ユエンイエさん、そして大学受験をひかえたリーウェンちゃんの4人で幸せに暮らしている。夢はすべてかなった? と聞くと、「あと二つ残っている」。軍人と、寺の坊主――この二つを体験してみないと死ぬに死ねないそうだ。いつかこの願いが実現したとき、またこの上海日記番外編をお届けしたいと思う。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第57回

余命3カ月宣告!!!

 ボクが「余命3カ月!!!」と宣告されたら、どうしよう? どうするんだろう? おそらく、愛妻はるかと太一と一緒にインドに渡り、ガンジス河に面したゲストハウスに泊まり込み、毎朝、暗いうちに起きては河畔のチャイ屋さんで「チャイを飲みながら日の出を拝む日々」を繰り返してゆくのだろうな。そして、できたら徐々に食を断って、体の中をキレイにしながら死に向かいたいとも想う。
 7歳からのボクの継母は、今、「余命3カ月!!!」の宣告を受け、日々刻々と命が縮まりゆく只中に在る。それも、まだ自分が最悪の癌状態であることを知らされてなく、退院して家に戻るのを夢見て、ベッドから降りては歩行訓練をしたりしているのだ。
 彼女の夫であるボクの父にも秘密にしていたけど、先日、恐る恐る話してみた。だけど、刻々と痴呆状態がすすんでゆく父に向って話しても、その「余命3カ月宣言」の危機感が心に届く様子はなくって、翌日になると「かあちゃんはいつ退院するんじゃろうか?」と繰り返すばかりなのだ。
 話しても秘密にしておいても同じ、ということは、ボクが頭にきてもこなくっても同じ、怒鳴っても怒鳴らなくっても同じ、なのだから、話すだけムダ! 頭にくるだけソン!! 怒鳴るだけこちらがショーモウしてゆくだけなのだ。
 その空回りのむなしさが分かっているのに、いまだに、父の痴呆状態力、痴呆力に巻き込まれては身も心もかき乱されてしまうのだから、なんとも哀れで未熟なる58歳のボクなのだろう。
 「余命3カ月宣告」を受けての日々刻々の中、ますます強大になる父の痴呆力に翻弄されながらも、ボクは、この生身の自分の心と体を平然と保ちゆくことで本能的に愛妻はるかや太一との生活を守ろうとしているのかもしれないな。さらに、この避けられない自分の運命の日々こそが、ボクたちにとって貴重な糧になってゆくように、ボクのイノチが本能的にヒカリに向かって全開してゆく。

母性6流郷麻衣子(アフリカ大陸スー族のダンサー&太一の子守役第一人者)

 8月6日満月、広島の日、太一は3歳になった。その誕生会の日、「太一や」の2階で「太一のおじいちゃんの被爆体験談」があり、ボクは進行と録音の係をしながらも、その痴呆の父と日常生活では起こりえない親子の対話ができて嬉しかったし、3歳になった太一にとっても最高のプレゼントになったと思う。太一が20歳になった時に、自分のおじいちゃんの声で貴重な被爆体験談が聴ける!!! 「一度しかない大切な自分のイノチなのに、本気で、天皇陛下万歳!! などと言って死んでいったなんて、あれは、ウソじゃよ」と、涙声で淡々と語りゆくその口調には一片の痴呆力もなく、何も知らない20代の若者たちの心にも届き動かしゆくその再現力に、息子のボクはたじろいでしまった。
 8月14日(金)、食道胃腸内科に入院していた母は、同じ倉敷市内の他の病院に移った。一切の延命治療をしないこと、病人にはキチンと癌の宣告をすることを条件に入院した「新天地」は、癌にともなう痛みや苦しみや不安などの緩和をしてくれる「最終地」で、安らかな気持ちになって旅立ってゆけることに全力を注ぐ特別病棟なのだ。
 ボクの両親は二人とも「原爆手帳」を持っていて、母は長年糖尿病なので「健康管理手当」を月々もらっているのだけど、今回の癌宣告を機会に「医療特別手当」を申請した。いわゆる「原爆症認定」への申請だ。父は爆心地から2キロ以内で被爆しているので毎月「保険手当」がもらえるのに、なんの申請もしていないままだった。母の「余命3カ月宣告」を機会に、あわてて家の金庫の中を整理しはじめたら、この原爆関係の書類のほかにも、過去の様々な貴重な書類が出てきて、今、その整理に夢中の日々。ボクは、混乱しているものをキチンと整理整頓してゆくことにエクスタシーを感じてしまうのだ。そして、過去のコトどもの一片たりともムダにしないで最大限に生かしてゆく作業、に燃えてしまうのだ。
 こんな中、9月3日から9日までの6泊7日、ボクと太一と愛妻はるかの3人は、京都朽木村の山奥ではじまる「山水人(やまうと)」の祭りに参加し、テント生活をする予定だ。タイ北部の町PAIのNEW MOON VILLAGE の住人7人に招待券が送られてきたのだ。祭りに参加するのは9年ぶり!!! そして、9月5日(土)は満月!! 一緒に山水人(やまうと)で、中秋の名月、しませんか!

    「おとちゃん」になってしまった、とろんより

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第38回

新型インフルエンザ

 八重山の島々は夏場、多くの観光客でにぎわう。ところが、新聞などではこの不況下、観光入域客の減少を訴えつづけている。
 黒島でも減っているのかもしれないが、私の職場である黒島研究所の見学者数は前年を上回っている。黒島は団体客がほとんどない島で、個人客が多く、実は個人旅行者の消費マインドはそれほど落ち込んでいないのではないかなど、いろいろとその原因について考えてはみるが、答えはわからない。
 例年、夏休みに入ると忙しくなる。しかし、全国の大学や専門学校から夏休みを利用して研修生が来るため、ヒマそうにしている研修生を活用して乗り切る。しかし、今年の夏は学生を受け入れる側としては心配なことがひとつある。新型インフルエンザの大流行である。
 先週、私は夜に微熱が出て、「もしかして、インフルエンザかも……」と思い、大事をとって引きこもった。翌朝、熱が38度を超えたため、足早に石垣島へ渡り、病院へ直行し、発熱外来を受診した。検査をおねがいしたところ、「症状が出てから早すぎるから反応が出ない可能性がある」という理由と、「元気そうに見える」という驚きの理由で検査を拒まれそうになった。しかし、同僚や研修生たちに感染させるわけにはいかないので、検査をしてもらった。
 検査の結果は陽性だった。医師も看護師も驚いていたから、本当に元気そうに見えたんだと納得した。相変わらず私は流行に敏感だと感じつつも、黒島で新型インフルエンザに感染した人の話を聞いていなかったので、どこからもらってきたのであろうかと疑問が湧いた。黒島で新型インフルエンザの感染者が出ようものなら、瞬く間に島内の噂として流れてくるはずである。今回は私がその噂の犠牲になるんだろうなと思った。

今年も多くの学生が訪れている。水槽掃除など人数が多いと短時間で終わり助かる

 タミフルと解熱剤を処方してもらい、私は石垣島に滞在して療養することにした。黒島でウィルスをまき散らさないためである。解熱後、3日置いて私は黒島に戻った。
 黒島で私の顔を見た人は驚いた表情で、「もう退院したのか」とか、「搬送されたって聞いて驚いて……」などと話しかけてきた。案の定、入院説や重症化説が流れていたようだ。島の保育所では保護者向けのプリントに私が発症したことを記し、研究所に近づかないようにと注意を促していた。
 久々に出勤した研究所には消毒グッズが充実していた。かなり前から新型だのパンデミックだなどと言って、マスクやら消毒液やらを大量に備蓄し、その備蓄グッズを見せながら嬉しそうに説明してくれていた島民が、研究所での患者発生の一報を聞きつけ、連日のようにインフルエンザ関連グッズを持ってきては、説明して置いていったらしい。心配しながら支援してくれたその島民や、早めに石垣島に出て黒島に戻らなかった対策が功を奏したのか、研究所関係者での発症者は今のところだれもいない。
 体調不良を訴える男子学生はいた。外でずっと行動していたから、軽い熱射病かとも思ったが、発症した身としては「石垣島に渡って検査を受けてきたい」という学生に行くなとは言えなかった。
 石垣島から戻ってきた彼は病院で怒られてきた。「こんな微熱でいちいち来るな。タミフルの在庫もあまりないし」と言われ、検査もしてもらえなかったようだ。医療機関はこの大流行でストレスが溜っているようである。その男子学生は、戻ったあとも不調を訴え寝込んでいたが、夜に携帯電話を片手に起きてきた。交際中の彼女とひと悶着あったという。そして酒を飲みはじめた。「体調悪いんじゃないのか」と聞いたところ、「それどころじゃないです」と彼女との関係をアルコールの力を借りていろいろと説明してくれた。「病は気から」を実感させられた夜だった。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

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<WEB絵本・鯨森惣七さんの「コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。」を更新しました!>

しのび泣く恋にその9
 鯨森惣七さんが旅先で見て感じたことをイラストとエッセイで紹介します。
石原裕次郎記念館のあたりで、ユーちゃんの思い出の中にすっぽりはまり込んでしまった鯨森さんの旅の覗き見はこちら!

コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅

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 次号は9月3日(木)に配信します。ドラえもんの誕生日が2112年のこの日だそうです。2009年9月3日の時点では、-103歳!
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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