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『メルマガ北海道人』第132号 2009.8.6.―「北海道人」、ドドーンと夏祭り―

 それでなくても短い北の夏が、今年はさらに短くなってしまいました。もう、8月6日です。天気予報によるとこれから一週間、北海道はおおむね晴れや曇りで夏らしい天気になりそうです。道内のあちこちで夏祭りが開催されています。いまこそ夏を満喫するチャンスです。浴衣をひっぱり出してウチワを持って夏祭りに出かけましょう。ドドーンという太鼓の音をお腹に響かせて、夜空にドーンと上がる花火を目に焼き付けて、夏の思い出をひとつでも多く作りたいものです。
 ドドーン、ドドーン――。雨雲が近づいてきたら太鼓の音で驚かせて、どこかへ行ってもらいましょう。びっくりして泣かれては困りますけど。
 『メルマガ北海道人』第132号、雨雲も泣き止むおもしろい連載満載、お盆前配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 離婚が成立したチャンインでしたが、その後もトラブルが絶えないようです。思えば結婚直後から前妻一家とは話がまったくあわなかったとのこと。チャンインがユエンイエとの再婚披露宴を盛大に開いていたその日に事件は起こります。第63回は「アパート乗っ取り」です。

連載【とろんのPAI通信】

 8月6日の広島平和記念日は、太一くん3歳の誕生日であり、その日は満月です。誕生日を前にして愛妻はるかさんが「断乳宣言」をしたのは、まっぷたつが美しい半月の7月15日。この日はとろんさんにとって運命的な複雑スペシャルな日だと言います。第56回は「満月から新月日食、そして満月へ」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 沖縄にはワラを使った記録法があったそうです。ワラザンと呼ばれるものですが、黒島ではバラザン。若月さんの話に驚き興奮したバラザン研究者が黒島にやってきました。そして、夏休みの自由研究をしたいという親子連れもやってきました。人びとを惹きつける魅力的な夏の黒島です!

【上林早苗の『上海日記』】 第63回

アパート乗っ取り

 中国国内の空港で外国紙提供サービスが中止されたという報道を日本のニュースサイトで見た。ウイグルやチベットの問題を取り上げる外国メディアに反発してということだが、もとより「吹けば飛ぶ」といわれる中国国内の日本語刊行物もこれまで以上に表現やテーマ選びには慎重にならざるを得なくなっている。デモや暴動事件に関する記事はもちろんのこと、旅行ツアー広告での「チベット寺院見学」「ダライラマゆかりの」といったキーワードまで自主的に削除するほどになっているのだ。実をいうと私も校正時には気がつくとそうしたところばかり気を配っており、たまに自己嫌悪に陥る。最初のころこそNGワードの削除や表現の変更に抵抗を感じていたが、慣れた今では暗黙のルールに照らして反射的に変換してしまえるからだ。しかしよく考えると、どの話題がアウトでどの単語がセーフなのかを知ることは今の中国を知るということ。こんな時こそ「自粛表現」のさじ加減を学んでこの国を深く知る好機かもしれない、と自分に言い聞かせるこのごろである。

 さて、ようやく離婚が成立したのもつかの間、前妻とその家族に翻弄されつづけるチャンインのその後である。チャンインによれば、そもそも前妻一家とは結婚直後から話がまったく合わなかった。たとえば少し前まで窃盗罪で刑務所に入っていたという前妻の兄はよく自宅に遊びに来たが、それがいつも突然なのが許せなかった。なんでも事前に連絡するのは近しい関係でない者、つまり赤の他人同士の場合だけで、黙って押しかけるというのが彼らなりのマナーだったそうである。チャンインはこの不意の訪問客によく予定を狂わされた。
 さらに苦痛なのは食事の支度である。義兄が訪ねてきたとなったら、空腹で帰らせるわけにいかず、いつもより豪勢な昼食か夕食をふるまわなければいけない。義兄は家に入ってくるなり、片手を上げてこう叫んだ。
 「野菜でいいよ、野菜、野菜!」
 ちょうどそのころ上海では物価のバランスが崩れ、野菜が肉の価格より高かった。しかも、肉料理なら2品ほどで満腹になるが、野菜中心となると白菜、セロリ、ジャガイモ、トマト、レタス、いんげんなど5、6品は用意しなければならず、高いうえに手間もかかった。経済的に苦しいからたまにはまともな食事をさせてくれ、というのならまだしも「家計を考えて野菜料理でガマンしてやる」という義兄の態度がチャンインは我慢ならなかった。

海に浮かぶ漁船(浙江省舟山群島・螞蟻島近く)

 「野菜でいいよ、野菜料理!」
 今でも時おりその声と様子を思い出すと、鳥肌が立つという。
 義父もしたたかな人だった。「手土産が多いから迎えに来てくれ」と言うから、どんなすごい土産かと期待して迎えに行くと、手にはたったニワトリ二羽。見栄えはかさばるわりにそれほどの価値はなく、チャンインは何度となく落胆させられた。そのくせ1カ月も居候されたのだから、たまったものではなかったという。
 もともとそりが合わなかった両家だけに、離婚後も確執は深まるばかりだった。そして、自宅アパートの乗っ取り事件が起こった。
 チャンインはその日、東北のジャムス市でユエンイエと再婚披露宴を盛大に開いていた。ユエンイエは地元銀行の元副支店長だったこともあり、再婚にもかかわらず披露宴には銀行員や公安局員などのほか、借金取りの親分など裏社会の人間が80人以上集まり、まさに「黒白両刀(ヘイバイリャンダオ)」の異様な宴会であった。チャンインとっておきの自作の詩も司会者によって紹介された。
 「僕は黄浦江から生まれ、君は黒龍江で生まれた。僕たちは苦難を乗り越えていっしょになれた……」
 前妻とその家族がろう城作戦に出たのはまさにチャンインがそうして喜びに浸っているときだった。母・シューリャンさんと娘のリーウェンちゃんを自宅から力ずくで追い出し、こう宣言したのである。
 「彼が慰謝料を払うまでこのアパートは明け渡しません」
 一報を聞きつけてチャンインは一気に夢から覚めた。上海の自宅に急きょ戻ると、待ち構えていたのは前妻一家。興奮した義兄がガラスコップで襲いかかり、かばおうとしたユエンイエのおいの頭がぱっくりと割れた。
 チャンインがケンカの当事者として派出所に拘留され、「ついに夢の一つが実現した」と知らせてきたのが、この時だった。かねてから生涯のうち一度は体験してみたいことを「離婚」「裁判」「牢屋」と考えていたが、最後の一つがついにかなったのである。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第56回

満月から新月日食、そして満月へ

 前号で7月7日の「七夕満月物語」を描いたけど、そのボクたちの結婚2周年記念の日、愛妻はるかは3歳直前の息子「太一」に向けて「断乳宣言」をした。次の満月が8月6日で、その広島の日、太一は満3歳になる。その「満月の断乳宣言」は7月15日の半月に断行された。半月はまっぷたつの美しい月だし、物事を断ち行うにはピッタリなのだ。そしてなによりも、7月15日は運命的な複雑スペシャルな日なのだ。前にも描いたけど、ボクが3歳の時に自殺してしまった実母の命日であり、重度糖尿病の中、末期の胃がんを宣告され入院している継母の78歳の誕生日でもある。そして、タイのPAIで展開している村づくり「ムーンビレッジ」の7周年記念日でもあるのだ。
 7月15日半月の早朝、愛妻はるかは「これが最後のおっぱいだからね」と、涙ぐみながら言い聞かせるように太一と一つになっていた。そして、仏壇に線香をあげたあと、ボクらは、元気な痴呆症の父と、東京から実母の見舞いにやってきた弟の5人で墓参りに行った。
 朝出発するときは快晴だったので麦わら帽子を用意して行ったのに、2時間後、瀬戸内海を見下ろせる父の郷里「寄島」に着いて墓の周りの雑草を取りをはじめたとたん、風が吹きはじめ、太陽は隠れ、今にも雨が降りそうになった。その突如の変化に急き立てられるように、そしてその暗い雨雲の出現にコーフンした太一に邪魔されながら、闇の空をボーと見上げる痴呆の父とは対照的に、ボクと愛妻はるかと弟は何の打ち合わせもしてないのに、それぞれが全力で草を取り、墓を掃除し、花を切り飾り、風の中、線香やローソクに火をつけ、お米やお菓子を置いて、それぞれが祈り、つぶやく。
 そして「みんなよくやってくれたのう」と痴呆の父が何事もなかったかのようにつぶやいたとたん、雨。「かあちゃんがまたわるくとったらいけんから、きょうの墓参りのことはいわんほうがええじゃろう」と痴呆の父の妻をいたわる言葉を耳にしながら、ボクら5人は入院中の母の誕生日を祝うために倉敷の病院へと向かう。

母性5かとうさん(ボクのgood & GODフレンド、NPO法人「吉備野工房ちみち」理事長)

 7月22日新月、日食の日、ボクらは「太一や」を臨時休業して、すぐ近くの「総社宮」で日食観測をしていた。せっかく黒い下敷きを買って日食観測をはじめたのに、適度な曇り空のおかげで裸眼でも大丈夫だった。朝9時44分にはじまり11時2分に日食84パーセントのピークに達した「白昼の三日月」、産まれてはじめての日食体験、白昼の新月の祈り。
 こんなドラマティックなタイミングの中、東京から「太一や」に宿泊したいというカップルが現れた。日食特集とタイのPAIでのボクらの話も載っていた『SPECTATOR』第20号(幻冬舎刊)という雑誌を読んだ20代前半の女の子が、パソコン探索で「太一や」に辿り着き、興味を持ったというのだ。ボクらは店を休んで、昼間は日食観測をし、夜は牛窓の山中に在る友だちの家にライブを聴きにいく予定だったので、連絡し合って、その山中のライブ会場で初対面することになった。ホントに人が生きていくって不思議にドラマティックで、ちょっとした縁が起き、全く知らなかった人が突如とボクの運命線上に浮上出現してくる。そして、全く会ったことがない人なのに「なんだかなつかしい感じ」がして「いつかどこかで会ってる感じ」がするのだから。
 7月29日半月の日、ちょっとした縁が起き、全く知らない西洋人の女たち5人が「太一や」に泊まりに来ることになった。ノルウェーに住む41歳の母と13歳の娘(ノルウェー人)、44歳の母と19歳と13歳の娘たち(イタリア系フランス人)の女5人組み。果たして、全く会ったことがないのに「なんだかなつかしい感じ」がして「いつかどこかで会ってる感じ」がする遭遇となるのだろうか、今、とても、わくわくドキドキの日々。
 その前に、7月25日マヤ暦の「時間をはずした日」に、地元NPOの企画で「アジアのさそい」というイベントが「太一や」であり、ボクと愛妻はるかも演奏し、そして、その7月29日半月の「わくわくドキドキ遭遇」のあと、いよいよ満月、8月6日広島の日、太一の満3歳の誕生日!!! この日、父も母も広島で被爆しているので、彼らに「被爆体験談」を語ってもらう予定だけど、果たしてどうなることやら、オ、タ、ノ、シ、ミ。

   いつでもどこでも月にふりまわされている、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第37回

島外からの研究者に教えてもらう調査や研究の面白さ

 沖縄にはワラを使った記録法があった。ワラザン(藁算)と呼ばれるもので、黒島ではバラザンと呼ばれている。
 バラザンはワラの本数や結び目の数を利用して、住民台帳のように使ったり、納税や御嶽への供物をチェックするために使用されていた。読み書きができなかったり、紙が手に入りにくい時代の知恵といえる。さらに道などを示した表現もあり、地図機能も備えた万能台帳であった。一戸ごとにワラが固まっているが、家族が亡くなると、その戸からワラを一本抜けば末梢手続き完了となる。出生で家族が増えると、旧暦の2月の更新で作りなおす際に、ワラが加えられたそうである。
 先日、このワラザンを研究しているという人から電話があった。私の職場である黒島研究所は、ウミガメの研究をメインにしていることもあり、その人は門外漢の問い合わせであると思い、恐縮しながら電話したようで、「ああ、バラザンですか」と回答したらものすごく驚かれてしまった。
 自分からバラザンのことを聞いておいて、相手がバラザンを知っていることに驚くなんて、面白い人だなと思っていたところ、すでに沖縄本島では忘れられていて、バラザン自体を見せても「これ何?」と古老が言うとのことであった。
 黒島研究所は島の博物館みたいなところでもある。島の人が発見したものを色々と持ちこむ面白い所で、その影響で私も何かと黒島のことに詳しくなってしまった。それでバラザンについても知っていたわけだが、黒島の人びとにとってバラザンはまだ記憶に新しいようである。
 さらに問い合わせてきた研究者に、「バラザンを作ることができる人も島にいますよ。作ってもらいますか」と教えてあげたら相手はかなり興奮していた。

バラザンについて解説してくれている島のおばー

 黒島には田んぼがない。かつては通耕(つうこう)といって西表島に水田を持っていて、そこに通って稲作をしていた歴史があり、ワラが確保できた。しかし、現在は畜産が基幹産業の島となり、ワラがない。材料となるワラを準備することをすすめ、ついでに黒島研究所の展示用にも欲しいので、その分も送ってくれるようにお願いした。
 後日、ワラが届き、数日後に本人が来た。研究者と一緒に島をまわりながらバラザンのことについて島の人たち聞くと、聞いてまわったほとんどの人がバラザンのシステムについて説明できた。
 外部からきて黒島のことを研究する人にこれまでもいろいろと協力しながら、一緒に調査をしてきた。相手にとっては効率的に調査が進み、こちらとしては黒島に関する知見がさらに加わるという相乗効果もあり、調査や研究の面白さを実感する。これを機にバラザンが収蔵されることになったし、我々が把握していない黒島のことが記載された文献をいくつかコピーさせてもらえた収穫は大きい。
 夏休みに入り、親子連れが多く見学に来るようになった。調べること、研究することの面白さを子どもたちに教えてあげたいと強く思うのであるが、自由研究などの宿題に追われた子どもや、その親の相手に疲れる時期でもある。突然来て、「自由研究をしたい」と言いだし、手法や方法ではなく、答えを教えろと要求してくるのである。自分で調べる努力もせずに他人の調べたことを聞いてどうするんだろうと、大学や大学院時代に指導教官に逆らい、「ウミガメをやるなら自分には指導できない」と、サジを投げられつづけていた私には思えてしまう。
 毎年2月に黒島で開催される「牛まつり」で、「牛の絵図画コンクール」がある。島々の学校から牛の絵が集まってくる。その絵を見て学校ごとに、構図や色づかいの傾向がハッキリ表れることにうんざりしている。子どもたちは、先生の気に入る絵を一所懸命描いているのである。大学でも同様に指導教官の気にいる研究をさせられて満足できるのであろうか……。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

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「私の好きな店」File.No.10

「お料理 あま屋」―和食―

第10回目は「さっぽろ浪花亭」の店主・村井さんの「私の好きな店」をご紹介します。

「私の好きな店」File.No.10

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 8月13日(木)はメルマガの配信をお休みします。次号は8月20日(木)に配信します。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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