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『メルマガ北海道人』第130号 2009.7.23.―「北海道人」、心に太陽を―

 昨日は46年ぶりに日本の陸地で皆既日食が見られました。札幌で見られるのは部分日食でしたが、空には厚めの雲が広がり、編集部のある場所からは見ることができませんでした。ただ、10時台後半には空がなんとなく暗くなり、日食のピークを過ぎてから徐々に明るくなったような気がします。皆さんは日食をみることができましたか? これ、飛行機に乗っていたら天気に関係なく見られるんでしょうね。
 雨の多い北海道、空に太陽がなかなか見えなくても、心に太陽を輝かせて明るく過ごしたいものです。
 『メルマガ北海道人』第130号、心に太陽があれば万事うまくいきそうな気がする〜配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 上海ではあるお笑い芸人が大ブレイク。ほめ殺し系の風刺ネタは、上林さんがたまげるほどギリギリのラインとか。さて、離婚にこぎつけたチャンインを待ち受けていたのは「慰謝料をもっと出せ」とすごむ前妻の親類一族。しかし、一番の被害者は、娘・リーウェンちゃんでした。第62回は「母娘の距離」です。

連載【とろんのPAI通信】

 とろんさんと愛妻はるかさんがムーンビレッジで「幸福の絶頂」にあったとき、「不幸のどん底」にあった一人の女性がムーンビレッジにやってきました。今年の7月6日、その彼女が突如「太一や」に現われました! さて、彼女の現在は? そして、おそろいの海水パンツを買おうと思っていた矢先に起こったこととは?

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 沖縄では夏になると「ビーチパーティー」が開かれるとのこと。ビーチパーティーと呼ばれるようになる前は、「ハマウリ」とか「モーアシビ」という名称だったそうです。さて、このビーチパーティーでは何をするのでしょうか? 若かりしころのおじーの「モーアシビ」エピソードにちょっぴり赤面……夏なんですな。

【上林早苗の『上海日記』】 第62回

母娘の距離

 ここ最近、上海で周立波(チョウリーボー)というお笑い芸人が大ブレイクしている。一人でひたすらしゃべるだけのシンプルな上海語トークショーなのだが、2時間で観客が笑う回数はなんと平均650回。安い席で380元(約5700円)もするというのにチケットは9月まで完売らしい。何がそれほどウケているのかと思い、ライブDVDを観てたまげた。無人地区30キロの交通難を解決した上海リニアの「偉業」、被災地でいちばん汚れた手を選んで握手する温家宝のものまねなど、「これってセーフ?」と心配しながら爆笑してしまう、ほめ殺し系の風刺ネタが満載なのである。しかし、案の定その筋からの勧告がいっているとのこと。ほぼ全上海市民が周立波ファンといってもいい今、どちらがどこまで妥協するのか成り行きに注目したい。

 離婚騒動で警察沙汰になるというのは、中国でもそうしょっちゅうあることではない。しかしチャンインの場合、よっぽど運が悪かったのか、離婚後の第2ラウンドはまさに地獄だった。
 仕事を失い茫然自失状態だったチャンインの第一の任務は「慰謝料をもっと出せ」とすごむ原告一家におびえ、出廷したがらない弁護士を説得することだった。法廷で乱闘騒ぎになったら名に傷がつく。そうなったら今後の仕事に差し支えるから辞退させてくれというのだが、弁護士が出廷しないのでは話にならない。しょうがないので上海人のボディーガード2人を雇い、一族郎党を呼び出し、できるだけ頭数を増やして出廷した。
 一番の被害者はなんといっても中学生だった娘・リーウェンちゃんである。「お金が手に入ったら、一部はあなたのものになるのだから、ママに味方してね」と言われていたが、母がでっちあげた父親虐待説を法廷で否定したため、執拗な嫌がらせを受けるようになったのだ。

日本語を話す通りすがりのおばあちゃん(台湾鹿港市)

 ある日、娘の中学校に一通の手紙が届いた。
 「うちのリーウェンはクラスのお金を着服しています」
 担任教諭がすぐに本人に確認したところ、そんな事実はないことがわかった。偶然なのか、確実視されていた共青団(共産主義青年団)に選ばれず、母の手紙が原因ではないかとリーウェンちゃんは思い悩んだという。「金のためには娘までもいらない」――お金大好きのチャンインもこの時は落ちこんだ。
 もともとリーウェンちゃんと母親はどちらかというと疎遠な関係であった。自分が運動オンチでコンプレックスがあったこと、妻が子どもの面倒をあまり見たがらなかったことから、チャンインはリーウェンちゃんを4歳から小学校5年生になるまで全寮制の体操学校に入れていたのである。前妻は気が向くと週末に娘にリンゴをむいてあげたが、リーウェンちゃん本人はそれが嫌でしかたがなかった。
 「ママはあなたに優しいでしょう?」
 たかがリンゴ一つで何度も聞かれると、子どもだってプレッシャーである。リーウェンちゃんはこれに耐えかねて「いらない」とリンゴを突き返したこともあった。チャンインは言う。
 「やっぱり桃李不言、下自成蹊(桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す)だろ。モモとかスモモの木は実が甘いから自然に人が集まる。ただやみくもに手招きしたってだれもついてこないんだ」
 前妻は少なくとも「モモやスモモの器じゃなかった」そうだ。
 リーウェンちゃんに対する嫌がらせの後しばらくすると、今度は自宅乗っ取り事件が起きる。チャンインの不在を狙って母の親類一族が自宅に押しかけ、リーウェンちゃんと祖母・シューリャンさんを追い出したのである。実の母に追い出されたリーウェンちゃんの心の傷がどれだけ深いのか、当時のチャンインには考える余裕もない。ただ、あらゆる手段を使ってお金をしぼりとろうとする前妻一家に全力で立ち向かうだけだった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第55回

海水パンツよりも喪服

 ボクが愛妻はるかとPAIで出会った直後、今から4年半ほど前、見知らぬ女性からメールが届いた。それはインドネシアから発信されていて、信頼していた夫に浮気され、裁判で争い離婚し、今、異国で独り寂しく「不幸のどん底」にいるのだという。PAIのムーンビレッジにやってきた友人夫婦がインドネシアで彼女と遭遇し、その不幸話を聞いて「じゃあ、タイのPAIという町に行って、とろんっていう日本人を訪ねてみたらいいよ」とすすめ、メールアドレスを教えたらしいのだ。友人のだれもがボクのことを「男女問題関係筆頭者」だとおもっているのだから!!
 そして、ムーンビレッジに建てた新居に愛妻はるかと住みはじめていたころ、その「不幸のどん底」の女性が「幸福の絶頂」のボクたちの前に現れた。そして、ボクらの新居の隣に並んで建てられた、高床式の3軒長屋の角部屋に住みはじめたのだ。「ともみ」さんという30代半ばの奈良生まれの女性で、どうみても「不幸のどん底」にいる感じではなくって、美しくいのち命イノチしていて、独特なる華の香りを放っているのだ。
 こうしてムーンビレッジにイノチの華がまたひとつ咲き、この4年の間にムーンビレッジで開催された8日間の「国際映画祭」や49日間の祭り「たましいのかくじっけん」の重要なスタッフとして活躍しながらも、なぜだか、たまたま必然? 10歳以上年下のフィンランド人青年ばかりに、3人つづけて恋しては失恋し、また恋をするというのを繰り返していたのだ。
 「たましいのかくじっけん」は2007年7月7日からはじまり、その七夕の日、ボクと愛妻はるかは、あと1カ月で1歳になる太一に授乳しながら結婚式をし、その受付や通訳をしてくれたのも「ともみ」さんなのだ。2年前のことだ。そのころになると「ともみ」さんは「ムーンビレッジの鬼門番」とか「外人キラー」などと、みんなから怖れ喜ばれ、全力で彼女の華の香りを放っていて「不幸のどん底」どころではなかった。

母性4MIZUEちゃん(前号の写真「野の花」の産みの母で、「野の花工房」で産まれたとんぼ玉作品を「太一や」で販売中)

 そして、今年2009年7月7日の七夕は、満月! ボクらの結婚2周年記念日!! せっかくの満月だから、瀬戸内海の島の民宿に泊まって、海水浴をしながらの二泊三日旅行を!!! と楽しみにしていて、3人お揃いの海水パンツを買わなきゃと思っていた矢先、6月29日の半月の日に、重度糖尿病の母に胃癌が宣告されてしまった。それもかなり進行していて、この7月9日に入院してしまったのだ。たしかに、この1カ月で体重が6キロも減り、食事量も目に見えて減っていた。ボクが20代のころに、この母が買ってくれた黒い背広上下があるけれど、この30年で10キロも体重が増えた今のボクには合わなくなってしまったので、「3人お揃いの海水パンツ」よりも喪服用の「三つ揃いの黒い背広上下」を用意しなきゃ!!! と、楽しみにしていた海水浴も中止し、近くの本屋さんにいって『葬儀後の手続きと届け出百科』という本も買い、あ!!っと、黒い背広上下を新調してしまった。
 1年半つづいた介護生活に新たなる展開場面がやってきて、今、ちょっとコーフン気味の日々。今までたくさんのライブや祭りなどのイベントを企画実現してきたけど、入院や葬式もイベントみたいなもので、ボクの血が騒ぐのだ。
 海水浴を中止し、海水パンツを買うのをやめたと思ったら、ダライラマの誕生日、7月6日に「ともみ」さんが突如と「太一や」に現れた!!! 恋をしていた3人目のフィンランド人、14歳年下の青年「マルコ」と一緒にやってきたのだ。それも、4月14日に産まれたばかりの女の赤ちゃん「奈寧亜(ナディア)」とともに家族総出で。そして、7月7日の満月の七夕、この日はなんと「マルコ」の24歳の誕生日でもあったのだ!!! 4年半前の「不幸のどん底」から、今や念願のパートナーや赤ちゃんまで授かって「幸福の絶頂」の女性になった「ともみ」さん。生きていくって大変だけどスバラシイ!!! と、今、病院で苦しみ、これから逝こうとしている母への悲しみなんかよりも、イノチの歓喜の渦に巻き込まれてゆくいまここ。
 こんなイノチの渦の中、「太一や」に看板がかかった!!! 今回の写真「MIZUEちゃん」と、パートナーの「あ〜ち」の合作で、桜の木に漆塗りの思わず合掌してしまう入魂作品。この作品を持ってきてくれた日が6月24日で、この日はボクに「とろん」と名付けてくれた一等最初のパートナー(乳癌で逝ってしまって17年になる)の59歳の誕生日。このGOOD&GODタイミングの「太一や」の看板を、是非とも、拝みにやってきてくださいね、よろしく。

   とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第36回

ビーチパーティー

 先日、黒島の港近くの海岸で、青年会の「ビーチパーティー」があった。
 沖縄では、夏場になると親せき同士や友だち同士、会社単位などで「ビーチパーティー」が開催される。沖縄における「ビーチパーティー」は今や年中行事のひとつといえよう。
 会社などでは準備係として、若手社員らが任命され、カラオケセットやバーベキューの手配などに追われる。本土でいう「花見」の海岸版と例えると明解な説明かもしれない。ちなみに沖縄では桜を囲んでの「花見」の習慣は聞かない。
 さて、この「ビーチパーティー」という名称は戦後、米軍統治下の影響もあって定着したものだと思われるが、もともと沖縄では「ビーチパーティー」のようなことは盛んだった。「浜下り(ハマウリ)」とか「毛遊び(モーアシビ)」などの名称で、海岸で宴会や合コンみたいなことを好んでやっていたのである。「浜下り」に関しては、旧暦の3月3日などに実施されたりするので厄払い的な要素もある。本土でも風習として残っている地域があるらしい。
 「毛遊び」時代には月明かりのもとでサンシンの音色が流れていた。「ビーチパーティー」時代の今では発電機で起こした電気でライトアップされ、スピーカーから隣の人と大声でしゃべらなければならないほどの大音量で音楽が流されていても、海辺で飲む酒はうまく、「ビーチパーティー」は私も好きだ。
 ところが、ウミガメ寄りのヒトとしては少し残念なことに、「ビーチパーティー」が盛んな時期と、ウミガメの産卵シーズンがちょうど重なってしまうのである。もちろん、黒島の人たちはウミガメが産卵にやってくる「西の浜」を避けて「ビーチパーティー」を開催する。これは黒島に私の職場である黒島研究所が、30年以上存在してきた意義も大きいものと思われる。

アサビシバナで行われたビーチパーティーの様子

 島の青年会が今回の「ビーチパーティー」を開催したのは、「アサビシバナ」と呼ばれる場所である。「アサビシバナ」を漢字にすると「遊び石」となる。ここは、かつて琉球王府の役人が宴をしたり、今のお年寄りたちが若いころ、男女集って「毛遊び」をしたりしていたという場所である。写真で見てもらってもわかるように、「ビーチパーティー」は浜で実施しているが、「毛遊び」の時代にこの浜はなく、浜の上にある岩の上で催していたそうだ。
 現在、この場所は町指定の天然記念物とされているが、すぐ近くの港にテトラポットや護岸などが整備された影響で風景が壊されただけでなく、海流の流れも変わり、砂が堆積するようになったようだ。「毛遊び」世代のおじーたちが若いころ、この「アサビシバナ」の岩の上から海に飛び込んでいたそうだから、水深もそれなりにあったのであろう。
 「毛遊び」世代のおじーのこんなエピソードがある。「毛遊び」の本番で、女性の連れ出しに成功した時に案内する場所を、「西の浜」の林の中に選び、昼間のうちに整地しておいた。その晩、「毛遊び」本番で連れ出しに成功し、整えた場所に案内しようと連れていったら、その場所を何者かが使用しており、怒って近づくと産卵中のウミガメだったという笑い話である。
 私自身にはその反対のエピソードがある。沖縄本島でウミガメ調査をしていた時、ライトをつけずにひたすら真っ暗な砂浜を歩いていた。そこでは何度もヒトのカップルの営みの現場に遭遇していたのである。私はウミガメの産卵を探すために歩いているのであって、ヒトの繁殖行動を見ることを目的としていないので、相手に気付かれないように距離をとって調査をつづけていた。
 テトラポットやコンクリートの護岸に覆われた海岸よりも、自然のままの静かで暗い砂浜は、ヒトにとっても魅力的だということがわかった。
 ウミガメとヒト、双方の大切な繁殖の場として砂浜を守っていかなければならないようである。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

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連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第44回】

読めば読むほど味わい深いお父さんの話。今回の「私のお父さん」4つのタイトルはこちら↓
「何も言わなくても怖かった」
「よく飲み、よく働いた親父」
「僕の雑誌好きは読書家の親父の影響かも?」
「厳しかったのは、あいさつとお礼の手紙」

となりの北海道人「私のお父さん」第44回

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 次号の配信は7月30日(木)です。「パティ&ジミー」のジミーの誕生日だそうです。得意なことは勉強・チェス・トランプ、苦手なことはスポーツとは意外でした。
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