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『メルマガ北海道人』第124号 2009.6.11.―「北海道人」、あまずっぱい苺の季節―

 余市や仁木を通る広域農道、通称「フルーツ街道」は、両側に果樹園が広がるなんとものどかな雰囲気の道。カーブやアップダウンもあって、ドライブにピッタリです。最近になって、道沿いにある農家の直売所に「いちご」と書いた旗が立つようになりました。車を止めて直売所に入ってみると、ずらりと並んだ苺がこちらを向いていました。
 「俺はけんたろう。朝どりだからうまいぜ。買っていきな」
 そんな声が聞こえたような気がして1パック買ってしまいました。「けんたろう」という名前のその苺は、採りたてのみずみずしさもあって、すばらしい味。あのあまずっぱさが今日も忘れられない!
 『メルマガ北海道人』第124号、朝どりのようなみずみずしさで夕方配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 前回、エレベーターで袁袁(ユエンユエン)との運命的な出会いを果たしたチャンイン。その後、すぐにお忍び旅行に出かけ、二人の仲は急速に深まったようです。そして、ついにチャンインが妻に別れ話を申し出ると、妻はとんでもない行動に……。

連載【とろんのPAI通信】

 「ただこの痛みに集中して、極限まで痛がるといい。一切、考えたり怖がったりしないことだ」。自分の運命に巻き込まれながら自分の渦を巻き起こそうとしているとろんさんが、12年前の著書『とろんのダイジョ〜ぶ経典(スートラ)』の一節を思い出します。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 八重山地方ではお年寄りたちを中心にグランドゴルフが大人気。若月さんが参加した石垣島でのグランドゴルフ大会では、黒島宮里地区出身のお年寄りに会って重要な情報を得ることができました。第33回は「『旅人』たちの組織」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第59回

別れ話

 急に思い立って初めて台湾を訪れた。出発直前、「上海より田舎なのに」「怖いところらしいよ」と中国の友人たちからいろいろと入れ知恵されていたが、いざ足を踏み入れるとこれが不思議な地だった。まるで戦前の日本と新中国成立前の中国大陸、さらに近代都市が混在しているような風景。現地人が現地で語る台湾の実態と大陸で伝えられる台湾のあまりの違い。大陸では日本語の出版物でさえ編集時に「中国台湾」「台湾地区」と書かなければいけないことなどを話すと驚かれ、その反応にまた私が驚くということの連続だった。これまで中国のことをある程度知っているつもりでいたが、私も井の中の蛙だったかもしれない。暇とお金があれば、ぜひ台湾通いをしてみたいと思う。

 前回、エレベーターで袁袁(ユエンユエン)との運命の出会いを果たしたチャンイン。その後、翌週にはお忍び旅行へ出かけ、夜通し互いの素性を明かし合ったというから、かなりのドラマチックな急展開だったらしい。
 袁袁はまず自分がアマチュア作家として紹介された雑誌のインタビュー記事を見せてくれた。離婚後、女手一つで子どもを育て、会社勤めのかたわら執筆活動をする女性――その内容にチャンインは感心した。
 「たいした女だ。根性もある」
 袁袁はつづけた。
 「運命の男は上海にいると占い師に言われて。だからこの街へは愛を探しに来たの」
 「俺には金がない。株で全財産をすったばかりだからな。それでもいいのか?」
 「物乞いになる日が来るとしても、あなたといっしょにいさせて」
 まるでドラマのセリフだが、とにかくそんな会話があったそうだ。いずれにしても、これまで金目当ての愛人としか付き合ってこなかったチャンインとしては、袁袁の「物乞い覚悟宣言」に深く心動かされてしまった。たとえこれらがムードに酔った上でのリップサービスだとしても(実際、袁袁はショッピングもブランドも大好きだった)、やはりうれしかったのだという。

路地裏(台湾・淡水市)

 後の話になるが、はじめてチャンインに袁袁を紹介されたとき、チャンインのどこを好きになったのかをまっさきに彼女に聞いた。黒龍江省チャムス出身の袁袁は色白美人で教養もあり、こう言っては友人に悪いが、よりによって悪評高いこのチャンインを選ぶべき理由がどうしても思い浮かばなかったからである。袁袁は言った。
 「まず男らしいわ。他の上海の男のようにチマチマと細かいことを気にしない。それに頭もよくてユーモアもあるでしょう」
 まさにものは言いようだが、恋とはそもそも、そういうものなのかもしれない。
 ともかくお忍び旅行以来、二人の距離は急速に縮まり、2004年6月、チャンインはついに行動に出た。妻に離婚を申し出たのである。
 「俺たち別れよう」
 二人の結婚生活には最初から愛がなかったこと、これからはそれぞれ好きな道を進むべきだということをチャンインは妻に説いた。もちろん慰謝料を請求されることを考え、袁袁の存在は明かさないままだ。
 「考えてみろよ。おまえは住む家ほしさ、俺は所帯持ちというメンツほしさに結婚しただけだ。これ以上、互いに我慢しなくてもいいだろう。おまえも宗教を好きなだけやったらいいじゃないか」
 妻は1995年、勤務先の学校をリストラされてから、プロテスタント系の宗教に夢中になっていた。中国では決まった宗派しか宗教団体として認可が下りず、彼女は民家で行われる集会に足しげく通っていた。家ではお祈りをするか、宣教ビデオを見るかのどちからで、世間で大事件が起こればきまって「神がお怒りになっているの」と言って、チャンインと口げんかになった。規律も多く、土曜、日曜は夜の夫婦生活禁止。平日も夜10時までと決まっていたので、夜遊びの多いチャンインとはすれ違いばかりだった。自分に関心をもってくれず、まるで役に立たずの雑草のような扱いに我慢できなくなっていたとチャンインは言う。
 なるべく興奮させないため、別れ話は優しく切り出したつもりだったが、彼女は激昂し、「死ぬ」と叫んで台所へ走ってガス栓を抜いた。気づいた母・シューリャンさんが110番通報をしなければ、おそらく大事になっていただろう。妻とともに派出所で説教をくらったチャンインは「これは長期戦になる」と覚悟した。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第52回

ああした天気になあれ♪

 「きけ!あんたは絶対に、死なない、わかるか?」と、ベッドに苦しむあゆみの右腕の根もとをヒモで縛りながら、まるで催眠術師のような口調とジェスチャーで、彼女に向って言った。止血時間を測るためか、サドゥーには似合わない腕時計を見ながら「サソリの毒は一定量あんたの中に入った。その量も強さも、入っただけ入ったんだ。だけど、もしあんたが、怖いとか死ぬとか、もう駄目だとか、ネガティブな妄想をすると、その毒の強さは二〇倍にふくれ上がって、あんたの妄想どおりになって、死んでゆくのだ。だから、ただこの痛みに集中して、極限まで痛がるといい。一切、考えたり怖がったりしないことだ。私がついているから、あんたは必ず治ってゆくんだから」と、あゆみの瞳を正視しながら淡々と語りゆく。

 これは十二年前の六月に世に出たボクの本『とろんのダイジョ〜ぶ経典(スートラ)』からの抜粋だ。インドの北部、ヒマラヤ山麓に在る聖地リシケシでの出来事で、「ベーダニケタン」というアシュラム(修行寺)でボクの隣に泊っていた日本人の女ツーリストが、深夜部屋の中で、赤い大きなサソリに刺された直後の描写だ。

 そして、2009年6月の今のボクは、両親の介護生活や子育てなど、自分の運命に巻き込まれ翻弄されながらも、なんとか自分の渦を巻き起こそうと可笑しいくらい必死な毎日で、ほとんど中毒化していた強い煙草や焼酎も止め、ここ十年くらいさぼっていた太極拳やヨーガや「般若身経」という体操を再開している。二十六年前の一等最初の離婚で「脳の中がぐじゃぐじゃ」になり「心臓も止まりそう」になって身と心の危険を感じ、習い、はじめたものたちだ。

母性1まめぞう(紙芝居作家ぼびぃのパートナー)

 ボクが十六のとき旅をはじめたのは、父や義母たちが放つ雰囲気が「生理的にとてもイヤ!!」で、彼らからできるだけ遠くに、できるだけ長い時間離れていたかったからだ。そして今、そんな「生理的にとてもイヤ!!」な彼らを介護している毎日なのだ。彼らの一挙一動が「生理的にとてもイヤ!!」なのは、お互い年老いた今も変わりなく、こんなにも長く持続してゆく自分の生理的拒絶感にあきれ果てているこのごろだ。
 そして昨日の夜、またもや痴呆の父を怒鳴ってしまった。痴呆だからというより、もって生まれたその父特有の性癖にガマンできないものがあるのだろう。相手を変えようとか変わってもらいたいなどとは全く想ってないからこそ、その避けられない絶望的存在に向かって、我を忘れて怒鳴ってしまうのだろう。今まで旅してきたのと違って、この「生理的にとてもイヤ!!」な存在から容易に距離や時間をとることのできない今の自分の運命。「太一や」というお店を開いて、両親から適度に距離や時間をとれるにしても、毎日この「生理的にとてもイヤ!!」な存在と顔を合わせなくてはならない、逃れられない自分の今の運命。

 煙草や酒を止め、ヨーガや太極拳などをして身や心の平静を保とうとしても、たった一回の怒りの爆発で、心が大きく深く乱れ蝕まれ、そして、その怒りの爆発によって自分の血液の中に小動物をも殺せる強い毒素が発生してゆくのだから。ちょうど、サソリの毒がネガティブな想いで20倍になるようなものだろう。今の避けられない自分の運命のただなかで、やはり、あのサドゥーの言葉のように「ただこの痛みに集中して、極限まで痛がるといい。一切、考えたり怖がったりしないことだ」なのかなあ?? たしかに「私がついているから、あんたは必ず治ってゆくんだから」と愛妻はるかがボクの「瞳を正視しながら淡々と語りゆく」日々ではあるが。

     還暦まであと2年のアホとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第33回

「旅人」たちの組織

 八重山ではお年寄りたちを中心にグランドゴルフが大人気である。私が最近ルールを理解したゲートボールと比べると、単純であるうえに相手を陥れる作戦などがなく、みんなが楽しくプレーできるので、人気があることに納得できる。仕事上お付き合いのある石垣島の関係者にもグランドゴルフにはまっている人がいる。アポを取る時も、「午後はグランドゴルフに行きたいから午前中に来てちょうだい」などと、仕事より優先されている。
 日曜日に石垣島でグランドゴルフ大会に参加してきた。黒島公民館の役員をしていることから、黒島の代表の一員として参加したのである。このグランドゴルフ大会の主催者は「石垣在黒島郷友会」である。「郷友会」は「きょうゆうかい」と読み、「黒島郷友会」は黒島出身者が組織する会である。「石垣在」と付くのは他にも黒島郷友会が存在するからであり、「在沖縄黒島郷友会」や「関西黒島郷友会」、「関東黒島郷友会」などがある。
 郷友会を沖縄以外の人にわかりやすく例えるとすれば「県人会」や「同窓会」であろうか。沖縄本島では多数の県人会が結成されており、私もスケジュールが合えば「広島県人会」に顔を出したりしている。ただ「郷友会」が「県人会」と比べて決定的に異なる点は、島単位や集落単位など、小さな単位で多数結成されていることであろうか。黒島の人は、島外でマイホームなどを購入し、そこで骨を埋める覚悟をしている息子などを、「息子は○○に暮らしている」と言わず、「息子は○○に旅に出ている」とよく表現する。また、Uターンしてきた人を「旅から戻ってきた」とも言うことから、生まれた島にしっかりと軸足を置いている雰囲気が感じられる。そのため、「旅先」で「旅人」同士による郷友会活動が活発なのかもしれない。

日曜日に石垣島で開催されたグランドゴルフ大会。出身集落ごとに並んでいる

 黒島最大の神行事と呼ばれる「豊年祭」は、旧暦6月中の日曜日を選んで開催される。豊年祭を見物にくる観光客のためではなく、郷友会の会員への配慮からである。黒島のように人口の少ない島で、行事を存続させる頼みの綱は郷友会であったからだ。
 郷友会の主な活動としては、敬老会や運動会などを開催して集まり、出身者同士の親睦を深めることのようである。それが今回はグランドゴルフ大会で、100名近く集まっていた。
 数年前、石垣島の運動公園で宮古島の郷友会が運動会を開催しているのを見た。テントは宮古島の小学校区ごとに分かれていた。マイクから聞こえるアナウンスをはじめ、応援の声がみんな宮古なまりで、その空間だけ宮古島になっていた。
 黒島の郷友会のイベントでは集落単位で分かれる。私の職場である黒島研究所がある宮里という集落は、今から40年ぐらい前に干ばつなどによって住民が島から去っており、現在は本土や他の集落から移ってきた人だけになっている。宮里住民はだれも宮里の過去や伝統を知らないので、行事などを行う際に困ってしまう。他の集落のお年寄りから聞けば済むかというとそうでもない。黒島は小さい島であるにもかかわらず、人びとは自分の住む集落以外のことに驚くほど関心がないから詳しく解らないのである。集落ごとに言葉や踊りも少しずつ違ったりすることに納得してしまう。
 最近、我々は黒島に洞窟性の小型コウモリが生息するのかどうかに関心がある。島内のお年寄りから戦争中に避難した洞窟などの場所を聞き、そこを捜し当てて調べていた。そして、宮里の情報だけがなかった。
 今回のグランドゴルフ大会では宮里出身者にも会えた。宮里の洞窟情報をたずねていたら、「私はその洞窟があったから生きている」と、戦時中に実際に避難した人の証言を得ることができた。近々時間をつくって宮里の洞窟探しをしようと思っている。どんな洞窟なのか楽しみであるが、心配が一つある。その洞窟が、体の大きい私を受け入れてくれるかである。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は6月18日(木)、「おにぎりの日」です。「日本一古いおにぎりの化石」が見つかった石川県旧鹿西町がまち興しのために制定したとのことです。ちなみに「おむすびの日」は1月17日だそうです。むむ、おにぎりVSおむすび。英語に変換したら、rice ball VS rice ball。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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