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『メルマガ北海道人』第122号 2009.5.28.―「北海道人」、そよそよと五月の風に吹かれて―

 こんもりと葉をつけた街路樹が風に吹かれています。その下を歩くヒラヒラのスカートをはいた女性のそばを風が横切っていきます。少しだけ開けた窓からときおり良い風が入ってきます。風は自転車をこぐ人の背中をたまに押してスピードアップさせているようです。晴れた日の5月の風は楽しげで、気まぐれで、自由な感じがします。そんなことを考えているうちに、ボッティチェッリのヴィーナス誕生が思い浮かびました。絵の左側でほっぺたをふくらませているあの人。人ではありませんね、春から初夏の風を運ぶ西風の神ゼピュロスです。妻である花の女神フローラを抱きながら風に乗って花を撒き散らしているその姿を見て確信しました。いま、北海道にゼピュロスがいると!
 『メルマガ北海道人』第122号、ゼピュロスの呼気、5月の風にのせて配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 バイクタクシーの転倒による怪我の一件で、自分には「中国式生存力」がまだ身についていないと感じたという上林さん。今回は、中国の平均値をはるかに上回る生存力を持つと思われる友人チャンインの3人目の妻との出会いの話です。第58回のタイトルは「運命のエレベーターロマンス」です。

連載【とろんのPAI通信】

 かつて、パートナーだったヨッコさんと離婚したとき、そのショックでとろんさんはひきつけを起こし、呼吸もままならないような状態になったといいます。今年のバレンタインデーに友人「まさ」さんが亡くなりました。彼のパートナーはかつてのとろんさん同様瀕死状態……。その彼女がとろんさんに元気を与える?!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島老人クラブの書記である若月さんは今回、竹富町老人クラブ連合会のイベントに参加するため、黒島のおじーやおばーたちと一緒に一泊二日で西表島へ行きました。老人たちから聞く「ピーダマ」の話、他の島の老人クラブ事情など、ここじゃなきゃ読めないレア情報が盛りだくさんです!

【上林早苗の『上海日記』】 第58回

運命のエレベーターロマンス

 つい先日、バイクタクシーを利用して出勤中、タイヤがスリップしてバイクもろとも転倒、ひざを強く打った。勤務先の目と鼻の先だったので足を引きずって出勤すると、数人の中国人同僚がケガの状態を見て尋ねた。
 「で、慰謝料いくらだった?」
 「だから治療費とか」
 「えっ、請求してない?」
 「信じられない!」
 たいしたケガでもないので思いつかなかったのである。一件はあっというまに社内に伝わった。が、話の重点は交通事故に遭った私の不運ではなく、運転手に一銭も請求せず、さらには乗車料金まで払った私の失態に置かれている。優しくいたわってもらえるだろうと淡い期待を抱いていた私は軽く落ちこまずにいられなかった。中国式生存力をモノにするためには、いったいあと何年かかるのだろうか……。

 そういう意味での「生存力」をもし数値化できるとしたら、中国の全国平均値をゆうに超えそうなのがわが友人チャンインである。
 「俺、こないだ拘置所にぶっこまれたんだぜ」
 インターネットのチャットでそう話しかけられたのは2005年の春のことだ。当時、私は父の看病のため日本におり、中国の友人とはチャットで連絡をとっていた。しかし、この突飛な話題にすぐ食いつく気にはなれなかった。
 「この男が得意げに語りだしたら要注意」
 「話は3分の1以下に聞いておけ」
 それが同僚時代、チャンインのビッグマウスにさんざん振り回された私なりの鉄の掟である。それが表情の見えない文字チャットならば、なおさら話を鵜呑みにできない。まずは様子見と思い、無関心を装って気のない返事をすると、チャンインがまた発言した。
 「もうすぐ3人目の嫁さんをもらう。結婚式には来てくれよ」

ミャオ族の夕げ(広西壮族自治区雨卜村)

 3人目とは何のことだ。離婚していないのに結婚式というのも、意味がわからない。あるいは女好きが高じてついにハーレム生活をはじめるのだろうか。我慢できなくなった私は相手の思うツボだとわかっていながらも、詳細をたずねはじめた。「拘置所入り」と「3人目の嫁」――いったいどんな因果関係があるのだろう。
 チャンインには昔から理想の妻像というのがあった。まず第一に巨乳で背の高いダイナマイト美女。口数は少ないが自分の考えを行動に移せて自活能力もある。夫を尊敬し、毎日皮靴を磨き、夫婦の営みにも積極的な女――。この口でよくもまあ、とあきれるが、15年間連れ添った妻がこの正反対のタイプなのだという。
 職場のエレベーター内でその理想の女性に出会ってしまったのは2004年の夏のことだ。彼女はテレフォンマーケット部のテレフォンレディでチャンインより1歳年下。しかしファッションは若々しく、長身でグラマー、いかにも北方美人という印象だった。居合わせたお互いの知人の紹介であいさつを交わすと、彼女はこう言った。
 「私、アマチュア小説家なんです。あなたの雑誌に文章を掲載してもらえない?」
 しかし、チャンインがかかわっている日本語雑誌には投稿小説を載せるコーナーがなかった。そう言って断ると、彼女は別の願いを切り出した。
 「娘が上海で仕事を探しているの。どこか紹介してもらえないかしら」
 チャンインは心のなかで思わず舌なめずりした。
 「なんと自分の娘を都合してくれるっていうのか。この女の娘ならさぞかし美女でピチピチしてるだろう――」
 母の美貌から娘を想像し、そちらとのロマンスに妄想をふくらませたのである。
 もちろん、恋に進展したのは娘ではなく母とのほうだった。彼女は完璧だった。チャンインの話をきちんと聞き、自分の意見も述べるし、なにより記者の仕事をしている自分を尊敬してくれている。好奇心旺盛だが飽きっぽく、文学が好きだけどお金はもっと好きだという点もチャンインと同じで、磁石で引かれ合うような不思議な力を感じずにいられなかったという。「毎日会いたい」「24時間いっしょにいたい」――そんなときめく気持ちは保険のセールスレディとの恋以来だった。
 チャンインを「雑草」から「宝石」に昇格させた理想の女、袁袁(ユエンユエン)。「運命のエレベーターロマンス」(本人談)はこうして壮絶な離婚劇へと発展していく。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第51回

くるくるぱあの世界

 そして、ボクらは離婚した。法的な離婚ばかりでなく、精神的にも肉体的にも離れた。二人でインド周辺を一年近く旅をして、今の場所に住み始めて、離婚した。というより、ボクはヨッコに捨てられたという方がいい。とろんがヨッコに捨てられた。そして捨てられたボクは、うろたえたね。
 赤ちゃんがね、お母さんがいなくなっちゃうと泣き叫び、ときには痙攣してひきつけを起こしてしまうでしょ。ボクも、ヨッコというお母さんが急にいなくなってしまって痙攣してひきつけを起こした。呼吸するのもできなくて「一、二、三」と数をかぞえながら呼吸しなければ駄目なくらいだった。心臓も止まりそうだった。死ぬ、と感じた。
 半年くらいはそんな感じだったし、なにか、脳の中がぐじゃぐじゃになってしまい、生きていく支えもなく、生きてもいいし死んでもいいし、どうでもよくなってきたのかな。ショックでうろたえて心のバランスがとれなくなって、ずっとやめてた煙草を、ふたたび吸いはじめた。酒は飲めなかったのに「眠れぬ夜」がボクを酒に近づけた。

 前号につづき、またまたボクの本からの抜粋だ。24年前に出版された『純粋単細胞的思考』。原題は『くるくるぱあの世界』だったのだけど、「くるくるぱあ」が差別用語にひっかかるかもしれないということで『純粋単細胞的思考』になってしまった苦い想い出の書。みるからに「痴呆症」なのに「認知症」と名を変えてしまったようなものだ。

 今年2月14日、バレンタインデーの朝、同じ町、総社に住む「まさ」という友人が逝ってしまった。まだ50になったばかりなのに癌に侵され、癌と戦いつづけ、家族総出で在宅自然療法をはじめたとたん、にだ。一番最後の面会人がボクだったという。その最後の面会の数日後の朝、朝食をのどにつまらせて、あ!!っと独りで逝ってしまった。

「太一や」もうひとつのショーウインドー(花と祈り)

 ボクなどはパートナーに捨てられただけなのに、うろたえ、痙攣してひきつけを起こし、呼吸もできなくて心臓も止まりそうになり、死ぬ!! と感じる日々が半年間もつづいたのだけど、でも、会おうと思えば会えたし、相手は同じ地球上で生きていた。でも、まさのパートナーは、地球の果てまで旅しても、どんなに会いたくても彼には会えないし、その終身別離のこの世の辛さは、想うだけでも恐ろしいものがある。
 まさが亡くなってしまった後も何度か家に遊びに行ったり「太一や」のライブに誘ったりしたけど、やはり「脳の中がぐじゃぐじゃ」で「心臓が止まりそう」な状態で、なにもできない日々がつづいていた。
 そして5月10日(日)満月の日、「太一や」第4回目の白昼のライブのただなか、その瀕死のまさのパートナーが自転車に乗って「太一や」に、あ!!っと現れた!!!
 「ほんの少しだけど生きる意欲が湧いてきて、なんとか立ち直れそうな第一歩かな」と言って、だれの付き添いもなく一人でやってきたのだ。まさが逝って3カ月目のことだ。なんだか、落ち込んで「もうダメ!!」というとき、東の空に突如と出現するダブルレインボーや道端で自分に向けられた子どものなんともいえない笑顔や田んぼに美しく舞い降りる一羽の白い大きな鳥たちに遭遇して、あ!!っと救われるのと同じ風景だったな。
 愛妻はるか宛ての新潟の実家からの小包を勝手に開けて、中の笹団子をかくれてむしゃむしゃ食べては「食った覚えはない!!」と言い張る痴呆の父や、硬いゴルフボールを握りしめて買ったばかりの高価な大型液晶テレビの画面を全力でたたき割ってしまった破壊大好きな太一や、湧き出る自分のネガティブな妄想を一方的に低くっておどろおどろしい声で喋り放つ重度糖尿病の母、そんな彼らに振り回され、怒怒鬱鬱とうろたえ放つ日々の中、その突如のまさのパートナーの「出現風景」に、あ!!っと元気づけられてしまったのだ。
 彼女が「なんとなく立ち直れそうな第一歩」を踏み出してみたら「鬱々とうろたえる」ボクまで元気になってしまったというイノチのフシギな感染構造。「ひとそれぞれ! みんなちがってみんないい!! なんでもありでもダイジョ〜ぶ!!!」な「くるくるぱあの世界」の筆頭住人として、今日もまた、新鮮な一瞬、一刻、一日の第一歩、だな。

 「許せ!修行中」あるいは「かこをわすれてカッコー♪カッコー♪」のとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第32回

老人たちとの一泊

 黒島老人クラブの書記である私は、竹富町老人クラブ連合会のゲートボール大会と、芸能発表大会に参加するために、黒島のおじーやおばーたちと西表島へ一泊二日で行ってきた。黒島をふくむ竹富町は9つの有人島からなる島で、今回は7つの島々から各島の老人クラブの人たちが大集合した。
 大会に向けて、昼はゲートボール、夜は踊りの練習に老人クラブの人たちは精力的に頑張っていた。ただし、練習よりもおしゃべりの時間が圧倒的に長かった。そのおかげで面白い話をたくさん聞くことができた。今回、私にとっての収穫は、ゲートボールのルールを理解できたことと、「ピーダマ」の話が聞けたことである。ピーダマとは「火の玉」とか「人魂」と理解すればいいのだろうか、人が亡くなる前にピーダマが飛ぶという話だった。
 かつてはピーダマが飛び交っていたらしい。私の職場である黒島研究所のある場所はピーダマの多発地帯だったそうだ。だから島側が研究所の建設地として誘致したのであろうか……。私は深夜徘徊が趣味であるが、ハブやヤシガニには遭遇しても、ピーダマにはまだ出会えていない。
 ピーダマについて熱心に語ってくれたおばーが若いころ、夜間に婦人会のメンバーと乗合いで移動していたときに畑からピーダマが飛ぶのを皆で見たそうだ。その翌日、その畑の主が畑で亡くなったという話をしてくれた。証人が複数いるという珍しい目撃例である。
 大会当日は晴天に恵まれた。ゲートボール場で待っていたのは31度を超える暑さであった。あまりの暑さに「台風のひとつぐらい来ないですかね」と西表島の人に言うと、「すでに田んぼの稲に穂が実っているから今は来て欲しくない」と真面目な答えが返ってきた。そういえば八重山は6月ころから新米が出回るのであった。田んぼのない黒島だけに実感が湧かなかった。

ゲートボール大会を終え、芸能発表に備えて化粧と髪を結った状態で夕食を取るおばーたち。このあとおばーたちの皿が次々と私の所へ……

 炎天下のゲートボールが無事に終了し、夜は芸能発表大会が開催された。そこでは島々の踊りが見られた上に、他の島の参加者と話ができて楽しかった。老人クラブの入会資格は65歳からであるが、黒島では70歳が若手老人会員である。まだまだ老人扱いをされたくないのか、65歳になってまで下っ端扱いされたくないのか、60代が入会しようとしない。他の島の老人クラブには65歳の新人会員がいた。その方の話によると、「生まれてはじめて老人になった」と、老人扱いされることに戸惑いをみせた上、「みんな戦争の話とかするので話が合わない」ともぼやいていた。老人クラブ内での世代間ギャップがあるようだ。
 宿ではおじー4人と一緒の部屋で寝た。「目覚ましは何時にセットしましょうか」とたずねたら、「自然に起きられるから大丈夫」と言われた。冷房の効かない部屋だったことや、何度もトイレに起きるおじーがいたり、まったく動かず死んだように眠るおじーが呼吸をしているか確認してしまったりしていて、私は深い眠りには至らなかった。挙句の果てに朝5時には皆起き出した。しかし、特にやることはなく、ただテレビを見ていただけだった。黒島を発つ日の朝、8時35分の船に乗るのに、当初は7時半集合とか言っていたのを、私が抵抗して8時にしてもらったのであるが、体内時計が朝5時にアラームを鳴らす老人たちにとってそれは普通の感覚だったのであろう。
 おばーたちも負けてはいない。食事の時、「食べきれない」と、おかずの皿をどんどん私の前にならべてきた。食べ物を粗末にしたくないという罪悪感を私の胃袋で解決しようと、「残してはもったいない」と言って、私に完食を要求してきた。
 今回の西表島一泊の旅は睡眠こそ不足したものの、思い出とお腹がいっぱいの旅となった。島々から集まった老人たちのピーダマが目撃されるのは、ずっと先であるに違いない。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は6月4日(木)です。ローメンの日だそうです。ローメンとは、羊肉と蒸した太めの麺をスープで煮込んだり、炒めたりする料理で長野県伊那地方の食べものだそうです。羊肉……北海道人としては気になりますね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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