メルマガ北海道人

HOME > 第120回

『メルマガ北海道人』第120号 2009.5.14. ―「北海道人」、青空ウグイスカルテット―

 ホーホケキョ。この声が聴こえるようになってから、ずいぶん経ちました。はじめのころは、耳に手をあて、目を閉じ、静かにじっと聴き入っていたものです。最近は、何度もリピート演奏してくれるので、庭仕事のBGMになっています。自慢の喉を披露しているのは、ウグイスだけではありません。ギュルギュルと鳴くのはコムクドリ、コロコロとカワラヒワ、そこにスズメもチュンチュンと仲間入り。ちょっとした演奏会です。ウグイスがメロディーラインを奏でると、絶妙な即興演奏でコムクドリ、カワラヒワ、スズメが合いの手を入れます。青空の下、ウグイスカルテットの演奏は絶好調! いまが聴きどきです。
 『メルマガ北海道人』第120号、メルマガ執筆トリオのペンも絶好調! 読みごろ配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 5月6日に夏入り宣言をした灼熱の上海から上林さんがお届けします。チャンインとは1年以上、同じ職場で働いていた上林さんですが、彼の職場での評判はすこぶる悪かったそうです。しかし、どうも憎みきれないそのワルぶり……。第57回のタイトルは「ワルい男に女は惚れる」です。

連載【とろんのPAI通信】

 4月29日の昭和の日に「太一や」で第3回目のライブが行われました。ゲストは、宮城県気仙沼から全国ツアー中の「もんちゃん」です。岡山に入ったとたん彼にアクシデントが! もんちゃんは無事だったのでしょうか? 記念すべき「とろんのPAI通信」第50回のタイトルは「うちゅうのダイジョ〜ぶ」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 若月さんは黒島のお年寄りとの交流が楽しく、日ごろからメモを取りながら質問ばかりしているといいます。そんな若月さんが、65歳以上の住民で結成されている「黒島老人クラブ」に参加することになりました。えっ、老人クラブ? 今回は、心温まる話にじんわり共感!!

【上林早苗の『上海日記』】 第57回

ワルい男に女は惚れる

 上海の春と秋が年々短くなっている気がしていたけれど、今年はとりわけ異常である。5月初旬から30度以上の高気温がつづき、5月6日にはついに夏入り宣言。1873年にはじまった上海観測史上、もっとも早い夏入りとなった。私は暑さにめっぽう弱いのだけれど、貧乏性のせいなのか5月に冷房を入れるのはどうも罰当たりな気がして、じっと我慢していたところ、数日で夏バテ症状が出た。春のない人生なんて耐えられない。いつか上海から春が消えたら、別の街へ逃げたいと真剣に考えている。

 チャンインとは1年以上、同じ職場で働いていた。しかし、その過去については本人が強調していた「復旦大学卒のエリート」「文匯報の元記者(実際は半年間、アルバイトをしただけ)」「アメリカ人留学生の恋人(実際は言葉を交わしただけ)がいた元イケメン」「やり手の株トレーダー(実際は過去の一時期)」くらいしか情報がなく、しかもどれもにわかに信じがたい内容だったので、その実像は神秘のベールに包まれていた。いまこうしてチャンインの過去をたどってみて、「なるほど」と合点がいくことが数多くある。
 あるとき、二人で江蘇省の嘉興へ農民版画家の取材に行ったことがあった。当日は送迎車が用意され、取材もそこそこに豪勢な食事と、帰り際にはおみやげを持たされた覚えがあるのだが、よくよく話を聞くと取材条件として事前に「車、食事、みやげ」の三点セットを先方に要求していたらしかった。本人の理屈としては、その取材記事を載せることで他の記事が落ちるのだから、当然その代価を払うべきだし、記者には執筆のための原動力が必要だ、ということなのだが、こちらはそんな交渉があったことも知らずに先方のもてなしに恐縮していたわけで、思い出すたび恥ずかしさで顔から火が出そうになる。

出番待ちのサル(広西壮族自治区桂林)

 さらにそのとき運転手役を務めてくれたのが、「コネ売り」を生業とする悪友の一人だったことも知った。彼はかつての中国外交部長(外務大臣)が亡くなった1983年、たまたま同姓だったことからそのおいに化けて追悼会に出席。無銭飲食・宿泊のうえ、女性を騙したため、詐欺と婦女暴行の罪に問われて9年服役した後、社会復帰した工場で上司を殴って傷害罪で再び逮捕された。出所してからは、友人のツテをたどって役所手続の融通を利かせることで依頼人から「礼金」をもらって生計を立てていたらしい。母親が生活保護を受けていたことから出国目的の国際結婚計画は実現せず、50歳近いが独身だということだった。道中、二人は上海語で話しこんでいたし、そんな数奇な経歴の持ち主とは知るはずもないので寝こけていたのだが、惜しいことをしたといまになって思う。そのほかにも女好きの風水師など、取材を通してチャンインの「ごろつき友だち」に数人会っていたようだった。
 都合が悪くなると上海語で話す。チンピラまがいの口汚いスラングを使う。ワリカンの支払いのとき数元にこだわる。職権を乱用しておいしい汁を吸う。己の株を上げるため同僚について社長に逐一報告する――等々の行為で社内でのチャンインの評判はすこぶる悪かったのだが、追及すると茶目っ気たっぷりに開き直るそのワルぶりが私にはどうも憎みきれなかった。彼を見ていると「欲望というのは本来こういうものなのか」「道徳観や常識に守られていなければだれもがこうなるのではないか」という気がしてきたし、人を押しのけてまで生き残ろうとするしたたかさは時に羨ましくなりそうなことさえあった。
 だから、チャンインから「3度目の結婚をしようと思っている」と聞かされたとき、この旺盛な生命力にひかれてしまったのはどんな人だろうと思うと同時に、チャンインの座右の銘を思い出した。
 「男人不壊、女人不愛(ワルい男に女は惚れる)」
 これが「人生最大の試練」という壮絶な離婚劇のはじまりだった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第50回

うちゅうのダイジョ〜ぶ

 I get up, you get up ときはいつでも
 知ってる心のすぎゆくところを
 心の奥の声を聞け耳をすませ
 耳の奥の心を聞け心をすませ
 Run and run, run and run 宇宙の果てまで
 とんでけ心をあけはなつだけさ
 心のみちはつづくあの世のはてまで hey hey
 Lalalala I don't never deny, I don't care what happen!
 Lalalalalala, Lalalalalalala, Woo woo

 4月29日(水)昭和の日の白昼、昭和風なごみ処「太一や」で第3回目のライブが展開された。その一等最初に歌われたのが、この歌『心の耳』だ。遠く宮城県気仙沼から全国ツアー中の「もんちゃん」の白昼のソロライブ。日本のムーブメントや祭りシーンで活躍中で、特に女のひとに人気があり、ボクも彼の放つ雰囲気や言葉が大好きで、19年前に出版されたボクの本『まるだしのエクスタシー』の中でも紹介してるくらいだ。その中から彼の言葉を抜粋してみよう。

 「アラタクラ」も「スマルス」もほとんどすべてを流れにまかせたバンドです。天然自然の流れでしか、流れません。どうなるかは天まかせ。天にすべてをまかせてやってると祝福をうけます。すべてがうまくゆきます。幸いにメンバー全員(ギターモ、マミ、ヨコ、トノオカ、タケ、トット、ジュンペイ、ヒデ、モン)大ビンボーです。もっとビンボーになって、畑をタガヤし、自給し、ケンコーになり、ホントーにスナホになったとき、出てくる音楽は、世界中のブラザーたちの心を清め、イマココのメッセージが伝わり、ジャパニーズルーツミュージックと呼べるものになります。日本が変われば世界が変わる時代となり、宇宙全体のためもくもくとビンボーと遊びたわむれるものであります。

「明るいきざしがなんともいえない」太一や風景AGAIN!!

 他にも『うちゅうのだいじょ〜ぶ』『明るいきざしがなんともいえない』などの歌があり、その「明るいきざしがなんともいえない」彼に、岡山にはいったとたん、暗いトンネル内でのアクシデントが待ち受けていた。高速道路走行中に突如とエンジンが止まったのが、ちょうど岡山近くのサービスエリア直前のことで、惰性の勢いでサービスエリアにはいれたと喜んでいると、待ち受けていたかのように助っ人が現れ、バッテリーを直結してエンジンをかけてくれたのだ。
 「うちゅうのだいじょ〜ぶ」を感じ喜び、再び高速道路を走りはじめたら、長くって暗いトンネルにはいったとたん、再びエンジンが止まってしまったのだ。電気系統のすべてが止まり危険信号も出せない絶体絶命の暗くって危ない中、しくまれたように突如と高速パトロールカーが出現し、プロのスピードで車と彼をガードしてくれ、JAFに連絡してくれたのだ。JAFの会員でなかった彼の出費は2万5000円!!! その前日に大阪で自作の「ひょうたん三味線」が売れて5万円入っていたので、ビンボーな彼も現金で支払うことができたけど「宇宙全体のためもくもくとビンボーと遊びたわむれる」彼には大損失な額だった。
 そして4月12日、ライブ当日、岡山県在住のボクの大好きな老若男女子どもたちが勢ぞろいして、CDも完売し、「ひょうたん三味線」も売れて、またまた5万円入ってしまったのだ。そして「明るいきざしがなんともいえない」気分で西へ向かって旅立ちゆく彼の姿に「うちゅうのだいじょ〜ぶ」を感じてしまった。そして「天にすべてをまかせてやってると祝福を受けます。すべてうまくいきます」という彼の言葉がボクに迫ってくる。82歳になる痴呆の父や超わがままな2歳9カ月の太一に振り回され、彼らを力ずくで抑えようとしてしまう自分に限界を感じている今、ボクへのgood & GODタイミングなミコトバ。ボクが彼らを介護したり育てたりしてるんじゃなくって、実は逆に、ボクが彼らに介護されたり育てられたりしてるんじゃないかなって感じてしまう今日このごろ。

  産まれてはじめて父の胸倉を掴んで怒ってしまった未熟で馬鹿でアホなとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第31回

老人クラブ

 黒島に来るまで、私は10年ほど那覇に住んでいた。その間、明治生まれの祖母の家に暮らしていた。広島の親とは馬が合わなかった私にとって、那覇の祖母は私の最大の理解者であった。那覇にいるころ、祖母とドライブをしながらあちこちに遊びに行った思い出が山ほどある。
 黒島に暮らすようになって丸2年になろうとするころに祖母が亡くなった。私も祖母もかなりおしゃべりで、二人でたくさんしゃべってきた。にもかかわらず、祖母に聞きたいことや確認したいことが今もなお私の中で湧きつづけている。そんな背景もあり、黒島のお年寄りとの交流は楽しく、日頃から話をする機会がある時は、メモを取りながら質問ばかりしている。
 そんな私に思わぬ話が舞い込んできた。65歳以上の黒島住民で結成されている黒島老人クラブの今年度の書記をして欲しいとの依頼だった。
 何年か前に老人クラブの総会を見たことがある。その時の会計報告で、会計担当の老人が収支報告をしていたのだが、出納簿の文字が小さすぎてなかなか読み切れず、長い時間をかけて報告していた。さすがに老人クラブもこれではまずいと思ったのか、これまで会員の中から選んでいた役員を、昨年度は婦人会から書記と会計を引き抜いていた。そして、今年度の書記として私に白羽の矢が立ったのであった。私は「いいですよ」と即答していた。
 老人クラブの規約には、会員は65歳以上と規定されているが役員は特に何も規定がない。その規約もコピーにコピーを重ねているようで薄くて読みづらい。おそらく「原本は?」とか「元データーは?」と聞いても判明しないであろうから、気が向いた時にでも規約を打ち直し、文字も大きくしてあげようと思っている。

理事会に集まった老人たちのバイク。ハンドルやシートが熱くならないようにガジュマルの下に駐輪している

 老人クラブの理事会が開かれることになった。理事会といっても会員の4分の3が理事で、ほとんど総会に近いものがあるが……。私の初仕事は理事会のお知らせを作成することだった。その後、老人クラブの会長に「理事会で集まった理事の皆さんに配ったりする書類とかはありますか」とたずねると、「老人にはそんなものいらない」と言われてしまった。
 島のほとんどの集まりは夜に開かれるが、老人クラブは基本的に昼に集まるそうだ。たしかに昼間にバイクや自転車で集まってくる老人を見ていると、中には絶妙なバランスで運転してくる人もおり、夜道は走らせたくないと思ってしまう。逆に朝は得意なようで、8時に集合してゲートボール場の清掃とかをやるらしい。青年会ではありえない集合時刻である。
 5月10日、理事会が午後1時から開催された。理事会の議題は、5月23日に予定されている竹富町老人クラブ連合会主催のゲートボール大会や芸能発表大会の選手や出演者を選出することだった。竹富町内の島々から老人たちが西表島に集結し、昼間はゲートボール、夜は芸能発表大会で交流するのである。もちろん役員である私も行くのであるが、会計を務める婦人は「子どもがいるから」という理由で、日帰りで黒島に戻るという。若い私が老人たちと西表島一泊旅行をすることになる。おそらく私は添乗員状態になることが予測される。だれも携帯電話を持っていないし……。
 多少の不安がある反面、石垣へ渡る船、石垣から西表島へ渡る船、西表の港から会場へ向かうバス、宿泊する宿、そして帰りの道中と、黒島の老人たちの話をたっぷり聞くチャンスがあると考えると楽しみでもある。
 西表島にはこれまでいろいろと関わりがあり、思い出もたくさんあるが、なにより高校時代に祖母と楽しく旅行した島でもある。今度はその西表島で、黒島の老人たちとの楽しい思い出を付け加えたいと思っている。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は5月21日(木)、ちょうどさっぽろライラックまつりが開催されています。ますます花だらけ、花まみれの北海道です。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO6 MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ