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『メルマガ北海道人』第118号 2009.4.30.―「北海道人」、雪と桜の日々―

 今週の日曜日に、北海道のあちこちで雪が降りました。札幌や近郊はすぐ溶けてしまうくらいの量でしたが、中札内では53センチも積もったそうです。53センチ! 桜が開花した青森からは、雪見桜を楽しんだという声が伝えられました。雪見桜――なんとも風流ではありますが、寒い! この雪で桜のつぼみがどうにかなってしまったのではと、気が気じゃありませんでした。ご近所のつぼみは無事ですか? おや、開花しましたか? そんなことを言いながら、この落ち着かない時期を楽しんでいるような気もします。「季節性心配性」という病名がついてしまいそうな4月の終わりです。
 『メルマガ北海道人』第118号、雪と桜の日々を楽しみながら配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 最近、上林さんの携帯に「オレオレコール」が頻繁にかかってくるそうです。上海でも流行しているんですね。さて、株式市場が低迷期に入った2003年、崖っぷちに立たされたトレーダーのチャンインは、ある賭けに出ます。結果は吉と出たのかそれとも……。今回は上林さんとの出会いのエピソードもあり、見逃せません!

連載【とろんのPAI通信】

 今回は、4月12日のライブで歌った、とろんさんのオリジナル曲「元気のなる木を訪ねてよ♪」からはじまります。16歳から58歳までの人生が歌われていますが、歌われていない17年間があります。そのとき出会った魅惑の「ある女」、イノチの恩人の前でこの歌を歌ったとろんさんの意図は? 次のライブは5月10日(日)です!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 沖縄ではヤギは身近な動物だそうです。そう言えば、クセのある料理として知られるヤギ汁が沖縄にありますね。若月さんは肉が嫌いだそうで、ヤギも当然食べません。島の人たちからは「なぜだ」「可哀相に……」と言われるそうですが……。今回のタイトルは「食用としてもペットとしても身近なヤギ」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第56回

無念の再就職

 近年、携帯電話に若い中国人男性の声で「オレオレコール」がよくかかる。もともと記憶力のまずさを自覚しているので、軽い調子で「元気にしてた? 番号が変わったんだ」などと言われると、思い当たる人の顔を必死で思い浮かべつつ、アタフタと相手の質問に答えてしまう。その後、「どなたですか?」「誰だと思う?」の応酬がつづき、こちらがようやくオレオレ詐欺と感づいたあたりで相手から切られる、というのがいつものパターンである。ところが、これが最近あまりに頻繁にあるので数日前、仕事中にかかってきた「私は誰でしょう?」コールを「オレオレ」と勘違い。電話口で文句を言い放って切ろうとしたところ、7年ほど連絡を絶っていた本物の元同僚だとわかってとても気まずい思いをした。今後、こうした電話があれば「もしかして王貞治くん?」などとカマをかけてみようかと思う。振り込め詐欺なら「思いだしてくれてうれしいよ、王貞治だ」と話を進めてくるだろうし、本物の友人ならきちんと否定してくれるだろうから……。

 2003年、株価市場が低迷期に突入すると、チャンインは崖っぷちに立たされた。貯金はもうじき底を突く。自分が働きに出なければ一家四人は路頭に迷うだろう。だけど、本当に自分にはもうトレーダーとしての才能はないのだろうか。一生、株で食べていくという夢はかなわないのだろうか――。チャンインは迷った末に、ある賭けに出た。パソコンのスクリーンに映し出された「白完通高速」と「中信証券」の株価指数。彼自身の勘と独自のセオリーによると二銘柄とも翌朝、高騰するはずである。このうち一つ、上げ幅がより大きいと思われる銘柄だけを購入しよう。そして翌朝、もし勘が外れていたら、株の一切から手を引く。勘が当たれば、もうしばらくこの生活をつづける。チャンインはそう決心して、前者を選択した。

牛飼いの少女(広西壮族自治区柳州市雨卜村)

 翌日、朝を迎えると、チャンインは真っ先に株価をチェックした。高騰したのは後者で、自分が賭けた前者はなんと5割下落。もう迷うことも気持ちが沈むこともなく、チャンインは1987年からの株人生で残された全財産1000ドルをすべて人民元に換え、口座を解約。2003年1月、春節が明けるとともに本格的な就職活動をスタートさせた。そしてある日、インターネットで日本の中国情報月刊誌の記者募集要項を見つけることになる。
 「日本人と仕事か。そろそろ俺もグローバルに活躍しなくちゃな」
 その数カ月後、チャンインがいる編集チームに私は入ったのだった。
 出会った当初から本人は「復旦大学卒」「文匯報(上海の新聞)の元記者」「元イケメン」を強調していたが、にわかには信じられなかった。小脇に抱えたセカンドバッグ、両耳の裏に挟んだタバコ、ぶ厚いメガネ。上海なまりのまったくない美しい普通話(共通語)で、これまで聞いたこともないような汚いスラングを口にする。記事の執筆はおそろしく速いが、時に独特のロジックが難解すぎて翻訳不能。エリート大卒の雑誌記者というよりも、頭の切れる商売人といった印象だったのである。
 雑誌づくりに淡い夢を抱いて入ったばかりの私に、「主席記者」であるチャンインは自分が記者になった理由を、うれしそうに話して聞かせた。
 「この仕事の醍醐味はな、他人にチヤホヤされることだ。取材と称してタダ飯が食える。旅行ができる。商品がもらえる。時には現金もな。だから記者になろうと思ったのさ。君ももらえるものはもらわなくちゃバカを見るぜ」
 雑誌づくりのイロハもわからない私は衝撃を受けた。
 「それが中国の常識なんだろうか」
 「もしかしてそれがこの仕事の正体?」
 「イヤ、それ以前にこの人とやっていけるのだろうか?」
 私は漠然とした不安を感じていた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第49回

元気のなる木を訪ねてよ♪

    元気のなる木を訪ねてよ♪

 ボクが16の時、元気のなる木を訪ねてよ
 学校さぼって旅に出て日本中を流れてよ
 あ!!っと「なにか」が壊れたよ♪

 ボクが18の時、元気のなる木を訪ねてよ
 外国船でインドに渡り世界中を流れてよ
 あ!!っと「すべて」が壊れたよ♪

 ボクが23の時、元気のなる木を訪ねてよ
 大学やめて沖縄で一人の女と結婚しちゃってよ
 あ!!っと「とろん」が始まった♪

 ボクが32の時、元気のなる木を訪ねてよ
 その女(こ)とインドに旅をして日本に帰って捨てられちゃってよ
 あ!!っと「ふえ」が始まった♪

 ボクが49の時、元気のなる木を訪ねてよ
 すべてを捨ててインドに渡りタイのPAIに流れ着いてよ
 あ!!っと「元気」になっちゃった♪

 ボクが55の時、元気のなる木を訪ねてよ
 一人の女神と目が合って3度目の正直に結婚しちゃってよ
 あ!!っと「太一」が産まれたよ♪

 ボクが58の時、元気のなる木を訪ねてよ
 ふるさとの総社の「れとろーど」で一つの空き家にであってよ
 あ!!っと「太一や」が始まった♪

「太一や」から観た総社旧商店街「れとろーど」風景

 「太一や」第2回目のライブが4月12日に終わったのだけど、この時、ボクと愛妻はるかはゲスト出演して「元気のなる木を訪ねてよ♪」というボクのオリジナルを歌ってみた。『とろんのPAI通信』も今回で49号を迎え、同じ49の時、ボクはすべてを捨ててPAIに流れ着き、「あ!!っと元気になっちゃった♪」のだけど、32歳から49歳までの17年間が歌われてない。この17年の間に、ボクは狂ったようにインドを行ったり来たりしながら恋をしては失恋を繰り返し、そして38の時、「こりずにまたもや」結婚し、インドで魅惑の「ある女」と出会ってバンドを結成して、42の時、生まれてはじめてステージに立ちのぼり、45の時に生まれてはじめて歌いはじめたのだ。
 その魅惑の「ある女」と出会ったのは彼女が27歳の時で、今年4月4日で44歳に成った。この17年の間に、彼女は元の恋人と別れ、ボクらが住んでいた東京昭島に引っ越してきてボクらとライブ活動を3年間つづけ、バンドを解散した後は狂ったように渋谷にある「気」の道場にかよいつづけ、なにかの極みに達しようとしていた。そして最近、その限界を感じて道場通いも止めてしまい、明日への希望を失い、やりたくもない賃金労働をイヤイヤしながら身も心も疲れ果て、生存ぎりぎりの状態で44歳を迎えていた。
 ボクは彼女と出会ってなければ歌も歌ってないし、歌うシーンがなければ愛妻はるかとの結婚もなかったことを想うと、彼女はボクの大切なキーパーソンでありイノチの恩人なのだ。だからボクは彼女の44歳の誕生日に新幹線の往復切符をプレゼントして、「太一や」第2回目のライブに招待したのだ。そして、「元気のなる木を訪ねてよ♪」の曲を彼女の前で歌って、なんとかそのイノチの恩人にイノチを注ぎたかった。
   「太一や」第3回目のライブは4月29日(水)昭和の日で、4回目は5月10日(日)母の日に女の子3人の弾き語りだ。そして、第5日回目は6月7日(日)満月に「白昼の紙芝居SHOW」が決まっている。イノチの恩人にイノチを注ごうと想って歌った「元気のなる木を訪ねてよ♪」を聴いて「紙芝居にしたい!!!」というカップル(ぼびぃ&まめぞう)がいて、その6月7日、紙芝居とともにゲストでボクと愛妻はるかが再びこの歌を歌うのだ。ボクが生存しつづけドラマティックな人生が展開してゆく限り延々とつづいてゆくこの歌、果たして何歳まで歌っていけるのか、とてもたのしみ。

 ボクが120の時、元気のなる木を訪ねてよ
 愛妻と二人でインドに旅をして心トキメキ身が持たず
 あ!!と二人で逝っちゃった♪

   本気で120まで生きようとしている「とろん」より

★★★「太一や」イベント情報 ★★★

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第30回

食用としてもペットとしても身近なヤギ

 沖縄ではヤギは身近な動物である。かつては家の新築途中のお祝いにヤギ汁は欠かせないものであった。スーパーでは、レトルトパックのヤギ汁も販売されている。島内の飲食店のメニューに「ヤギ刺」もあるし、ヤギは学校の運動会の景品にもなったりするのである。
 ヤギ料理は相当くせがあるらしく、嫌いな人も多い。私の推測では沖縄の人でも半分ぐらいはヤギが苦手なのではないかと思っている。そのヤギ料理に関して、好んで食べる比率が高いのは、やはりヤギをよく見かける離島の人たちであるような気がしている。
 私は肉が嫌いなので、ヤギも食べない。日頃の生活の中で、「肉が苦手」と明かすと、3分の2ぐらいの人は「なぜだ」とか「肉が食べられないなんて可哀相に……」と言ってくる。肉嫌いにとって、肉を食べないことは幸せであるのだから、大きなお世話だと思う反面、私のまわりにいる人々は、本当に肉が大好きなんだなと思い知らされる。
 残り3分の1は「肉を食べないのになんで太っているの?」と聞いてくる。これに関しては「甘党だから」と、一言で明確に回答することが可能である。
 さらに肉を嫌うことに納得のいかない人たちは「鳥肉も駄目なのか?」と粘りをみせる。この「鳥肉も……」の流れに慣れっこになっていた私が那覇にいた時代、「ヤギも駄目なのか?」と真剣な顔で言われて驚いたことがある。その人は黒島と同じ八重山諸島にある石垣島出身だった。
 最近、私がペットとして飼うためのヤギを欲しがっていることを知る島の人が、妊娠したメスヤギをくれた。そのヤギには名前を付けていないとのことだったので、ペットとしてではなく、食用として飼っていたことは明白である。私がペットとしてヤギを欲しがっていたのは、ネコの次に可愛い動物だと思っていることと、研究所周囲の草刈り要員として活躍して欲しいという思惑もあった。ヤギを飼うのは実に簡単で、草のちょっと多く生えた場所に繋ぐだけである。

先日もらったメスヤギのジー子

 沖縄の田舎に行くとヤギの姿をよく目にする。特に離島では飼われているヤギも多いが、野生化しているヤギも多い。私は学生時代にヤギに命を狙われたことがある。慶良間諸島にある無人島でキャンプをしていた時、頭上から突然石が降ってきたのだ。頭上を見上げると、この無人島で野生化していたヤギが高台の岩場から石をコロコロ落としていたのだった。偶然だったのか、上陸してきた私に対する威嚇なのか……、真相はヤブの中というか、ヤギの中である。
 黒島で野生化していたヤギが最近激減した。ヤギはとてもタフな生き物で、簡単に絶滅などしない。黒島のヤギ好きたちが頑張って野良ヤギを捕まえたのかもしれない。島内では犬を飼うような感覚で、あちらこちらでヤギが飼われている。そして、ヤギによるご近所トラブルも発生している。ヤギは岩場などに登るのが好きで、飼っているヤギが石垣に登って崩すという被害をよく聞く。
 私が黒島に来て飼ったヤギは今回で3頭目である。一頭目は私が赴任してきた時にすでにいた。名前は付いていたようだったが、私は「シロ」と呼んで可愛がっていた。このシロはある日病気で亡くなってしまった。
 二頭目は、同僚が古井戸に落ちていたところを発見し、捕獲してきた野良ヤギの立派なオスだった。井戸から拾ったことにちなんで「ハイド」と命名して可愛がっていたが、ある日、つないでいるロープを切って逃亡してしまった。再びどこかの井戸に落ちないことを願った。
 先日もらった三頭目は、島で「ジローさん」(本名ではない)と呼ばれるおじーにもらったので、「ジー子」と名付けた。数日以内に出産しそうな感じで、生まれたら子ヤギたちの名前を考えなければならない。
 ヤギたちは「メーメー」(命名)と鳴いてせかしてくるのであるから。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次回の配信は5月7日(木)、ゴールデンウィーク明けです。桜を観ての話もできそうですね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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