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『メルマガ北海道人』第116号 2009.4.16.―「北海道人」、園芸コーナーのにぎわい―

 庭に積もっていた雪が消えると、去年の秋に取り込み忘れた鉢植えや、雪の重みで壊れてしまったプランターが目につくようになります。うらめしや、と見つめられている気がして、休日を待ってホームセンターの園芸コーナーに行ってみると、そこは気の早いガーデナーでにぎわっていました。花選びをする人、種を買う人、土や肥料を運ぶ人。「この季節、待ってました!」という歓声があちこちから聞こえたような気がしました。うらめしや、の鉢植え植物たちは、ふかふかの土に替えられたり、新しいプランターに入ったりしてご機嫌のよう。「いよっ、待ってました!」という彼らの声に、振り返ってピースサインをする4月。
 『メルマガ北海道人』第116号、「待ってました!」と一人芝居してピース配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 曽祖父からはじまったチャンインの話もついに21世紀に突入します。2000年、記者業を辞め、株で食べていくことを決意するチャンインに、母シューリャンさんは「復旦大学を卒業しておきながら、なんてこと」とため息をつきます。第55回のタイトルは「一生働かない宣言」です。

連載【とろんのPAI通信】

 「八転九起」「絶対他力絶対肯定」「おーい!おーい!どっち向いとんじゃ」。これは「野の花工房」が販売している「ことだまキーホルダー」に彫られているコトバです。今回は、「ことだまキーホルダー」や作者の「あ〜ち」さんなどのことについて。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 人口およそ200人の黒島には多くの組織があるそうです。そういえば、独身のはずの若月さんが「PTA」の会員になっていると書いていたこともありました。黒島の組織はいったいどんなことになっているのでしょうか? 第29回のタイトルは「総会の季節」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第55回

一生働かない宣言

 中国の人と知り合うと、6割ぐらいの確率で中国のどの都市に行ったかを列挙させられる。そのときよく「桂林は?」とたずねられ、「まだなんです」とこの9年間、残念そうに答えつづけてきた。しかし、実のところ桂林はあまりに有名なので、あまのじゃくの私は「よっぽどの理由がない限り行くものか」と頑固に足が向かなかっただけだった。だから今回、4月4日の清明節休みに同僚が桂林近くの農村に墓参り帰郷すると聞きつけたときは「待ってました」とばかりに旅の道連れに立候補した。ついでに立ち寄った観光地・漓江の風景は確かに美しかったけれど、いまだ土葬文化を守る農村の素朴な暮らしぶりこそ、9年待った甲斐があると思えるほどの収穫を私にくれたと思う。あまのじゃくは損な性格だが、たまにはいいこともある、ということだと思う。

 さて19世紀、曽祖父の物語からはじまった友人チャンインの話も今回からついに21世紀に突入する。飛ぶ鳥落とす勢いで中国が発展をつづけていた2000年、チャンインはプロのトレーダーになることを決意した。有償記事新聞を禁止する法令が出されたこと、新聞、雑誌などメディアの数が増えて以前ほど甘い汁を吸えなくなったこと、株の利益が「記事販売」の収入より上回ったことで、大学卒業以来、つづけてきた記者業と決別し、株に専念することを決めたのである。
 「これから一生仕事はせず、株で食っていく。勝敗にかかわらず毎月きっちり2000元を家に入れるからな」
 そう宣言する息子に、母のシューリャンさんはため息をついた。
 「復旦大学を卒業しておきながら、なんてこと。同窓生はみんな政府機関でちゃんと働いているというのに……」
 株をやるのに高度な教養は絶対条件ではない。賭博のようなものだ。しかし、だれがなんと言おうと、チャンインの考えは変わらなかった。

先祖の墓をすべて参った後、野原で食事をする一家(広西壮族自治区柳州市融水苗族自治県)

 単調な毎日がはじまった。朝8時に起き、バスに乗って証券会社に着くと朝食のワンタンを食べる。9時半に取引がはじまると、前日に目星をつけておいた銘柄を売る。多いときで1カ月に1700万元を売買し、証券会社にパソコンや小旅行を贈られ、夜は美女たちととっかえひっかえ遊ぶ。そんな日々がつづいた。
 異変が起きたのは、それから1年も経たない2001年6月のことだった。中国のWTO加盟による混乱を恐れ、国が株の規制を強化したことで株価が大暴落。ストップ安が連日つづき、わずか3カ月で1700ポイント下がった。
 27元で買ったものがわずか数日で7元の価値しか持たなくなる――それは投資家にとって、人生を左右するほどの一大事件である。3000万元(約4億5000万円)を投じていた知り合いの中学物理教師は、価値が半分になったところで行方をくらました。株価の動向を熱心に研究するタイプの努力家だったので信用があつく、投資金のうち2000万元は人から借りて運用していた金だったそうだ。結局その後、彼は地方へ逃げたのちに自殺したと伝えられた。
 チャンインは売買するたび5000元、また10000元と損を重ねた。ちょうどこの年、大学入学20周年の節目として、再び大学の同窓会が開かれたが、プライドの高いチャンインは顔を出す気さえおきず、沈黙を守った。前回の同窓会でエリクソンの携帯を見せびらかし、皆のボーリング代を気前よく払ってみせたときの勢いはどこにもなかった。
 それから2年間、株価が回復することはなく、仕事を見つけなければ貯金が底をつき、食べることさえできなくなることに内心焦りを感じていた。しかし、だからといって「働かずに暮せるバラ色の人生」への可能性に未練がないわけでもない。
 「かつて一日に数十万元を稼ぎだした俺のカンは本当に鈍っちまったのか?」
 チャンインは最後の賭けに出ることにする。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第48回

みりょくぼさつ or 善悪の彼岸花

 岡山県総社市での両親の介護生活がはじまって、1年4カ月になる。それ以前は年に一度日本に戻り、年末年始を岡山で両親とともに過ごしていた。そして毎回、阿呆のように倉敷の美観地区に足を運んでは、路上で展示販売している「野の花工房」を訪ね、「とんぼ玉のかんざし」と「ことだまキーホルダー」を買うのがボクの年賀の「習わし」になっていた。この美しい「習わし」が介護生活への突入とともに崩壊し、「太一や」の誕生とともに新たなる関係へと突入したのだ。以前は「お客と作家」というボクと「野の花工房」の関係が、今年からは「売り手と作家」の関係になったのだ。
 「太一や」は「なごみ処」で、2階にゲストハウス(一泊1000円)が在り、1階には愛妻はるかのオリジナルカレー、チャイ、コーヒー、ビールなどもあり、冬は石焼き芋、夏はボク特製の懐かしの昭和風かき氷と愛妻はるかのシェイクなどもあって、月一回、白昼のライブを展開している。そして、タイのPAIで活躍している6人の作家と、岡山県で活躍している3人の作家の作品群で空間が飾られている。今回は、年賀の「習わし」であった「ことだまキーホルダー」について少し描いてみたいな。
 「現代日本の山岳民族的存在。阿呆存在極まり、ブッダの香りを放つ。倉敷美観地区にて彼の作品、ことだまキーホルダーが並べられている」
 これは、梅の木でアートな形に作られた「ことだまキーホルダー」の作者「あ〜ち」のプロフィールだ。計9人の作家たちの作品には全て、ボクの角度から見たプロフィールとボクが撮った顔写真が並べられていて、作品から受ける妄想力がより高まるように演出しているのだ。

「ことだまキーホルダー」の産みの親「あ〜ち」(61歳??)

 「Imagine」「アキラメキレヌとあきらめた」「おーい!おーい!どっち向いとんじゃ」「八転九起」「沢山ノ道ガ有ル 歩ケルノハ一人一本」「毎日が盆と正月」「絶対他力絶対肯定」「四十の初心 五十の初心」「人生は一回やで〜」「いのち喜ばそう」「一日一生」「天までとどけ〜 心にとどけ〜」「一寸先ハ薔薇」「痔業自得」「建康ハ命ヨリ大切デス」「酒有ルトキワ酒ニ酔ヒ 草有ルトキワ草ニ酔ヒ」「許せ!修業中」「皆んな違って皆んないい」「我の他皆我師」「あわてず あせらず あきらめず」「Keep on smiling」「間口百閒 奥行無」「ありのまま 流れのまま」そして「こいつぁー春から縁起がいいやあ」最後に「あとは野となれ花となれ」
 これは、108個以上もある「ことだまキーホルダー」から今のボクの視点で厳選して、「太一や」に並べている25の作品群だ。この厳選角度は、今のボクの魂のベクトルを暴露していてオモシロイ。と同時に、「太一や」に並べられたこの言葉群に惹かれて買ってしまう「その人そのもの」を直観できるからオモシロイ。この値段は、来てのオタノシミ。「あ〜ち」の作品は他にも、懐かしい竹ペンとONE LOVE 印の火吹き竹が並べられていて、その横にはパートナーの「みずえちゃん」のとんぼ玉作品群が美しく光輝き「太一や」を明るくしてくれている。二人の作品及び私生活については「野の花工房」のホームページを!!! 「あとは野となれ花となれ」から彼らの娘「ののか」の名が産まれ、アトリエの「野の花工房」が産まれたのかなあ??
 花といえば、梅、桃、桜、と美しく咲き乱れながら4月に突入。ストーブの灯油を買おうか、これで終わろうかと迷う日々。そして、出番を待つ重さ26キロもある青色のかき氷機。歩いて一分の至近距離に「総社製氷」という昔からの氷屋さんを発見して、今、超シアワセ。今まで目につかなかった処が自分の必要に応じて、鮮明に突如と目の前に現れ出てくるのだから、視力ってイイカゲンでフシギだよね。夏までとても我慢できないから、4月でも天気次第で一気にかき氷の旗を吊るし、26キロの重くって青いかき氷機を「太一や」の表に出すぞ!!! 再び、この値段は来てのオタノシミ!!

 相手次第、気分次第で値段を変えるのが得意な、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第29回

総会の季節

 島内には多くの組織が存在する。それらの組織の筆頭は「黒島公民館」である。豊年祭などの伝統行事や敬老会など、島全体の行事は公民館が主催となり、取りまとめをする。黒島に住む住民は全て黒島公民館員であり、公民館長は区長を兼任する。その他の役員には副館長、書記、会計、広報、文化部長、環境部長がある。それぞれを簡単に説明すると、書記や広報にはパソコンやデジカメを日常的に使用している人が選ばれる傾向にあり、私も広報をやったことがある。会計にはやはり、信用のある人が選ばれる。文化部長は各種行事などの準備や音響を担当する。環境部長は定期的に浄化槽の汲みとり希望者を募り、石垣島から業者を手配したりするという役職である。
 島の行事を担う二大組織として、「黒島婦人会」と「黒島青年会」がある。婦人会は65歳以下の女性が会員となる。昭和8年からつづく婦人会は、戦時中は「国防婦人会」と改名したりしていた。かつては生活改善を目的に活動していたが、現在は島内行事で島の伝統的な踊りなどを披露するために、踊りの練習に励み、伝統芸能を伝承している。
 青年会の会員は成年男女で、女性は結婚したら婦人会にシフトする傾向がある。青年会は島の行事の会場設営などで活躍する。2008年度の青年会の広報に私の職場の同僚がなっている。同僚は、会合などの案内をパソコンから各自の携帯電話へメールで一斉送信するようにした。おおむね好評だが、「案内というのは文書にして配るものだ」と抵抗する人もおり、そのような青年会員には文書を配っている。メモを取らず、文書を配布しても「聞いてない」「知らない」と主張することの多い島の人たちにこそ、メールで知らせて証拠を残したいというのが発信者としての気持ちだと思う。青年会の定年は40歳となっている。数年前に40歳から65歳までの男性の組織、「壮年会」が結成されたという理由が大きい。

黒島地区学力向上対策委員会の様子

 壮年会について、私はあまり良いイメージを抱いていない。40から65歳の男性は島を引っ張っていかなければならない立場で、本来ならば公民館の役員などをやって活躍すべき世代だと私は思っている。しかし、公民館などの役員を頼まれた彼らの口から「昔やったことがある」「自分の先輩でまだやっていない人がいる」などの逃げ口上を何度も聞いた。もう少し年を重ねると、「年寄りよりも若い者が……」と言いだす姿が眼に浮かぶ。逃げ回るわりに不満は多いようで、批判はよくしている。こんなオヤジにはなりたくないと思うような、私にとっての良い反面教師でもある。
 青年会の他に私が関わる組織に、「黒島観光組合」がある。島内の飲食店や民宿、レンタサイクル業者やダイビング業者、そして、黒島研究所が組合員となっている。それぞれ個人経営というか、一国一城の主の集まりということで、意見の集約がなかなか難しい。「牛」関係者が集う組織として、「黒島肉用牛生産組合」と「黒島農業青年クラブ」があり、それぞれの会員が牧場経営者であるため、こちらも観光組合同様に意見の集約が難しいのであろうか。
 さらに保育所に通う子どもの親には「保護者会」があり、学校に通う子どもの親には「PTA」がある。PTAの場合は、独身者や子どものいない夫婦、就学前や卒業済の子どもがいる親も隼会員として組み込まれているが、役員は子どもが学校に通う親、すなわち本会員で組織される。学校関連の組織としてもうひとつ「黒島地区学力向上対策委員会」があり、公民館長が委員長でPTA会長が副委員長となっている。さらに「子供会育成会」という組織もある。
 人口200名ちょっとの島にこれだけの組織があるということは、会合の主催は変わっても顔ぶれはあまり変わらないということである。役員の掛け持ちも多々ある。
 4月である今はちょうど各組織の総会時期である。役員らは会計監査など、総会の準備に奔走しながら、次期役員の候補者探しに悩む日々である。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

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連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第43回】

今回の「私のお父さん」4つタイトルはこちら↓
「授業中、担任の父にビンタされました」
「遊び人のスポーツマン」
「歳を取るのは楽しい。そう思わせてくれる父です」
「布団のなかで話してくれた、ちびくんの話」

となりの北海道人「私のお父さん」第43回

次号予告

 次回の配信は、4月23日(木)です。ゴールデンウィーク直前、深呼吸をすれば津軽海峡の向こうから桜の香りが感じられそうなころです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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