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『メルマガ北海道人』第114号 2009.4.2. ―「北海道人」、軽やかな足どり―

 アスファルトの舗道からは雪が消え、街にはパンプスを履いた女性が見られるようになりました。雪の下でペタンコになった落ち葉が掃かれ、道がすがすがしくなると、通勤する人たちの足取りも朝から軽やかになるようです。往きがこんな調子なら、アフターファイブはもうスキップするしかありません。両手を大きく振ってスキップすれば、自然と笑いがこみ上げてきて、毎日のようにスキップしていたあのころにトリップ! 思い出して涙がドロップ……。泣き笑いのスキップはちょっと恥ずかしいかも。
 『メルマガ北海道人』第114号読んで、トリップ、ドロップ、ギャロップ配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 「バスタブ訴訟」では、裏工作により原告が逆転勝利に終わり、チャンインは「人を動かすのは金である」と確信したといいます。では、金を持たない人は、納得のいかない事態にどう応戦するのでしょう? ああ、チャンインが暮らす地区で放火事件が!

連載【とろんのPAI通信】

 「とろんのPAI通信」第47回のタイトルは「ふっ!! と我に返って今ここ」です。タイの桃源郷PAIから総社市に戻ってはじまった、両親との介護生活をとろんさんが振り返ります。「太一や」近所の老舗味噌屋、農業を営むカップル……。「縁ある遭遇」が随所に!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 「いまさらながら、黒島はマイナーな島なのである」と語る若月さんですが、観光に力を入れる島々が不況のあおりを受ける中、黒島を訪れる人の数は落ち込んでいないとのことです。何もないのが魅力の島に、観光客が興味を持つようなスポットが登場! それは「恋のかなう場所」なのですが……。

【上林早苗の『上海日記』】 第54回

すべてはカネ次第?!

 会社勤めをはじめてからというもの、「目的地のない街歩き」をしなくなった。以前、お金はないが暇と好奇心だけもてあましていたころ、ひとり遊びの一つとして凝っていたのが「気まぐれバスツアー」だった。次に来たバスに目的地を見ずに乗りこんで、終点で降車。再び次のバスに乗ってまた終点まで行くという、やや異色の「上海観光」である。バラックがひしめきあう下町に降り立つこともあれば、ひと気のない町工場地帯にポツンと取り残されることもあって、たった2元(約30円)で自分の知らない世界に飛びこめることにとても興奮していた。ところが、あらためて現在の自分を考えると、仕事柄レストランやエステ情報には詳しくなったけれど、そうした街の隅っこを歩くことはめっきり減った、というよりも皆無である。地下鉄とタクシーを使わない運任せの旅、近いうちに時間を見つけてまた敢行してみたいと思う。

 1997年の「バスタブ訴訟」は、チャンインの裏工作により原告の逆転勝利に終わった。判決では上階の住民がバスタブを設置したことによって知人社長が味わったとされる「ジメジメした気分」への精神的苦痛こそ認められなかったが、女性住民が自費によるバスタブの撤去を命じられたことで、社長もようやく溜飲を下げたという。報酬は当初の約束通り5万元だ。新聞記者の買収や討論会開催の経費、法律専門家・裁判官の接待ですでに3万元を使っていたため、実際チャンインの手に残ったのは2万元。しかし、この一件でチャンインはある確信を持ったという。
 「裁判でモノを言うのは法律ではなく人間関係。そして人間を動かすのは金である」
 わずかなチャンスもとことん生かすのがチャンインである。報酬を合法に受け取るために設立したメディアコンサルティング会社は、この後も大活躍した。企業の新商品発売に合わせて記者会見を開催し、その分野の専門家と新聞記者を招待。打ち合わせ通りのコメントと記事を出してもらい、多額の報酬をもらっていた。ここでも、どんな三流商品でも金さえ出せば、「史上最高の画期的な新商品」として世に出ることにひどく感心したという。

ショーウィンドーでポーズを取る「マネキン」(茂名路)

 では、勝つための必需品、「お金」を持たない庶民たちは、どうしていたのだろう。納得のいかない事態にはどう応戦していたのだろうか。
 庶民には金の代わりにイチかバチかの捨て身戦術に出るほか道が残されていなかった、とチャンインは言う。その一つが補償金問題がこじれて起こった放火事件である。
 チャンインの自宅周辺は低所得の蘇北出身者が住む80年来の貧民区だった。劣悪な衛生状態からねずみが多く、また建てつけが悪いので、隙間風だらけでエアコンはまったく使い物にならなかった。最大の問題は排水で、毎年大雨が降るたびにどの家もひざまで浸水。ベッドの上にちゃぶ台を乗せて食事をする光景があちこちで見られたという。なにより毎年のように扇風機の電気コードに感電死する者が出るので、大人たちは政府主導による集団移転を強く望んでいた。当時、合法的に家を買えるのはごく一部の人間だったのである。
 そんな状況だったため、1996年にこの集落の立ち退きがはじまったときは全住民が狂喜し、爆竹を鳴らすドンチャン騒ぎになったという。移転先は市内から少し離れた閔行区、宝山区、嘉定区の三つから選択。「サッサと補償交渉をまとめたほうが得策だ」と聞きつけたチャンインは早々に嘉定区を選び、立ち退きの日を待っていた。ところがある夜、どうしても補償内容に納得のいかない住民の一人が空き家に火をつけた。路地が入り組んでいるため、消防車が入れず、火はあっという間に広がって民家6棟が全焼。後日、その住人が5年禁固を言い渡されたという記事を新聞で見て、チャンインはまたもや思ったそうだ。
 「金がない者は永遠に損をする。どれほどまじめに働いても、この国では報われない」
 2000年、チャンインは定職である新聞記者を辞め、「職業投資家」となった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第47回

ふっ!! と我に返って今ここ

 ふっ!! と我に返って今ここ、わが故郷総社市ではじまっている両親の介護生活について少しは描かなきゃ。タイ北部の桃源郷PAIでの生活が一段落して、痴呆化した父と重度の糖尿病の母の元に戻ってきたのが、2007年の暮。そして今、2009年の3月。この1年と3カ月の間に、ボクと愛妻はるかと太一はPAIに2回里帰りしながら、岡山での新生活への活路を模索していた。6年間つづいたムーンビレッジは新天地に引っ越し、新居も建てて、いつでもPAIに戻れるようにしながらも、長期戦になりそうな岡山での介護生活を予感して「太一や」というお店もOPENし、「どっちに転んでも七転び八起き」できるように万全の体勢をとっての今ここ。そして、春分の日の二日後の今朝も早朝4時に起きて、今、気温14度の応接間で、降りはじめた雨音を耳にしながらこの原稿を描きはじめている。すでにコーヒー(ゴールドブレンド)は飲み終わり、焼酎(しらなみ)のお湯割りの段階に入っている。
 「太一や」の在る旧商店街には何軒かの老舗が健在していて、その中の一つに「秋山麹店」という味噌屋さんがあって、明治末期からつづくこの店の味噌「備中神楽味噌」というのが信じられぬ「うま味」を醸し出していて、この味噌を使って、昨夜、味噌汁をつくった。この間、そこのオーナーの奥さんが「太一や」に現れ、味噌を一つ置いていってくれたのだ。
 介護生活の中、ボクはご飯と味噌汁、洗濯と縫物、家や薬の管理が担当で、愛妻はるかはおかず作り、掃除、「太一や」の管理をやっていて、太一の子守は手が空いた方がやり、買い物はみんなで一緒。お店で出すごはんや石焼き芋が余っても、それを家に持って帰ってみんなで食べているので、以前と比べると、ボク担当のごはん作りがほんの少し楽になっていて、そんなことで喜々としている今日このごろなのだ。

NEW MOON VILLAGE で収穫した赤く熟したコーヒーの実、あるいは愛妻はるかの左手

 そしてついに、ベストな味噌を発見できたのが一番嬉しい!! 今までこの1年間、あちこちの味噌を買ってきては味噌汁を作っていたのだけど、いまいち納得がいかなかった。歩いて1分の至近距離にこんなにもうまい味噌が在ったのだ!! そしてお米も、近くの自然食品店で「安全でうまくて、高い!!」有機米を買っていたのだけど、そんな中、つい最近、総社の隣のとなりの町「赤磐市」の山中で農業をやっているカップル「しんさん&おはるさん」と遭遇し、彼らが作っているお米を買いはじめた。無農薬有機玄米が10キロで3000円!! 自然食品店の半額!! 彼らの子どもも、ボクらと同様に自宅出産していて、6年前、彼氏と出会うもっと前、彼女はPAIのムーンビレッジにも来たことがある「縁ある遭遇」なのだ。
 こういう「縁ある遭遇」は「太一や」をはじめてから頻繁に起きていて、結果的にボクらの介護生活の助けになっているのだから、不思議で面白い。結局、人が止むにやまれず何かを起こしはじめるということは、イノチが自らの活路を切り開くために起こしゆく「イノチの呼吸」なのだろう。放っておいても傷を癒しゆく「自然治癒力」みたいなものか。
 全てを悪いほうにしかとれず、ネガティブな妄想力に振り回され鬼の様相だった母は、この1年と3カ月の間に、ウソのように「明るいほう」へ向かいはじめている。自分の父や姉妹を広島の原爆で失い、自分も被爆した8月6日に産まれ出てきた太一を神の子のように想っていて「これから新しい聖書がはじまるんじゃ!!」と、その硬くって醜かった風貌が一変し、毎日「ありがとう」と柔和な笑顔の日々なのだ。こんなに豹変して大丈夫なのかと心配するほどの急展開。父の痴呆も安定していて、最初は怒ってばかりいたボクも、この1年で「痴呆のパターン」が観えてきて「ムダな怒り」のエネルギーを使わないようになってきている。自分が怒り放つネガティブなエネルギーは、自分も消耗し父も悪化してゆき、周りの関係ない人たちへもネガティブ連鎖を起こしてしまう。
 ボクの今の課題は、父や隣人や社会に反応してひとりでに湧き起きてしまう怒りやネガティブなエネルギーをどうするか、だな。このボクの長年の課題をなんとかするために、今、両親の介護生活がやってきたのかもしれないな。自分が楽で楽しくって、おもしろくっておかしくってHAPPYになるためにも、人のため世のためにも、是が非でも、ふっ!! と我に返って今ここ、介護生活。そしてなによりもまず、今日は自分のズボンのつぎあてをしなきゃ、黄色の糸と桃色の布で。

     白昼の酔っぱらい、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第28回

恋のかなう場所

 出張で那覇などに行って一般企業の人と名刺交換をするとき、「黒島から……」とは言わず、「八重山から……」と言うようにしている。黒島といってピンと来る人が少ないからだ。本土から来ている企業人や研究者、行政関係者は、沖縄県全域の地図が頭に入っていることが多いようで、黒島を知っている人も多い。沖縄で生まれ育った人ほど黒島を知らない。
 八重山諸島の黒島と言ってピンと来ない人には「石垣島と西表島の間にある島」と言うと、だいたいは「竹富島や小浜島には行ったことがある」とか「知っている」と答える。いまさらであるが、黒島はマイナーな島なのである。そんなマイナーな島でも観光客は来る。観光の “売り”は「人が少ない」とか「人の数より牛の数が多い」ことで、目玉となる観光スポットも少ない。特に何もないのが魅力で、観光に力を入れる島々がこの不況で客を減らす中、黒島は落ち込まず、黒島研究所の年間入場者数も年々増加している。嬉しい反面、「黒島で何をしたらいいんですか」などと言ってくる電話も増え、「来るな」と言いたい衝動を抑えながら対応する自分がいる。このように、本来は黒島のような島に来てはいけない類いの人からも注目を集めはじめているようである。 
 島では何人かがレンタサイクルを営んでいる。自転車を貸し出すときに各自がオリジナルのサイクリングマップを手渡している。民宿などにも宿泊者用にオリジナルマップが存在する。情報の少ない島でこの手作りマップは貴重な情報源となる。八重山の島々を紹介するガイド本が何ページも割いて紹介する竹富島や小浜島、西表島とは違って、黒島は1〜2ページ程度、最低限の情報を掲載している場合が多い。また、ガイド本に手作りマップが与えている影響はかなり大きい。

恋がかなう場所になってしまった黒島灯台

 いつのころからか、島の南の海岸にある黒島灯台が、「恋のかなう場所」と手作りマップに書かれるようになった。そして、ガイド本にも記載されるようになり、観光客から「恋がかなう場所って本当ですか」と聞かれるようになった。このキャッチフレーズが定着したのだと実感した。「黒島研究所」を名乗る我々が、根拠もないまま肯定も否定もできないので、「恋がかなう場所という理由を示す統計や根拠には今のところ出会えていません」と私は答えていた。ちょっと硬すぎる真面目な回答かもしれない。しかし、個人のブログとかで何を書かれるか分からない今、慎重に回答しておく必要がある。ちなみに、灯台でデートをしていたカップルがその後すぐ別れた実例なら1件知っている。
 先月、丑年記念で来たという今年還暦を迎える婦人たちから、「灯台が恋のかなう場所というのは本当?」と質問された。還暦を迎えても、愛だの恋だのとはしゃげることは素晴らしいことかもしれないと思ったと同時に、いつから灯台がそう言われるようになったのか根拠が知りたくなった。
 数日後、黒島灯台を「恋のかなう場所」と言いだした島民が判明した。その島民は40代の男性だった。理由をたずねたところ、「灯台のある場所が、(島の形である)ハートの線が交わる場所にあるからさ」とのことだった。自分自身の経験談とか、もっと深い理由があるのかと思っていたが、案外シンプルな理由だったんだなぁと黙って考え込んでいると、彼は私が納得していないと感じたのか、「いいじゃないか、何もない島なんだからこれぐらいの話があったって」と怒りだした。
 以降、観光客から灯台について聞かれると、「ハートの線が結ばれる場所だかららしいです」と手で島の形であるハートを描きながら説明している。そんな質問をしてくるのはロマンチストかラブラブカップルで、その説明を聞いた後はさらに目が輝いている。きっと研究所を出たあと、島の南端にある灯台へ向かって自転車を漕いでいることだろう。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

■ポータルサイト『北海道人』更新情報

北海道人特集「となりの北海道人」 DJグッチーさん

その声を聴くと、なんだか元気が湧いてきて、こころがホッとする。声の主・DJグッチーさんは、ラジオやテレビ、プロ野球やJリーグの試合が行われるスタジアムなど様々な場面で心地よいトークを聞かせてくれる。DJグッチー誕生秘話、人生の法則、ラジオへの思いなど、みなさんの知らないグッチーさんをご紹介しよう。

北海道人特集「となりの北海道人」vol.51

次号予告

 次号の配信は、4月9日(木)、その日の誕生花は桜とのことです。4月1日に日本気象協会が発表した桜の開花予想では、札幌は5月2日、北海道で一番早い松前は4月28日です。桜を見るのはまだまだ先ですね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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