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『メルマガ北海道人』第112号 2009.3.19.―「北海道人」、植物たちの合図―

 冬の間はまるで造花のように姿を変えず、息を潜めていたような観葉植物たちですが、ここ最近、動きが見られるようになりました。大きな深呼吸をしながら固まってしまった身体を伸ばしているようです。ところどころに見られるつやつやの新しくて小さな葉っぱが、季節が移り変わりつつあることを知らせています。植物たちを真似て大きな伸びをすれば、たちまちあくびと眠気に襲われてむにゃむにゃ……。ああ、間違いなく春です。
 『メルマガ北海道人』第112号、むにゃむにゃしながら配信……。

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 前回、国債先物取引の一時停止により、7万元も損をしたというチャンインでしたが、今回はそれから2年後1997年のことです。知り合いの社長から「上の階で女がバスタブに浸かっている。なんとかできないか」という相談を持ちかけられます。報酬は5万元! さて、チャンインがとった秘策とは?

連載【とろんのPAI通信】

 保育園に太一くんを預かってもらおうと思っていたのに、どこも定員がいっぱいで断られてしまったこと。お店「太一や」のライブで、突如お客さんがスタッフに変身してくれたこと。インド人青年「RAM」から届いたメッセージ。「とろんのPAI通信」第46回のタイトルは、「good & GOD タイミング♪」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 今回は、「島の子どもの成長を見守る(後編)」です。学校が休みになると黒島研究所に通ってくるという少年が中学3年生になりました。受験生になった彼に、研究所で受験勉強をさせようと、問題集をやらせてみたところ、深刻な問題が発覚しました。少年は無事合格できたのでしょうか? 黒島の受験事情は?

【上林早苗の『上海日記』】 第53回

バスタブ訴訟でひともうけ

 4月4日の清明節を迎えるにあたって中国の葬式文化を調べる機会があった。友人チャンインの半生を聞くなかでも、葬式のシーンに何度か「泣き女」が登場し、この国の葬儀文化に興味をそそられていたけれど、今回、葬儀場周辺の商店街を歩いてみて腰を抜かしてしまった。各国紙幣そっくりの「紙銭」や駐車場付きの「紙別荘」、真っ赤な「紙ベンツ」、シャネルの口紅などの「紙コスメ」、冥土銀行と書かれた「紙クレジットカード」など、おもちゃのような紙製の日用品が5元(約75円)から100元(約1500円)の値で売られている。聞けば、故人が天国で幸せに暮せるようにと墓の前で燃やすのだとか。中国政府はいわゆる迷信活動を厳しく取り締まっている。しかし、こうした「冥土グッズ」には死後の世界うんぬんというよりも、この世で果たしえなかったことへの無念や執着が凝縮されている気がして、笑うに笑えない。

 1997年の上海。
 「上の階で女がバスタブに浸かっている。なんとかできないか」
 ある日、チャンインは知り合いの社長からそんな相談を持ちかけられた。事情を聞くと、こういう話だったという。
 社長はあるマンションの18階に住んでいた。どのマンションもたいていそうだが、この建物も階ごとの構造がほぼ同じで、たとえば寝室の真上は寝室、バスルームの真上はバスルームとなっていた。ところがある日、上階の住民が巨大なバスタブを寝室に配置したのだという。住民は30代前半の独身女性。今でこそ上海でも寝室やリビングに四つ足の付いた西洋風のバスタブをつける人が増えたけれど、当時はかなり奇怪な行為だったにちがいない。うっすらと見える天井のシミを指差して、社長は言った。
 「俺が寝ている上で、女がザブザブと湯に浸かっているんだぞ。考えるだけで気分がジメジメする」
 バスタブを撤去するよう言っても相手は聞く耳を持たない。しびれを切らして裁判まで起こしたが、「水が漏れない限り、被告に非はない」というのが一審の判決であった。

あくびをする人(江蘇省南京市)

 そこでチャンインの出番、というわけである。記者仲間を集め、一件をメディアに取り上げさせて裁判官の買収工作を同時に行う――。何が何でも二審でリベンジするのだと社長は意気込んでいた。報酬額は5万元(約75万円)、チャンインは迷わず承諾した。ちなみに当時の5万元というのは、どういう感覚だったのだろうか。この年、上海市職員の平均年収は1万1425元、つまり5万元というと5年分に近い年収だ。そこではじめにチャンインが取りかかったのは、この大金を合法かつ滞りなく受領するため、会社を設立することだった。そのあたりは相当なちゃっかり屋である。
 問題は会社設立のために必要な何千元という登記費用だ。チャンインは考えた。
 「株で増やした蓄えはあるが、貯金を崩してもうけが減るのはいまいましい。だったら、どこかに出してもらおう」
 そして経済開発区のある企業を探し当て、有償記事をタダで掲載するかわりに一切の登記費用を肩代わりしてもらう約束を取りつけた。つまり一銭も身銭を切ることなく会社を設立、さらにはあまったお金で当時4000元もしたエリクソン製携帯電話まで購入した。そうして晴れて「メディアコンサルティング会社」の「社長」に就任したのである。
 依頼主の期待を裏切らなかったのは、そこからである。会議場を貸し切って、法律専門家、弁護士、大学教授を討論させ、テレビ局や房地産報(不動産新聞)、法治報(法律新聞)の記者を呼んだ。もちろん報道させたのは原告に有利な内容ばかりである。
 次に裁判所関係者の接待だ。原告が直接、裁判官を接待することは禁止されているから、正攻法ではまず応じてくれない。そこでチャンインは裁判官が大学時代、どの教授に師事していたかをリサーチ。まず教授を言いくるめてから、かつての教え子である裁判官を会議や接待の場におびき寄せる作戦に出た。
 効果はてきめんだったという。恩師が食べているのに自分だけ箸をつけない、もしくは恩師が辛苦費(慰労費)をもらっているのに自分だけこれを受け取らない、というのは一種の「裏切り行為」である。それに「自分だけでない」という安心感があった。
 そうして若い裁判官たちはまんまと引っかかり、後日、恩師がもらった額が500元で、自分が3000元だったことに気づいた時にはすでに後の祭りだった。賄賂を受け取ってしまった以上、それなりの「働き」をしなければいけない。
 「この人間は誰の言うことなら聞くか」
 それを把握する者だけが人を動かせる、とチャンインはそう考えていた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第46回

good & GOD タイミング♪

 太一がこの世に産まれ出たのが2006年8月6日。あと数カ月で3歳になり、来年は幼稚園に行ける歳だ。お店「太一や」をはじめたので、今年の4月から保育園に預かってもらおうと決めていたのだけど、どこもいっぱいで断られてしまった。
 ボクは「三つ子の魂百までも」という言葉を深く信じていて、産まれ出てからの3年間で、人の一生の核や方向が形成されるような気がしている。だから、まだ3歳にならないうちに親から離れて保育園という「社会」に入ることに、何故だか少し抵抗があったのだ。だから、役場から断わりの通知が来た時には、正直、ほっとした。やっぱ、3歳になるまでは、両親とともに一つになっていたほうがいいんじゃないかな、と思う。
 ボク自身、ボクが3歳半の時に産みの母が自殺してこの世から消えてしまっているので、せめてこの3歳半までは丸一日母子ともに過ごせたらいいな、というボクの勝手な想いがあるし、来年から幼稚園に通うとなると、ちょうど3歳半を過ぎたころなので、good & GOD タイミングなのだ。
 「太一や」の斜め向かいに「総社宮」という神社の鳥居があって、その鳥居をくぐってすぐ左側に「総社幼稚園」がある。百年以上の歴史を持つ2階建の幼稚園で、空き家の店を見つける前、自転車でぶらぶらしてるうちに雰囲気あるこの幼稚園に出くわして「太一が通うのはこの幼稚園しかない!!」と決めていた。 
 そして今、その気に入った幼稚園から歩いて一分の至近距離に「太一や」をOPENできたのだから、これはもう、運命。この「総社幼稚園」は土日が休みで、門は閉じられているけど鍵はかけてなくって、土日の昼間は子どもと一緒なら誰でも門を開けて校庭で遊べるようになっている。だからボクも太一と一緒に中に入ってよく遊んでいるし、ここの園長先生や他の先生たちも「太一や」に来てカレーや石焼き芋を食べたりしている。来年の春には、この「総社宮」の参道沿いにある幼稚園で太一がほかの子どもたちと遊んでいるのかと想うと、なんだか、神妙になってしまう。PAIの自宅で、ツルン!! とこの世に出てきて、あわててその小さな頭をボクが両手で受け止めたのだからなあ。

「太一や」ショーウインドーのQピーたち

 去る3月1日(日)、元「たま」の知久さんによる白昼のソロライブが「太一や」であって、小さなSPACEに70人もの人が入ってしまった。遠くは茨城や熊本、大阪、四国などからやってきたファンもいて「飲食持ち込み大歓迎!!」とチラシに書いていたせいか、あちこちから、お土産を兼ねた差し入れがあって驚いた。「石焼き芋&お茶付き」のライブにしていたけど、お稲荷さん、おにぎり、サンドイッチ、クッキー、ケーキなどが会場に渦巻いていて、ボクはそんな風景を見ながら、ビールや焼酎のお湯割りで酔っぱらいながら、せっせと石焼き芋を焼いていた。
 その忙しさを見て、二人のお客が突如スタッフに変身、台所に侵入し、お皿を洗ってくれたりお茶を配ってくれたりして、台所の中からステージを楽しんでいて、その突如の「変身」のgood & GOD タイミングに、なんだか、人のドラマを感じたな。善悪を超えて、自分の周りの何かの量や質がある限界点に達すると、時空を超えて、それに呼応して、ある種の人は、やむにやまれず、こころうずいて、つきうごかされるように、good & GOD タイミングで突如として立ち上がり「変身」してゆく、という宇宙法則のようなものがあるのかもしれないな。
 太一が産まれる前にハネムーンでインドに旅したことがあり、聖地「ベナレス」で「RAM」というインド人青年に遭遇し、今もメールのやりとりをしている。その彼からのメッセージが二日前に届いた。

  Free your heart from hatred
  Free your mind from worries
  Live a little
  Give more
  Expect less

 ひとの良い大家さんの本家が「太一や」の真向かいに在って、このあたりの地主でもあるその本家の人が「太一や」の存在を「自分の縄張りをあらすもの」と煙たく思っているらしく、今回のこの白昼のライブにも反対していた。ボクはその対応に困り果て、敵意を抱くほどのネガティブな想いで飽和状態に達していたとき、good & GOD タイミングで送られてきたものだ。宇宙はもしかして絶妙に、good & GOD タイミングに変化展開していくように仕組まれているのかもしれないな、この勝手に動き生きゆく人の体のようにね。

    満月の早朝のとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第27回

島の子どもの成長を見守る(後編)

 小学校5年生から、学校が休みの日には私の職場である黒島研究所へ通いつづけた彼が中学3年生になった。受験生である。
 これまでのように彼を研究所の戦力として頼るわけにはいくまいと思った。むしろ、研究所で受験勉強をさせようと思い、問題集を買ってきた。
 彼が研究所へやってきた時に、問題集をやらせてみた。結果は想像以上に深刻であった。特に英語が致命的だった。彼が毎日通う「school」すら書けなかった。海好きなだけあって「sea」は書けた。
 この状態にはさすがに慌てた。とりあえず単語を覚えさせようと、研究所にいる間は英単語を書かせて覚えさせた。すると彼は研究所に顔を出さなくなる日が出てきたり、勉強をさせられる前に釣り竿を持って海へ逃げたりするようになった。中学校ぐらいまでの勉強はある程度できていたほうがよいとは思っていたが、本人の人生なのでしたくなければそれでいいとも思っていた。そして、勉強をさせなくなると、また彼は研究所に定着した。
 そのころ、中学校の先生から「研究所に通うのもいいですが、受験生ですから配慮をお願いします」と言われ、私の頭に血が上ってしまった。ほとんど家庭教師状態の授業を受けていながら、どうしてここまで問題が解けないのか、毎日学校に何をしに行っているのかと、こちらが学校側へ問いたいぐらいだったからである。
 夏休みに徹底して勉強させることにした。ちょうど、本土で中学3年生を受け持つ理科教師が研修で研究所に滞在していた。その教師が、彼の解いた問題を面白がって採点してくれた。採点を終えたその教師は「もうちょっとがんばらないといけませんねぇ」と笑っていた。私はその教師に「彼、中3で受験生だよ」と伝えたところ、絶句してしまった。なぜならば、彼にやらせていた問題集は中学1年生のものであったからである。

受験生の家に集う島人たち

 合格への道は果てしなく困難なものと予想された。しかし、学校が休みの時に彼が研究所にいることは島内では周知の事実。不合格になると、「研究所ばかり通っていたからだ」と、濡れ衣を着せられるのも御免である。だから私はがんばることにした。このころには彼自身にも危機感が芽生えていて逃げなくなっていた。
 彼の学力を把握するにつれ面白いことが判明した。最近習った中3レベルの問題はスラスラ解けて、中1の時に習ったことはほとんど忘れているのである。だから、英語のように単語を覚えていないと話にならない教科は苦手なのである。
 社会科の歴史では、「生類憐れみの令」と書くところを「動物愛護法」と書いていた。実は、この問題をさせていたころ、研究所では展示生物に関する動物愛護法関連の届け出で慌ただしくしていたので、それが影響したのかもしれない。ただ、「生類憐れみの令」も「動物愛護法」も目指すところはそれほどかけ離れてはいないと思うので、私が入試の採点者だったらマルまではあげなくともサンカクぐらいはあげたいと思った。
 八重山の島々の子どもが目指すのは石垣島にある3つの県立高校で、志願倍率は1に満たない。しかし、定員に達していても確実に不合格者は出るそうだ。また、私立高校がなく、ほとんどの受験生が第二志望のない一発勝負で、それなりに緊張感はあるようである。
 さらに島では合格発表の日の夜、合格者の家に集って盛大な祝宴が開催されるため、受験生の家族にとっても大きなプレッシャーかもしれない。
 気になる彼の受験は、写真のとおり島人が彼の家に集う結果となった。やがて島を去る彼の成長に喜びながらも、彼が研究所から抜けたあとの大きな穴にずっと不安を抱いていた。そんな矢先、近所の小学5年生が研究所へ通ってくるようになった。うまくいけばあと4年間は安泰かもしれない。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は、3月26日(木)です。平成20年度もそろそろ終わりです。元旦に立てた今年の予定は順調に進んでいますか? 仕切り直すならいまがチャンス! あせあせっ……。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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