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『メルマガ北海道人』第110号 2009.3.5.―「北海道人」、春はどこから―

 「春だなあ」と感じる瞬間は人それぞれでしょう。道路にしみ出した雪解け水、ズボンの後ろ側のすっぱね、植物の新芽、なんとなく明るい空、はればれとした気持ち。では、春はいったいどこからくるのでしょう? 地底から、空から、海から、それとも国道をのんびり北上してくるのでしょうか? どこからやってくるのかわかりませんが、ある瞬間に春が私たちをゴクッと飲み込み、飲み込まれた私たちは、ぽわわわん、春モードになってしまう気がします。
 『メルマガ北海道人』第110号、春にちょっとフライングして配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 1995年2月、最後の20分間の取引が白紙になったという「327事件」が中国の株式市場で起こりました。その3カ月後にチャンインは「空が落っこちてきた」ような体験をします。株に比べ、短時間で利益を上げられる先物取引に専念していたチャンインにいったい何が? 今回はお色気なし、マネーマネーマネー!

連載【とろんのPAI通信】

 2月8日(日)に「太一や」をオープンさせたとろんさんは、産まれてはじめてお店を開いた体験に、ワクワクどきどきしているそうです。くみ取り便所、お通夜、町内会の会議……。「産まれてはじめて」がたくさんの「とろんのPAI通信」第45回のタイトルは「転がり変わりゆくことが最大のエクスタシー♪」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島の中学3年生は、男子生徒が1名だけしかいないそうです。その彼は、学校が休みの日には、ほぼ若月さんの職場である「黒島研究所」にいるといいます。黒島の子どもをめぐる環境は、都会とはずいぶん違うようです。「沖縄県黒島の日々」第26回タイトルは、「島の子どもの成長を見守る(前編)」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第52回

さらば狂気の国債先物

 「清明節」が来月4日に控えている。家族総出で先祖の墓に参る日、日本でいうお彼岸なのだが、「先祖」と聞くと、どうも家系譜の一件を思い出さずにいられない。実は昨年、田舎に住む夫の親戚から、家系譜を更新するので長男の嫁である私の姓名と子どもの名を入れたい、と電話があった。中国のたいていの家に家系譜が存在し、数十年単位で書き換えられる。もちろん私の名前について異論はないが、しかし「子ども」とは何のことだろう。私たち夫婦に子どもはおらず、現在のところその計画もない。すると本家の長は夫にこう伝えたという。
 「更新は20年に1回。とりあえずは男子・女子どちらでもいいから適当な名を書き、20年後に実名に改訂しなさい」
 「人権無視だ」「脅迫だ」「そんな本末転倒のインチキ家系譜には一生入らない」――私の第一声はそんなところだったと思う。相当な剣幕だったらしく、子の名前を真剣に考えかけていた夫は翌日、あわてて本家の長に丁重なる断りの電話を入れていた(方言のため、残念ながら内容は聞き取れず)。
 一族からのこの申し出の真意はいまだよくわからない。私たち夫婦への熱いメッセージかもしれないし、単に田舎の習慣なのかもしれない。ただ、これからも「先祖」「子孫」と聞くたび、このインチキ家系譜が脳裏に浮かぶのかと思うと、少なからず気が沈むのである。

 「天が落っこちてきた」
 チャンインがそう思ったのは1995年5月17日の朝のことだ。いつものように木製のおまるで用を足していると、手元のラジオから中国証監会が出した緊急通達が流れてきた。
 「本日より国債先物取引を一時停止することを決定した」
 そもそも中国の先物取引はこの前年にスタートしたばかりだった。「高騰をじっと待つ株とは違って、上がるか下がるか、とにかく予想が当たりさえすりゃいいんだ」という株仲間のひと言で、チャンインも試したところ、短時間で8000元の利益を計上。以来、株をやめて先物投資に専念していた。特に夢中になったのは国債先物で、湖南省が大洪水と聞くと胸躍らせ、山西省が干ばつだと知ると歓喜の声を上げる日々がつづいた。自然災害が起こると国が国債を大量に発行し、利率が上がるからである。

何も話さない二人。日曜日の昼下がり、ケンタッキーフライドチキンにて(淮海路)

 そんな母国の混乱を願う輩が増えてきたからなのか、それとも3カ月前に20分間の取引を白紙とした327事件が引き金になったのか、とにかくこの日、国債先物投資は政府によって道を閉ざされた。チャンインはラジオにかじりつきながら、頭をフル回転させていた。この事態で、次に予想されるのは株価の高騰だろう。国債先物の投資家は必ず株に流れるから、まちがいなく株価は上がる。国債投資分で出た大損を挽回するなら、このチャンスしかないのである。ところが、致命的なのは自由にできる現金がない、ということだった。口座に残っている3万元ほどを除いて、数十万元を国債に注ぎこんでいる。それが凍結される以上は、一銭たりとも動かせない。
 「ああ、もう終わりだ!」
 チャンインは出すモノも出さずに、セカンドバッグをつかんで家を飛び出した。
 証券会社はすでに黒山の人だかりだった。口々に不安を訴え、今後の対策を語り合っている。一人がチャンインを見つけ、ニヤニヤしながら近づいた。
 「いやあ、このたびは大変なことになりましたねえ」
 つい先日、「株なんかより、先物のほうがよっぽど儲かるのにバカなやつだ」とチャンインが鼻で笑った人物だった。
 口座の凍結は来る日も来る日もつづき、株価は見る間に高騰していった。今なら世間が黙っていないだろうが、当時、投資家といえば資産家かヤクザ、私腹を肥やす役人のいずれかである。政府の強硬手段がもたらしたこの大混乱に、世論が味方についてくれるはずもなかった。
 次の週、投資者と証券会社との交渉がようやく成立。一律価格ですべて売却されることになり、チャンインは計7万元の損を数えた。売却金が手元に届くや、上昇傾向の株銘柄に飛びついたが、一週間後には下落したという。人生でこれほど焦った覚えは後にも先にもないという、チャンイン受難の1週間である。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第45回

転がり変わりゆくことが最大のエクスタシー♪

 2月8日(日)、産まれてはじめてお店というものを開いたのだけど、なんだか「産まれてはじめて」の体験ほどワクワクどきどきするものはないな。2歳半になる太一などは、一日一日、接するもの全てが新鮮で「産まれてはじめて」だし、一日一日、身も心も宇宙のように爆発膨張しつづけているのだから。本人が日々変化展開膨張しているわけだから、仮に目に映る世界が毎日同じものだとしても、本人にとっては一刻一刻の全てが「産まれてはじめて」の世界なのだろう。そして、どんなに大人になっても子どものように日々変化展開膨張していければ、朝、オレンジ色の太陽が昇り、新鮮なワクワクどきどきの一日がはじまるのだろう。
 開店から2週間。くみ取り便所が結構たまってきたのに少し驚いている。「太一や」のスグ近くの神社(総社宮)の中に公衆トイレがあるので(それも水洗で、トイレットペーパー付き!!)ボクらはなるたけそこを利用しているのだけど、そして、お店に来る人たちにも公衆トイレを薦めているのだけど、それでも、くみ取り便所で「産まれてはじめて」の体験をしたがる人が結構いるってことだ。
 このワクワクどきどきさせてくれるSPACE、くみとり便所を生き返らせてくれた地元業者の「うさみ」さんの話は前号で描いたけど、ついに彼のライブが決定した。4月12日(日)の白昼のソロライブ。ボクと愛妻はるかの二人もゲスト出演するので、またまた練習の日々がはじまる。自分たちのお店(太一や)で自分たちの演奏は「産まれてはじめて」の試みだから、ワクワクどきどき、だな。
 開店から2週間。カレーやごはんや石焼き芋が大量に売れ残っては、それを無駄にしないようにしてゆく作業も面白くって「産まれてはじめて」のことで、このところ何一つ捨てることなく活かされているのが、うれしい。売っているものも、物によっては値段が付けられているのだけど、物によっては値段を付けてなくって、こちらの気分と相手次第で一瞬にして値段を決める。その一瞬の価格決定が、またまたエクスタシーなのだ。

祈りの純粋角度(左から太一、あすか、麻陽くん、NEW MOON VILLAGE の住人たち)

 高梁川の河原から拾ってきた美しい石を敷き詰めた釜をストーブの上で熱している間、鳴門の金時イモを一時間ほど塩水に浸けておいて、そのイモたちを熱しきった釜に入れる瞬間も、ワクワクどきどきしてしまうシーンだ。開店前に何度も何度もいろんな産地のイモを買ってきては実験してきた結果、この鳴門の金時イモと高梁川の石に辿り着いたのだ。これも、イモの大きさや出来具合や相手や自分の気分で価格が上下変動してゆく。
 ボクが「産まれてはじめて」インドに行ったのが1969年だから、今から40年前。そして、2度目にインドに行ったのが、その12年後だったけど、「産まれて2度目」のその体験も、なぜだか、まるで「産まれてはじめて」のような新鮮な体験だった。ボクが「産まれてはじめて」葬式に出席したのが今から12年前のことで、そして「産まれて2度目」の葬式を、この2月10日(火)に体験した。
 2月8日(日)、「太一や」開店祝いの日に隣に住む85歳のおじいさんが、あ!!っと亡くなり、9日に「産まれてはじめて」のお通夜に出席し、10日が葬式。介護をつづけているボクの両親が逝ってしまったら「総社セレモニーホール」で葬式をしよう!!! と密かに決めていた矢先に、この同じ式場で葬式があったせいか、この「産まれて2度目」の葬式がまるで「産まれてはじめて」のようにワクワクどきどきと新鮮で好奇心に満ちたものに感じられた。上から下まで黒色の正装で身を固め、「産まれて2度目」のネクタイを締め、ちゃんと香典を渡してゆく作業が今までになくとても自発的で、その自発性に自分で驚くほどだった。
 考えてみれば「死ぬ」ことも、だれにとっても「産まれてはじめて」の体験なのだからワクワクどきどきものだろうけど、この世でこの身と心をもって「転がり変わりゆく」最終体験なのだからなあ。もし「あの世」が在るなら、「死」の瞬間「転がり変わりゆく」エクスタシーがあるのかもしれないな。この葬式のおかげで、ボクは「産まれてはじめて」町内会の打ち合わせに出席し、町内会の面々と顔を合せ、一緒に公民館の掃除なんかしちゃって、なんだか、ますます地元に根を張りゆく音がしている。
 さて、そろそろ、夜が明けるぞ!!! オレンジ色の太陽が昇って、今日は、どんな人が「太一や」に出現してくるのだろうか。

  昨日「痴呆」の父と大喧嘩をしてしまった「くるくるぱあ」の、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第26回

島の子どもの成長を見守る(前篇)

 黒島の中学3年生は、男子生徒が1名だけである。その彼は学校のない日は私の職場である黒島研究所へ通ってくる。
 彼が研究所へ来るようになったのは小学校5年生のころである。当時、気がつくと水槽の前に立って、じっと魚を眺めていた彼に驚かされていた。「こら、びっくりするじゃないか。入ってくるときは“こんにちは”ぐらい言いなさい」と注意することがつづいた。
 彼が「こんにちは」と、あいさつできるようになると、今度は黙って去ってゆくことが気になり、「帰るときも何か言って帰りなさい」と注意し、「さようなら」と言って帰る習慣がいつしか定着した。それ以降、彼は休みの日には、ほぼ研究所にいるようになった。
 学校が休みの日のある朝、「こんにちはー」と声が聞こえた。てっきり彼の父親が来たものと勘違いして声の主を確認すると、坊主頭の彼がいつものように立っていた。「あれ、お父さんは?」とたずねると、「お父さんは来てないけど……」と返ってきた。その声は、今聞いた「こんにちはー」と同じ低さの声だった。
 彼は声変わりをしていたのである。彼の家族は毎日のように彼の声を聞いているので、日々の微妙な変化に気付かなかったようだが、我々は一週間ぶりに彼の声を聞いたので、変化に気付けたのであった。
 中学に入学するころ、彼はすっかり研究所の戦力となっていた。私もふくめて職員2名が年中無休でやっている研究所には大変助かる存在である。彼は水槽掃除から見学者への解説、電話対応までこなし、今ではひとりで留守番もこなせるほどになった。その上、彼宛ての電話までかかってくるようにもなった。

研究所に通いはじめた頃の彼(中央)の学校での様子。複式学級なので科目によっては、写真のように他の学年と一緒に授業を受ける

 彼は船で実施するフィールド調査などに同行させてもらおうと、研究所の手伝いをがんばる。フィールドでの調査はハードではあるものの、面白いからだ。大学や専門学校から来た研修生やボランティアも調査に行きたがる。しかし、どうしても同行人数や時間に限りがあることから、こちらとしても不慣れな人よりも慣れている人や体力のある人を優先したいのである。彼には十分その資格が備わっていた。
 彼と同学年の息子を持つ女友だちが那覇にいる。彼女は夫を亡くしていることもあり、たまに息子のことで相談してくる。その度に私は研究所に通う彼を思い浮かべながら話をしていた。
 一昨年、その女友だちが、「息子が友だちとアダルトビデオを見ていた」と、興奮した口調で電話をかけてきた。私は「順調に成長している証しだと喜ぶべきだ」となだめた。さらに、「友だちをおばーの家に連れて行って、おばーのいる前でビデオを再生した。アダルトビデオとわからなかったおばーが家を飛び出して、近所中にテレビで過激な放送をしていると言ってまわって大変だった」と、笑わせてくれた。そして、「そのビデオ、どこから持ってきたと思う?」と聞いてきた。「どうせ拾ったとか、友だちに借りたとか言うからそんな野暮なこと追及したらダメだよ」と言ったが、彼女はしっかり事情聴取を遂行しており、「友だちの親の部屋からこっそり持ち出した」という余計な自白を獲得していたのであった。
 後日、研究所に通う彼に聞いてみた。「エッチなビデオを持ってたり、見たりしたことあるか」と。結果は予想どおり「なかった」だった。
 実はこの違いは深刻である。那覇の友だちの息子は、適度に情報や刺激を与えたり受けたりして成長できる環境にある。しかし、研究所に通う彼には、悪友どころか同級生すらいない。離島の子どもたちは、そのような刺激を受けるチャンスがほとんどないまま中学卒業と同時に親元を離れ、一気に刺激を受ける環境に曝されるのである。
 しかし、そんな心配をする前に、避けては通れない「受験」があるのであった。
(つづく)

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号は3月12日(木)に配信します。1936年の3月12日は、 北海道帝大の中谷宇吉郎氏が人工雪の結晶の作製に成功した日です。春もずいぶん近づいたころに、雪が結晶したんですね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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