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『メルマガ北海道人』第108号 2009.2.19.―「北海道人」、静まりかえった夜に―

 雪まつりなどで訪れていた大勢の観光客が帰り、街は静けさをとり戻したようです。なんだかさびしいような気がします。そんなことを思っているうちに、雪がドドッと降って風がゴゴーと吹き荒れて……感傷的な気持ちなど、どこかへ消えてしまいました。雪がたっぷり積もった夜道はとても静かで、雪を踏む自分の足音しか聞こえません。「雪道と星空の間にひとりぼっち」。そんな錯覚をしてしまいそうな2月の夜です。
 『メルマガ北海道人』第108号、音を立てずに静かに配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 中国の古典文学『西廂記』に「始乱終棄(シールアンジョンチー)」という言葉がでてくるそうです。その意味は「女を散々もてあそんだ末に棄てる」ということ……。まさにそういう人間だったというチャンインの、保険セールスレディ趙さんと別れた後の生活は一日がマラソンのようだったとのこと。ムム、何マラソン?

連載【とろんのPAI通信】

 「太一や」開店3日前の2月5日、保健所の人がやってきて、困った顔をしながらひと言いって逃げるように帰ってしまったそうです。開店目前の「太一や」に起こった困ったこととは? 旧商店街「れとろーど」の風景、地元業者との間で作られていく関係。さて、「太一や」は無事オープンできたのでしょうか?

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島には歯科医院がないので、歯が痛くなると石垣島まで船で渡らなければならないのですが、沖縄県ではこういったへき地に歯科巡回診療を行っているそうです。歯科診療チームと交流のある若月さんが、黒島の歯科事情、歯科医師事情を伝えます。治療を受けたおじーの話に、ココロがじんわりほわっとします。

【上林早苗の『上海日記』】 第51回

妻より愛人の“マラソン生活”

 上海の日本人現地採用者は30代前半が異常に多いといわれるが、その原因の一つに就職難がある。大学卒業時がちょうど「超」のつく就職氷河期だったために思うような職に就けず、バブル絶頂期の上海に渡航。そのまま住み着いたというのが一つのパターンで、実は私もその世代だ。つい先日、「就職氷河期、再来か」という日本のネットニュースを見たが、もしかすると、その「第二波」が上海へとたどり着く日も近いのかもしれない。考えてみると、70年前の上海にも日本からの就職難民が流れてきたといい、いったい「私の人生」には自分の意思がどのぐらい働いているのだろう、と思ってしまう。

 さて、中国の古典文学『西廂記』には「始乱終棄(シールアンジョンチー)」という言葉が出てくるそうだ。女を散々もてあそんだ末に捨てる、といった意味で、まさに自分はそういう人間だったとチャンインは言う。保険のセールスレディ、趙さんと別れた後、そうした傾向はいっそう強くなった。
 一日が「マラソン」のようだった、という。株専用のポケベルを売る女性、注目銘柄を教えてもらおうと接近してきた子持ちの主婦、大学教授である夫との性生活に不満のあった漢方製薬メーカーの人事課長。二股、三股は日常茶飯事で、妻をふくめてなんと一日4人を相手にした日もあった。さらに愛人たちの体調が優れないときなど、妻の不在を見計らって家に連れ帰り、中医である母・シューリャンさんに診てもらったというから、なんとも大胆不敵である。チャンインは男の心理をこう解説する。
 「妻より愛人。愛人より人妻。ただの人妻より手の届かない人妻」
 欲望は底なしだった。
 大学の同窓会が行われたのは、卒業10年目に当たる1995年のことである。学友たちはそれぞれの道を歩んでいた。新聞社や映画制作会社に就職した者、外資企業で働く者、なかには海外の華僑に嫁入りし、会当日は食事代だけ寄付して出席しなかった者もいた。当時の月収は平均1000元。ドイツ企業で働く同級生でさえ月5000元だったというから、収入額が安定しないとはいえ常に財布に1万元を入れていたチャンインは、まちがいなく成功者の部類に入った。

仏殿で祈る女性たち(静安寺)

 当日、注目されたのは、そのころ「大哥大」(アニキ)と呼ばれていた携帯電話である。例のごとく取材先の社長からもらったもので、手のひらにやっと収まるぐらいのゴツゴツしたモトローラー製。電話番号はまだ8ケタしかなかった。当時の市場価格は2万元で、とんでもなく高価なため、所有者たちは着信があるたびにわざわざ屋外に出て、「ウェイウェイ(もしもし)?」と大声を張り上げ、これを見せびらかしたそうだ。チャンインもメガネが鼻にずり落ちると、それを受信アンテナでぐっと押し上げるのがこの上ない快感だった。この日もチャンインの電話でタクシーを呼び、二次会の南京東路のボーリング場へ。遊び代はオーストラリアで一旗揚げた同級生と折半で支払った。ちょうどボーリングが大流行の兆しを見せていたころで、ボーリング初体験の人も多く、「もっと遊びましょうよ」とクラスメイトの女性陣にねだられて大満足だったという。
 しかし、すべて順風満帆だったかと言えば、そうではない。中国で先物取引がはじまってまもない1995年2月、中国の株式市場にある異変が起こった。世界金融界の笑い種になった「327事件」である。
 この日、中国財政部と万国証券会社の先物取引で財政部が不利となり、国はその日、「最後20分間の取引を白紙とする」と発表。投機市場の足元を揺るがす事態に投資家たちは憤り、アメリカのメディアは「国家による許されない市場干渉だ」と批判した。チャンインもまた本来受け取れたはずの2万元を逃したが、所属機関の資金運用を任されていた隣席の男などは1500万元をフイにして昏倒したという。
 しかし、これはさらに大きな事件のほんの序章に過ぎなかった。それから3カ月後、チャンインは「空が落っこちてくる」ような体験をする。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第44回

「太一や」開店祝い風景

 2月5日(木)の午前中、隣町の倉敷から保健所の人が「太一や」にやってきた。そして、困った顔をしながら「これは問題ですね。土間と台所が壁とか戸で仕切られてないと許可は出せませんよ」と一言いって、サッサと逃げるように帰ってしまった。3日後の8日(日)が開店だから、時間がない!! 自分でベニヤ板を買ってきて適当に釘を打って仕切りをつける?? でも、そんなことをしたら、せっかくの美しい土間風景をぶち壊してしまうし、そういう時間も気力もなかった。
 今は「れとろーど」という愛称がつけられている、この曲がりくねった旧商店街。今ではほとんどの店が閉じられ、その外観も看板も「朽ち果ててゆくのはいつ??」とききたくなるくらい、取り壊されないまま、何の活気もないまま何十年も放っておかれている。人の気が交わり発せられない人工的な空間というものほど物悲しいものはない。そんな(物悲しい)空間があちこちに在る「れとろーど」の通りで、いまだに活気に満ちた店も少しは残っている。高校の門の入口付近に健在している文房具屋さんからはじまって、間口がせまいけど奥行のある自転車やさん、老舗の和菓子屋さん、なんでもそろう雑貨屋さん、ソフトクリームと太鼓饅頭だけのお店、なんでも置いてる種屋さん、麹と味噌屋さんなどなど。
 そんな中で、ボクらの「太一や」のすぐ近くにガス屋さんと建具屋さんが在る。この何十年も放っておかれた空き家に「太一や」という名前を付け、息を吹き返させるために、まずボクは、近所のガス屋さんに頼んで、風呂とガス台が使えるようにしたのだ。これから、ガスボンベの交換などの近所づきあいがはじまるわけだ。そして次に、崩れかけた土壁のくみ取り便所をちゃんと使えるようにするため、地元のくみ取り業者を探し、煙突をつけてもらったり土壁の修理をしてもらったりした。
 このときにやってきた人が「うさみさん」という見るからに面白そうな男の人で、このくみ取り便所が完成した後も、何度も何度も、改造中の「太一や」にやってきては、なごんでゆくようになった。年に一度、9月の最終の土日にやる祭り「れとろーど祭」の時は、この通りのあちこちで井上陽水の歌をうたっていたそうだ。岡山県では有名みたいで「陽水そっくりの声」なのだそうだ。そのうち「太一や」でライブをしよう!!! と関係が盛り上がってゆく。ちなみに「太一や」での初ライブは、元たま、で歌っていた知久さんの「白昼のソロライブ」で、3月1日(日)の午後2時から。きてみてね!!!

「太一や」開店祝い風景

 昔の商店街は便利だ。ちょっと歩くとなんでも買えて、買うごとに関係が深まってゆく。ボクは、この通りを発見してからは、なるたけこの通りで買い物をしていて、やはり、買うごとに関係が盛り上がってゆくのを実感するのだ。そういう盛り上がりの中、隣町から来た保健所の人に「ダメ!!」だと言われ、ボクはスグに近所の建具屋さんに助けを求め、台所と土間の間にガラス戸を4枚入れてもらった。保健所の人が午前中にきて、午後から作業をはじめて、あ!!!っという間に、その日のうちに、ガラス戸の仕切りができてしまったのだ。そして次の日、2月6日(金)の午後、保健所の同じ人が再度やってきて、一瞥するなり「じゃ、許可証をあとで送ります」と言って、その作業の早さに驚きを隠せない様子で、またもや逃げるようにサッサと帰ってしまった。
 そして、いよいよ2月8日(日)、朝10時開店。タイ北部の桃源郷PAI在住のアーティスト6人と岡山県のアーティスト3人の計9人のアーティスト作品群に囲まれ、UFOの形をした石焼き芋用の釜と見るからに重そうな鉄びんを乗せた、光輝く円筒形のストーブが2台置かれた「太一や」に人の気が交わりはじめた。このところ地元の人たちとの関係が盛り上がってきたせいか、近所の人たちがいっぱいやってきてくれ、わざわざ東京や和歌山から祝いに来てくれた女友だち(そのうちひとりは、この日が誕生日だった!!)や岡山の友だちを囲むようにして人の気が交わり放たれ、気の渦が巻いてゆく。そういう人の気の渦の中、祝いの花やお酒が次々と並び、夕方4時までの開店予定が深夜12時まで続行し、広島県から来てくれたカップル(ボビー&まめぞう)が突如と「弾き語り紙芝居」をはじめて、「太一や」開店と東京からの女友だちの誕生日を祝ってくれたのだ。
 サプライズ!!! 2歳半の「太一」が“産まれて初めて”目にした「紙芝居」に小さな手を何度も何度もたたき拍手していた風景が、とってもありがたかったな。「太一」は保育園にいくかわりに、この「太一や」でいっぱい“産まれて初めて”の体験をしてゆくんだろうな。次は、3月1日の知久さんのライブだ!!! お楽しみ。

   毎日くたくたで、シアワセなとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第25回

歯科巡回診療

 黒島に歯科医院はない。歯が痛くなると石垣島まで渡らなければならない。歯の治療ほど面倒なものはない。一回で終わらないからである。ちょっと治療しては「また今度」となる。島から船に乗って石垣島に渡るには、大した時間はかからないが、精神的には負担感が大きい。
 私が石垣島でお世話になっている歯科医院は、島の人の勧めがあったところである。島の人がそこを勧めるということは、船の時間や頻繁な通院が難しいということを認識してくれている歯科医院ということだ。さらに、「あそこの先生は治療する時間よりも、説明する時間のほうが長いよ」とも付け加えられた。実際に行くと、本当に治療時間よりも長く説明してくれ、噴き出しそうになりながらも、その一所懸命な姿勢を裏切れず、笑いをこらえた。私のように若い人は石垣へ通えば済むが、お年寄りに頻繁な通院は厳しい。年を重ねるにつれ入れ歯の調整等も必要で、お年寄りこそ治療が重要なようだ。
 歯科医院の存在しない離島のため、県はへき地に歯科巡回診療を実施している。年に一度、本土の歯学部のある大学の附属病院から歯科医師と歯科衛生士が派遣されてきて、ひと月近く島に滞在して診療に当たるのである。今年はある関東の附属病院から歯科医師たちが派遣されてきた。
 大学病院の給料は安いので、アルバイトをしている人が多いと聞く。週に何回か、仕事の後にもどこかの歯科医院などで診療するそうだ。大学病院に勤める私よりも1歳上の男性歯科医師が所得を教えてくれたことがある。その所得額を聞いても、貧乏NPOに勤める私からすれば薄給には感じられなかった。しかし、私自身をふりかえって、サラリーマン時代の感覚で考えるとたしかに安いかもしれないと思った。
 ちなみに石垣島には選択に困るほど歯科医院がある。床屋さんや美容室も多い気がする。そう考えると、どうせ薄給なら、歯科医院が乱立する都市部を避け、巡回診療が実施されるようなへき地で開業すればいいのではないかと単純に思ってしまう。
 巡回診療で訪れている歯科医師がアルバイトをしているのだとすれば、普段診ている患者に加え、アルバイト先の患者も巡回診療の間は待たされるか、他へ引き継がれていることになるだろう。単純にバカンスを兼ねた沖縄出張ではないのである。

治療を受ける若月。カメラをイスに置いていたら島民が勝手に撮影していた

 歯科巡回診療によって、おそらく寿命を伸ばしたであろうと思われるおじーがいる。そのおじーは、血圧200以上を誇るおじーだった。血圧が高いと抜歯をしたときに出血が止まらないということで、血圧を下げるためにいろいろと指導されていた。指導の中、おじーは卵を毎日10個ほど食べていることが判明した。飼っているニワトリが次々と産むから食べるしかなかったそうだ。
 おじーの入れ歯が安定したときの第一声は、「これで食べ物を飲まずにかめる」であった。その言葉が忘れられない。
 これまでもいろんな歯科診療チームが来た。治療に来ない患者を捕まえにゆく元気な人や、夜遅くまで飲み歩き寝坊する人、シャワーを長時間浴び、安全装置を始動させてしまって宿舎の湯沸かし器をたびたび止めてしまった人などなど。
 私はよく歯科医療チームの人たちと交流している。去年来た人たちはスポーツが好きで、夜のソフトバレーを一緒にやった。一昨年来た人たちは映画が好きで、映画鑑賞に私の職場によくやって来た。私は映画が好きで、使用されることが少ない職場のプロジェクターとスクリーンを有効活用しているのだ。
 せっかくの歯科巡回診療を敬遠する人たちもいる。特に青年たちである。今月、歯科診療がはじまって、私の職場の同僚がひと足先に治療に行ったが、すぐに戻ってきた。理由は「青年が集まっていた」からだった。長時間待たされるのが嫌だったことと、島内で猛威をふるっていたインフルエンザを警戒してのことである。
 それよりも、歯科診療を敬遠する青年たちが、歯科診療に集ったという現象は注目に値すると思った。理由は一つしかないのだが、その理由を書くことは控えておきたい。しかし、青年たちは歯科診療とはまったく別の島のイベントの用件で診療会場近くに集まっていたということがまもなく判明した。私は青年たちが集まった理由を誤解していたのだった。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

■ポータルサイト『北海道人』更新情報

「私の好きな店」File.No.05

「DINING SPACE TAKU(ダイニングスペース・タク)」―創作和食―

第7回目はFile.No.06 「wine lounge & restaurant CONTRASTE」のシェフ・松村さんの「私の好きな店」です。

「私の好きな店」File.No.07

次号予告

 次号の配信は2月26日(木)、カズこと三浦知良選手の誕生日です。今年のJリーグの開幕戦は3月7日、北海道にもだいぶ春が近づいているころでしょうか。  
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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