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『メルマガ北海道人』第106号 2009.2.5.―「北海道人」、冬のたのしみ―

 しばらくの間色黒だった札幌の街は、ここ数日に降った雪で化粧直しをしたように白さを取り戻しました。今日は「さっぽろ雪まつり」の初日です。朝から雪が降り続いて、空も“雪まつり”といったところでしょうか。
 小さなころから遊びのなかで雪像を作ってきた北海道人。雪だるま、かまくら、秘密基地やすべり台などなど、長靴に雪が入り込んでも、手袋がびしょびしょになっても、時間も寒さも忘れて暗くなるまで外で遊んでいたものです。スキーウエアを着て、長靴を履いてしまえば子どもも大人も関係ありません! いろんなことを忘れて雪遊びしてみませんか? 意外と癒し効果もあったりして。いま私たちに必要なのは、雪遊び、雪だるま!
 『メルマガ北海道人』第106号、雪遊びしてる気持ちで配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 一番の趣味はお金、というチャンインが本気で恋した保険のセールスレディ・趙さん。何不自由なく育ったはずの彼女が金にこだわるようになったのはなぜ? セールスレディたちの前に現われたダイヤの指輪をはめた幹部の口から出た言葉とは? 「上海日記」記念すべき第50回のタイトルは「ダイヤか、メンツか」です。

連載【とろんのPAI通信】

 1969年、とろんさんは高校を卒業してすぐに自転車で世界一周をしようと、日本を脱出しました。そのころに出会った「笠川くん」、「山田サイクル」の“おじさん”、「山口さん」は40年経ったいまでも当時の雰囲や元気を保ち放っているそうです。第43回のタイトルは「40年前の3人の旧友たち」。3人の友のいまは???

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 沖縄の特産物であり、黒島で採れる“それ”は、他と比べて色が鮮やかなために特に人気が高いそうです。島のあるおじーが、「牛肉より、うまい。おそらく世界中の人がそう思っているはず」と語る“それ”とはいったい何? 今年も黒島では“それ”を採るシーズンに突入したそうです。

【上林早苗の『上海日記』】 第50回

ダイヤか、メンツか

 春節が終わった。いま上海の路上には爆竹の赤い燃えかすが舞い、この7日間、出動を繰り返していた消防署もようやく落ち着きを取り戻している。こちらでは冠婚葬祭に付き物のこの爆竹、日本から来た75歳の伯父が「空爆かと思った」と目を丸くするのに吹き出した覚えがあるが、さすがにこれが一斉に20万箱分も放たれるとなると本当に戦争がはじまったかと錯覚するほどの轟音で、やはり大きな音が得意でない私は毎年、大みそかのカウントダウンがはじまると耳をふさぐか、布団の中でじっと時の過ぎるのを待たなければいけない有り様だった。ところが今年は、引っ越したばかりの新居が爆竹規制区域に近かったのか、それともようやく耳が慣れてきたのか、比較的心穏やかにそのときを迎えることができたように思う。日本の厳かな除夜の鐘を物足りなく感じる日もそう遠くないかもしれない。

 一番の趣味はお金――。90年代中ごろ、チャンインに本当の恋を教えてくれた保険のセールスレディ・趙さんはだれはばかることなくそう口にした。教育者である親の元で何不自由なく育ったはずの彼女がそこまで金にこだわるようになったのは、いったいどうしてだったのだろう。そのきっかけについて、本人はこう分析していたという。
 彼女の勤める会社は中国初の外資系保険会社として進出を果たしたばかりのアメリカ系保険会社だった。その当時、一般市民のなかに保険が何物かを知る人はごく少数である。しかし、私腹を肥やした政府高官や、株、ビジネスでひと山当てた人たちが集まる上海にはすでに十分なニーズがあったし、何よりも「訪問販売」というその形態がウケていた。今では考えられないことだが、かつて「買い物=大行列」の時代を経験した人たちにとっては、わざわざ自宅や職場にまで商品を勧めに来てくれるその行為自体が特権意識をくすぐる一つの「サービス」だったらしい。

春節初日の午後8時、閑散とした繁華街で本を読むぬいぐるみ売り(天山路)

 そうして社員の目から見ても会社が目ざましい業績をあげていたあるとき、ある初老の台湾人幹部が上海を視察に訪れ、彼女は同僚女性2人とともに呼ばれた。ホテルのレストランで食事を終えると、若く美しい女性3人に囲まれてすっかり機嫌をよくした幹部は、指にはめたダイヤの指輪を見せながら言った。
 「今から私の部屋についてきてくれる人に、これをあげよう。さあ、だれが来るかな」
 部屋に同行するということが何を意味するかは明らかである。酒の勢いとはいえ、相手がまるきり冗談を言っているとも思えない。彼女は悩んだ。目の前の巨大なダイヤはとてつもなく魅力的である。ぜひ手に入れたいし、そのためには身を捧げてもいい。しかし、その獲得の条件を同僚たちの前でのむことは、さすがに勇気がいることだった。これはメンツの問題なのである。どのぐらいの時間、葛藤しただろうか。同僚の一人が口を開いた。
 「じゃあ、私が」
 そうして二人は上階に消えていった。
 後日、その同僚が約束のダイヤと何千元かの現金を贈られたと聞いた彼女は、ひどく悔やむ自分を発見したという。それは自分にとってお金がどういう存在なのかをあらためて思い知った瞬間だった。チャンインはこの話を聞かされたとき、女たちの生々しいバトルに苦笑しながら、彼女の率直な告白に共感せずにいられなかった。
 「共通の話題は金」という二人の恋に終わりが来たのは出会って2年後のこと。彼女がおばのいるスペインに移住することになったからだった。不倫とはいえ、チャンインにとっては生まれてはじめての情熱的な恋。さぞ悲しみに暮れたのだろうと思いきや、どうもそうではないらしい。むしろすっかり情熱が冷めてしまったチャンインは、地下鉄の駅で見送ってくれる彼女の姿に失望さえ感じていた。魅惑的に思っていたその豊満な肢体は、もはや単なる肥満体にしか見えなかった。彼女の出国後、チャンインはただちに保険を解約。この後、金に群がる女性たちとの奔放な逢瀬をますますエスカレートさせていく。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第43回

40年前の3人の旧友たち

 1969年、ボクは高校を卒業してスグ日本を脱出した。高度成長時代だった当時の日本では、高校を卒業すると一部の人たちが大学に進み、多くの人は就職してゆくという風潮で、アルバイトとか“ぷーたろー”とかの「第3の道」というのは珍しかった。ボクは大学に進むのも就職してしまうのも「イヤ!!!」で、ボクに残された道は「旅の続行」だった。高校時代は学校をよくさぼっては日本中を自転車で旅していたので、そのまま自転車で地球一周してしまおう!! と神戸からフランスの貨客船に乗ってインドのボンベイ(今のムンバイ)に上陸したのだ。当時は1ドル360円で、ボクは500ドルと2万円をポケットに入れてインドから西へ西へと阿呆のようにペダルを踏みつづけたのだ。
 この田舎町に「第3の道」を選んだやつがいる!! ということで、出国直前、アチコチからマスコミの人たちが取材に来たのだけど、その中に、高校で新聞を発行していた「笠川くん」というボクより一つ年下の高校生がいた。その彼は今「あべあらた」というネームで活躍していて、倉敷の美観地区の一角で「あらた」というSPACEを開いていて、ボクと同じく両親の介護をしながら、オリジナルのTシャツを作り売っている。あれからもう40年も経つのに、今もボクらは変になかよしこよしなのだ。倉敷の美観地区に行く人は、ぜひとも「あらた」の店を探し訪ねてみたらいい。
 ボクは18歳で日本を出るために、高校時代は毎朝4時には起きて牛乳配達をし、下校後は「山田サイクル」という自転車屋さんに直行して時給100円のアルバイトをしながら旅費を貯め、地球一周のために当時で7万円もした特注自転車をこの店で買ったのだ。この店の“おじさん”は当時40になったばかりで若かったけど、今ではボクの親父と同じ81歳の“おじいさん”に変身しているのだ。「90までは現役でやれるぞ!!!」と、痴呆化してしまったボクの親父を尻目に元気いっぱいの日々を生きているのだ。

タイのチャンマイのお寺の入り口で、ボクのゾウリを揃える「太一」

 1年前、PAIから戻って岡山で介護生活をはじめてスグ、ボクはこの「山田サイクル」に直行し、2台の自転車を買った。実に40年ぶりの再会と新車購入なのだ。「可能な限りシンプルな自転車を!!!」と数々のオリジナル自転車を発案制作し、アチコチのマスコミに取り上げられながら、今も元気いっぱい!!! 倉敷の商店街通りの一角にあるので、倉敷に来た人はぜひ立ち寄って声をかけてあげてくださいね。自転車で日本を出るときの18歳のボクの初々しい写真がいまだに飾ってあるのだから。
 そして、インドに向かう大型貨客船「カンボジア号」の中でボクは「山口さん」という3つ年上の青年と遭遇する。当時の日本脱出は珍しくって、18歳の田舎の少年の目から見て「変なオジサン」ばかりが乗船していた。バイクや車や自転車で地球上を走り回ろうとする人たち、フランスやエジプトに留学する人たち、インドに聖者を探しにいく男、空手や剣術の修行に出かける男たち。そんな中で、ボクの目にとまった人が「山口さん」で、他のだれとも違うアクの在る雰囲気を放っていて、東大を何度も受験しつづけた後、その方向に見切りをつけて「第3の道」を選び地球放浪に出たのだ。
 ボクは2年で帰国したのだけど、彼はそのまま10年間地球を放浪しつづけ、日本に帰国してからボクと再会したとき、一言「今、日本でどこが一番天国に近い処???」と質問された。ボクはそのころ沖縄で出会った「よっこ」という旅人と結婚し、二人で日本中を旅しつづけ日本を熟知していたから、その質問にスグ「日本最西端の島、沖縄の南西諸島の端に在る台湾に近い与那国島の比川村!!!」と即答した。
 あれから30年間、彼はボクの言葉を真に受けて、その与那国島の比川村に住みつづけて、今は陶芸家として活躍しながら子どもを3人育て上げているのだから、スゴイ!!! この1月24日に61歳になり、その誕生日の夜、ひさびさに彼からの電話があった。毎年、ボクのほうから誕生祝いの電話をかけていたのに、このところ両親の介護と「太一や」の準備と「太一」の存在に翻弄され忙しくって慌ただしくって、すっかり忘れていたのだ。
 あれから40年、勝手に心臓が動きつづけ、ひとりでに年老いてゆく中で、今だに40年前と同じ「雰囲気」と「元気」を保ち放っているボクの旧き3人の友人たち。きっとみんな、自分に与えられた、持って生まれた「他の人とは全く違う交換不可能なもの」を保ち放ちつづけているから「元気」なんだろうな。みんな、一緒にこのまま120歳までは生きてみようよね。

   58歳になったばかりの、まだまだ少年のとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第24回

アーサ

 沖縄で「アーサ」と呼ばれている海藻がある。和名では「ヒトエグサ」という。
 このアーサは、旧正月が過ぎたころから海岸の岩場を覆いはじめ、春ごろまで海岸線を青々と彩る。アーサは人気の食材で、私も好きだ。アーサのおつゆとか天ぷらなどがおいしい。島のあるおじーは、「牛肉より、うまい。おそらく世界中の人がそう思っているはず」と大きなスケールでその味を語る。
 特に黒島産のアーサは色が青々としていて人気がある。その証拠に、石垣島でもアーサが生えているのに、シーズンになると、アーサをとるためだけに船に乗って連日黒島に通ってくる黒島出身者も結構いる。
 黒島産のアーサの色が鮮やかな理由は、川がないからであると言われている。川がないから海がキレイということらしい。たしかに、石垣島は川の周辺にある畑などから流出した赤土が海を濁らせている。黒島は赤土による濁りや堆積がない分、光合成はしやすそうな感じがして、おいしそうな気がする。サンゴの砂で真っ白な砂浜も、黒島と比べて石垣島は少し赤土の影響を受けているような感じがする。
 黒島のアーサの成長は他に比べて早いと言われている。先に述べた赤土被害がないこともあるだろうが、大量にアーサが採られていった海岸が、数日でびっしりと元のようにアーサに覆われていたりするのを目の当たりにすると、そう思う。この生育の速さは、牧草の成長のためにまかれている肥料や、人口の10倍以上もいる牛の糞尿が影響しているのではないかと、私は思っている。
 川のない黒島に降った雨は、琉球石灰岩の地盤に浸透し、どこかの地下から海に流れ出しているはずだからである。当然、草地にまかれた肥料や、牛の糞尿も海へしみ出ていると考えられるからだ。こんなことを考えるとアーサが美味しく感じられなくなるかもしれないので、これぐらいにしておこう。

昨年の学校のアーサ採りの様子

 つづいては、アーサの加工について。アーサを海岸で収穫するのは簡単だが、採ってきてから砂などの不純物を除去する作業が大変面倒である。ベテランになると、採るときから気をつけ、不純物をほとんど取り除かなくて済むテクニックもあるようだ。
 不純物が取り除かれたアーサは、乾燥させるなり冷凍するなりして保存されている。この一連の作業にかかる時間を考えれば、「割に合わない」と言う人は多い。しかし、確実に現金収入にはなる。台所を預かるからか、財布のひもを握るからなのか分からないが、この時期にアーサ採りに奮闘するのは圧倒的に女性が多い。加工したアーサを直接販売する人はほとんどおらず、それぞれが飲食店などの卸し先を抱えていたりする。
 黒島の小中学校の給食では、週に一度はアーサを使った料理が出される。この給食用アーサは一年に一度、全児童・生徒と教職員、保護者らが海岸に出て採ったものである。給食の食材確保と食育を兼ねた学校行事となっている。アーサが不作のシーズンは、「学校のためにここでのアーサ採りは遠慮して欲しい」という内容の看板を前もって立てることもある。かつては、学用品を買うための資金作りとしてもアーサ採りをしていたらしい。現在でもスポーツの試合の遠征費用負担とかは大変そうなので、資金集めとしてやればいいと思うが、子どもたちが採って加工したアーサは不純物がきちんと取り除かれていないなど、クレームが多く、資金稼ぎにはなりにくいとの話を聞いた。
 今年もアーサ採りのシーズンに突入した。この時期には海岸へせっせと通う人が多く、用事があって自宅を訪ねても不在の場合が多い。また、各自が自分のこだわりというか、秘密のポイントがあるため、どこでアーサを採っているのか教えたがらないから、アーサを採りに出かけているとわかっていても、探し出すのが厄介な時期でもある。海岸近くの道路にバイクや自転車が無造作に停めてある。そのバイクや自転車がだれのものかわかれば、そこがだれのポイントなのかが判明する。黒島の海岸線は一周わずか12キロ。個人的にはどこもあまり変わらない気がする。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

■『北海道人』in 「さっぽろ雪まつり」 さっぽろ雪まつり会場に『北海道人』ブースがお目見え! あふれるほどの熱気、はみでるほどの品数でお待ちしています。

→『北海道人』in 「さっぽろ雪まつり」 大通7丁目のHBC大韓民国広場にある『北海道人』ブースには、雪まつりにぴったりの食べものがずらり勢ぞろい! お出かけの際は、『北海道人』ブースをぜひのぞいてみてくださいね!

※イベントは終了しております。

次号予告

 次号の配信は2月12日(木)、ボブスレーの日です。氷上のF1とも呼ばれるボブスレーの時速は130〜140kmにもなるというから驚きです! それはそうと、子どもが乗っている赤や青のプラスチック製のソリは、「ポップソリ」って呼びますか? これ、北海道弁でしょうか?
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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