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『メルマガ北海道人』第104号 2009.1.22.―「北海道人」、1月のみぞれ―

 ほんの数日前までは、1月にもかかわらず幹線道路の路面に雪はなく、カラッと乾いていたような気がします。その後、雨がふり、みぞれになりました。みぞれでシャーベット状になった道路には、翌日、たっぷりと雪が積もり、車が通れば通るほど路面はガタガタになっていきました。車はまるで険しい山岳地帯か砂漠を走っているかのように車体を前後左右に揺らしていました。ラリーが行われているかのようでした。おそるべし1月のみぞれ! 1日で景色がすっかり変わってしまうこのごろです。
 『メルマガ北海道人』第104号、雨にもみぞれにも大雪にも負けずに配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 株や有償記事で儲けていた90年代のチャンインは、女性関係も派手なものでした。しかし、相手の名前すら知らなかったという場合が大部分で、それは「恋」と呼べるものではなかったようです。そんななか、胸がときめくような一人の女性に出会います。第49回は「本気の恋」です。

連載【とろんのPAI通信】

 愛妻はるかさんと太一くんは、里帰り中。2月8日の「太一や」オープンに向けて、壁塗り、床張り、屋根や畳の修理など、ひとり準備に忙しいとろんさんですが、その作業は楽しいものだそうです。どんな人たちが集まってくるのかを想うと、ワクワクどきどきの日々。第42回は「もう『笑うしかない♪』人の道」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島での出産記録保持者であるおばーが生んだ子どもの数はなんと16人! 出生率が全国一の沖縄県ですが、黒島では児童生徒数が減少しているそうです。畜産が基幹産業で、人間より牛の数が多いという黒島。第23回のタイトルは、「産めや増やせや」です。人も牛も増えねば、増やさねば。

【上林早苗の『上海日記』】 第49回

本気の恋

 いよいよ春節が近づき、仕事やプライベートでだれかに会おうと思っても、相当な確率で「過了年再説(年を越してからね)」と断られる季節になった。駅付近は布団や鍋を背中に縛りつけて列車を待つ里帰りの人や、切符が手に入らず泊りがけで窓口に並ぶ人、怪しげなダフ屋の男たちでごったがえしており、あらためて上海という街が地方出身者で成り立っているということを感じずにいられない。2009年はうし年である。不景気も何のその、「牛気沖天(天を突く牛の勢い)」で発展したい、と言い切る中国の人びとのパワーに今年も注目したいと思う。

 90年代を謳歌していたころのチャンインの女性遍歴はというと、思い出したものだけでも両手両足で数え切れないほどある。しかし、そのほとんどが接待の延長だったり、「大戸室(大口トレーダー専用部屋)」にいる彼から有望株銘柄を聞きだそうとする主婦の誘惑だったりして、「恋」と呼べるものはほとんどなかった。名前さえ思い出せない人、そもそも名前を知らなかった人が大部分である。
 胸のときめく恋をしたのは90年代中ごろのことだ。ある日、友人の紹介で、保険会社に勤めていた24歳の趙という女性と知り合った。「この男なら、君の保険を買ってくれるかもしれない」となかば押しつけられる形で引き合わされたのである。身長167センチでロングヘアの美人、中国で有名な映画女優に似ていた。バストは控えめだが、ヒップが豊満で、なぜか道行く人が振り向くような存在感があったという。学生時代から長身女性に弱いチャンインは一目で虜になってしまった。
 「君に会いたいから」
 チャンインはそう言ってまず一番安い保険を買い、相手をつなぎとめる作戦に出た。初デートは陜西南路にあった広東料理レストラン、珠江飯店だ。当時はかなり高級な店で、二人はそこでディナーをともにし、その後、タクシーで国際飯店横の有名ショークラブに乗りつけダンスショーを鑑賞。会計時には2万元が入った分厚い封筒をさりげなく取り出し、経済力をアピールすることも忘れなかった。

塀の向こうはビル建設のための広大な更地(紫雲路)

 一週間後、男女の関係になると毎日のように友人の空きアパートで会うようになった。彼女はときおり尊敬の眼差しでチャンインを見て言ったという。
 「あなたの若さで、これほどのお金を手にできる人はなかなかいないわ」
 彼女との話題は常にお金だった。ラッシュ時の踏み切りでは「お金があればこんな混雑とも無縁なのに」。高級マンションを見れば「どれだけ株でもうけたら、あそこに住めるのかしら」。そもそも交際のきっかけそのものが「金」である。しかし、それでよかった。趣味が金銭であることはむしろ喜ばしい二人の共通点だった。
 一人の女性をこれほど愛しく思うことはそれまでなかったという。あるときなど、チャンインに心配させまいと彼女が内緒で甲状腺手術のため入院。一週間ほど連絡がつかず、絶望感で頭が真っ白になった。ようやく病院の廊下で再会できたときの爆発するような喜びはいまでも忘れられない。どれだけ抱きしめても足りない、そんな気がした。
 「たった1分でも離れたくない、どんな言葉もいらない、体が触れていればそれで幸せ。そういう気持ちが恋なのよ」
 彼女はそう教えてくれた。
 彼女の実家に遊びに行ったこともあった。彼女の実家は父親が石油会社の職員、母親が小学校の校長で、どちらかというと上流家庭である。「とても仲のいい既婚の友人」として紹介されたが、愛人関係であることは明らかであった。チャンインが気まずい思いをしていると、父親は二人にこう言ったそうだ。
 「別のマンションに空きの部屋があるから、必要なとき、おまえたちで使いなさい」
 当時、中国は前代未聞のスピードで発展を遂げていた。人びとの価値観が時代の変化に追いつかない中、一部でその感覚や道徳観が麻痺していたのではないかとチャンインは振り返る。そして彼自身、愛人がいることについて妻や娘に後ろめたさを感じるどころか、それを男の成功の証として誇りに思っていた。急激な発展による社会のねじれは、あらゆるところで表面化していた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第42回

もう「笑うしかない♪」人の道

 昨夜の月はキレイだったな。今日は1月11日満月、鏡開きの日なので朝食は雑煮だ。そして次の満月直前、いよいよ「太一や」の開店祝い。
 そんな中、一昨日、愛妻はるかと太一が新潟県長岡市に里帰りしてしまった。彼らが岡山に戻ってくるまでの10日間の間に、ボクは両親の介護生活の合間を縫って全力で♪「太一や」の準備をしなきゃ。壁塗り、壁紙張り、床張り、屋根や畳の修理など、ボクにとっては産まれてはじめての作業がたくさん待っている。近くのホームセンターで材料を探し、買い物し、その一つひとつを使って形作ってゆく楽しい作業。
 愛妻はるかと太一が戻ってきたら、2月8日(日)のオープニングに向けての共同作業がはじまる。酒を飲みながらの単独作業も瞑想じみておつなものだけど、愛妻はるかと太一に邪魔されながら同じ空間で一つの作業をするのも、シアワセ。オープニングは朝10時から夕方4時までの開店だけど、このわずか6時間のTIMEに、このSPACEでどんな人間模様が展開してゆくのかと想うと、わくわくドキドキしてしまう。
 愛妻はるかのオリジナルカレーとボクの焼き芋、お茶とビールと焼酎を無料でふるまう開店儀式。介護している年老いた両親はもちろん、岡山県に住むいとこや親戚たち、近所の町内会の隣人たち、そして県内に住んでいるボクの友だちも招待し、日本中の友だちのなかでやってこれそうなキトクな人たちを選んで招待状を発送するのだから、どんな人たちがこのTIMEに、このSPACEに集まってくるのだろうかと想うと、やはりワクワクどきどきの日々なのだ。
 今年の門松には「笑門来福」を選んだ。介護生活2年目にして、この言葉にたどり着いたわけだ。介護の秘訣はいろいろあるだろうけど、結局「笑う門には福来たる♪」で、自分をふくめて両親の笑顔を一つでも多く拝めるような状況を作りだしてゆくことが、結局、自分のため、彼らのため、そしてボクらに関わってくる人たちのため、世のためでもあるのだろう。

愛車2台と共に「太一や」外部風景(中央土壁の家)

 2月13日(火)から「デイサービス」を再開することにした。毎週2回、火曜日と金曜日に朝の9時から夕方4時まで介護施設に両親を預かってもらうのだ。そして、この火曜日と金曜日に「太一や」をお休みしてボクらは全力で♪一日羽を伸ばそうと思っている。そして月に一回、両親をかかりつけの病院に連れてゆき薬をもらってくる。その大病院には美しくって広い空中庭園があり、スーパーやレストランやボクの大好きなドトールコーヒーまであったりして、この月に一回の外来の日も楽しみの一つになっている。そしてもし可能なら、年に一回10月から2月までの4カ月間は、太一の産まれ故郷である桃源郷PAIに行って、太一の産まれ出た我が家で全力で♪のんびりと過ごしたいものだ。この一年間の介護生活の試行錯誤の中で、少しずつ「介護パターン」が形作られてゆくに従って、ボクもやっと笑えるようになってきている。
 これは人の生き様すべてにいえるのかもしれないな。人はホントに「こんなのあり??!!」とあきれるほど「ひとそれぞれ」で、みな顔や指紋が違うように、性格や放つ雰囲気や好みや服装や歩き方や歩む道もホントに驚嘆するほど「ひとそれぞれ」なのだから。そして、そういう「違いのボーダー」が教育とか何者かによって次々と取り除かれてゆく先には、秩序や安心や安定があるのかもしれないけど、つまんないな!! そんなもの。超わがままで反抗的で常に全力で生きている2歳児の我が子や、子どものようになってしまった痴呆の父、糖尿病で妄想気味の母たちと生活をしていて、このごろ、ホントにそう思う。
 やっぱ、おもしろくっておかしくってHAPPYになれる「なんでもあり」で「ダイジョーぶ」なTIME&SPACEだよね。在りえぬことがヘイキで起きゆくマンガの世界。想像を絶するこの世の奇跡の物語。もう「笑うしかない♪」人の道。

     今朝は4時半起きの早起きとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第23回

産めや増やせや

 先日、畜産農家の青年の自宅で「満産(まんさん)祝い」があった。
 「満産祝い」とは、産育儀礼のひとつで、簡単にいうと出産を祝う会のようなものである。今回祝いを催した青年夫婦にとっては3人目の子どもの誕生である。
 黒島での出産記録保持者の、あるおばーは16人も産んでいる。そのうち二人は海上で産んでいる。一人は石垣島に向かう途中の船で、もう一人は漁の最中にサバニと呼ばれる沖縄独特のカヌーのような形をした船上でのことらしい。船上出産ということも驚きだが、臨月で漁に出ていたことのほうが驚きである。そのおばーに、「妊娠していても漁に出ていたなんて大変ですね」と言うと、「私、お産が軽くて……」と返ってきた。
 あるおじーに言わせると、「ひとつの腹から生まれた数では黒島一ではないか」とのことである。この「ひとつの腹」というセリフに、島内の複雑な人間関係・家族関係が伺える。またある島人によると、この16人の出産について、「毎年産んでいたけど、4年に一度、うるう年のように産まない年があった」という。それはそうだろう。16人出産しただけでも大変なことなのに、連続ではあり得ないであろう。
 この16人のうちの一人で、サバニの上で生まれた青年と飲んだとき、酔っ払った彼に、「お前らに16人きょうだいの気持ちがわかるか」と言われたことがある。無理だ。わかるわけがない。
 子づくり同様に、牛の生産も大切である。黒島では畜産が基幹産業で、子牛をセリに出して全国の肥育農家に出荷している。良質な肉牛を生産するためには血統が重要で、セリ値も血統によって大きな違いが出る。したがって、ほとんどが人工授精となっている。島の畜産青年たちは人工授精師の資格を持っており、発情した母牛に「種付け」をし、無事に受精すれば子牛が誕生する。

満産祝いの様子

 畜産を営む高齢者は、人工授精を青年にお願いしたりする。あるとき、お願いされた青年が怒っていた。石垣島から黒島に戻る船の中で、たまたま一緒だったおばーに、「おばーのが発情しているさ。来てくれないかね」と、お願いされたという。船のエンジン音が響く中、観光客も乗っている船内で、大きな声で言われたそうだ。驚きながらも、「わかった。今晩行くさ」と彼は答えたそうだが、それ以降、観光客の冷たい視線を感じたという。
 それはそうだろう。発情を訴えるおばーに、夜の訪問を約束する青年。それが母牛の人工授精に関する会話であると理解できる観光客はほとんどいないはずだ。島内にいるときと同様に、方言で依頼してくれればよいものを、そのおばーは、服装同様に言葉もお出かけモードに変わっていたのである。島によって方言が違うので、島外に出ると標準語を話そうとするのである。
 牛の生産頭数は人工授精によって管理されているが、人間の出産時期も親たちによっては大きな関心事である。ただでさえ子どもの数が少ない島内で、我が子に同級生がいないと可哀相という配慮から、ハッキリとは言わないが、子どもを作りそうな若い夫婦同士が「来年あたりどう?」などと、何となく歩調を合わせながら出産しているようである。
 出生率が全国1位の沖縄だけあって、3人目を産んだばかりのお母さんに、「4人目はいつ?」などと聞いてくるような土地柄である。ただ単純に家族は多いほうが……という発想もあるが、保育所や学校の存続問題がその言葉の背景にふくまれている。今回の満産祝いの席で父親は、初の女児誕生を喜びながらも、やはり学校の児童生徒数の減少のことを挨拶のなかで言っていた。その父親の言葉を聞いて、背負っているものの多さを感じた。その父親より年上の私はいつ、いろいろ背負うのであろうか。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は、1月29日(木)です。ついこの間、「あけましておめでとうございます!」と挨拶したと思ったら、もう1月ラストの配信です。気を引き締めてゆかねば、「あらら、もう年末?」ということにもなりかねません!
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了
吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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