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『メルマガ北海道人』第102号 2009.1.8.―「北海道人」、よーいドン!―

 2009年が幕開けてから、1週間と1日が経ちました。年が更新されたことに便乗して、自分も生まれ変わったようなつもりでいます。新しい気分を大切にするため、昨年まで背負っていた荷物をそっと降ろしてみました。だれかと競争しているわけではないのですが、「よーいドン!」と心の中でスタートを切ってみました。ピストルの引き金を引いたのは自分なので、最高のスタートになりました。途中、長い坂道で息切れしたり、靴が脱げたりしつつも、なんとかゴールできることを心に描きながら2009年も走りつづけます! って、マラソン? あらら、何をスタートしたのでしたっけ?
 『メルマガ北海道人』第102号、本年もよろしくお願いいたします。

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 春節(旧正月)を年の初めとする中国では、元旦のにぎわいは控えめ。これから正月を迎える上海の上林さんから2009年最初の「上海日記」が届きました。1990年台初頭、株と有償記事で成功したチャンインは、暮らしぶりだけでなく女性関係もかなり派手だったよう。「乱七八糟(めちゃくちゃ)」なのか、おおらかなのか……。

連載【とろんのPAI通信】

 タイでは「9」はベストラッキーナンバーだそうですが、9のつく2009年は日本での滞在が長くなりそうなとろんさん。前回、「どうやって生活しているの?」と訊かれると語ったとろんさんですが、今回、その秘密が明らかになります。第41回のタイトルは、「『運営』と『運命』と『運勢』の法則性力」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 様々な行事が旧暦で行われている黒島は、上海同様、新正月より旧正月の方がにぎやかです。さて、日本で最も綱引きが盛んな地域が沖縄県です。正月も黒島の人々は綱引きでずいぶん盛り上がるようです。沖縄の綱引きとは、黒島の綱引きとはどんなもの? Tシャツ短パン姿で書いた若月さんの「沖縄県黒島の日々」第22回。

【上林早苗の『上海日記』】 第48回

農村コンパニオン

 春節、つまり旧正月を年の初めとする国に暮らしてはや8年。この時期になると興味深いのは、二つの「新年」を矛盾なく迎えてしまう中国の人たちの心理だ。元旦、控えめではあるが「新年好(あけましておめでとう)」を連呼し、友人同士で祝賀の携帯ショートメールを交換するのに、約1カ月後の春節にも同じように新年を祝いあう。夫に聞くと、年に二度、年越しを祝うことに違和感はまったくないとのこと。ただ、中国人は「老年」(春節)を越してこそ一歳年を重ねたことになるため、1月1日は国際基準に合わせて2009年到来を祝いながらも、内心は年末気分なのだという。毎年のように春節撤廃説がささやかれるけれど、個人的には本音と建前が交錯するこのダブルニューイヤー制度がぜひつづいてほしいと思う。

 株と有償記事で鳴らしたという「黄金の1990年代」、チャンインの女性関係は本人が認めるほど「乱七八糟(ルアンチーバーザオ=めちゃくちゃ)」だった。体で商売をする女性たちのほかに、投資仲間の主婦、製薬工場の人事課長、空港で意気投合したショーモデル、生命保険のセールスレディ、なかには西安のバスで目が合った女性との一夜だけの恋もある。女遊びの心構えは「色胆包天(情愛さえあればどんな大それたことでも平気)」だそうで、病気や妻への発覚を恐れたことはなかったらしい。
 色事にまつわるエピソードを挙げるとキリがないが、本人が肝を冷やしたというのは杭州へ行く列車内で知り合った浙江省余姚出身の裁縫工との関係だ。既婚者で子持ちだったが一人で上海に出稼ぎに来ていたため、チャンインは100元ほどのお小遣いを土産に彼女の安アパートへと日参し、ある時などは記事執筆を交換条件に旅行社と話をつけ、身銭を切ることなく南京へ二人お忍び旅行へ出かけたこともあった。小柄でぽっちゃり体型、美人ではないが手先が器用で、よく鶏肉の塩ゆでを作ってくれたらしい。やがて彼女に子どもができたことがわかるが、チャンインが慌てる間もなく子宮外妊娠だということが判明し、即手術。家政婦を雇って養生させた後、通わなくなったという。交際期間は半年。男と女として互いに必要としていたけれど、そこに愛情はなかった。だから「別れ」ではない――とチャンインは言う。

シシカバブーを焼くウイグル人。寒くなると羊肉が人気に(茅台路)

 「不可抗力に近かった」出会いも少なくない。取材が終ってからの宴席には決まって小学校の教師だという清楚な女性や、健康そうに日焼けした若い農婦がどこからか出現。彼女たちは誰かに紹介されることも自ら名乗ることもなく、すっと隣の席に着いた。「接待用」の女性たちである。まるで町の発展のために差し出された生贄のようだが、実際、郊外へ行くほどそうした即席コンパニオン付きの接待を受けることが多かったそうだ。彼が常にカメラマンとは別に部屋をとるようにしていたのも、そういう事情である。
 ただ、全員がこの見知らぬ客に身を捧げたかといえば、もちろんそうではない。チャンインと話を交わし、彼の漂わせる大都会の匂いや、エリート大卒記者ならではの博学ぶり、ユーモアを散りばめた話術に魅せられた者だけが部屋へとついてきた。
 ある年の夏、有償記事の取材のために浙江省の嘉興へ出かけた時のことだ。取材後に開かれた宴席で、一人の年上の主婦が隣に腰かけたことがあった。色黒でお世辞にも美人とは言えず、いかにも農家の女という風貌だったが、言葉を交わさないうちに二人はなぜか意気投合し、気がつくと手に手を取って草木生い茂る畑へと入っていたそうだ。チャンインはこの情景をいまだに忘れられない。
 「月明かりの下、まるで映画『紅いコーリャン』のワンシーンみたいだった」
 それから3日間、彼女は夫の目を盗んではチャンインの元に通い続けた。そして出発の朝、彼女が人目を忍んでチャンインの部屋を訪れた時、その手には市場で買ったばかりのスッポンを提げていた。彼女はこう言ったそうだ。
 「これで3日間の疲れを癒してちょうだい。さ、遠慮しないで」
 都会の女性にはない純朴さを見た気がしたという。現在よりもずっと開放感にあふれていた、とチャンインが懐かしむ1990年代初頭の中国の話である。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第41回

「運営」と「運命」と「運勢」の法則性力

 2009年、あけましておめでとう!!
 「9」という数字はタイではベストラッキーナンバーなのだけど、今年は日本滞在が長くなりそうだ。岡山県総社市に住むボクの両親の介護生活がはじまって1年と少し経ち、その間に2度タイに戻っている。日本とタイを往復する中、タイでは新天地NEW MOON VILLAGE 、日本では介護生活を営みながらも、今年からは「太一や」というspaceを新たにはじめる。
 介護生活では、介護保険、原爆手帳などをフルに活用しながら、介護老人保健施設に数カ月お世話になってタイに戻ったり、週2回のデイサービスを利用して週2回の息抜きができているけど、これらのすべての経費は両親の年金から捻出している。両親が30年に渡って貯め込んだ不要なゴミ類などを処分したり、岡山でボクらに必要なパソコンや自転車を買ったり、食費をふくむ一切の出費も全てこの年金から出ているので、もしボクが家計簿とかをつけていたら発狂状態に追い込まれるのは必至。だから、怖くって一度も収支計算などしたことはないけど、なぜだか、まだまだ赤信号は出てないから不思議。
 父は痴呆症で全く経済観念を喪失しているし、母は重度の糖尿病の副作用のせいか、大切なものを無意識にどこかに隠してはスグ忘れてしまい、全く管理能力がないのだから、この我が家の「運営」は“気が確か??”な長男のボクが全てやっていくしかないのだ。これは突如とボクに降りかかってきた「運命」なのだけど、巻き込まれたら巻き返してゆくというボクの「イノチの法則」は健全に力強く機能していて、介護生活に巻き込まれながらも、なぜだか、「太一や」というspaceをはじめる運びになり、ボクらの「運勢」が今ふくらみはじめている。
 今までボクらは朝昼晩と3度の食事を作っていたのだけど、今年からは「太一や」をはじめるし、母親のリハビリのためにも昼は母親に任せることにした。ボクが具がいっぱい入ったおいしい味噌汁とご飯を用意しておいて、あとのおかず類は放っておくことにしたのだ。このたった一度の食事作りの軽減だけで、ボクらはものすごく楽で自由になれるし、両親もボクらに気を使うことなくつまみ食いしたり気ままにできて、お互い様様なのだ。
 「太一や」は人通りの少ない寂れ切った旧商店街に在るのだが、4年前からここは「れとろーど」と愛称され、町をあげてこの通りにイノチが吹き込まれようとしている。細くって曲がりくねった通りに昭和風の街並みが展開する、懐かしいspaceなのだ。

あかるいきざしがなんともいえない♪「太一や」内部風景

 一年前、ボクが太一を乗せて愛妻はるかと総社の町のアチコチを自転車でチェックしていた時、たまたま必然、あ!!っとこの町並み群がボクらの前に現れ出た瞬間、ボクらの「運命」に勢いがついて「太一や」への想いが湧きだしたのだろう。この通りや総社の町にイノチを吹き込もうとNPOを立ち上げた“かとうさん”という魅惑の女性とも運命的に出会い、家賃7千円ほどで2階建の土壁の家を借りられることになったのだ。
 ただただ、ボクらの「想い」を「形」にしてゆくだけで、ひとりでにこの街にイノチを吹き込めるとしたら、おもしろくっておかしくってhappyになれるよね。だからボクらも、おもしろくっておかしくってhappyになれるspaceを産み出していかなきゃ。くみ取りトイレや風呂などの修理、畳を替えたり壁を塗ったりと出費は限りないけど、なぜだか、まだまだ赤信号は出てない。
 考えてみれば、NEW MOON VILLAGE でも、東京の幡ヶ谷に在る老舗の和菓子屋さんの若社長がPAIに土地を購入し、24000平方メーターのspaceを、なぜだか、ボクらに提供してくれて、その空間にボクらが家などを建てているわけで、その土地にかかる年間維持費なども、なぜだか、タイ人のオーナーが払ってくれている状態だ。そしてここでも、まだまだ赤信号は出てないし、ただただ、ボクらの「想い」を「形」にしてゆくだけで新天地にイノチが吹き込まれ、おもしろくっておかしくってhappyになれる空間に成りゆけば、ひとりでにその「運営」の「運勢」も高まりゆくだろうし。
 あるspaceを「運営」してゆく時、「運命」的なキーパーソンたちとの遭遇が在り、その展開がオーガニックに絡まりあいながら継続してゆく中で「不幸中の幸い」とか「大変な目にあったことがかえってよかった」とか「すべては自分に向けられたメッセージ」などと感じられるようになれば、どんな「運命」に巻き込まれても「運勢」がふくらみ、光に向かって勢いが展開してゆき、「運営」の道もひとりでに切り開かれてゆくのだろう。

   正月、生まれて初めて大きなブリをさばいて刺身造りをした、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第22回

旧正月の綱引き

綱引きの様子

 沖縄では旧暦で行事を実施することが多いため、旧正月を祝う。しかし、最近はそれも薄らいできたような感じがしていて、正月に関しては旧正月よりも新正月のにぎわいの方が勝っているような気がしている。
 沖縄県は日本で最も綱引きが盛んな地域で、各地で綱引きが行われている。那覇では毎年10月に那覇まつりがあり、ギネスブックに載るような大きな綱を、封鎖した国道で引きあう。しかし、綱があまりにも大きすぎて、人ひとりが力いっぱい引いたところで勝敗に影響があるのかどうかが実感できにくいが、那覇の場合は観光客を呼ぶことを意識しているようなので仕方ないのかもしれない。
 沖縄の多くの地域で実施されている、集落が東西に分かれて綱を引っ張りあう小さな綱引きが私は好きだ。綱を引きあうという単純な行為であるにもかかわらず、人々が勝負にかなりエキサイトするからである。
 そんな沖縄において、ここ黒島だけが旧正月に綱引きをする。黒島では旧正月の存在感が大きく、黒島出身者も旧正月を祝うのと同時に、綱を引きに帰省したりしてくる。また、新正月に合わせて玄関や車に飾ったしめ縄は、しばらくすると旧正月が来るので、新正月が過ぎてもずっと飾りっぱなしである。今年の旧正月は1月26日なので、1月いっぱいはだいたい飾られているだろう。旧正月が過ぎてもずっと飾りっぱなしの家もあり、ただ単に取り除く意識がない人もいるようではある。
 黒島に5つある集落のうち、今も綱引き行事が残っているのは東筋(あがりすじ)と仲本の2つである。綱引きは本来、夜にたいまつを焚いて行うものであったが、東筋は石垣島に住む黒島出身者が、その日のうちに石垣島に戻ることができるように昼間に実施する。一方、仲本では最近になって昔どおり夜にすることになった。
 実は、この昔どおり夜に実施する意義は大きい。黒島の人口はずっと減少傾向に歯止めがかからなかったが、ここ3〜40年ぐらいはずっと200人台で推移している。少し前までは、島の行事を島内の者だけでは実施しきれなかった。同じ200人台でも、時期によっては老齢人口が多く、若者が少なかった時代もあり、ほかの島にいる黒島出身者の力を借りなければ行事が開催できなかったのである。現在の黒島は青年が増えてきて、島に住んでいる人たちだけでの実施も可能になってきている。仲本が綱引きを夜に戻したのもこのような背景があると言える。

綱の末端を電柱に固定する人たち

 また、夜には定期船がないため、民宿業の人たちは宿泊客の送迎もないし、一般島民も物資が届いたりしないので落ち着いて行事に集中できるというメリットもある。駆けつけた島出身者も郷里に宿泊し、馴染みの人たちとゆっくりお酒を飲みながら行事を楽しむことができてよいと思う。
 昼間に行われている東筋の綱引きは、純粋に綱を引くこととは別の駆け引きが面白い。東筋の場合は南北に分かれて綱を引きあうのであるが、どちらも負けたくないので、綱引きがはじまると同時に、南も北も綱のはじっこを電柱に縛り付ける。そして、中央部分では本気で綱を引きあい、両端では電柱に縛られた綱を解くために放たれた刺客と、電柱を守る側の攻防が見られるという見どころの多い綱引きである。
 綱引きの写真を見るとはっぴを着ている人が目立つ。普段、沖縄の行事ではっぴは見ないし、正直、沖縄の人たちには似合わないと思う。このはっぴは綱引きに熱中して、旧正月の晴れ着が台無しになってはいけないとの思いで寄贈されたものであるという。島では行事とともに「ハレとケ」の感覚もまだ残っているようだ。私もこの原稿を書いている今はTシャツに短パンだが、島の行事の時にはなるべく襟付きの服を着るよう意識している。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は1月15日(木)、小正月です。7日までの松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう日でもあり、女正月と呼ぶ地域もあるそうです。ということは女性は休める?
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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