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『メルマガ北海道人』第100号 2008.12.18.―「北海道人」、きらきら―

 一般住宅の窓を縁どったイルミネーションのきらきら、レストランの店先で滝のように流れているきらきら、夕暮れどきから札幌大通公園にあふれる毎年恒例の色とりどりのきらきら。このきらきらが寒さを紛らわしてくれているようなこのごろですが、先日、最高のきらきらを見ることができました。月灯りに照らされた雪の結晶です。空から落ちてくる雪のどれもが美しい形をしていて、黒のオーバーコートに雪模様がすごい速さで刺繍されていくようでした。最高に贅沢なきらきらは、その夜、その雪を見た全ての人のものでしょう。不景気だけどわけ隔てなく気前の良い北海道の冬の夜空です。
 『メルマガ北海道人』第100号、きらきらっと気前良く無料配信! おまけに読者プレゼントもありますよ。

*読者プレゼントの詳細は巻末をご覧ください。締め切りは12月23日です!

募集は終了しております。

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 近ごろの不景気な世の中と比べれば夢のような1990年前半の上海で、大口投資家の専用部屋「大戸室」にもぐりこんだチャンイン。エリート大学卒で温室育ちの彼の株仲間は、いままでに知り合ったことのないような人たちでした。第47回は「大口投資家の素性」です。

連載【とろんのPAI通信】

 今回は帰国途上のチェンマイから届いた「とろんのPAI通信」。PAIで子どもを生んだり育てたりしていく中で、ネックとなるのが「現金収入」だそうです。「どうやって生きてこられたんだろう」と思うような相手から「どうやって生活しているの?」と訊かれたり……。第40回は「神様とお金様、その密封性力」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島では、旧暦の1月1日に旧正月を祝い、行事なども行われるそうです。元旦は静かですが、二日は成人式が行われるため、にぎやかになります。公民館のような場所で飲めや歌えの大騒ぎ、アットホームな黒島の成人式を覗き見できる第21回「沖縄県黒島の日々」のタイトルは「正月早々の成人式」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第47回

大口投資家の素性

 先日、取材にかこつけ最近オープンした日本人ホストクラブ(中国語は「鴨子店」)に行ってきた。これまでもこうした店がなかったわけではないが、業界内の抗争や取り締まりによっていずれも開業まもなく姿を消したと言われている。今回行った店のふれこみは「上海で唯一、ホスト全員が日本人の店」。日本人ホスト50人が在籍しているといい、たしかにこの日、留学生と思しき日本人イケメン君が軽妙な関西弁トークで場を盛り上げてくれた。しかし、オープン直後だというのに客はゼロ。どうやら不景気のあおりで上客である中国人ホステスたちが財布のひもを締めているらしい。それでなくとも上海は1年半後に万博をひかえ、取り締まりが強化されている。夜の業界に生きる人たちはこれから大きな試練を迎えるのではないかと思う。

 今となっては夢のような1990年前半の上海。大口投資家の専用部屋「大戸室」に潜りこんだチャンインの株仲間を見れば、そのバブリーな社会が見えてくるようだ。まずは最年長で土木業者の老楊(ラオヤン)。江蘇省から出稼ぎにやって来た50代の男性で上海で事業が大当たり、巨額の財産の一部を株投資に充てていた。学がないことをいつも自慢気に話し、係数分析やリスク研究に没頭する人間を鼻で笑っていた。
 「いいか、株は勘と度胸だ。落ちたら負ける。上がれば勝つ。それがすべてだ」
 そう言うだけのことはあって、株売買のタイミングも一風変わっている。愛人とケンカしたら売却。昼飯がまずくても売却。ひとっ風呂浴びたら売却。しかも、これが驚異的に当たるから、仲間内では一目置かれていた。
 自称日本帰りの小楊(シャオヤン)はつかみどころのない男だ。もともと地元で水道水処理場に勤めていたが、出稼ぎのために訪日。以後6年間、皿洗い場で身を粉にして働き、日本円で4500万円を稼いで帰国したと豪語する。
 「日本の食堂ってのはよ、吸い殻一つ残ってるだけで灰皿を洗わなけりゃいけねえんだ」
 物知り顔で、そう繰り返した。

路上の焼きいも・焼きとうもろこし売り。「年末はふるさとの山東省に帰るよ」(古北路)

 寡黙だがとりわけ頭の切れるのが陳(チェン)。職業は闇の両替商だった。江西中路にあった中国銀行周辺をうろつき、銀行を訪れようとする人を呼び止めては、外貨から人民元に、あるいは人民元から外貨に両替し、そのレートの差額を利益としていた。1990年代の中国はちょうど空前絶後の留学ブームで、外貨は貴重だったため、相当な荒稼ぎをしていたらしい。警察関係者と親しく、当局の一掃作戦が行われる時には決まって姿をくらませていた。
 闇社会の人間といえば、肉売りの兪(ユィ)もそうである。浙江省出身の40代で、普段は市場で肉屋をやっているが、正体は南京西路界隈のチンピラヤクザの親分だ。リッツカールトンホテルや伊勢丹あたりを縄張りとし、時に盗みを働いたり、他のチンピラと小競り合いをしたかと思えば、用もなく路上で貧乏ゆすりをして毎日を過ごしていた。口は汚いが義理がたく、悪事は働くが約束は守るので、チャンインたちはひそかに敬意を抱いていたらしい。
 職業こそさまざまだが、彼らの共通点は成金上がりであること、高等教育を受けていないこと。いわゆるまっとうな道を歩んできた人間は皆無であった。温室育ちでエリート大学卒の優等生チャンインがここで一般人が使わないスラングやマージャン、女遊びを覚えるのにそう時間はかからなかったという。
 たとえば、「おさわり映画館」もその一つ。昼食後、株価に大きな変動がないことを確かめると、大戸室の面々は連れ立って近くの平安電影院へと向かった。受付で5元の入場料を払い、「美女」を呼ぶよう従業員に言いつけてから着席する。やがて女性が隣に座り、映画がはじまると、おさわりサービスのスタートである。暗闇なので相手の容貌ははっきりと見えない。しかし、途中スクリーンの光で一瞬、顔が見えて愕然とし、クレームをつけたことも多々あった。ところが、ある日、一行がいつものようにおさわり映画を楽しんで証券会社に戻ると、株が大暴落、全員が大損を出した。以来、「縁起が悪い」と言って、二度と行かなくなったという。
 その後、チャンインは火遊びを重ねていく。それは彼にとって一種のステイタスの証であり、生きがいであった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第40回

神様とお金様、その密封性力

 PAIの新天地NEW MOON VILLAGEには、今、3家族8人が住んでいて、それぞれ独自の家の建て方をし、それぞれの輝きを放っている。太一をふくめて子どもは二人だ。
 子どもといえば、PAIで子どもを産んだり(写真)PAIで子どもを育てたりしている日本人家族は結構いて、ボクの知ってる限りでは9家族いる。PAIのあちこちで、やはり独自の生活スタイルを営みながらPAI人化していて、ボクらもふくめて、これから自分たちの子どもが大きくなってゆく中で、「現金収入」が一番のネックになっている。
 例えば、ボクらの新天地に住むアーティスト“KEMさん”は週末に2回、夜のPAIの町に出没しては笛を吹いて日銭を稼いでいるし、同じ住人の“ひでさん”ファミリーは、日本で数カ月働いてはPAIで数カ月滞在というパターンを繰り返していて、今回の写真の中の“あおちゃん”の母“あき”は自宅で天然酵母のパンを焼いたり日本食を作ったりし、父の“ひろくん”は子ども用の服や布おむつを手作りして販売している。同じ写真の“ろまちゃん”の母“みつきさん”は、旦那がタイ人の皮細工職人で、PAIの路上で自分の作った作品を売って生活している。他にもタイ人と結婚してゲストハウスやヌードル屋さんをやっている家族もいて、まさに生活を営んでゆくひとそれぞれの違いが面白くって勇気づけられてしまう。
 昨年の49日間の祭り(たましいのかくじっけん)の最後のパートで「神様とお金様」というトークライブをやってみた。大六角堂の中には7人のパネラーがいて、8本のマイクを設置し、一本のフリーマイク。2カ月近い長い祭りに参加してくるような気ままな旅人たちばかりなのに、祭りの間よく耳にしたのが「どうやって稼いでいるの??」という言葉で、「この人どうやって生きてこられたんだろう???」と思ってしまうような相手たちから何度も「どうやって生活しているの???」とか訊かれたりすると、なんだか異様なる切実さを感じ、「神様とお金様」というトークライブを決行したのだ。

桃源郷PAIで産まれた子どもたち(左から、あおちゃん、太一くん、ろまちゃん)

 あの時、もし一人のパネラーから「とろんさんはどうやってお金を稼いでいるのですか??」と質問されていたら、ボクは一体どう答えていたのだろう??? 実は何を隠そう、愛妻はるかの母親が一番心配し、不信感を持っているのが、このボクの「現金収入」のことで、これについて具体的に彼女が納得できる形でボクの口からちゃんと説明できればOKなのだが、なんだか、うまく説明できないし、説明する気も全くないのだ。
 ボクは30代の前半、東京でタクシーの運ちゃんを2年くらいやっていたことがあり、その時、死んでもおかしくない激突大事故を経験してからは一切の賃金労働ができなくなってしまったのだ。頭を強く打って何かの回路がぷっつんしてしまったのだろうか??? だから、タクシーを最後に、あれから24年間アルバイトや賃金労働ができないまま、合法非合法などまるで関係なく、自分が楽しめて、善悪を超えて自分のもって生まれた才能を表出させられる仕事を発明発見してきた。42歳の時に初ステージに立って45歳から歌いはじめたライブ活動、すでに19歳からはじめていた文筆、ファッションショーなどのオーガナイズなどもふくめて、非社会的といわれることも数々楽しみながらサバイバルしてきている。
 人は産まれてからこの世に生存してゆく中で、顔や手足は外から見えても、一番生存に欠かせない心臓などの内臓は密封されていて外から見えないし、外から見える大切なおちんちんやおっぱいでさえ、人は必死で隠そうとする。生存に欠かせぬもっとも重要な部分は、本来はきちんと密封されていたほうが人間らしくって面白いのではないのか??? ありとあらゆる本能的生存的生殖的なことどもを密封しつつ「できるだけ遠まわしに間接的に」行為表現してゆくことが人間的文化的なことだとすると、やはり、「神様とお金様」に関しては、そのカラクリを分析したり確認作業をするよりも、それらによって今まで生かされつづけてきた「人それぞれの奇跡の物語」、ボク流にいわせてもらえば「人それぞれのダイジョーぶ経典」に驚嘆平伏し、全細胞で堪能感謝してゆくだけで十分なのだと思うのだが??? それとも、自分は見せているのだから、お前も見せろ!! というのが「社会」の掟???
 12月5日のタイ国王の誕生日の朝、11時、ちょうど閉鎖されていたバンコクの国際空港が解除されたころ、ボクら新天地の住人と関係者たち10人がPAIの町に集まり、「ベンジャロン」というPAIで一番のタイ料理店で「最後の昼餐」をし、ボクら家族3人はPAIを出た。一級品のタイ料理を口にしながら、今後の新天地の「運営」について話し合ったのだ。次号では、この「運営」について「運命」や「運勢」を絡めて、ちょっと描いてみようかな。

    帰国途上の古都チェンマイにて。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第21回

正月早々の成人式

 もうすぐお正月であるが、黒島では旧歴1月1日は旧正月を祝い、綱引き行事などでにぎやかになる。一方、新暦の1月1日は島出身者の帰省や年賀状が届くことから正月気分にはなれるものの、旧正月に比べれば静かな1日である。
 ちょっと前までは郵便局が島内の年男年女を集めて年賀状の元旦配達出発式を開催していた。民営化になって以降、出発式もなくなった。ついでに年賀状購入のお願いも民営化以降、あまり言われなくなった。黒島全体で元日に配達される年賀状は約3000通とのことである。
 元日は静かであるが、翌2日はにぎやかになる。成人式が催されるからだ。複数の島々からなる竹富町は、町でまとめて成人式を開催できないことから、各島で成人式が実施される。黒島では、黒島伝統芸能館という公民館的な施設で新成人を祝う。多くのあいさつや余興で賑わい、飲めや歌えの大騒ぎでアットホームな成人式となる。
 今年の成人式はほとんど命令に近い依頼を受けて私が司会を任された。いつも見慣れた島民の前でしゃべるぐらい別に何でもないのだが、司会者として困ったことがあった。主役である新成人のことを、私はほとんど知らなかったのである。
 私が黒島に住んでから5年が経過した。200名ほどの島民の顔はほとんどわかる。100軒ほどの家もどこが誰の家かわかる。それでも新成人はわからない。なぜならば新成人は島にいないからである。
 黒島には高校がないので、中学校を卒業するとだいたいが島を離れる。高校を卒業して進学するにしろ、就職するにしろ、20歳の時点で島に戻って来る人はほとんどいない。だから、私は新成人を知らなかったのであるが、新成人の親やその兄弟などはよく知っているので、まったくの他人のためにやっているというわけでもない。それはきっと新成人も同じで、「あの司会者誰?」といった感じであったと思う。

今年の成人式の様子。窓際に座っているのが新成人と恩師。毎年小中学校時代の恩師が1名、ゲストとして新成人から招待される

 新成人たちが、冬休みや正月休みを利用して帰省しやすいように1月2日が成人式となっているわけだが、島民にとっても不都合はない。黒島の場合、ほとんどが畜産関係者であるため、子どもの冬休み期間中だからといって旅行などにはほとんど行かないのである。ペットを飼っている人が旅行などを躊躇することを想像してもらえれば解りやすいかもしれない。牛の場合は、ペットのように連れて行けたり、預けたりできないので大変である。
 ついでに言えば、私の職場である黒島研究所もウミガメをはじめ、いろいろな生物を飼育していることから、盆も正月も関係ない。展示室も年中無休で一般に公開している。そして、この年中無休である研究所の職員は、私ともう一人の2名だけであるが、そもそも私も、もう一人の職員も帰省という概念がないようである。年末年始は関係機関も休業となることから、出張などもない。したがって、意外に正月は忙しくはないのである。
 最も忙しい夏場は、全国から学生が研修でやってくるので手伝ってもらえるし、学校が休みの日などは、遊びに来た中学生に留守番を任せたり、電話対応をさせたりするという面白い施設である。
 話を本題に戻しましょう。夕方、成人式が終わると島の人たちは帰宅し、牧場へ向かい、エサやりなどの仕事をし、夜になると新成人の各家へ祝儀を持って訪問する。
 昼間、散々飲み食いしたのに、各家では料理やお酒が振る舞われる。新成人が多い年は財布も肝臓も負担が大きい。
 もうすぐ私は黒島に来て6回目の正月を迎える。今度の成人式から、いよいよ新成人の顔がわかる世代に突入する。
 今度の新成人は4名。彼らを前に、「あぁ、あの時の中学生がもう成人か」と、これまでとはちょっと違った思いで酔うことができるかもしれないと、楽しみにしている。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

北海道「食のサポーターが行く!」を更新しました。

<第8回 十勝支庁  08年11月26日、27日>
食糧基地の自負が詰まった十勝の味、最前線
2006年から道内各支庁を訪れてきた「食のブランド」発見交流会は、2009年の最終回で道内屈指の食糧基地である十勝支庁へ足を踏み入れた。

北海道「食のサポーターが行く!」

『メルマガ北海道人』第100号記念プレゼントの応募締め切りは12月23日です。

募集は終了しております。

メルマガ購読されている方に北海道のおいしいものが当たります。締め切りは2008年12月23日です。まだ応募されていないかたは、こちらから!

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次号予告

 次号の配信は12月25日(木)です。2008年最後の配信はクリスマスです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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