メルマガ北海道人

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『メルマガ北海道人』第50号 2007.12.20. ―「北海道人」、わた帽子をすっぽりかぶった町―
 降るときはどっさりと。朝、カーテンを開けるとわた帽子をすっぽりかぶったような町の景色に、一瞬喜び、そののち焦り。雪かきをしなければっ!
 道の上にどっさり積もった雪は、やがて人や車に踏み固められます。札幌のように交通量の多い街では、道路がつるつるとガタガタのパッチワーク状態になってしまいます。道の両側に積み上げられた雪のせいで、道幅も広くなったり狭くなったり。まるで障害物競走です。ガタガタ路面をねじ伏せ、つるつるを予測し、狭くなった道をするりと抜けてゴール! あと4ヵ月も続くこの障害物競走。長いです。
 『メルマガ北海道人』第50号は、つるつる路面を滑走するアイススケーターのように 配信!

<クリスマスプレゼントがあります! 応募はメルマガ最後尾から>

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 日本に帰省するたびに、中国の友人から買い物を頼まれるという上林さん。今回はある人気アニメキャラクターのフィギュアを頼まれたそうです。さて、「上海日記」第22回はチャンインが小学校4年生になり、英語教育が始まったときの話。ABCを習ったあとに初めて覚えたフレーズは「Long live chairman Mao!」。

連載【とろんのPAI通信】

 前回のPAI通信には、とろんさんの両親が突如として痴呆症になってしまったと書かれていました。そんな両親のもとに向かうためPAIをあとにするとろんさんですが、そのPAIのムーンビレッジにもなにやら急展開がありそうな。5年前に比べると旅行客が増え、リゾートのような建築が立ち並ぶようになった近ごろのムーンビレッジに何が?!

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 主語をめぐる問題から、「終戦」と「敗戦」のどちらを使うべきか、憲法9条をめぐる問題についてと議論が移りつつある往復書簡。いまのところ「敗戦」を遣いたいという編集長・和多田進ですが、そのココロは? さらに憲法9条が私たちにもたらしたもの、改憲についてなど、読みごたえ十分の第27回です。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第二十二回

チェアマン・マオ

 日本に帰省するたび、中国の友人たちから種々の買い物を言いつかるのだが、今回きっての難題は友人の娘さんに頼まれたガチャガチャ仕様のガンダムフィギュアだ。「御宅(オタク)」と呼ばれる日本産アニメのマニアが上海で急増していると聞いてはいたが、これほど身近にいたとは驚きである。それにしてもガチャガチャマシーンを見たこともない上海の子どもがどうしてガチャガチャフィギュアにこだわるのだろう。謎である。
さて、30年前の話に戻りたい。チャンインが小学校4年生に上がった時、早くも英語の授業がはじまった。ABCを習ったあと、初めて覚えたフレーズは未だに忘れない。
「Long live chairman Mao!」
 つまり「毛首席万歳」だった。彼の記憶によれば「pencil」や「table」などの日常単語が出てきたのはずいぶんあとのことで、それよりも先に学んだのは「The Great Proletarian Cultural Revolution(無産階級文化大革命)」や「poor and lower-middle peasants(貧農・下層中農)」など、革命にまつわる単語ばかりだった。
 評論や批判が掲載される「大字報(壁新聞)」を書くようになったのもこの頃である。覚えているのは孔子批判の記事だ。清が滅亡して以来、儒教は封建時代の名残としてたびたび否定されてきたが、文革に入ると毛沢東らによっていっそう激しい批判運動が行われていた。チャンインたちは孔子の言葉「唯女子与小人為難養也(女子と小人は養い難し)」を挙げ、2500年前の君子を糾弾した。
「孔子は僕たち革命後継者をバカにしている!」
 親しんだ詩は毛沢東のものが少なくない。チャンインが好んで暗唱したのは日本降伏直後、蒋介石との政治会談の際に発表された詩『沁園春・雪』だ。詩は祖国の絶景をほめたたえたあと、こう続く。
 「江山かくのごとく多嬌なれば、無数の英雄をいざないて、きそいて腰を折らしめき。惜しむらくは秦皇漢武、すこしく文采に輸(おと)り、唐宗、宗祖やや風騒に遜(ゆず)る。一代の天嬌、ジンギスカンはただ弓をひき、大わしを射るを識(し)るのみ)」
 かつての皇帝や豪傑の弱点を挙げている。チャンインがその迫力に身震いしたというのは次の句だ。
 「ともにゆけり、風流の人物を数えんとならば、なお今朝(こんちょう)をみよ」

写真
文革中の批判闘争会を再現した模型。外国人向けのみやげとして売られている(東台路)

 しょせん皆、過去の人物だ、真に優れた人物を数えようとするならば今の世を見よ、ということらしい。では「真に優れた人物」とは誰のことか。蒋介石がこの詩に激怒したと言われていることからも、それは他でもない毛沢東自身だというのが定説である。なんとも大胆不敵な内容だが、チャンインはラジオ放送で繰り返し流されるこの詩の力強さに夢中になった。
 「打倒劉少奇」という遊びがはやったのもこの頃だ。劉少奇といえば国家主席まで登りつめながら毛沢東に批判され、党籍をはく奪されたまま1969年に死亡した人物で、70年代当時はまだ「悪人」扱いだった。生前の写真を見て「毛沢東よりかっこいい」と口走ったチャンインの姉の友人は父親にひどくぶたれたという。
 その「打倒劉少奇」とは度胸比べの遊びだった。箸の先に縫い針を結わえつけ、自分の左手のひらをまな板の上に広げる。そして、指と指の間を順番に突いていった。
「打(ダー)・倒(ダオ)・劉(リウ)・少(シャオ)・奇(チー)!」
 指の付け根近くをより速く突ける子が上級者だ。一歩まちがえればわが血を見るという危険な遊びだった。
 チャンインのクラスメイトに王くんという体の大きな男の子がいた。外国企業の元運転手だった父親と、労働者の所持品をチェックする工場管理職の「捜身婆」だった母親、それに姉の4人家族だった。文革がはじまり、労働者が絶大な力を持つと両親は痛烈な批判を浴び、彼自身、その影響を受けた。賞賛されるべきことをしても誰にも気にとめてもらえない。そしてクラスにいったん問題が起きると真っ先に疑われた。
 チャンインはある日、王くんの背後に近づき、彼のズボンをずり下ろして逃げた。突然のことにぼう然と立ち尽くす王くんの姿に子どもたちは笑い転げた。チャンインは得意になった。
「ざまあみろ!」
 毛沢東に忠実であれば正義は自分にあると皆が信じていた。だからこの時の行為について自責の念に駆られたことは一切ない、とチャンインは言う。それほど出身階級によるいじめは子どもの間でも公然と行われていたのである。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□新連載
【とろんのPAI通信】 第15回

『桃源郷PAI物語』への展開

写真
ムーンビレッジ住人の地球人アーティスト、KEMさん
(男)の代表作(水彩画)

ホームページ http://www.artsolid.net
photo by 林 あすか(ムーンビレッジ在留の女放浪写
真家
  ボクはタイ北部の山の町PAIに7年弱住んでいるけど、特にこの5年間は生き物のようにPAIの町は変化急展開している。5年前には町には信号もなく飛行機などまったく無縁だったのに、今では信号が2箇所に立ち、12人乗りセスナ機が一日に4回も古都チェンマイから飛んでくる。そして、我がムーンビレッジも今年7月で5周年を迎え、ボクのイメージが100%形と成った。ムーンビレッジをキャンバスとすると、そこにボクの絵が完成されたわけだ。そして、ふと気が付いて周りを見渡してみると、5年前には郊外にあって静かだったムーンビレッジが、今では近辺の美しかったボクの大好きな田園風景も次々と売られてリゾートのような建物が立ち並び、車も外人もタイ人旅行者も急増し、ムーンビレッジの(縄文風景)を見学にやってくる観光者も増えてきている。
 PAIの町は(バランス)力が強い(健康)的な町で、そういうイノチや風景を破壊してゆく変化展開力に負けない(魅力)をもっている。タイ全国から、そして世界中から(桃源郷PAI)の引力に引き寄せられるようにアーティスト、ミュージシャン、旅人たちが集まってきていて町に住み着こうとしている。彼らはPAIの町に鼓舞され、PAIの町を鼓舞してゆくので、この(イノチの循環)がPAIの町が(病気)にならないでいられる(バランス)力になっているのだ。
 そして、気が付いてみるとムーンビレッジもそのイノチの(バランス)力のひとつになっていて、気が付いてみると、もっともっとバランスをとるようにムーンビレッジの周りには(縄文風景)が膨らんできている。隣接する「PAI NA HOME」はタイ人の魅惑の女二人(けろちゃん&ぱんちゃん)が手作りの土壁のゲストハウスを始め、道路向こうにはオリジナル民族衣装作家のゆうという日本人女が「夢蝶(ゆめむし)」、という縄文系ゲストハウスを立ち上げたりして、ウーマンパワーが目覚しいこの頃だ。
 そんな中、東京幡ヶ谷に本店がある老舗の和菓子屋「富留屋古賀音庵(ふるやこがねあん)」の男社長もとさんが最近PAIに登場し、ムーンビレッジの3倍も広い土地を買って有機綿栽培を始めた。町からバイクで20分くらい走った山の中の土地で、道も舗装されてなく電気もきてないけど、ムーンビレッジに流れる小川より何倍も広い小川が流れていて、その小川の源に向かう細い道も敷地内に走っていて、その道沿いに水路も流れているのだ。この男社長、世界中をとびまわって活躍していて「もとインターナショナル」という会社も立ち上げ、このPAIでの有機綿栽培もその一環としてやっているけど、彼の本音は、その山奥の土地に“仙人村”のような桃源郷の“奥の院”を作りたいのだ。
 前回は11月10日新月に起きたボクの両親の突如の(痴呆展開)について描いて、これから日本に帰って(12月14日のフライト―この日は実に3年目前ボクとはるかが初めてあ!!! っとひとつになったシアワセな日)私設養護老人ホームのような生活をするコト、そして『おもしろ介護日誌』のような作品を描こうとしているコトを話した。そして、今回のハプニングは12月2日半月の日(この日は3年前、愛妻はるかが初めてムーンビレッジに現れ、初めて会話したキネンすべき日!!!)突如とムーンビレッジ売却の話が決まってしまったコト。5年前は100万バーツ(約300万円)だったのが今は5倍の500万バーツになって、それでも買う人がいるのだから驚き拍手を送るしかないな。
写真
同じ住人のスペイン人アーティスト、エヴァ(女)の代表
作(アクセサリー)

ホームページ http://www.evachacon.com
PHOTO BY 林 あすか(ムーンビレッジ在留の女浪写
真家)
 そして、もっともっと驚き拍手を送りたいのはその一週間前の11月24日満月の稲刈りの日に、その男社長もとさんが突如とタイミングよくムーンビレッジにやってきて「オレの土地に移り住んで一緒に自給自足の桃源郷を作らないか? そしてPAIの山奥から世界に向けて発信しよう!!!」と夢中でボクらを口説きに来たのだ。
 あと少しで日本だ。日本では毎日「介護日誌」を付けながら『桃源郷PAI物語』のような新たなる作品も描きたくなってきた。5年がかりで完成されたボクの作品『ムーンビレッジ』の詳細写真(BY 女流放浪者写真家 林あすか―今回の2枚の写真も彼女作)と共に(おもしろくって、おかしくって、ハッピーになれる)ドラマティックな数々の物語を描いて、記録を残しておきたくなったのだ。そして、日本で両親を世話した後は、PAIで次なるなる展開に踏み出そうと想うこの頃。新たなる山奥の広い土地で、井戸を掘りカマドを作り、いよいよ(自給自足)の生活だな。買い物好きで冷蔵庫大好きのボクなんか自給自足の生活なんかしたくないのに、いつも仕組まれたようにこうなってしまうボクの運命。アリガト(命)を(運)ぶ(力)さま。

 またもや(運命)に翻弄されるままのアホとろんより。

とろん…1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第26回

和多田進→鈴木邦男

あえて私見を述べさせてもらいます

鈴木邦男さま

前略
「主語」をめぐる問題の結着は必ずしもついたわけではない、と私は考えています。しかし、まあそれはそれとして話題を変えることにいたしましょう。憲法の話ですね。
鈴木さんが前便で書かれた品川正治氏の「終戦」という考えかたには、一理あるような気もします。しかし、「終戦」という言葉に、「戦争はもう終わりにするんだ」という「強い決意」を含意させることにはやや無理があるんじゃないでしょうか。品川氏なりだれなりが「終戦」にそういう意味を持たせたいと願い、そのような意味を込めて遣うことは可能ですし、意義もあるでしょう。でも、それは「終戦」という語の一般的でない独特な使用法といわなければならないのではありませんか。おそらく、品川氏の含意を「終戦」という語からだれひとり受け取ることはできないでしょう。なにしろ、「終戦」という語にはいまのところ「戦争が終わること」「いくさがすんだこと」以上の意味はないのですから。「終戦」という語に「不戦」の思いを込めて遣う人たちが多数を占め、それが一般に認知されるような世の中になれば、辞書の説明も変わるでしょう。でも、今日ただいまの状況はそうではありません。そして、「終戦」の意味をそのように変えるには、気が遠くなるほどの“運動”と時間が必要じゃないかと思うのです。そのうえ、その“運動”は必ず成功するとはかぎらない。
 だからといって、「終戦」という語に「不戦の誓い」を込めることに私は反対するのではありません。そういう“運動”もあったほうがいい。でも私はやっぱり、いまのところ「敗戦」という語を遣いたいと思います。理由は、日本はあの戦争に負けたのであって、単純に戦争が終わったのではないからです。「もう戦争は終わりにする」との「強い意志」など、戦争指導部にはもちろん、国民の多数にもあったとは考えられませんし。
その証拠ですか? 証拠はあの戦争の開戦と戦争遂行の最高責任者に対する責任追及をほとんどだれもしなかった、ということに尽きます。ついでに言えば、その後今日まで、日本という国が世界の国々から尊敬はおろか信用されてもいない原因はそこにあるのじゃないかと私は考えます。鈴木さんはどう考えますか?
 それから鈴木さんの前便にある「9条があったから日本が平和だった」は「教条的な左翼の」考えだというのにも私は疑問を持ちました。もし憲法第9条がなければ、日本はとうのむかしに戦争に巻き込まれていただろうと私は想像します。ベトナム戦争は言うまでもなく、湾岸戦争やイラク戦争にも日本はもっと本格的に参戦していたでしょう。そして、日本人の暮らしはいまのように「豊か」にはなっていなかったと思います。他国が戦争に参加している間、日本は9条をタテに参戦せず(参戦できず)、鍋釜を作って商売に励み、金儲けに精出してこれたのです。これは教条主義的な考えでもなんでもなく、事実だったんじゃないでしょうか。私たちの今日の「幸運」は、その結果に違いありません。9条が私たちにもたらしてくれた恩寵だったと私は考えます。

写真
道27・ヴァチカン(写真・WATADA)

 さらにもうひとつ、「9条の改憲議論の前に三つの『しばり』を書く」その「しばり」は「徴兵制、海外派兵はしない、核は持たない」ということの三つだと鈴木さんは言われます。しかし、この三つの「しばり」をかけることが可能なら、憲法9条を変える必要はなくなるのではありませんか? 9条を変えたい人たちは、まさにこれら「三つのしばり」から自由になりたいのですから。兵器、武力というものは定向進化の性質を含有しています。これは麻薬と同じで、歯止めがかからないんです。武力をもったそのときから、それはより強力なものへと“進化”せざるを得ない魅惑的性質を内在させていることは常識と言ってもよいのではありませんか?
 ですから、私は仮に9条が改められるなら、鈴木さんとは逆に、断固徴兵制を明記すべし、断固海外派兵も明記すべし、核所有も断固明記すべし、と主張したいのです。改憲議論の中で改憲論者たちにこの三つのことを明言させなければなりません。そうしてこそはじめて「改憲」の議論になるのではないでしょうか。これらの本質を隠したまま、隠させたまま、あるいはあいまいにしたままの議論は、議論の名に値しないと思います。従って、もし憲法、わけても憲法9条が改められるのだとしたら、鈴木さんの言われる「三つのしばり」などない、徴兵制、海外派兵、核所有が明記、明示された新憲法が誕生することになるはずです。そのように改憲議論を追い込んでいって国民の投票行動が実行されるのでなければ意味はない、と私は考えます。憲法9条を変えるということは、要するに徴兵制を実行すること、海外に出兵すること、核を持つことに賛成することだということをハッキリさせることなのです。この点についても鈴木さんのご意見を伺いたいと存じます。
 「言論の質」も「言論の場」も、そのような議論が徹底的に行われるためにこそ必要だと私は思います。北朝鮮=悪、イラク=悪、イラン=悪、アメリカ=善、イスラエル=善というようなイメージだけで問題を立てることなどできないことは言うまでもありません。そのためには、広く流布しているそういうイメージを払拭し、だれにも、どこにも擦り寄らない知識人が誕生するための「場」が、どうしても必要なんじゃないかということであります。

不一

2007年(核時代62年)12月8日
和多田進拝

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■インフォメーション

ポータルサイト北海道人更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第32回】
 北海道出身、または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについて語っていただくコーナーです。
今回の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「不満が、いつしか尊敬に」
「影響力は思っていたより強いかも」
「おやじは唯一尊敬できる人」
「父のようになりたいと思いました」

「私のお父さん」は下記アドレスにアクセスしてお読みください。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=032

北海道物産店より
米夢館 <北海道米 味くらべセット>
 ななつぼし、ほしのゆめ、おぼろづき、ゆきひかり、食味豊かな4種の北海道米 味べくらべセットができました。黒米(きたのむらさき)入りもあります。

http://bussanten.hokkaido-jin.jp/category/detail.aspx?m=detail&c=7&b=214

北海おがわ <さくらます開き・にしん開き・身欠きにしん>
 おいしい北海道米にはおいしい魚の一夜干しをどうぞ。大型で脂のりが良いも
のを厳選したニシンの開き、やわらかな食感の身欠きにしん、脂のりも旨みも
たっぷり、幻の食材さくらますも新登場!

http://bussanten.hokkaido-jin.jp/category/detail.aspx?m=detail&c=7&b=214

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プレゼントをご希望の方は、必要事項をご記入の上、専用アドレスからお申し込みください。
●必要事項 1.名前 2.住所 3.電話番号 4.メルマガへのご意見ご感想など
●締め切り 2007年12月24日(月)
個人情報はプレゼントの発送だけに使用いたします。発送後は消去いたします。
プレゼント専用アドレス present@mn.hokkaido-jin.jp




■次号予告
 次号は2007年の最終号です。忘年会と年賀状と忘れていたお歳暮の手配とおせち作りでメルマガを読む暇などない、などと言わずにお付き合いくださいませ。 
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第51号の配信は、12月27日(木)です。

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