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『メルマガ北海道人』第48号 2007.12.06. ―「北海道人」、ゲレンデにぽつぽつ―
 白くなった山の斜面に点在する黒いぽつぽつ。右へ左へとくねくねしながら黒いぽつぽつが下りてくる姿を目撃するようになりました。たまにまっすぐに降りてくる黒ぽつもあります。直滑降の黒ぽつ!
 根雪にはまだ微妙な積雪の街中ですが、近郊の山々では数十センチの雪がしっかりと斜面にはりついて、黒いぽつぽつを遊ばせてくれています。遠くからも確認できる黒いぽつぽつをうらやましく思いつつ、『メルマガ北海道人』第48号は、くねくねせず、直滑降で配信!

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 久々に日本に帰省し、「逆カルチャーショック」を感じているという上林さんの「上海日記」第21回は、チャンインが小学5年生のころの話です。幼いころのチャンインの英雄は、革命と人民のために身を捧げたパーベルという人物と、近くに住む粗暴で大酒飲みの初老男性・老梁でした……。えっ、あ、えっ?

連載【とろんのPAI通信】

 「くるくるPAIバンド」が巨大なステージの上で演奏をしていた11月10日新月の日に、日本で暮らすとろんさんの両親に異変が起きていました。年末に帰省する初孫の太一くんに会うことを楽しみに、その日を指折り数えていた矢先のことでした。新たな展開の予感?! 諸行無常な第14回。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 「まっすぐに、正面からお訊ねします」と書き、鈴木さんに詰め寄った和多田進の前便。今回は「敗戦」と「終戦」の主語の所在について鈴木さんが語ります。この鈴木さんからの書簡が届く前に、二人は芝居をいっしょに観に行ったそうです。その時、何を、お話になったんですか? そっちも気になります。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第二十一回

パーベルと老梁

 8ヵ月ぶりに日本の地を踏んだ。帰省するたび数々の「逆カルチャーショック」を感じるのだが、とりわけ衝撃的なのがテレビのバラエティ番組だ。なにしろ笑うべきタイミングで笑えず、泣くべきシーンで涙腺が緩まない。どうも感覚がズレているのだ。さらには意地になって最後まで見るものだから、中国のニセ銘酒で悪酔いしたようなひどい気分になってしまう。私が変わったのだろうか。それとも日本のテレビが変わったのだろうか。どちらにしろ困ったものである。
 さて、バラエティ番組どころかテレビのない生活を送っていたチャンイン小学5年生の頃の話である。
 当時、中国には英雄主義教育というものがあった。雷鋒をはじめ王傑、欧陽海など、革命と人民のために身を捧げた同志の精神を学ぶのである。チャンインがよく覚えているのは中国ではおなじみの旧ソ連作家・オストロフスキーの自伝的小説『鋼鉄はいかに鍛えられたか』だ。革命まっただなかのロシアが舞台で主人公は元兵士のパーベル・コルチャーギン。両目を失明し、数々の苦難に見舞われながらも共産主義社会建設のために闘うというヒロイズムと献身のストーリーである。チャンインたちの教科書には彼の独白が載っていたという。
「人最宝貴的是生命(人間にあって最も貴重なもの――それは生命である)」
 セリフは続く。
「それは人間に一度だけあたえられる。あてもなくすぎた年月だったと胸をいためることのないように、いやしい、そしてくだらない過去だったという恥に身をやくことのないように、この生命を生きぬかなければならない。死にのぞんで、全生涯が、そしてすべての力が世界でもっとも美しいこと――すなわち人類の解放のためのたたかいにささげられたと言いうるように生きなければならない」(邦訳は岩波文庫『鋼鉄はいかに鍛えられたか・下』)
 「人類の解放のためのたたかい」とは階級闘争のことである。テストのためにこの全文を暗誦したチャンインは素直に思った。
「パーベルって偉い人だなあ」

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葬儀が終わって、燃やされる花輪 (夢花街)

 もう一人、チャンインの英雄観に影響を与えた人がいる。近くに住む蘇北出身の初老男性・老梁(ラオリアン=梁さん)だ。定年前は工場の民兵をしたこともあるとあって武術の腕が立つが、少々けんかっ早くて大酒飲みだった。
 老梁の趣味はスリの検挙である。生きがい、と言っていいかもしれない。「一日5人以上」とノルマを決めていた老梁は暇さえあれば満員バスに乗りこみ、目を光らせた。スリは目つきを見ればすぐにわかる。一方、「カモ」となる人は多くが医者にかかろうと郊外からやってくる農民たちで、現金をポケットの上から大事そうに押さえているため、これも一目瞭然だった。老梁は辛抱づよくチャンスを待ち、スリが手を下した瞬間にその手首をつかんで下車。派出所に引き渡した。
 老梁は大の負けず嫌いである。どこやらにスゴ腕のスリが出没するらしい、と噂を聞きつけた日には、腕比べをしたくていてもたってもいられなくなる。ある時など、実際に人を介して敏腕スリに日にちと出没エリアを指定し、「スリvsスリ検挙愛好者」という前代未聞の一騎打ちをしたこともあった。「返り討ちに遭うと危ないから」と家族がどれだけ反対しても無駄だった。
 老梁は社会からの見返りを求めたことは一切ない。それどころか、住民委員会と公安局が感謝状の授与を申し出た時、断固としてそれを拒否した。自分は社会や人民のためにしているのではない。ただスリとの真剣勝負をしたいだけだ。感謝されるいわれはどこにもない――老梁はそう言って今までどおり大酒を浴び、自分の「趣味」を楽しんだという。
 今となっては英雄パーベルのように人類解放のため身を捧げよう、などとはとうてい思えない、とチャンインは言う。当時、人々が命を捧げた思想が今、どうなっているか。皆のあこがれた社会主義の理想郷はどこにあるのか。それを考えれば、いずれ後世で覆されるだろうもののために犠牲になるのはナンセンス、まったくバカげたことに思えるからだ。一方の隣人・老梁は粗暴で欠点が多く、正義感あふれる英雄のイメージからはほど遠い。けれど、社会に貢献しながらも「すべては自分のため」を繰り返し、周りを困らせたおじいさんの姿にチャンインは思った。
「この人が本当の英雄だ」
 今なおチャンインにとって英雄といえば、大酒飲みの老梁じいさんなのである。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□新連載
【とろんのPAI通信】 第14回

私設養護老人ホーム「とろんとろん」???

写真
 稲刈り直前風景
  生きてゆくことはホントに怖いくらいドラマティックでオモシロイ。一寸先は闇! あるいは、一寸先は光!! 善悪美醜上下左右などはまるで超えてイノチは刻々とひとりでに展開してゆく。
 11月10日新月の夜7時、巨大なステージにボクらの「くるくるPAIバンド」が立ち並んだ。ムーンビレッジの住人から男女9人と赤ちゃん二人。ボク&愛妻はるかの太一くん(一歳3ヶ月)と土の家に住むあすか&ひでさんの麻陽くん(9ヶ月)。二人とも乳母車にのって登場し、最後の『こきりこ節』をみんなで歌うシーンでは二人とも母親にだかれていた。“三つ子の魂百まで”といわれているくらいだから、きっと、この初ステージ経験が彼ら二人の運命の流れに決定的な(なにか)の作用を及ぼすのだろう。
 ちょうどその日、遠く離れた岡山でイノチの異変が起きていた。岡山県総社市に住むボクの両親、太一のおじいさんとおばあさんの二人が同時に突如と(痴呆症)になり、緊急入院したのだ。父は81歳、母は76歳。長男のボクは3回目の結婚で初のこどもが産まれたので、彼らにとっては太一は初孫で、気が狂わんばかりに喜んでいて「子孫を遺さんやつは何のためにこの世に生まれて来たんじゃ!!」とまで豪語断言していた父などは、年末年始に帰省するボクらを文字どおり、指折り数えて待ち続けていたのだろう。そして、(待つ)ことの(楽しみ)の限界点を超えて(苦しみ)に達し、イノチがひとりでに(苦しみ)から(楽)になろうと(痴呆展開)したのかもしれない。
 東京で個人タクシーをやっている7歳年下のボクの弟(ボクは二人兄弟)が今、仕事を休んで岡山に帰っていろいろ動いてくれている。彼は「結婚しない! 独りが好き!!」だと両親に宣言して親を困らせているけど、年に最低3回も親の様子を見に帰省している“親孝行”な息子だ。ボクなどは「命に別状はないから」と、前から決めていた12月14日のフライト帰国プランを変更することもなく、今、11月24日満月の稲刈りに向けて日々忙しくしている“親不孝”な息子なのだ。それどころか、11月30日が愛妻はるかとの出会い3周年記念日なので、太一と3人でバイクで5泊6日の山岳ツーリングにいこうとしている。
 こんなボクと違って、神経が細くって人に優しく親思いの弟は岡山入りして10日目の今、肉体的にも精神的にも限界に達していていまにも倒れそうな状態に追い込まれている。今まで弟とは年に数回しかメールのやり取りをしてなかったけど、この11月10日新月の(痴呆展開)からは一日数回のメールのやり取りが始まった。
写真
ムービレッジの六角堂群。稲刈り後、ここで、
みんなでご飯をたべたり遊んだり
 11月24日満月の稲刈りには町中のいろんな人たちが集まってくる。今回は特に、自宅出産した子連れの家族や、これから出産する妊娠中のカップルが目立つので、稲刈り後の文字どおりの“井戸”端会議(ムーンビレッジには5つの井戸がある)では“病院で産むか家で産むか”がテーマになりそうだ。というより、自宅出産しよう!!! と(本気)で決心し、自分の心にスイッチを(on)するための一日になりそうだ。そしてボク自身にとっては、この満月の稲刈り作業で、7月7日から始まった(いのちのまつり)が完結する。7月7日七夕の日に苗床に種を蒔いて、8月9日長崎の日に田植えをしたその収穫なのだから。そしてボク自身はこの稲刈り作業のなかで、最初で最後の親孝行として(痴呆化した両親と一緒に生活してみる)という途方もないボクの突然の(野望)にスイッチを(on)できたらと想っている。
 私設養護老人ホーム「とろんとろん」への野望。ムーンビレッジをどうするのか? PAIでの生活はどうなるのか?? 愛妻はるかや太一の行く末は??? いつでもどこでもアホのように光に向かってゆけるボクは岡山に帰ったらスグ『とろんのオモシロ介護日誌』のような作品を描きはじめようと想っているけど、できたら日本が原発事故で汚染状態になる前にはPAIに戻ってきたいな。タイには原発はないしPAIは太一の生まれ故郷でイノチを育む(桃源郷)だからなあ。
     運命に翻弄されるままのアホとろんより。

 PS.稲刈りには40人の人たちが来てくれ、あ!!! っと終わってしまった。タイと日本を何回も往復している75歳になる大阪の医師・松原良治さんのBIGな喜捨があって、稲刈りあとの昼ごはんは、カツカレー、ビールなどの豪華版。ありがとみなさん!!

とろん…1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第26回

鈴木邦男→和多田進

主語の所在――「敗戦」と「終戦」

 申し訳ありません。確かに言われる通りです。僕自身の甘さ、杜撰(ずさん)さがあったと思います。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という広島の「原爆慰霊碑」には僕も激怒し、抗議してきました。あんなのは爆破すべきだと仲間たちと計画したこともありました。
 原爆を投下したのはアメリカです。謝罪するのはアメリカです。それなのに主語がないこの文は、被爆者の日本が謝罪しているようにも思えます。奇妙だし、自虐的です。それで抗議してきました。この問題では、いろんな人々と論争してきました。「いや、あの文章でいいんだ」という人もいました。「侵略戦争を起こしたのは日本だ。その結果については日本が全て責任をとるべきだ」と言う人もいました。
 しかし、これはいくら何でもひどい論法で、今はさすがにいません。ただ、気になったのは、こんな立場の人でした。「アメリカや日本といった個々の国の立場を離れ、<人類>の愚かさ、罪として謝罪したのだ」とその人は言うのです。まるで神の立場に立ったような言い分です。「そうだ。ミッション・スクールを出たお前なら分かるだろう。これは名文だ。千年の後にも残る」と言います。馬鹿な、と思い、反論しました。
 テレビや雑誌で論争したわけではありません。昔は大学のキャンパスや街頭やいろんな集会で僕も論争し、喧嘩してきました。そんな時の話です。もう一つ、「敗戦」と「終戦」のことも論争しました。終戦では主語がない。戦争が終わった。でも、どっちが勝ったのか分からない。「負けた」のを認めたくないから、曖昧な言葉を急遽つくったのでしょう。そのため、ブラジルに移民した日本人の間では、「勝ち組」と「負け組」が争い、殺し合いまで起きました。

写真
道26・佐賀市(写真・WATADA)

 僕は、きちんと「敗戦」と認め、「終戦」などという言葉は使うべきでないと思い、そう主張してきました。ドイツは何度も負けているから、したたかだ。日本はたった一度の敗戦じゃないか。こんなことで自信喪失してはならない。負けたのなら、次に勝てばいい。それだけの話だ、と極言していました。
 学生時代に全共闘と論争し、今もそう思っています。ところが最近、その確信が揺らいでいます。品川正治さんと「東京新聞」(8月15日付)で対談してからです。品川さんは経済同友会終身幹事で、1924年生まれです。今年、83歳です。軍隊経験もあり、その上で、「終戦」の方がいいと言うのです。敗戦と言うと、又、戦争があるかもしれない。だから軍隊を持つ。という発想になる。しかし、終戦は、もう戦争は終わりにするんだ、という「強い決意」だと言うのです。勿論、日本人の決意です。
 「だから憲法9条も大切だ。守るべきだ」と言います。ただ、教条的な左翼のように、「9条があったから日本が平和だった」「世界中の人々が9条を支持している」などとは言いません。これからの問題だと言います。世界の人々は9条のことを知らないだろう。でも、これから知らせてゆく。そして日本が発信し、戦争のない世界をつくるのだ、と言います。
 これには驚きました。「終戦なんて曖昧な言葉をつくったのが間違いだ」と思ってきた僕の確信が崩れました。今すぐに軍隊をなくすのは不可能かもしれない。しかし、そこで思考停止していてはダメだ。どうしたら世界中の「終戦」が出来るのか。戦争をなくせるのか。それは考えるべきでしょう。現実に根差しながらも、理想や夢を忘れてはならない。そう思いました。20歳近く上の品川さんから、理想や夢を持てと叱られたようでした。
 今、9条を改正しようという動きが盛んです。今の状況では軍隊も必要でしょうが、いつかは軍隊のない世界をつくるという夢や構想力も憲法に明記すべきだと思います。その為には9条の改憲論議の前に三つの「しばり」を書く。徴兵制、海外派兵はしない。核は持たない。これは憲法に明記してもいい。もし核を持つとしたら、原爆を落とされた日本だけが世界で唯一、核を持つ権利と資格がある。その日本が核を永久に持たないと宣言する。だからアメリカにも他の国にも核を捨てろと言える。そう思います。
 最後になりましたが、11月28日は久しぶりにお会いでき、嬉しかったです。井上ひさしさんの芝居『円生と志ん生』を見せて頂き、さらに御馳走になり、本当にありがとうございました。あの時話をした「言論の場」と「言論の質」についても、じっくり考えてゆきたいと思います。

2007年11月30日


すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。




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■インフォメーション

ポータルサイト北海道人更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第31回】
 北海道出身、または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについて語っていただくコーナーです。
 4人の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「意見は合わないけど仲良し」
「信頼し合いながらそっぽを向いていた二人?」
「なぜか、父に似た人を……」
「たった一つ残念なのは、技術の粋を未体験」

「私のお父さん」は下記アドレスにアクセスしてお読みください。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=031




■次号予告
 次号が配信される12月13日は、テレビドラマ『踊る大捜査線』の主人公・青島巡査部長の誕生日だそうです。1967年生まれということは、40歳になるんですね。誕生日とクリスマスが近いといっしょにお祝いされたりしませんか? お正月とかお盆とか。お盆に生まれた人は、ケーキのろうそくもやっぱりアレでしょうか、ね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第49号の配信は、12月13日(木)です。

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