音、その一歩さきにある世界
私はサックス奏者として自分の奏でる音や街の遠くを走り抜ける救急車のサイレンの音、街の雑踏などをじっと聞き入るクセがあります。そこに音楽理論を当てはめようとか、音程などを探そうとしているのではなく、音の向こう側にはいったい何が存在しているのか? ということを感じようとしているのです。
サイレンの音を聴くことで、まるで映画のワンシーンのような情景をイメージしたり、街の雑踏を聴くことで、自分があたかも鳥になって空から賑わう街を眺めたりしているのです。うまく言えませんが、空気の振動が体に響くとき、時空を超えた過去のような未来のような宇宙のような……まだ見たことのない空間を感じる自分がそこに必ずいるのです。
20年程前の出来事です。渋谷のライブハウス「ライブ・イン」に出演しているときのことでした。ドラム、ベース、キーボード、ギターをバックに私がサックスを奏でるステージ。演奏も終盤になり、細かで複雑なリズムやアクセントを全員が一糸乱れず反復する「ユニゾン」をしはじめたときのことでした。いきなり目の前が歪みはじめてきたのです。「今」存在しているこの世界がうねうねと歪みはじめたのです。目が回るような感じではありませんでした。まさに目の前の世界が歪んだのです。
「いったい何が起きたんだ?」と必死に演奏を続けながら自問自答しました。それと同時に今度はバンドの演奏する音もうねりはじめました。まるでステージ上だけが違う次元に吸い込まれていったような不可思議な体験をいまでもしっかりと覚えています。楽屋にもどると私はすぐに、さきほど体験した不可思議な出来事をメンバーに問いただしてみました。すると驚くべきことに、メンバー全員が同じ体験をしていたのです。
一体なんだったのでしょうか……。あれ一度きりの出来事ですが、いまもって謎は解明されていません。この体験以後、「なぜサックスを演奏するのですか?」という質問を受けたときにはきまって、「もう一度あのような素敵な体験をしてみたい!」と答えた時期もありました。
さて、私は常々心の豊かさとは「自分自身の心のデザインを死ぬまで一生懸命描き続けることである」と考えています。別な言葉で表すなら「真剣勝負で遊び続ける」がピッタリ当てはまるかもしれません。好きなことを毎日続ける……羨ましい話と思われるかもしれませんが、これが一生懸命となると意外にできそうでできないものです。
私にとってこの心のデザインになくてはならないものがサックスであると断言できます。このサックスを通して文化を伝えてくださった恩師ジョー・アラッドとの出会いが、私の揺るぎない考えの根底を形成しています。彼と私という人間はサックスを通して点と点が結ばれて線になったのです。それはまさに民族や言語そして宗教の壁を超えた温かく愛情溢れるエネルギーの融合でありました。これらはおそらく記憶重視と識字率を高めるようなトップダウン化された教育では決して産み出せるものではないと思います。心のデザインを描き続ける、これはまさしく文化の醍醐味ではないでしょうか。文化はまるでオブラートに包まれるがごとくそれを共有する仲間に覆いかぶさってきます。これがファミリーなのです。
少なからず音楽教育にたずさわる私にとって、現代社会に生きる人たちにこの体験を伝えることが最も大切なことであり、しいてはこの行為が1つの文化伝承なのだ……と気づかされたいま、改めて恩師に感謝の気持ちでいっぱいです。
音楽はエネルギーの表現であり魂の解放です。
ときに、音の一歩さきに存在する精神世界をかいま見る楽しみに出会えるかもしれません。
たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。
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