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『メルマガ北海道人』第40号 2007.10.11. ―「北海道人」、ストーブの匂い―
 秋の夜、肩をすくめながら小路を歩いていると、どこからか懐かしい匂いが漂ってきます。ストーブの匂いです。秋が深まりつつあることを知らせる匂い、雪が近づいているしるしの匂いです。けっしてかぐわしいとは言えないこの匂いですが、好きだという人が結構います。特に珍重されているのが“初ストーブの匂い”。それは季節の区切です。それは秋と冬の間にある微妙な季節の区切りそのものです。
 みなさんは今秋、初ストーブの匂いを嗅ぎましたか?  ストーブに点火しましたか?
 『メルマガ北海道人』第40号、季節もメルマガも微妙な区切りで配信!

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 経済格差による問題が浮上している昨今の中国。今回は皆が貧しかった、という意味で格差の少なかった40年前の話です。そのころ、反革命分子を糾弾する「批判闘争大会」が日常的に行われていたと言います。ある日、チャンインは住民委員会の人から父さんにと「ほうき」を渡されました。なぜ、ほうき?

連載【とろんのPAI通信】

 前回はもうひとつの桃源郷中国雲南省に旅行中のとろんさんが、PAIを想起させるものとして、二人の女性を紹介しました。今回はというと、またまた女性の登場です。MON(モン)さんです。ムーンビレッジの誕生秘話、MONさんととろんさんのカンケイなど、なんだか秘密めいたPAI通信第10回です。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 前回、編集長・和多田進は鈴木さんに「一緒に逃避行しませんか」とラブコールを送りました。それに対して、鈴木さんはどう応えるのでしょう。今回は権力を持つ強い人間について鈴木さんが分析します。政治家、警察官、裁判官、教師、ヤクザ、右翼、左翼、などなど。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第十七回

批判闘争大会

 近年、裏通りで嘆願文を掲げる少年少女をよく見かける。その多くが「家族の治療費が払えない」「進学できない」などの理由で通行人に金銭援助を求めているのだが、その真偽を見極めるのはなかなか難しい。というのも上海は「ホームレス産業」の一大拠点で、この街の消費能力に目をつけた農村部の人々が家族ぐるみや村単位、犯罪組織がらみでひと稼ぎしにくるからだ。
 聞くところによると「物乞い業」の月あたりの稼ぎは少なくとも3000元(約4万5000円)以上。2006年の農村部住民の全国年平均純収入は3587元だから、彼らにとってはものすごい額である。未成年を使って同情を買うのが常套手段で、なかには誘拐されたり売られてきたりした子も少なくないとか。北京オリンピックや上海万博の直前になればどこかに収容されたり、送還されたりするのだろうが、それも一時的な措置に過ぎないだろう。
 中国の経済格差はもう限界まで来ているのではないか。建国58周年を祝う盛大な国慶節セレモニーに、ついそんなことを思う。
 皆が貧しかった、という意味では格差の少なかった時代――文革時代に話を戻したい。
 今から40年前、中国の全国各地で「批闘会(批判闘争大会)」が日常的に開かれていた。「反革命分子」らを糾弾するためのいわゆる「つるしあげ集会」である。この集会でいわれのない罪で責め立てられ、精神的・肉体的迫害を受けて死亡したり自殺したりした一般人は相当数に上る。
 幼児だったチャンインもその批判闘争大会の光景をおぼろげに覚えている。広場に乗りつける何台ものトラック。荷台にすし詰めになった工場労働者たち。陰陽頭に髪を刈られてうなだれる「地主」。拡声器からは女性の甲高い声が響く。
 「打倒(ダーダオ)、打倒、打倒!」
 「無産階級文化大革命に勝利を! 命をかけて毛主席を守れ!」
 しかし、そんな凄まじい糾弾会も子どもの目には「にぎやかなお祭り」にしか映らなかった。

写真
嘆願文を書く青年。
「何日歩き続けても仕事が見つからず空腹です。
食べ物を買うお金をいただけませんか。パソコン操作できます」(秀山路)

 一家に激震が走ったのは、チャンインが小学校に上がる前のことである。ある日、住民委員会の人が家を訪ねてきた。
 「これをお父さんに渡しといてくれないか」
 チャンインが渡されたのは、ほうきである。その直前、父が批判闘争大会でつるし上げられて停職が決定。毎日の仕事として地区の清掃を命じられたのだった。
 中学校の一教員であるチョンカンさんがいったいどんな罪を着せられたのか。
 まずその経歴である。1940年代、故郷から出てきたばかりのチョンカンさんは困窮から大学を中退し、日本傀儡政府に就職。抗日戦争が終わると国民政府に再就職した。さらにかつては国民党の三民主義青年団にも入っていたといい、共産党政権の今となっては「敵陣地」での活動ばかりだった。
 さらにまずかったのが所属グループだ。文革初期、上海には権力者を引きずりおろそうとする造反派の「工総司(上海市工人革命造反総司令部)」と、それに対抗する保守派の「赤衛隊(毛沢東思想を防衛する赤衛隊)」という二つの労働者組織があった。赤衛隊は上海市党委員会のバックアップにより発足したグループで、そこには政府職員や党員の多くが参加。教員であるチョンカンさんが入ったのもその赤衛隊だった。
 ところが、両者のいがみ合いが激しい武力衝突に発展すると、上海市党委員会が一転して赤衛隊の不支持を発表。それにより造反派が勝利を収めた。「負け組」に属するチョンカンさんは立場が悪かった。激動の時代のなかでよかれと思ってした選択が次の政権下でことごとくアダとなった形である。
 批判闘争大会でどのような仕打ちにあったのか、父は一度も語ることがなかったとチャンインは話す。ただ、幼い息子からほうきを受け取った時、こう言って息を荒くしたそうだ。
 「何もこの子に渡すことないだろうに。幼子に何の関係があるっていうんだ」
 一ヵ月ほどしてチョンカンさんは職場への復帰が許された。しかし、この一件で下の姉は名誉ある紅衛兵の資格はく奪が決定。一家はその後も政治的に不安な日々を送らなければいけなかった。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□新連載
【とろんのPAI通信】 第10回

PAIの古き女ともだちMON

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MONと彼女の(はまり処)
 第9回では、中国雲南省の旅には関係ない2枚のタイの女の人の写真を載せたけど、PAIを離れてPAIを想い起こすことの一つとして選んでみた。今回も、PAIを想起させゆくタイの女の人の写真を一枚載せてみた。彼女はMON(モン)といって、その父母は大都会バンコクに住む華僑の大金持ち。10代から20代にかけての7年間ロンドンに留学し、今もアートに夢中でイギリス英語が流暢なエリート娘だ。7年間の留学の後、20代の半ばに母国タイに戻ってきて、自分の“はまり処”を求めてタイ中を旅し、挙句の果てにPAIに流れ着き、6年前に川沿いのゲストハウスに住んでいたボクと遭遇した。
 昨日9月27日は満月。MONは3年前ボクらのムーンビレッジより3倍広い土地を買って、それからは自分の“はまり処”を自ら創ろうと試行錯誤していたけど、最近その広い土地に六角堂を建てて住み始めたというので、十五夜直後の美しい満月浮上をMONと一緒に見たくなって、その“はまり処”を訪ねてみた。この満月の前にタイミングよく愛妻はるかの姉が日本から遊びに来ていて、満月の日の午後、はるかは太一とともに3人でメーホンソン(首長族で有名な観光スポットで、PAIから西に向けて山道をバスで4時間走ったところにあるメーホンソン県の中心の町。PAIはこの県にあるPAI郡の中心地)に3泊4日の旅にでかけたところだ。
 6年前にMONと出会った瞬間、ボクは恋に陥り、なんとか一緒にいたい一緒に住みたい恋人になりたいという衝動が膨らみ続け、それを実現させるための夢(あるいは良性妄想?)がボクの内から力強く湧き出たのだった。一緒にゲストハウスを創ろう! 資金は半分ずつ出し合って場所を二人で探そう!! 雰囲気作りもともに考えよう!!! MONもボクと同じ川沿いのゲストハウスに住むことになり、毎日顔をつき合わせながら、このボクの妄想(あるいは夢?)実現へ向かう日々が続いた。
 場所も決まりかけ、ボクらのゲストハウスのイメージも出来かけ、そして最後に二人のこの空間に名前をつけなきゃ、という段階になって二人の意見があわなくなり、ケンカが始まった。MONは「MANDARA VILLAGE」じゃないとイヤダ! といい、ボクはMONの名前にOを挟んだ「MOON VILLAGE」がいいといってゆずらなかった。MONはこの10月7日に32歳になる。このPAIでの6年間、彼女ほど激しく心揺らぎ落ち着かせなかった人はいなかった。あとは名前をつけるだけで実現しそうになった二人の空間、これで一緒にいられる一緒に住める恋人になれる!!! というボクの高まりも、ちょっとしたコトであ!!! っという間に帳消しとなってしまった。
 MONの隣のバンガローで盗難事件が発生し、タイ人であるというコトと隣のバンガローに住んでいるというコトが理由で、地元の警察は強引にMONの住むバンガローを調べだした。MONはこのやり方に激怒し、ボクになんとかしてくれと迫り、まるで一流のダンサーのようにその美しい四肢をくるくる回してはパ!! っと止まり、手足を振り上げて全身でボクたちに訴え、全力で警察に抗議する。私はもうPAIを出る! こんな町にはいられない!! ロンドンでは一度もこんなヒドイ目に合わなかった!!!
 あ!!! っという間に帳消しになってしまったボクたち二人の高まりと二人だけの空間。MONはその事件の翌日、PAIからあ!! っと姿を消し、この6年間、狂ったようにインドに行っては瞑想やヨーガにはまっていた。そしてPAIに何度もやってきては毎回大混乱して、そしてまたインドに行くというワンパターンを何回も繰り返していたのだ。
 かたやボクはMONが消え去った後の1年後に今の村作りをはじめるハメになって、その6年前のMONとの高まりを記念して村の名を「MOON VILLAGE」と名づけた。そして、この極めて個人的な歴史の想いから産まれたこの村の名前がいまや多くの人たちに知られてゆく日々。MONは「MOON VILLAGE」のイノチの恩人、なのだ。だから、10月7日の彼女の誕生日には心して祝福したいなと思うこのごろ。32歳になるこの愛しのMONを射止めるのは誰???
 次の回も女友達登場??? どうなることやら、お楽しみ。
    女だいすきとろんより。

PS 今回の原稿締め切り日10月5日は、編集長和多田さんの61歳の誕生日??? 和多田さん! 是非とも、ステキな女性とPAIに逃避行したりして、お互い長生きしましょうね。おめでと!!!

とろん…1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第22回

鈴木邦男→和多田進

強い人間は弱い

 ど、どうしたんですか、長老。ビックリしましたね。いつになく弱気ですね。落ち込んでいますね。でも安心しました。長老も人間だったんですね。弱気になるとか、落ち込むなんて、僕らのような愚者・弱者だけがなるのだと思っていました。何でも知っていて、達観している長老は決してそんなことはないと思っていました。だから驚きながらも安心しているんです。ビミョーです。長老の「人間宣言」だと読みました。

 「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」という言葉があります。それに倣(なら)って言えば、「人間は弱い。最も強い人間は最も弱い」と言えるのではないでしょうか。もっと正確に言えば、「強くあらねば」と思い、強さを求めている人間は弱いのです。子供の時から優秀で、エリートとして育てられ、そのまま大人になった人は、一見、「強い」ようです。負けたことがないんだから、強いでしょう。そして勇猛果敢に攻めます。攻めている時は本当に強いのです。しかし、何か失敗をしたり、逆に攻められて自分が防禦に回ったりすると、驚くほど弱いのです。あっけなく職を投げ出したり、あるいは自殺してしまいます。政治家の自殺は多いのです。
 「いや、俺は弱くて自殺したのではない」と新井将敬さんには叱られそうです。新井さんは自民党の政治家で、いわば期待の星でした。シンポジウムに呼ばれて一緒に話したこともあります。でも、証券問題で疑惑を持たれ、自殺しました。逮捕直前でした。「縄目の恥辱を受けるくらいなら……」と思い、自殺しました。新井さんは三島由紀夫が好きでした。又、野村秋介さん(右翼の先輩です)とも親友でした。だから、男はイザという場面では命を惜しんではならない、と思っていたのでしょう。
 でも、「縄目の恥辱」を受けても、生きるべきでした。格好悪くとも、自分のプライドが傷つけられても生きるべきでした。僕はそう思います。それでこそ政治家です。「逆境の時、どう生きるか」を国民に示すのも政治家の役目だと思います。

写真
道22・能登(写真・WATADA)

 変な話ですが、一番自殺者の多い職業は警察官だと聞きました。「法と正義」のために闘い、最も強い人達です。格闘技もやっているし、さらにピストルまで持っています。犯人を追い、逮捕する人だから強いのです。攻撃の人です。だから自分が攻撃され、守りに立つということは想定外です。スキャンダルや汚職などで名前があがると、あっけないほど自殺します。「負け方」を知らないからです。
 他にも裁判官、教師など、人々の上に立ち、強いと思われている人は、案外ともろいです。又、「人の上」には立っていませんが、「強さ」を売りにしているヤクザや右翼、そして左翼も、弱いんです。「俺はこんなに偉いんだ。何でも知ってる。俺こそが正義だ」と喋りまくっている評論家も弱いのです。言葉で武装しているのです。始終、言葉を吐き出し、その空しい言葉で自分を護っているのです。いつも自慢ばかりしている上司、活動家もそうです。喋ってないと不安なんです。

 ここで結論です。人間は、いつまでたっても子供なんです。70年、80年生きても、全く学んでない人は一杯います。不良老人、すぐキレる老人、他人の迷惑を考えない老人は大勢います。「年を重ねたら、学び、賢くなる」と思われていますが、そんなことはないんですね。大人になっても、スカートめくりを忘れられなくて、実行し、捕まる人がいます。トランプをしていて、自分が負けそうになると、いきなり、全員のトランプをかき回し、「やめた!」と言う人がいます。安倍さんですよ。子供なんです。
 僕だって子供です。人付き合いが出来ないから、誰も友達がいません。皆で楽しく酒を飲んでいても「本を読みたい」と、黙って帰ってしまいます。これじゃ、友達が出来ません。

 そうか、国外逃避か。いいですね。ぜひ行きたいですね。タヒチに行って、ゴーギャンのように裸の女性とたわむれ、絵を描いて過ごしたいですね。「俺はゴッホだが、君はゴーギャンだ」と野村秋介さんに言われたことがあります。世の苦悩を背負って闘う覚悟がお前にはない、と言われたのでしょう。タヒチに行ったら、その声が追いかけてきます。それが怖くて、決断しかねている弱い僕です。

2007年10月5日


すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。


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■インフォメーション

ポータルサイト北海道人更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第27回】
 北海道出身、または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについて語っていただくコーナーです。今回は偶然にも2人のお話に「農業」が、他の2人の話には「8時だヨ!……」が出てきます。う〜ん。偶然が重なった4人のお父さんの物語は下記アドレスにアクセスしてお読みください。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=027




■次号予告
 次号の配信は10月の中旬です。北海道では紅葉が楽しめるところもあるのではないでしょうか。ドライブして果物狩りをして紅葉を見てキノコをとって温泉に入る。ああ、なんと盛りだくさんな秋の楽しみ!
 さて、北の秋と同様、豊穣な内容でお届けする次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、大竹正枝の「新・自然真営道」です。
 『メルマガ北海道人』第41号の配信は、10月18日(木)です。

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