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『メルマガ北海道人』第36号 2007.09.13. ―「北海道人」、じゃがいもゴロゴロ―
 ゴロゴロと言えば、雷。ゴロゴロと言えば、猫の喉。ゴロゴロと言えば、休日の父さん。北海道の秋のゴロゴロと言えば、じゃがいもでしょう。いもほりを体験したことがあるでしょうか。乾いた土をどけ、大きくてつややかなじゃがいもの姿を見つけたときの気持ちはなんとも言えません。1カ所から次々といもが現れ、夢中になって掘り起こせば、畑にはじゃがいもの山。それは宝の山です。命をつなぐ大地の恵みです。じゃがいもゴ〜ロゴロ〜♪
 『メルマガ北海道人』第36号、ゴロゴロしながら配信!

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 今回は3歳を迎えた頃の友人チャンインの話です。共働きの両親に代わって託児所の迎えなど、面倒を見てくれたのが近所の年上の子どもたち。不衛生だと母に言い聞かされていた「ねじれ揚げパン」を食べ、おとぎ話の代わりに革命歌と階級闘争の話を聞いて育つチャンイン――。

連載【とろんのPAI通信】

 7年目のPAIライフに突入したとろんさんですが、ずっと気になっていた山があると言います。くるくる三角山と勝手に名づけていたその山に突如として登りたくなったとろんさん。7月7日からはじまった、いのちのまつり、アートのまつりもいよいよクライマックスを迎えます。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 前回の、編集長・和多田進の手紙を受けて、今回は若き日の回想から「大日本帝國憲法」、「日本国憲法」における天皇について鈴木邦男さんが話を進めます。さらに、人に言ったことのない決意、覚悟をメルマガ上で初めて公言します。鈴木さん54年前の決意とは???

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第十五回

「“悪者だらけ”の時代」

 豚肉の値がますます上昇傾向を見せる昨今、我が家では姑の陣頭指揮のもと安価な中国スズキやフナ、コイをはじめとして、季節柄1本わずか7角(約10円)から1.5元(約20円)で出回っているヘチマやユウガオを常食するようになった。じわりと生活を追い詰めてくるインフレには少々焦りを覚えるが、おかげでここ最近はお肌快調、体調万全。あとは夫の給料が値上がりするのを待つばかりである。
 さて1966年に満3歳を迎えたチャンインの話である。託児所入所を控えて、両親は迷っていた。
 「全托にしようか。それとも日托か」
 「全托」とは24時間の完全保育のこと、「日托」は自宅から通う通園保育のことである。父チョンカンさんは前者を推した。自分は中学校の国語教師、妻は病院の常勤医師。夫婦ともに朝が早く、送迎は困難に思えたのである。
 上海の「全托」の託児所で事件が起こったのは、この頃のことだった。ある日、保母の一人がお仕置きとして手の焼ける男児を小部屋に閉じこめた。ところが、この保母はこのことを忘れて帰宅。男児はその不在を誰にも気づかれることのないまま数日後、遺体となって発見された。自力で戸をこじ開けようとしたのか、発見時その小さな爪は血まみれになっていたという。結局この保母はあっという間に銃殺刑に処せられ、騒ぎは収束。しかし、この一件によってシューリャンさんの決心は固まった。
 「わが子を守るには通園しかない」
 こうして一家の新たな生活がはじまった。

写真
町工場を改造したアートストリート「田子坊」でくつろぐ父子(泰康路)

 朝の担当は父であった。勤務する中学校は自宅から直接向かえば徒歩10分と近いが、託児所を回ると30分はかかる。突発事が発生すれば授業開始にとても間に合わないため、父はいつも神経を尖らせていた。
 ある朝、チャンインが出がけ急に便意をもよおし、その場で漏らしてしまった。父は叫んだ。
 「ウンコならウンコとなぜもっと早く言わない!」
 着替えのパンツを探している暇などない。父は素手で汚物をすくい出すと、汚れたパンツをもう一度チャンインにはかせ、そのまま手を引いて出発。託児所では息子をいつも通り保母に引き渡し、何の釈明もなしに自分の職場へと走り去った。その時の水分で重くなった下着の感触、そして事に気づいた保母の「アイヤー(なんてこと)!」という叫び声をチャンインは40年経った今でも忘れることができない。
 後日、この一件は保母を通じて皆の知るところとなった。
 「さぞ気持ち悪かったでしょうね。かわいそうに」
 「パンツも換えてもらえないなんてねえ」
 隣近所から非難と失笑を買った父は、まもなく上司に懇願し、1時間目の授業担当から外してもらった。
 夕方の「お迎え」を担当したのは近所の中高生である。とりわけチャンインをかわいがってくれたのは隣家の一階に住む藩という女の子だった。父親が国民党員で解放後まもなく処刑され、映画館の切符販売員である母親が一人でこの3人兄弟を育てていた。
 おかず一品にごはん一膳。藩家の食事はチャンインの好奇心をそそった。なかでも印象深いのは彼らの油条(ヨウティアオ)料理だ。油条は小麦粉を練って棒状にし、油で揚げたいわば「ねじれ揚げパン」である。藩家ではその棒のねじれをていねいにはがし、一本を朝に食べた後、残りの一本を1センチ角に切って漬物と炒め、夕飯のおかずとした。
 「油条は不衛生でおいしくないのよ」
 そう母から言い聞かされていたチャンインは思った。
 「なあんだ。うちの晩ごはんよりずっとおいしいや」
 やがて託児所から連れ帰ってもらうたび、そのまま藩家で夕飯を食べるようになった。食べ物は不衛生なものほどおいしい――そう感じた。
 チャンインが「正義」と「悪」について漠然としたイメージを持ったのも、この時期である。童謡やおとぎ話などいわゆるきれいな世界は知らない。教わったのは、「愛」や「美」「仁徳」とはかけ離れた騒々しい革命歌と憎しみに満ちた階級闘争のストーリーだったという。正義のヒーローは労働者と貧農、革命分子であり、倒されるべきは地主や富農、資産家だった。チャンインは思った。
 「世の中って、悪いやつだらけなんだなあ」
 「よーし、大きくなったら正義のために戦うぞ」
 この時、プロレタリア文化大革命の嵐が中国全土に吹き荒れていた。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□新連載
【とろんのPAI通信】 第8回

「PAIの聖山(くるくる三角山)」

写真
PAIの聖山(ドイチーチョン)の頂上リンガム
 タイの北部山岳の町PAIは2000メートル級の山々に囲まれた盆地の町で標高600メートル弱。いよいよ7年目に入ったPAIライフだけど、この6年間ずっと気になっていた山がある。夕日が沈みゆく西の方向に在る山で、ボクは勝手に(くるくる三角山)と名づけていた。その名の通りピラミッドのような三角柱の頂上が美しく天に向かって聳え立っていて、ボクにとっては何時の日か登りに行かないと気が治まらない(聖なる山)だった。
 朝日が昇り行く東の方向の山の中腹には(ワットメーイェン)という名刹が在り、ボクの住むムーンビレッジから歩いて5分で登り口に行ける近さだ。ボクとはるかはこのお寺が大好きで山々に沈む夕日を見に行ったり、毎回のライブ直前には仏様の前で音を出しに行く。実は3年前の12月に愛妻はるかにプロポーズしたのも、このお寺だった。そんなある日、このお寺から下界に向かう長い石段を下っている時にスゴイ発見をしてしまった!! お寺から下界まで続き行く長い石段のスロープラインの方向が、なんとあの(くるくる三角山)を目指しているのだ! 6年前から(聖なる山)と自分で勝手に決めていたあの(くるくる三角山)は(ドイチーチョン)と地元の人達は名づけていて、すでに昔から(聖なる山)として祭られていたのだ。
 今PAIは雨季の只中だけど、日本の梅雨のように延々と降り続けることはなく、少し待てば止むので傘もいらないくらいだ。5月から10月までの雨季は空気も浄化されていてキレイで四方の山々もクッキリ見えるけど、夏になる3月4月は(野焼き)のせいで空気が霞んで山も見えにくいし息苦しい日々が続く。そんな中、突如と発作的に4月17日の新月の朝に標高1700メートルの聖なる山(ドイチーチョン)に向かった。PAIにやってきて6年間も遠く下界から拝み想い続けてきたあの愛しの三角柱の頂上!! この49日間の祭りが始まる前に頂上までのルートを知りたかったのと、長年の想いを成仏させることで自分の気を高めて祭りに向かいたかったのだ。
 下界から見ると緑色の三角柱の頂上だったのに、最後の険しいスロープを登って稜線に達した時、いきなり巨大な岩のリンガム(インドの偶像崇拝形態のひとつで男性勃起性器)が天に向かって生々しく聳え立っていて、鳥肌が立ってしまった。くるくる三角山の頂上は、実は木もほとんど生えてない巨大な岩のリンガムだったのだ。登りに5時間下りに4時間かかり、その険しい道なき道の獣道でボクの足の親指の爪が両方とも内出血して真っ黒になってしまった。
 そして7月7日に祭りが始まり、その親指の黒い爪が消え元のピンク色の爪に戻るころ、8月24日、祭りの最終日を迎えた。その49日目の夜、「神さまとお金さま」というタイトルで5人のパネラーのトークライブをし、夜空に向けて7つの熱気球を放ってエンディングしたのだけど、4日後の28日が満月&月食だったので、その日まで祭りは止まらなかった。異常気象のせいかボクら旅人達の気の異常な高まりのせいか、雨季なのにPAIの町は晴れ間が続いて山々もキレイに見え続ける中、突如と発作的にあの巨大な岩のリンガムをまた拝みたくなり、有志を募ってみんなでその巨大リンガムを拝み登頂することで祭りのクライマックスを迎えたい、という想いがひどく高まってしまったのだ。それぞれの想いが極度に高まりアチコチで形になってゆくハプニング連鎖の祭り。
写真
8月6日太一満一歳誕生日に出現した
超低空のダブルレインボー(6回目)
 その足の黒い爪が全くピンク化された8月27日の朝7時、圧倒的に女の人が多い30人の有志が集まって、その巨大リンガムに向かった。誰もが驚き鳥肌が立ってしまうその山頂の巨大リンガムの亀頭点に達したとたんに浄化の雨が降り始め、次なるドラマが展開してゆく。下りの途中、PAIの町全体を跨ぐような巨大な虹が出現し(それも祭りが始まって7回目の虹!!!!!!!)、そして下界の村に辿り着いたとたんに東の山から黄金満月浮上!!!
 そして実際の祭り最終日の8月28日満月&月食の日、夕方まで浄化の雨が降り続きボクらを不安にさせる中、六角堂で火を囲んで最後のライブが始まるころ雨は止み、夜空の雲は消えゆき、ふたたび東の山から黄金満月浮上!! 70人の旅人が最終日まで残ってくれ、最後のひとつ、50個目の熱気球をそれぞれの一念を込めて天の星に向かって放った。ああ!! これでやっと終わった! 美しい日常生活にやっと戻れる!
 PAIでたましいのかくじっけんされたボクのさいぼうとたましいとこころを引きずって、いま、もうひとつの桃源郷、中国の雲南省に向かっている途中。次は、だから、お楽しみ!!!
   ムーンビレッジ村長のとろんより。

とろん…1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第20回

鈴木邦男→和多田進

「統合の象徴」

 「決意」「覚悟」「精神」はあくまで自分の心の中に秘めておくべきものでしょう。口に出し、他人に言うと「強制」になります。「愛国心」もそうだと思います。これは僕自身の反省をこめて言っていることです。
 長老の「精神主義者」批判もその通りだと思います。僕らも傲慢でした。反省しています。精神主義者の悪い点は、すぐに他者攻撃に転化することです。自分が決意し、努力し、まだまだダメだと反省していればいいのですが、そこにとどまりません。俺はこんなに覚悟をしているのに、他の奴らは何だ! となります。自分はこの国をこんなに愛し、運動をしている。しかし、一般の人々は会社に勤め、自分のことしか考えていない。許せん!……となります。
 本当は、「自分のことしか考えない」のは僕ら運動家の方でしょうが、当時はそこまで考えられませんでした。自分(たち)だけが国のことを考えている。だから「無知蒙昧(もうまい)」な一般大衆を啓蒙しなくてはならない、と思っていました。それを公言もしていました。傲慢の極みです。

写真
道20・アウシュヴィッツ(写真・WATADA)

 小学校の国語の教科書で覚えていることが二つあります。一つは「唇に歌を、心に太陽を」という話です。船が沈没し、海に投げ出された乗客が、皆で励まし合い、歌をうたって心を強く持ち、無事に救助されたという話です。どんな時でも心に太陽を持ち、歌をうたいなさいと教えていました。いい話です。そうなった時には僕も実行しようと思っていましたが、まだ海に投げ出されたことはありません。決意、覚悟は持っているのですが、人に言ったこともありません。54年たって初めて公言しました。
 もう一つの話は、「寝ている人を起こすな」という話です。「いつまで寝てるんだ!」「だらしがない!」「早く起きて働け!」と怒鳴るのですが、その人自身はまだ布団の中にいるのです。なんか落語みたいな話ですが、ずっと頭に残っていました。
 こんないい話を習いながら、教訓としては生きてなかったんですね。だって、「愛国運動」においては、自分のことは棚に上げて、「国民は愛国心がない。けしからん」と憤っていたのですから。

 決意、覚悟、精神は必要です。でも、各人の心の中に収め、現実の政治はその次元で考え、解決すべきでしょう。だから、一票は一票です。ちょっと先を急ぎすぎたかもしれませんが、どんな人でも「同じ一票」です。ここから出発するしかありません。
 国のことを憂え、国のためにはいつでも死ねるという人も一票。国のことなんてどうでもいいと思い、遊んでいる人も一票。一生投票になんか行かないよ、という人も一票。不公平、悪平等であろうと何であろうと、それしかありません。
 学生の頃、右翼の先生が言っていました。「一人一票というのがいけない。これは日本の家族制度を壊し、美しい伝統・文化を破壊するものだ。アメリカによる日本弱体化政策だ」と。父、母、娘、息子がバラバラに別の政党に投票する。これでは「ひとつ」である家族が瓦解する、と。そして言います。
 「一家に一票でいい。それを父親が代表して投票する」。「それはいいですね」と皆は言っていましたが、僕だけは、「そんな馬鹿な」と思っていました。先生は、「家族の総意を代表して」と言っていました。母や息子や娘は、各々に希望は言います。提案も出します。しかし、その声を聞いて最終的に決断するのは父親です。父親は、「家族統合の象徴」なんですね。
 この先生は日本国憲法なんか認めていません。押しつけ憲法だからアメリカに叩き返せ。日本には大日本帝國憲法(明治憲法)がある。これで十分だ。あるいはこれを基に改正すればいい。そう言っていました。だから、「象徴」という言葉は使わなかったと思います。でも、同じことを言っていました。
 「天皇さまは日本国家の親だ」とも言っていました。そういえば、「国」で十分なのに、「国家」といって、「家」が入っていますね。やはり、家の延長なのでしょうか。家族の総意は統合して父親が象徴する。国家の総意は天皇が統合して象徴する。そうなると、明治時代からの<家族国家・日本>の精神がそのまま続いてきたということでしょうか。じゃ、現憲法を改正する必要などは全くないわけですね。
 次は、もう少し、敷衍(ふえん)して考えてみます。

2007年9月7日


すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。


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■インフォメーション

ポータルサイト北海道人更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第25回】
 北海道出身または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについてお話しいただくコーナーです。ああ、お父さんはいろいろです。今回も感動、衝撃のエピソードをお届けします。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=025

北海道「食のサポーターが行く!」を更新しました。
 道内各地に眠る食材の発掘などを目的とした「食のブランド」発見交流会。第3回目になる今回は、日高支庁で開催されました。アスパラや鹿肉など地元の特産品を使った料理を前に、生産者とサポーターが北海道の食について熱く語り合います。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/food/03/




■次号予告
 秋の夜長をみなさんはどのように過ごす予定ですか。ちょっと長い『メルマガ北海道人』を読むのに、この時期はぴったりです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、大竹正枝の「新・自然真営道」です。
 『メルマガ北海道人』第37号の配信は、9月20日(木)です。

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