メルマガ北海道人

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『メルマガ北海道人』第34号 2007.08.30. ―「北海道人」、行く夏に秋刀魚(サンマ)を食う―
 日中はまだまだ暑くて夏らしいのですが、朝夕はめっきり涼しくなった札幌。寝苦しい夜はどこへ、夏はまだここにいるのでしょうか。先週は夏休みにさよならを言いましたが、今度は夏にさよならです。なんだか淋しいので、秋刀魚を食べることにします。秋は美味しい。だから夏が行ってしまっても、ダイジョウブです! 焼いても、煮ても、生でも、缶詰でも秋刀魚は美味しい。しかも安い! 最高、秋刀魚!
 『メルマガ北海道人』第34号を、行く夏にのせて配信します! あぁ、今年の夏よさらば!!

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 チャンイン研究もいよいよ本編に突入です。第14回「上海日記」は、チャンインの誕生秘話について。彼の人生を予見するようなすさまじい嵐の日に生まれたチャンイン。その日、彼が生まれた病院ではなにやら不思議なことがおきたとか……。

連載【とろんのPAI通信】

 今回のPAI通信は、広島の日、長崎の日、終戦記念日のPAIでの出来事をとろんさんが伝えます。8月6日広島の日は、とろんさんの初めての子、太一くんの誕生日です。その日、桃源郷PAIのムーンビレッジで何かが起こりました。ショックをうけるひでさん、そのワケは。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 19回目となる今回の往復書簡は編集長・和多田進からの手紙です。葦津珍彦氏が支持した孟子の思想をめぐる議論は一区切り。今回は大日本帝國憲法の中に葦津氏の理想があるのではないか、と和多田進が切り出します。あぁ、憲法の解釈はムズカシイムズカシイ。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第十四回

「嵐の誕生日」

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人気スポット「新天地」周辺は
恋人たちの語らいの場(太平橋公園)
 「あんな人物を日本の読者に紹介するなんて」
 「もっと代表的な上海人を選んでほしい」
 半年前、上海人の知人のそんな反対を押し切ってはじめた「チャンイン研究」も今回からいよいよ本編に入る。異端児チャンインがいったいどのような人生を送ってきたのか、ここからじっくりと追っていきたい。
 「その日は見たこともない大嵐だったんです」
 1963年9月13日の金曜日。台風12号によるすさまじい暴風雨が上海全域を襲い、気象観測史の記録を塗りかえたまさにその日のことである。
 午前2時を過ぎた頃、シューリャンさんは腹部に激痛を感じて目を覚ました。出産予定日までわずか10日。目前に迫った事態を悟ると、夫をたたき起こした。
 「生まれそうよ!」
 一刻も早く病院に向かわねばならない。出産前の体力補給にとリュウガンの実を用意していたが、それどころではなかった。すでに破水していたのである。
 外に出ると道路は川と化していた。雨水がひざまで来ており、歩くこともままならない。夫チョンカンさんはようやく通りかかった一台の「黄包車」と呼ばれる三輪人力車を狂ったように呼び止めた。車夫は首を振った。
 「すまんが、もう商売を終えて帰るとこなんだよ」
 「病院まで乗せてくれ! 子どもが生まれそうなんだ!」
 二人を乗せた人力車はようやく動きはじめた。水中ではペダルの自由が利かない。車夫は車を降り、力いっぱいに押して進む。通常なら10分で着く自宅南の長寧区婦産科医院に到着したのは家を出て30分後のことであった。
 シューリャンさんはまもなく3300グラムの元気な男の子を出産した。それが陣痛からわずか3時間後の午前5時、つまり寅の刻であったことから赤ん坊には「寅(イン)」の一字がつけられた。お騒がせチャンインの誕生である。
 この夜、この病院では不思議なことが起きていたという。誕生した新生児7人全員が男だったのだ。看護婦はこう言ってシューリャンさん夫婦を祝福した。
 「観音さまですよ。きっと送子観音が台風に乗じて男の子ばかりを小舟に乗せ、届けてくださったんですよ」
 嵐のなか6人の赤ちゃんとともにドンブラコと舟に揺られてやってくるチャンイン――どうも想像しにくいが、それほど男児は重宝がられていたということだろう。夫のチョンカンさんは「まるで君子さまが現れたかのような」喜びようだったというし、父シャオフォンさんにいたってはさっそく赤子に「ディアディア(蘇北地方で父方の祖父を指す)じゃよ」と吹きこんだそうだ。娘の子であるチャンインをあくまで婿養子の子、内孫として迎えたのである。何はともあれ、これで悲願成就、家族円満。めでたしめでたし、のはずなのだが――。
 ある日、チャンインが母のいない時を見計らって、私にこんなことを言い出した。
 「実は俺、もらわれっ子じゃないかと思ってるんだ」
 真剣な顔つきである。根拠は次のようなものだった。
 「39歳での出産は珍しい」
 「4人続けて女の子だったのに結婚20年目で男が生まれるなど話がうますぎる」
 「自分だけが誰にも似ず悪人面」
 「家族のなかでずばぬけて聡明」
 最後の一つは除外するとして、その他は言われてみればそうかもしれない。現在チャンインには2人の姉がいるが、生後すぐに病死した姉2人を含めると確かに「4人続けて女の子」だった。父や祖父が男児を熱望していたことはまちがいないし、そういえば顔つきが一人だけ違うような気もする。
 ただ、仮に彼が養子だとしたなら、この嵐の誕生秘話はもちろん、祖母の葬儀直後の妊娠も家族によって編まれた壮大なフィクションということになる。作り話にしてはあまりに筋のこみいったリアルなストーリーではないだろうか。私が家族の一員なら数年しないうちにたちまちボロを出すこと確実である。第一、悪人面や脳みその優劣を理由にいちいち血縁関係を疑われては世の母たちはたまったものではないだろう。他に根拠があるのではと聞くと、本人は首をひねって考えこんでしまった。
 「自由がほしい」と言っては83歳になる母の壮健ぶりを憂い、主治医に母の推定寿命を問い合わせて「心臓はまだ40代」との回答にがっくり肩を落とすチャンイン。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□新連載
【とろんのPAI通信】 第7回

「広島、長崎そして終戦記念日」

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8月9日長崎の日、(みんな)で田植え。
 ドラマティックに産まれ出たお祝いだから、きっと今日も予期せぬドラマが展開されるのだろう――と前回の(太一満一歳誕生日)の文章に書き、8月6日広島の日のPAIでのドラマ展開を予感していた。
 あの朝、「北海道人」用の原稿を描いてムーンビレッジに戻ってみると、土の家に住む29歳のひでさんの様子が変で、何かイヤな胸騒ぎがしてきた。彼が朝起きてみるとベランダの柱にかけてあった貴重品入りバッグがなくなっていて、ボクらの高床式の家の下にとめてあった赤いバイクも消えていたというのだ。バッグの中にキーも入れてあったのでバイクも盗られたみたい。でも、ボクの青色のバイクも同じ処に置いてあって、しかも毎日キーは付けっぱなし。だから、盗ってすぐ逃げたければ、わざわざバッグの中を調べてキーを見つけるよりキー付きのボクのバイクで逃げれば良いのに、と妙に思った。ひでさんのパートナーの(あすか)も買い物カゴのなかからデジタルカメラを盗られ、キャッシュカードとおろしたばかりの現金2万バーツ(約6万円)入りサイフもなくなっていた。
 8月6日の広島の日、太一の満一歳の誕生会では、ひでさんが石釜でパンやピザを焼く予定になっていた。警察での手続きや取調べ、キャッシュカードの再発行手続きなどで一日中慌しく、しかもボクらの聖地ムーンビレッジに泥棒が入ったこと、桃源郷PAIでのありえぬ事件にショックをうけたひでさんは石釜をたく余力もなくなってしまった。
 そんな中、祭りが始まって6回目の虹が出現した! しかも山の中腹のお寺(ワットメーエン)をまたぐように弧を描き、山々の緑を背景に地上スレスレのダブルレインボー!! ボクと太一とはるかは、その前代未見の虹に向かって歩き上り、その山のお寺にお参りしに行ってきた。
 夕方から太一の為に人が集まり始め、愛妻はるか作の大豆入り日本カレー(大豆はムーンビレッジ産)を中心に色とりどりの食べ物、飲み物、プレゼント等が並べられてゆく。お祝いの時は全て一人一品と決めているので、ひとそれぞれの想いが形になって現れて面白くって楽しい。結局77人の人たちがお祝いしてくれ、7つの熱気球を夜空に放った。この祭り期間中前回までの4回の熱気球は全て夜空に舞い消えていったのに、5回目になる今回は7つのうちの2つが地上に落下してしまった。まるで今朝盗難にあったひでさん&あすかの二人の気分のように。そして、そんな人の浮き沈みに微笑みかけるように、夜は快晴! ミルキーウエー!!
 8月9日は長崎の日。田植えをした。多めに50人分の炊き出しを用意したら、50人位の人たちが手伝いに来てくれた。朝9時から始めて、作業はあ!!! っと1時間で終わってしまった。祭りの初日7月7日にみんなでお米の種を蒔いて、この一ヶ月の間に大きく育った苗をみんなで植えてゆく。11月の下旬の稲刈りの時みんなのなかの誰が手伝いに来てくれるのかが楽しみだな。
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8月15日終戦記念日、
鉄橋コンサートのメッセージアート。
 そして8月15日の終戦記念日。65年前に日本軍が作った鉄橋(メモリアルブリッジ)に日本のアーティスト岩波雪華(ゆか)とタイのアーティストであるアートのふたりが巨大な絵を描き飾り、日本のバンド3つとタイのバンド2つが鉄橋入り口の特設ステージで祝い歌った。ボクらの「くるくるPAIバンド」は9人のミュージシャンとダンサー2人(和服の舞とファイヤーダンス)の合計11人。
 ボクらの歌の後、タイのスーパースター「カラワン」バンドが登場。鉄橋の周りには地元のお店が美しく並び、どこからきたのか1000人以上の人たちが集まった。この祭り(たましいのかくじっけん)の究極の盛り上がりシーンの中、鉄橋に飾られた巨大な絵には英語で「PEACE NO WAR」日本語で「すべての銃声を歌声に!!!」と力強く筆描きされていて、晴れ渡った夜空に響き渡る歌声に過去の銃声が成仏されてゆく。
 結局ボクは(何故だかわからないけど)この65年前の鉄橋に成仏してもらいたくってこの祭りを始めたのかもしれないな。突如そんなことを感じて自分で驚いてしまった。(ボクをつきうごかしゆくもの)ありがとさん! この鉄橋コンサートの翌日16日、大雨になって今年初の洪水が起き、こちら側と川向こうのゲストハウスとを結ぶ竹の橋3つ全てがあ!!! っという間に流されてしまった。これが1日ずれてたらと思うと(ウチュウをつきうごかすもの)ありがとさん!!!
   PAI人とろんより。

とろん…1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第19回

和多田進→鈴木邦男

「千慮の一失と千慮の一得」

 千慮の一失、ということがあります。「不退転の覚悟」というのを認めるだけでなく、私はその決意なしに何事かを成し遂げることなど出来ないのではあるまいかと考えています。しかし、覚悟とか決意だけではどうにもならないのも事実だと思わざるを得ません。そのうえ、千慮の一失ということもあるわけです。どんなに賢い人にも失敗はあるんですね。
 しかし、賢い、ということ自体すでに相対的なものです。覚悟とか決意というのも、結局は相対的なものじゃないでしょうか。適当な例えかどうか自信はありませんが、オリンピック選手たちは、だれもが覚悟と決意を胸に秘めて競技に臨むんだと思います。それでも、勝ちと負けという結果が出てしまう。選挙なんかもそうだろうと思うのですが、どうでしょう。それでも私は、まず決意なり覚悟なりが何事かをなす場合、とても重要な意味をもつばかりか、場合によっては決定的な意味さえもつだろうことを積極的に認めます。それがなければ、コトは始まらないとも考えます。
 また、「千万人と雖も吾往かん」という精神も積極的な意味において私は認めます。ただし、自ら反省して誤りがない、正しいという結論に達したならば相手が千万人いようとも後へはひかないという決意、覚悟、精神は、やっぱり主観的なものだということも知らなければならないのではないでしょうか。さらに、こうした精神の背後には、ある種の傲慢が潜んでもいるように思います。理性とか知性とか呼びうるものには果てがないというごく当りまえのことを、こうした「精神主義者」はしばしば忘れているんじゃないでしょうか。
 まあともかく、以上のようなところまでは鈴木さんと私の考えがほぼ一致したということになるのでしょう。もしそうなら、葦津に対する私の疑問と同様の疑問、同様の異和感を鈴木さんも葦津に対して持っておられるということになりますが、そのように理解して間違いはありませんか。
 そこで、つぎの問題になります。いろいろ省略して簡単に言えば、葦津は「天子」、つまり、天皇の執政こそが理想なのだということを言いたいのですね。少し先走りして言うことを許していただけば、葦津にとっては大日本帝國憲法の「上諭」、「第一章 天皇」が理想の政治形態、統治形態だったんだろうと私は思うのです。それで間違いがないか、この点も鈴木さんに確認しつつ教えを乞う次第です。

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ……
(略)
国家統治ノ大権ハ朕カ之祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ……

写真
道19・神田駿河台(写真・WATADA)

 大日本帝國憲法「第一章 天皇」の項は第一条から第十七条までありますが、結局のところ国家の全権は天皇に在るということにつきます。そこが日本国憲法とは決定的に違います。日本国憲法では、主権は人民にある。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ということになっています。
 もちろん仔細に見れば日本国憲法のこの第一条も大きな問題をかかえています。天皇が「日本国の象徴であ」る、というところまでは私にも理解できますが、それ以下の日本語はなかなか怪しい雰囲気をかもしていると言わざるを得ないですね。
 まず、「日本国民統合の象徴」とはどういうことか。統合しているということの象徴なのか、統合して象徴させているという意味なのかが微妙なんです。また、天皇という地位は、「日本国民の総意に基く」というのですが、「総意」とは何か、「総意」はどのような形で表現されるのかなど、あまり論理的な文とは言えないと私は考えます。しかし、それにしても、大日本帝國憲法と日本国憲法は決定的に違っていることは確かです。それで、その違いを認めたうえで、前者の思想を是とするか、後者の思想を是とするかということになるわけでしょう。
 葦津は、そこでどう考えていくか。それは彼が『日本の君主制』で展開しているところを見なければなりません。次回それを見たいと思います。
 蛇足ですが、鈴木さんは前便で鶴見俊輔さんの『回想の人びと』から「葦津珍彦」の項を引用されました。私は重ねて引用しませんが、そこで鶴見さんは「自分(葦津)は天皇の弁護人になろうと思った」と言ったと書いています。しかし、それから数ページ後に鶴見さんはこう書いたのです。「ここでは、天皇制の弁護人としての役割を守るという、……」と。「天皇」と「天皇制」、一字の加不足は大変大きな違いです。私が好きな鶴見さんではありますが、やはりこれは千慮の一失と言うべきなんでしょう。私の場合は、もちろん千慮の一得ということです。
暑さのおり、どうかお身体ご自愛下さい。

草々

2007年(核時代62年)8月27日
和多田進拝

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■インフォメーション

ポータルサイト北海道人更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第24回】
 北海道出身または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについてお話しいただくコーナーです。今回は、やさしくて何事も極めて厳しくて強いそれぞれ4人のファーザーのお話です。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=024

『心でつくる』に新商品が加わりました
 『北海道人』では、社会就労センター(授産施設、小規模作業所)で作られた商品をHP上で販売しています。 今週、アトリエ・トムテ、工房ウッディートイズ、すずらん福祉園、こくわの里、砂川つばさで製作された木工製品や陶芸品、菓子、ポーチなど13アイテムを『心でつくる』出品コーナーにアップしました。

http://hokkaido-jin.jp/issue/jyusan/itemlist.php




■次号予告
 次号の配信は9月です。読書の秋、メルマガの秋です。文字を読むための集中力が高まるような、いい感じの気温になっているといいですね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、大竹正枝の「新・自然真営道」です。
 『メルマガ北海道人』第35号の配信は、9月6日(木)です。

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