メルマガ北海道人

HOME > 第30回

『メルマガ北海道人』第18号 第30号 2007.08.02. ―「北海道人」、北の夜空で花火三昧―
 夏真っ盛りの北海道では、各地で花火大会が開かれてます。規模の大きいものから小さいものまでをあわせるとおよそ90大会。学園祭の花火大会を合わせるといったいいくつになるのやら。とにかく、ものすごい数の花火が夜空で開いては消えていっています。ひゅるると花火の上がる音、ドドーンと響く重低音、ワーという人びとの歓声と拍手。なんという贅沢な遊び。しかも観るのはタダなんて! 
 まだまだ続く花火大会、夏の夜の非日常の世界でひととき楽しんでみませんか。
 『メルマガ北海道人』第30号、ひゅるるるドドーンと配信! パチパチ。

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 世界を駆け巡った北京のダンボール肉まん報道。しかし、上林さんは姑が出す料理の方が気になると言います。「上海日記」第12回では、チャンインの祖母チャンランさんの葬式に、父チョンカンさんの喪服の色をめぐり騒動が起こります。白か灰色か……、それが大きな問題なのです。

連載【とろんのPAI通信】

 順調に滑り出した、アートのまつり、いのちのまつり。開催13日間中になんと虹が4回も現れたそうです。しかし、14日目の朝、チェンマイから訃報が届きます。葬式と結婚式。いろんな出来事を飲み込んでゆく不思議なまつりの続きです。今回は「上海日記」も葬式の話です。なんという偶然!

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 編集長・和多田進から鈴木邦男氏に宛てた今回の往復書簡。話は再び葦津珍彦氏の思想に戻ります。葦津の言う「私」と「国家」、「私」と「友人」との関係について、また、孟子を引用した葦津の主張について、和多田進が疑問を投げかけます。国政への関心が高まっている今日この頃。参院選熱の汗がひかぬうちにお読みください。

このページの先頭へ




□連載
【上林早苗の「上海日記」】第十二回

「葬式騒動」

 北京のダンボール肉まん報道とそのねつ造疑惑は世界的なニュースとなったが、それで思い出したのが「羊肉串(シシカバブ)」だ。上海の野良猫事情を取材中、屋台の激安「羊肉串」の多くが猫肉だと耳にしたのである。本当なら恐怖だ。が、私にとってさらに衝撃なのはこの件に対する姑の反応だった。
 「アラ、知らないの。猫肉は気管支にいいのよ」
 「体がだるい」と言うと羊肉と偽って犬肉を、「頭が痛い」と言えば蒸し卵白と偽って羊の脳みそを食卓に出した姑。巷のニセ食品よりも我が家の台所のほうが気になるこの頃である・・・。
 さて「チャンイン研究・序章」も今号でいよいよ最終回である。
 1949年5月、人民解放軍が上海市郊外で国民政府軍を撃破し、全市を手中に収めると、10月には毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言。中国は「解放」された。
 シャオフォン一家には再び緊張が走っていた。汪兆銘傀儡政府の崩壊以来、蒋介石の国民政府で働いていた婿チョンカンさんの処遇である。しかし、本人に政治的問題がなく、また実務に精通していたことから共産党率いる上海市人民政府への再雇用が決定。これによってチョンカンさんはなんと大学中退後の1943年からわずか6年の間に三つの政権を渡り歩いたことになった。この「はしご歴」が十数年も後になって一家に暗い影を落とすことになろうとはこの時、誰も思っていなかった。
 7年後の1956年、一家に変化が訪れる。民間企業の国営化を進める「公私合営化」政策により、シャオフォンさんが40年以上にわたって患者を診てきた診療所が閉鎖となったのである。シャオフォンさんは病院勤務が決まり、娘のシューリャンさんも国営病院に配属されることになった。
 それから2年後、今度は市政府職員のチョンカンさんに転職の命が下った。新たな勤務先は中学校、職は国語教師である。こうして一家の暮らしぶりは新中国の社会主義化政策とともに大きく様変わりしていった。

写真
わが子を沐浴させる若夫婦(建国路)

 シャオフォンさんが44年間連れ添った伴侶・チャンランさんを失ったのは1962年のことである。享年68歳、食道がんだった。
 深い悲しみのなか、一家にある問題が浮上する。婿チョンカンさんの喪服だ。故郷のしきたりでは故人の息子が白の長衣を、娘婿が灰色の長衣を身につけることになっている。つまり筋からいえば彼の着るべきは灰色である。ところが、喪主のシャオフォンさんは頑として首を縦に振らなかった。
 「白だ。白でなけりゃ許さん」
 息子(白)か婿(灰)か。息子のいない彼にとってそれは天と地ほどの差があった。チョンカンさんは義父の気迫に押され、白長衣での参列を承諾した。
 葬儀の日がやってきた。チョンカンさんの母は息子の姿を認めるなり、血相を変えて叫んだ。
 「おまえって子は! 向こうの親のために白を着てしまって、あたしが死んだらいったい何を着てくれるんだい!」
 両家はともに中医の家だった。しかし、その名声、財産ではるかに上回っていたのは嫁側。この騒ぎはそれまで劣等感に悩まされていた婿一家のささやかな反撃ではなかったかと親せきたちはささやいたという。チョンカンさんは母のあまりの剣幕に白の長衣を脱ぐほかなかった。
 葬儀終了後、シャオフォンさんは娘シューリャンさんにこう言っている。
 「せめて男の孫を産んでくれ。さもないと、わしは肩身が狭くて狭くて…」
 チョンカン・シューリャン夫婦にはこの時13歳と11歳の子がいた。ともに女の子だ。憔悴する義父の姿に将来の自分を重ねたチョンカンさんもまた、男児を強く望むようになっていった。
 シューリャンさんの妊娠がわかったのはその直後のことである。シューリャンさんはすぐに中絶を望んだ。
 「その時もう38歳。出産するには高齢でしょう。仕事も忙しかったし、私にその気はまったくなかったの」
 「その気」になっていたのは、言うまでもなく夫と父である。
 「死んだばあさんじゃ! あの葬式騒ぎに胸を痛めたばあさんが神さまに拝み倒してできた子にちがいない。今度はぜったい男じゃぞ!」
 赤ん坊は堕胎の危機を脱し、母のお腹ですくすくと育っていった。一家の希望を担った小さな命。これが憎らしくも憎めないわが友人、チャンインなのである。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

このページの先頭へ




□新連載
【とろんのPAI通信】 第5回

「なりゆきエクスタシー」

写真
ムーンビレッジの野外ステージと、7月8日の朝の太陽の
周りに出た丸い巨大な虹を見上げるひとたち
 まつりが始まって18日目の早朝4時の豆乳屋さん。7月7日七夕からは虹が出る程度の雨のぱらつきはあっても、13日間の晴れ間が続いた。そしてその13日の間に4回の虹が出現したのだ。2回は太陽の周りのデカイまるい虹で他の2回はダブルレインボー!!!
 雨季らしい雨がスタートしたのは14日目の朝、7月21日からだ。実はこの日はチェンマイ(PAIからバスで4時間のところにあるタイの古都)からの訃報が届いて、急に葬式にでかけることになった日だ。チェンマイに住むボクの女友達(ちえさん)がタイのアーティストと結婚して二人目の子供出産直前に、おなかの中の子の心臓が突然停止してしまい、死産になってしまったのだ。出産予定日の一週間前の突如の出来事だ。仲のよい女友達だったけど、出産を控えていたのでボクらのまつりにはこられなかったから、逆にこちらからボクのファミリーと何人かの友達と共にチェンマイに向かい葬式をすることで、一緒にまつりを祭ることができた。49日間の長いまつりの中で、誕生日結婚式そして葬式と展開してゆく。そのうち離婚式なども起きるかもしれないアートのまつり。
 おなかの中の子供は女の子で、すでに(麻虹衣)まにい、と名づけられていたと聞いてボクの涙腺が刺激され、オームまにいパトまにいフン(チベットの祈りの言葉)と思わず呟いてしまった。その子の骨が残るようにと高温の機械で燃やすのを止めて、酷く殺風景な広場の中央に在るコンクリートの上で、マキで燃やし始めた。それも古い棺おけをばらして火を組み、病院で念入りに包装された小さな棺をばらして、布で包まれた赤ちゃんをなんのためらいもなく取り出して、その布をも取り去って、ボクらにその生々しい姿をみせたのだ。その瞬間、まるで生きてるかのような色艶の彼女の小さな顔がガクン!!!とボクらのほうへ垂れ面して、みんないっせいにギョ!!としたけど、ボクはその逆さからみた彼女の一瞬の顔にものすごい(女)を感じて(いきてれば絶世の美人!!)と想った。
 2時間燃やし続ける間、タイ人アーティストの夫(ペット)は我が娘が燃えゆく火から一歩も離れないで火の奥のほうを凝視し続け、すべてが燃え尽きると今度は火鉢をもって暗闇の中、懐中電灯を片手に灰の隅から順に燃え残った我が娘の骨を探し始めたのだ。見るに見かねた焼き場のひとがそのすべての灰を建物の電気がある明るいほうへと移してあげたけど、それでも懐中電灯を手から離さないで(一つの骨もみのがさないぞ!!)という気迫に満ちていて、ボクらもその気に圧倒されてしまい、彼を取り巻いてさらに2時間待った。灰の中から白い骨をみつけるごとに(あった!!!)と奇妙な日本語で喜び叫ぶ彼にものすごいアートを感じてしまった。
 彼はこの3年間、経済活動はいっさいせず、一つの作品だけに向かい続けていて、みんなあきれていて(まだ描き終わらないの???)とおもっていたけど、この4時間に及ぶ彼の(ふつうでない)気力に接して、ものすごく彼の存在がいとおしくなってしまった。普段は非社会的な人なのに、15人くらい集まった人たちの中で彼だけが葬式用の黒衣装をまとっていたのも異常に印象的だったなあ。
 遅くなったので一晩チェンマイに泊まり、そして翌日PAIに帰った日は(新生会)と名づけられた結婚式がムーンビレッジで予定されていた。数年前にPAIで恋をしたカップルの結婚式で、まつりの情報板のチラシには(5時55分スタート!!)と描かれていただけで、そのぎりぎりの時間まで新郎新婦は何日も現れないで、日本からやってきていた新郎の母や妹や友達もムーンビレッジの住人も旅人の誰も何も具体的な進行は聞かされてなくって、みんな究極に大混乱していた。
写真
まつり7週間の間の新月半月満月ごとに夜空にむけて
飛ばすコンファイ(和紙で作った熱気球)
 当日までには自分たちで進行を決めて各人に手配をしているものと想っていた村長のボクはこの究極の大混乱を(オモシロイ!!!)と感じて、六角堂で挙行されること、共同台所を使って食事などをつくっていいことなどを指示しただけで、あとは放っておいて(なりゆき)を見守ることにした。やむにやまれず誰かが六角堂に花を飾り始めたら、町に食材を買いに行く人、マキを集める人、料理を作る人等と次々と人が動き始め(究極の大混乱)状態が(形)になってゆく。驚いたのは(大混乱)中には雨がスゴク降っていたのに(形)になってゆくにしたがって雨もやみ始め、6時を過ぎて新郎新婦が現れ結婚式(新生会)が始まって儀式が進む中(これも2時間!!!)夜空からぼんやりと半月が現れてきたのだ!!人の気と天の気の有機的関係性のフシギ、をなんどもなんどもこのまつりでみせつけられる。
 (ふつーでない)葬式と(ふつーでない)結婚式を2日続けて体験した2日後の昨日、突如とまた(ふつーでない)企画書が20代の女の子から出されて、24日の今日(形)として祭られる。まつりに集まった旅人たち(そのほとんどが20代)が(なりゆき)で、あ!っと想いつき、あ!!っと動き、あ!!!っと(形)に展開してゆく(なりゆきエクスタシー)、この49日間のまつりが終わるまで56歳のボクの体がもつかなあ???
  まつりの状況は(http://blog.7ccrainbows.com)でみられるので、よろしくね。
 とろんより、PAIのエクスタシー、おくってみるね。

とろん…1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

このページの先頭へ




□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第17回

和多田進→鈴木邦男

「葦津の論理にトリックはないか?」


鈴木邦男さま

前略 葦津のことに話をもどします。
 「『君の一票は国家意志の七千万分の一として作用する』ということは、私にとってはそのままに『私の意志の中のたった七千万分の一程度を国が聞き入れてくれる』という意味である。これでは国に対する関心は、ただ一人の友人に対する友情にも、はるかに及ばないものとなってしまうだろう」(『近代民主主義の終末』)
 そう葦津は書きました。しかし、ここには葦津の誤解があるように私は思うんです。「一人の友人に対する友情」と国家に対する「私」個人の意志とは同等に扱われるべきじゃないのではないかということです。ここに葦津の「論理」のトリックがあるのではないかと私は疑います。

写真
道17・佐渡(写真・WATADA)

 私は、国家と「私」の距離は、「友人」と「私」の距離に遠く及ばないと考えていますし、「私」と「国家」の距離は理性によって結ばれるべきだとも考えているんです。従って、「私」と「友人」との関係は情による、ということにもなりますね。くり返しますが、国家と「私」の関係は情ではなくて理性だということです。独裁的なシステムでもないかぎり、国家における個人というのは、どう考えても「七千万分の一」以上であるはずがないでしょう。そうでなければ北朝鮮とか中国とか、かつての社会主義国家群のようになるしかないんじゃないでしょうか。私はそう考えます。
 「砂の一粒一粒」に見えるような人びとの意志の積み重ねによって国家が形成されるのでなければ、民主主義じゃないということにもなります。
 そこで葦津は、こういうことを言うんです。
 「一票を投ずる民主的多数の政治を、第一原理として行くことに行きつまりを感ずる者は、もっとほかに考えてみるべきだろう。私は、ここで東洋の政治思想家として、西欧にもひろく知られる孟子について考えたい」と。
 葦津はさらに、こうつづけます。
 「孟子は、天下の政治意志の核は、いまさらに千万人の投票などに問わないでも、確定していて動かないものがあると信じている。それは天下の人民が、天下の民であるかぎり、われわれの人生経験や教養知識を待つまでもなく、先験的に確立しているとの信に立っている。かれは現代的にいえば、マスコミの流行的な風潮や、圧力団体の利害などによって、こしらえ上げられたような俗論が、千万の票を集めようとも、五千万の票を集めようとも、天下の政治は断固としてこれを無視するべきだと主張する。その信に立って、われ一人の所信を断行するのが、真に天意に忠なる者の道であると宣言する。かれにあって、天下の意志、国の意志、われ一人の意志は、そっくりそのままに直通し、一つとなるというのである」(前同、太字引用者)
 「教養知識を待つ」の「待つ」は、同じ意味ですが「俟つ」ということでしょう。ともかく、葦津がこういう孟子を批判的に引いているのでないことは明白です。それで私に分からないのは、それでは、「いったいどこに孟子は実在するのか?」ということなんです。「いったいだれが孟子なり得るというのでしょうか? 私たちひとりひとり、『七千万』の人間が孟子のように主張したら、社会はどうなっちゃうんだろうか?」という素朴な疑問に突きあたるんですね、私としては。鈴木さん、こういう葦津の主張をどう理解するべきなんでしょう。鈴木さんの意見をうかがいたいと思います。           
草々

2007年(核時代62年)7月31日
和多田進拝


このページの先頭へ




■インフォメーション

ポータルサイト北海道人更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第22回】
 北海道出身または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについてお話しいただくコーナーです。今回はばんえい競馬の騎手、厩務員、インテリアデザイナー、コンピュータ・エンジニアの方々が登場します。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=022




■次号予告
 次号の配信は、北海道の七夕直後です。8月7日の七夕は全道的に晴れのちくもりの予報です。織姫と彦星は7月7日に続き、今年2回目のランデブーということになるのでしょうか。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、大竹正枝の「新・自然真営道」です。
 『メルマガ北海道人』第31号の配信は、8月9日(木)です。

※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html



このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ