メルマガ北海道人

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『メルマガ北海道人』第20号 2007.05.24. ―「北海道人」、雲ひとつない青空の下で―
 北海道に良い季節がやって来ました。気温も上昇し、うっすらと汗をかくのもいやではありません。雲ひとつない青空の日に、何をしましょう。草の生え揃った原っぱに寝ころんで空を眺めたり、目をつぶって太陽に顔を向けてみたり、水平線と空の境目をじっと見たり、UVクリームをいつもより念入りに塗ってみたり、ネクタイを外してみたり……。
 みなさんは、何をして過ごしますか。
 あぁ、そんな日はメルマガ第20号の配信日和だったりもします。

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 戦火を逃れるためにチャンインの祖父シャオフォンさん一家が向かった先は、二度と戻らないと決めたあの地でした。チャンインの母シューリャンさんがたどる幼い頃の記憶から、かつての中国と日本の姿が浮かび上がります。太平洋戦争が始まる直前の上海そして江蘇。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 ここしばらく続いていた二人の緊張状態に変化が……。憲法を考えるシンポジウムに参加した、ニューヨーク帰りの鈴木邦男さん。編集長・和多田進へのメッセージから始まり、葦津先生との切ない思い出、国家、人間、そして憲法について語ります。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第七回

「里帰り」

写真
下校中の児童に声をかけていた串焼き屋の女性(大吉路)
 日本の国民は正しい歴史を知らされていない――中国ではそう考える人が少なくない。事実、日本を離れて以来、自分の国のことを驚くほど知らないということ、また中国の人々も同様であるらしいことはよく感じることだ。
 チャンイン宅に通いはじめた3ヵ月前、その母シューリャンさんは私と視線が合うたびにこう聞いた。
 「お嬢さん、七三一(細菌戦部隊)をご存知ですか」
 「九・一八(満州事変)は?」
 「安倍首相のおじいさん、岸信介(元A級戦犯容疑者。後の首相)のことは?」
 質疑応答はやがて「講義」へと発展し、チャンインの雷が落ちる瞬間まで続けられる。シューリャンさんはいつも最後に言った。
 「すべては軍国主義者がやったこと。あなたは人民、私も人民。人民同士は仲良しです」
 シューリャンさんは上海の西・曹家渡に生まれた。共同租界のすぐ西側に位置するこの地域は、列強が事実上の管轄権を持つ「越界路地域」だった。外国資本による工場や大学、映画館、賭博場があり、そのせいで父シャオフォンさんの診療所兼自宅には労働者や貧民にまじって資本家や国民党員、ヤクザ、それにひそかに活動していた共産党員が連日、来訪。診療費として入る収入は一般労働者の数十倍にも及んでいた。当時の食生活をシューリャンさんは今でも覚えている。
 「シギョやクルマエビ、牛肉にスッポン。栄養にこだわる父でしたから、食はぜいたくなほどに豊かでした」
 一家があるうわさを聞きつけたのは1937年7月下旬のことである。
 「日本人が攻撃をはじめるぞ」
 「逃げろ」
 直前の7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中両軍の武力衝突が起こっていた。日中全面戦争の火種となった盧溝橋事件である。一報を受けた人々は6年前の満州事変を思い出した。その時は余波で「一・二八事変(第一次上海事変)」が勃発。両軍が激戦を交わし、民間人約6000人が犠牲となっていた。今度も必ず飛び火がある――上海市民はそう予感していた。
 シャオフォンさん一家は留守宅を人に預け、黄浦江沿いにある十六舗埠頭へと向かった。行き先は夫妻の故郷、江蘇省塩城だ。埠頭は戦火を逃れようとする群衆でごった返していた。なんとか船に乗りこんだ親子3人は長江を渡って泰州に到着。小汽船に乗り換えて、ようやく塩城にとたどり着いた。シャオフォンさんが「二度と戻らない」と決心し、故郷を去ったのはもう20年も前のことである。この時、妻と娘を連れた彼はいったいどんな思いでその地を踏んだだろうか。
 翌月13日、上海で日中両軍が火花を散らした。人々の予感が的中したのである。中国人居住区を中心として租界を除く上海全土が砲火を浴び、無数の家屋や工場、大学校舎が瓦れきと化した。これが約1万人の民間犠牲者を出したいわゆる「八・一三事変(第二次上海事変)」である。
 すんでのところで難を逃れ、塩城にある知り合いの薬局に身を寄せていた一家は、事態が収束するまでの間、同地にとどまることにした。シャオフォンさんは薬局内で診察することで収入を得、13歳のシューリャンさんは現地の小学校に編入した。食糧は十分にあり、3人はつかの間の平和な時を過ごした。
 戦闘終結を知った一家が上海へ戻ったのは、半年後のことだ。街の様子は一変していた。ほぼ全土が日本軍によって制圧され、唯一残された租界には50万人以上の難民が押し寄せていた。激戦地となった上海駅近くで飲食店をしていた妻チャンランさんの弟もまた、焼け出されて行き場を失った一人だった。一家がふるさと蘇北に日本軍が侵攻したと聞いたのは、それからまもなくのことである。日本人である私を気づかい、シューリャンさんはいつもの言葉を繰り返す。
 「いいのよ、あなたは人民ですから」
 1941年12月、太平洋戦争がはじまる。日本軍が孤島化していた租界へついに歩を進め、上海は大混乱に陥る。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第12回

鈴木邦男→和多田進

「一粒の砂と国家」

 すみません。ごめんなさい。つい、長老に甘えてしまいました。その方が読者も面白がってくれるかな、と思って、あえて「暴言」を吐いたり、「喧嘩」を売ってみたりしました。浅はかでした。もう二度とこのような事がないように気をつけます。土下座してお詫びいたします。
 早トチリをして葦津先生にもよく叱られていました。何十回と葦津先生のお宅には伺ってお話を聞きました。野村秋介さんともよく一緒に行きました。野村さんはよく質問をしていました。「鈴木君も質問しろよ」と言われましたが、僕は出来ませんでした。ただただ圧倒されて、もう何も聞けませんでした。萎縮してしまったのです。「鈴木君はダメだな」と葦津先生には思われたようです。
 「凄い人だ」と一方的に感動し、受け入れていたので、とても長老のように冷静・客観的に見ることは出来ませんでした。だから長老の視点は新鮮だし、驚きでした。私などは考えてもみなかったことでした。いや、少しは考えたかもしれませんが、そこで止めていました。
 確かに、「国家(の意志)」は、ア・プリオリに存在していると葦津先生は考え、私たちもそれをア・プリオリに受け入れてきました。砂漠の一粒の砂のような一票。砂のような自分。それでは余りに淋しすぎる。又、国家はその単なる集合体でも淋しいし、虚しい。そう思ったのです。「美しい共同体」としての国家が昔々からあって、それから枝わかれしたのが個々の生命だと思っていました。日本の神話もそれを理論づけていると思いました。
 ロマンかもしれないし、虚構かもしれません。しかし、「そうだったらいい」という期待や夢をこめて、思っていました。かつては私も過激な右翼運動家でした。いつかは、山口二矢のように、敵を斃(たお)し、自らも死ぬのかと漠然と思っていました。テロリスト志願の青年でした。死は怖くはない。「悠久の大義」に殉じることによって、この国と一体になり、そして永遠に生きられるのだ。そんなことを思いました。
 若い頃、そんなことを考えていたと思うと、そんな自分がいとおしい気持ちです。今の私にはそんな甘い夢はありません。でも、「砂の一粒」でいいのか、と問われると、ウーンと考え込んでしまいます。冷静に考えたら、個々の人間がいて、それが集まって国家を作ったのです。国家が先にあって、人間を生み出したわけではありません。人間が集まって、仮に国家を作ってみた。ということは、別に国家でなくてもよかったのでしょう。だから「国家はなぜ戦争ができるんでしょうか」という疑問も出てくるわけです。

 これは私も考えてみなかった地平です。「一粒の砂」になる覚悟がなかったのでしょう。ア・プリオリな「国家」という夢に身をゆだねてみたかったのでしょう。思考停止の私でした。反省しています。

写真
道12・東京木場公園(写真・WATADA)

 4月末にニューヨークに行ってきました。憲法を考えるシンポジウムに呼ばれたのです。14条、24条を書いたベアテさん達と一緒でした。ここのテーマも実は「国家」と「戦争」でした。60年前、アメリカは<実験>をしたのでしょう。もうこれで戦争はない。じゃ、軍隊のない国家、戦争のない国家を作ってみよう。世界中の国々も続くだろう、と。好意的に解釈すれば、アメリカはそう思ったのでしょう。
 でも、どこも続きませんでした。理想を押しつけたアメリカですら、続こうとしませんでした。日本だけが取り残されたのです。だから、この「現実」に合わせて憲法を改めようという声がドッと出てきました。
 私も憲法を見直すことには賛成です。しかし、60年前の夢なども全て捨て去るのはどうでしょうか。「現実」を踏まえながら、どうやって理想や夢を追求するのか。それを憲法にどう書くのか。頭は千々に乱れます。結論は急がずに、じっくり考えていきたいと思います。長老にもご教示を頂きたいと思います。

2007年5月16日

すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。


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■インフォメーション

北海道人のHPが更新されました。

鯨森さんの空と田野城さんのグレゴリアン♪をアップしました。
 イラストレーター 鯨森惣七さんの空の絵と、サックスプレーヤー 田野城寿男さんが奏でる教会音楽「グレゴリアン」が北海道人のHP上でいっしょになりました。うつりゆく空を観ながら聴くグレゴリアンはものすごい癒しです。仕事の合間にホッと一息つくつもりが、長〜い休憩になってしまいそうです。そういう意味で、ご注意ください。

http://www.hokkaido-jin.jp/topflash/title.html

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第17回】
 今回も個性的なお父さん大集合です。話をしてくれたお父さんの息子さん
や娘さんたちも今をがんばっている北海道人ばかりです。間近に控えた父の日のプレゼントとして「私のお父さん」に出てみてはどうでしょう。お金はかかりません!

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=017

田野城寿男BAND“The Secret Live”
 メルマガでもおなじみのサックス奏者 田野城寿男さんのライブが札幌で行われます。ニューヨークや東京からミュージシャンを招いて行われる今回のライブは、豪華で過激とのこと。ニューヨークを彷彿させるライブになりそうです。

開催日:2007年6月21日(木)
時 間:18:30開場 19:00開演
メンバー:
 田野城寿男(Sax.)、友成好宏(Key.)、
 長島淳一郎(Bass.)、新井田孝則(Drums.)
会 場:ヤマハミューズクラブ札幌 スタジオフィールズ
 (札幌市中央区南10条西1丁目)
料 金:前売¥5,000 当日¥5,500
チケット取扱い:ヤマハミューズクラブ札幌 電話:011-512-5432
主催/協賛:FMノースウェーブ・ヤマハミューズクラブ札幌




■次号予告
 次号メルマガの配信は5月31日です。北海道では山女の解禁日前日になります。やまおんなの解禁日ではありません。川魚のやまめです。山女魚とも書きます。山女が渓流をスイスイと泳ぐが如く、メルマガを放ちます。放たれるメルマガには、サックス奏者の田野城寿男さん、北京在住のフォトグラファー岩崎稔さん、植物を愛する研究者大竹正枝さんの印が刻まれていることでしょう。
 『メルマガ北海道人』第21号は、山女解禁の約7時間くらい前に放ちます。警戒心が強いので、うまく捕らえてお読みください。

※インターネットに接続していない場合、メルマガ上の画像は見ることができませんのでご注意ください。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
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