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『メルマガ北海道人』第18号 2007.05.10. ―「北海道人」、五月雨一時五月病のち五月晴れ―
 さみだれ、ごがつびょう、さつきばれ。五月は自己主張の強い月です。何かと自分のペースに巻き込もうとします。暖かくなったので半袖のシャツを着たらとたんに寒くなり、そうこうしているうちに体調を崩して、なんだか気分までも良くなくなります。五月に身をゆだねてはいけません。五月は北海道人を試しています。ですから緊張感をもって、しっかりとメルマガ第18号を配信します! 緊張のあまり、送信ボタンを押す指が震えます。本当です。

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 「黄金週」の暑い日に、ズボンをたくし上げたチャンインが、祖父について語りました。「医者にはならない」と少年時代に決意した祖父が、異郷の地、上海で診療所を開きます。これは尿瓶(しびん)退学事件が起きる前のこと。今回は、気性の激しい「寅年生まれ」、シャオフォンじいちゃんの波乱万丈人生第2幕です。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 かねてから話題に上っていた葦津珍彦さん。彼の言葉から、編集長・和多田進が、「国家」や「民主主義」について話を深めてゆきます。まるで外科医が胸部に静かにメスを入れ、手際よく手術をするような論の進め方に思わず身震いします。編集長、麻酔は全麻ですよね。ついでの蛇足が少し痛いです。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第六回

「二代目中医の誕生」

 「黄金週(ゴールデンウィーク)」の初日から上海は5月とは思えない暑気に見舞われている。巷にはTシャツをワキまでまくりあげてマージャンに興じる男性や、ネグリジェのまま軒先で涼をとる女性が続々と出現。「おう、来たか」と出迎えてくれるわが友人チャンインまでもがパジャマのズボンをももまでたくしあげ、上半身は裸である。初夏の訪れをしみじみと感じる光景だ。
 さて、チャンインの祖父のその後である。シャオフォンさんが上海行きを決意した時、宮廷医だったその父はすでにこの世にいなかった。彼は過去と縁を切り、二度と戻らない覚悟で生まれ育った江蘇省の故郷を後にした。
 1910年頃の上海は混沌の街であった。イギリスとの間に起こったアヘン戦争(1840〜1842年)で清朝が敗北し、南京条約により開港を余儀なくされたこの都市には、イギリス・アメリカによる共同租界と、フランス租界が存在していた。この年の上海総人口は130万人。人々はそのわずか1パーセントを占める外国人の勢力と対抗しつつも共存していた。上海は当時すでに国際大都市だった。

写真
「太原路・汾陽路」のバス停。旧フランス租界にあたり、ユダヤ人難民のための旧上海ユダヤ医院(現耳鼻科医院)に隣接

 シャオフォンさんはまず民家の軒先に小さな診療所を設けた。医術は父が授けてくれた唯一の財産である。異郷での暮らしでそれを生きる糧とすることはごく自然な成り行きだった。「医者だけにはならない」という少年の頃の思いはいつのまにか消えていた。
 だが、診療所はまったくはやらなかった。シャオフォンさんは若くて実績もなく、第一よそ者である。信用のない医者のところに患者が来るはずもなかった。やがて食うにも困るようになると、彼はやむなく診療所をたたんだ。
 もはや職業を選んでなどいられなかった。次にシャオフォンさんは雲南省昆明にある士官学校・雲南陸軍講武堂の砲兵となった。職業軍人だ。講武堂は中華人民共和国の副首席となった朱徳や葉剣英を輩出した名門軍事教練所である。当初、清朝政府によって建てられたが、やがて孫文ら革命派によって実権が握られ、その拠点となった。シャオフォンさんが入学したのは、ちょうどこの革命派時代の最盛期と思われる。彼はここで軍事訓練を受けながら寝床と食事、そして少しの銀貨を与えられた。
 ところが、彼には入学以来、頭の痛い問題が一つあった。夜間のはばかりである。夜中にかならず小便に立つ習慣がある彼は、屋外の遠く離れた厠まで足をのばすのがおっくうでしかたがなかった。このままでは睡眠不足に陥ってしまう――。そこでひそかに持ち込んだのが尿瓶(しびん)である。これがあれば宿舎内で用を足すことができた。シャオフォンさんはようやく安眠を手に入れて喜んだ。
 尿瓶の存在を上官の一人に知られたのは、それからすぐのことだった。
 「見逃しがたい規律違反だ」
 上官は若い砲兵を叱責した。シャオフォンさんは「寅年生まれのせい」で生来、気性の激しい人である。筋の通らないその規則に強く反発するとともに、一つの結論に至った。
 「こんなつまらんところには、いてられん」
 彼はただちに荷物をまとめ、名声とどろく講武堂を去った。入学わずか1ヶ月のことである。後年、シャオフォンさんは孫チャンインにこの話を聞かせるたび、得意げにこう言ったそうだ。
 「あの時、辞めてなかったら、今頃わしは名将校じゃ」
 上海へと戻ったシャオフォンさんは、今度こそ腹をすえて医者になろうと決意する。診療所を再開するかたわら、最低限の生活費を稼ぐために植字用の字を書く内職を請け負った。幼少の頃から科挙を目指して古文に親しみ、書道に励んだ彼は達筆だったのである。
 数年後、彼の中医としての才能が開花した。やがてその腕は広く知れわたるようになり、診療所一本で食べていけるようになった。同郷出身で4歳年下のチャンランさんと結婚したのは1918年、シャオフォンさんが28歳の時のことだ。その後、シャオフォン夫妻には7人の子どもが生まれる。しかし、うち6人が幼くして病死。4番目の子だけがかろうじて生き残った。それがシューリャンさん、つまりチャンインの母である。
 ここから上海は戦乱の時代へと入る。シャオフォンさん一家3人もまた、その大きな波に翻弄されていくのである。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□連載
【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】 第11回

和多田進→鈴木邦男

「国家はなぜ戦争ができるのか?」

鈴木邦男さま

前略

 葦津珍彦の考えから学ぶ前提として、私はまず「国家はなぜ戦争ができるのか?」という大きな疑問を提示しておきたいと思います。その前に、「国家とは何か?」というさらに大きな疑問があります。こうした大きな疑問を保留したまま葦津の考えの軌跡を私なりに考える、ということです。それにしても、国家というのはいったい何んなんでしょうか? そして、国家は、なぜ戦争ができるんでしょうか?

 葦津は『近代民主主義の終末』という著作の中で、「日本国の真の精神・日本国の真意は、はたしてどこにもとめられるべきなのか。それは、砂漠の中の一粒の砂にも似たような微小にして貧弱な、一票また一票が、ただ算数的に積算された後で、はじめて出て来るようなもののほかにはないのであろうか。もしそのようなもの以外に、国の意思精神がないものとすれば、国とは、われわれにとって、まったく無関係とも言っていいような、ただ巨大な無情の機構にすぎない。そのような近代民主的な機構は、それが大きくなればなるほど、無精神な空洞と化して、くずれ去るのほかないであろう。近代民主国日本の終末は、近いといって誤りない」と述べました。
 この短い文言の中に、私は国家や民主主義に関する葦津の問題意識の核心部分を見るのですが、それで間違いはないでしょうか、鈴木さんのご意見も伺いたく思います。
 私の読み方では、「国家(の意志)」というものは、先験的に(ア・プ
リオリに)存在しているのだ、というのが葦津の主張です。国民ひとりびとりの意志が積み重なって「国家(の意志)」というのが生まれるのではなく、それはずっと以前から、大むかしから、天からの授かり物としてたしかに在るのである、というのが葦津の言わんとするところなのだと思います。
 もし私のこうした理解に間違いがないとすれば、葦津のこの認識は、私にとってなかなか微妙という他ありません。どうして「なかなか微妙」だと私が思うのかと言いますと、葦津と私の考えの前提には大きな相違があるからです。
 葦津は「日本国の真の精神・日本国の真意は、はたしてどこにもとめられるべきなのか」という自問から出発し、それに自ら解答を与えているわけで、その範疇に限れば、葦津の読者としての私は、「なかなか微妙」な判断を迫られることになります。なにしろ、葦津の問題設定の枠組みの中で考えることを余儀なくされるわけですから。
 しかし、葦津が前提している自問――「日本国の真の精神・日本国の真意」ということを外してしまえば、私にとって考えるべき問題はほとんどゼロということになってしまいます。つまり、「国家」とは単なる機構に過ぎず、従ってそんなものには「精神」もなければ「意志」もないということになれば、「真の精神」も「真意」もあり得ようはずがないのです。そして、私はいまそう考えています。
 しかしながら、私自身の感情に即して言えば、「砂漠の中の一粒の砂にも似たような微小にして貧弱な、一票また一票が、ただ算数的に積算され」ているにすぎないように見える現実にも目を塞(ふさ)ぐわけにはいきません。感情のみならず、「砂漠の中の一粒の砂」は事実でもあろうかと思います。そこが「なかなか微妙」と思う所以なんですね。

写真
道11・札幌市西岡(写真・WATADA)

 もう少し、葦津の言うところを私になりに考えていきたいと思います。鈴木さんには葦津に関する私の理解を批判的に検討してもらって、できればいたらぬ「長老」の思考を援助していただきたいのです。この往復書簡をはじめる際にも、その後にも、私は何度か「対話」をしたいと書きました。「揚げ足取り」や「レッテル貼り」なんかではもちろんなく、鈴木さんと「対話」をしたいという思いは現在もこれからも変わりません。蛇足ではありますけれど、「対話」には「勝ち」も「負け」もないばかりか、「対話」はdialogueであり、conversationであります。
 蛇足ついでに、もうひとつだけ蛇足を。鈴木さんにお願いいたします。私の前便、前々便を走り読みではなく、精確にお読み下さい。私が鈴木さんの「言葉尻をとらえ」てなどいないこと、「葦津珍彦さんのことを書きたい」などと言っていないこと、「葦津先生を認め」るということなどと書いていないことは明白じゃないでしょうか。あまりに大雑把な要約は「対話」の障害になると私は考えます。

草々

2007年(核時代62年)5月5日
和多田進拝


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■インフォメーション

北海道人のHPが更新されました。

北海道人特集【となりの北海道人 「私のお父さん」 in 旭山動物園】
 昨年の冬、一匹のライオンが旭山動物園で生まれました。名前はアキラ、現在生後6ヶ月です。アキラのお父さんは、たてがみが美しい11歳のライラです。ライラ・ファミリーの様子から、父ライオンの条件やライオンの生態などが見えてきます。父はモテなくてはならないらしいのです。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/045/sp_01.html

連載【となりの北海道人 「私のお父さん」 第16回】
 北海道生まれ、または北海道在住の4名の方にご登場いただきました。こちらは人間のお父さんの話です。今回もお父さんはいろいろです。
 次はあなたが、お父さん、とうさん、とうちゃん、父上、おやじ、パパ、ファーザー、ダディの話をしてみませんか。

http://www.hokkaido-jin.jp/issue/dad/101.php?no=016

『心でつくる』に新商品が加わりました
 白老愛泉園から、こだわりの入浴剤「よもぎのお風呂」、「くまささのお風呂」が届きました。地元白老で採れた、「えぞよもぎ」と「熊笹」を使い、独自の製法でつくられた入浴剤です。疲れていたらコレです。ぜひ、お試しください。

http://hokkaido-jin.jp/issue/jyusan/itemlist.php




■次号予告
 魂のサックス奏者、田野城寿男さんは絶好調です。『楽譜のいらない音楽授業』を読んでいると体がリズムをとってしまうのはなぜでしょう。それは田野城さんの絶好調が感染したからです。
 北京在住のフォトグラファー、岩崎稔さんの周りではなぜ面白いことが起きるのでしょう。岩崎さんが呼び寄せているのでしょうか。それとも飛び込んでいるのでしょうか。『大陸人の時間』では、また何か起こるのでしょうか?!
 植物の不思議なパワーに興味を持つ、大竹正枝さんの『新・自然真栄道』。研究者の鋭い視点から次々と提起される問題に、毎回「はっ」とか「あっ」とか言いながら読む方も多いのでは。次号は「エエッ」と言ってしまう内容です。
 リズムをとり、プッと笑い、エエッと驚く、なんだか体に良さそうな次号『メルマガ北海道人』第19号は、5月17日(木)の配信です。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

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