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『メルマガ北海道人』第17号 2007.05.03. ―「北海道人」、行者ニンニク前線は何処に―
 『メルマガ北海道人』第17号は、ゴールデンウィーク真っ只中の配信です。札幌市内でも桜がちらほら咲き始めました。ソメイヨシノがパッと開けば、開花宣言ということになります。
 さて、桜前線より一足早く訪れるのが、知る人ぞ知る行者ニンニク前線です。今週、積丹半島でほど良いサイズの行者ニンニクが確認され、ジンギスカンに入れたら美味だった、という報告がありました。まさに北海道の春を知らせるニュースです。しかし、それは前線の通過を知らせるもので、前線の位置は不明です。「我こそは、前線の真上にいる」という方はご一報を。
 行者ニンニクを食べて、元気を出して、憲法記念日だということを噛み締めながら、メルマガをお読みください。逆も良いかもしれません。

となりの北海道人 『私のお父さん』




■もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 「ブルーノートレーベル」の創始者アルフレッド・ライオン。彼の生き方から、ジャズの歴史やジャズへの愛を学ぶことができる今回の授業。ますます深まってゆく、ジャズの世界、田野城ワールドを読み取るために必要なのは「心」でしょう。

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 高級マンション敷地内の喫茶店に忍び込んだ岩崎さんが、突然背後から声をかけられビックリ! 声の主は……。張先生の話が終わり、またまた個性的な人々が岩崎さんの前に現れます。中国は広くて、いろんな人がいます。それが楽しい!

連載【大竹正枝の『新・自然真営道』】

 野に咲く美しい花、オオウバユリをめぐって問題が起こります。自然と人間の共生を考えて行った事業に思わぬ落とし穴があったとは……。アカデミックなネイチャー系読み物も11回目。大竹さんの場合、知は自然への愛なのですね。

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□連載
【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

田野城式ジャズの捉え方「第2回 ブルーノートレーベル」

 ジャズの運命を変えたブルーノートレーベル。
 もしこのレコードレーベル会社の存在が無かったら、アメリカで誕生したジャズがこれほどまでに世界で認知されただろうか……。
 現在、スタイルはともかく、ジャズは世界の多くの国で共通の言語となり、誰もが耳にした事のある音楽となっています。
 約30年前、私がアメリカ東海岸のボストンに留学した時、すでに全米の音楽大学ではジャズ科が存在していました。これはアメリカに於いてジャズが芸術として高い価値があると評価されていた証拠でもあります。
 がしかし、歴史を振り返るとかなりの綱渡りを経験しているのです。
 その中でもブルーノートレーベルの創設者、アルフレッド・ライオンの存在はかなり重要だったと思います。
 彼は1920代、黒人音楽のジャズを求めてドイツ・ベルリンからアメリカ・ニューヨークへ渡ります。セントラルパークで寝泊まりしながら、港湾労働者として働いたお金をすべてレコード代やジャズクラブ代につぎ込んでいたと言う話を聞くと、黒人音楽であるジャズを理解しようと努力した彼は、アメリカのジャズ音楽愛好家の誰よりも勝っていたのではないかと思われます。
 その後アルフレッドはベルリンへ戻ったものの、第二次世界大戦から逃れ、南米に移住。30年代には、貿易商としてアメリカに再び入国しています。
 大戦中のアメリカと言えば、スイングジャズの全盛期。このスイングジャズとはダンス音楽を伴奏するジャズオーケストラの演奏スタイルを意味します。
読者のあなたもグレン・ミラーやベニー・グッドマンと言う名前を聞いた事があるのではないでしょうか?
 またこのスイング時代は、白人ジャズが音楽ビジネスとして大成功した時期とも言えます。
 しかし、アルフレッド・ライオンの眼差しの先は違っていたのです。メジャーレーベルの白人による白人向けビジネスと言う考えに相反し、彼は独自のインディペンデント・レーベルを立ち上げたのです。それがブルーノートでした。
 ちなみにブルーノートとは黒人が産み出した独自の音階を言います。
 当時ニューヨーク・ハーレムに住む黒人ジャズアーティスト達はすでにスイングから次世代の音楽を創造していました。一歩精神世界に踏み込んだアフリカ系黒人の哲学としての音楽、モダンジャズの誕生です。
 すなわちショービジネスからアートへと成長していったのです。
 ファッションとしての音楽だけではなく、彼らの血であり、肉であり、誇りだったです。
 しかし現実はというと、多くの黒人ジャズミュージシャンはメジャーレーベルから相手にされず、その日の生活すらままならない毎日をおくっていました。そんな彼らにきちんとギャラを払い、レコーデイングをするチャンスを与えたのがアルフレッドだったのです。言わばレコード会社がアーティストのパトロン役もかっていたのです。
 ところで、アメリカ政府が発行する「アメリカンポピュラーミュージック」と言う雑誌の存在をご存知でしょうか? ジャズ、カントリー、ロックの項目に分けられ、いずれもアメリカが誇る最大のエンターテイメントを紹介しています。ページをめくると、まさしくこれがショービジネスだ!と艶やかに飛び込んできます。
しかし良く考えてみると、実に不思議な事に気づきす。読者のあなたはどうですか?
 アメリカの文化であるジャズ、その灯を消さず新たな発展に力を尽くした人物こそ、アルフレッド・ライオンではなかったかということに。
 しかも彼はアメリカ生まれのアメリカ人ではなくドイツ生まれの移民だった。
 戦後日本でも、ブルーノートレーベル程ではないものの、やはり日本独自のインディペンデント・レーベルがアメリカの多くのジャズアーティスト達と契約し、彼らを日本に招き入れました。
 またドイツでも70年代から現代に至るまで、その質の高さに世界中の音楽ファンをうならせたジャズレーベルがあります。マンフレッド・アイヒャー率いるインデイペンデント・レーベルECMです。
 そして現在、世界に広まったアメリカの伝統音楽であるジャズが最も盛んな国はどこだと思いますか?
 …イタリアなのです。
 黒人霊歌として誕生した音楽が、様々な人の手を介して姿を変え、アメリカの伝統文化の一つジャズとして確立した今、私はさらなる進化を感じます。オリジナルなジャズへと徐々に風が吹き始めているのを感じます。裏を返せば、プロテスタントが生んだジャズからカトリックのジャズ、そしてイスラムのジャズが誕生しはじめているのです。
 私の信念としてよく弟子達に次の言葉を伝える事があります。読者のあなたにも是非、伝えたいと思います。
 「音楽は、国や民族、宗教の違いなどを超えて、人の心を豊かにしたり、幸福にする力を持っている」

写真:田野城寿男氏

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com

携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

田野城さんのライブが近々行われます。メルマガ巻末の【インフォメーション】をご覧ください。

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□連載
【岩崎稔の『大陸人の時間』】第08回

「やり手不動産屋・黄さん」

 北京には、年々増え続けている日本人駐在員向けのマンションやヴィラがいくつかある。日本人学校への送迎バスのサービス、日本の衛星放送、和食のレストラン、日本食品のスーパーがあるのが基本で、なかには日本人医師がいるクリニック、ゴルフ用品店、漫画喫茶などが設置されたマンションもある。大体月2,000ドル〜4,000ドルの賃貸住宅である。こちらの物価で考えたら、かなり高額である。大企業から派遣されてきた駐在員はきまってこのような高級マンションで暮らす。私のように月2,500元程度のローカルなマンションで暮らす者にとって、そこは足を踏み入れるのもおこがましい場所なのだが、時々出かけていき、そこの住人を装って買い物や食事をすることがある。

写真
電柱を利用して雑誌を売る女性

 それは、日本人向けマンションのスーパーで買い物し、その敷地内の漫画喫茶に立ち寄ったときのことである。クリームコロッケを注文し、棚に並べられた漫画を選んでいると、「岩崎さんじゃないですか!」という大きな声に思わずびくっとした。住人でもないのにここにいるのが後ろめたい……。おそるおそる振り返ると、不動産屋の黄さんが立っていた。このマンションに事務所がある日本人駐在員向けの不動産屋で働いているから、ここで会っても不思議ではない。しかし黄さんと会うのは約4年ぶりだ。今のマンションもその前に住んでいた所も黄さんに紹介してもらったので、8年ほどの付き合いになる。
 「まだあそこに住んでいますか? 長いですね」
 近況を話しながら久しぶりの再会を喜んでいると、黄さんにこう切り出された。
 「私、来月結婚します。是非結婚式に来て下さい」
 偶然会っただけなのに、まさか結婚式に招待されるとは……。4年前に会った時、彼は長く付き合っていた彼女と別れて落ち込んでいた。が、目の前の黄さんは幸福のオーラを全身から放っている。
 「実はお恥ずかしい話ですが、もう2歳になる子供がいます」
 「できちゃった婚」は中国では珍しい。しかも黄さんの場合、もう生まれてしまっている。その日は結婚式に参加する約束をして別れた。
 そして当日。結婚式(披露宴)は、某ホテルの中にある北朝鮮料理屋で開かれた。なぜ朝鮮料理か。そう、黄さんは吉林出身の朝鮮族だったのだ。「朝鮮族」は中国の少数民族の一つで、ハングル語を母語とし、北朝鮮と隣接している吉林省に多い。私が座ったテーブルには、日本人が7人ぐらい、それから漢族と思しき人たち、その他はほとんどが朝鮮族の方々のようだった。
 造花や風船で飾り付けされた黒塗りの高級車から降り立った新郎の黄さんと新婦が会場に登場すると、漫才師のような中年の朝鮮族の司会者が現れた。何を言っているのかはさっぱり分からないが、物凄く仕切りまくっているようだ。新郎新婦がバージンロードをしずしずと歩き、前方の舞台に登った。その厳かな場面をぶちこわすかのように、また司会者がハングル語で、「はい、キスをして下さい」みたいなことを図々しく言っている。指輪の交換やウェディングケーキのカットが終わると、華やかなチマチョゴリを纏った踊り子達が朝鮮族の踊りを披露した。それから日本人・朝鮮族・漢族の友人知人がそれぞれ祝辞をのべたが、通訳がいないので聞いている人たちは何となく感じをつかみながら拍手をしている。ちんぷんかんぷんなのだが、それぞれのお祝いの気持ちは温かく通じ合い、一体感を感じた。
 祝辞などが終わると、例の司会者がまた前に進み出てきた。 
 「それでは一曲私が歌わせてもらいます」
 みたいな感じで演歌のような曲を熱唱し始めた。
 「おい、おまえが歌うのかよ」
 私は心の中で突っ込みを入れた。

 次回に続く。

写真:岩崎稔氏 いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

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□連載
新・自然真営道 第07回

「屯田防風林」

写真
1メートルほどまで大きくなる
写真
花に虫がはいっている。虫媒花である。

 今から10年ほど前の春、私は初めて植生調査というものを体験した。その初めての仕事は、ある区域内のすべての植物名をリストアップするというもので、調査対象区は屯田防風林内のオオウバユリ群生地だった。
 「なぜここを調査するのですか?」と私がボスに尋ねると、「調査だけすればいい」という返答だった。確かにこのような調査の目的は知らされないのが一般的である。知る必要はないし、客観性を失うことも有り得るので知らないほうがいいのだ。私は格段気にせずに調査に集中し、この日が終了した。しかし、私は1ヶ月も経たないうちに、その調査目的の意図を知ることとなった。
 オオウバユリはユリ科の多年草で、主に森林内のジメジメした場所や、ため池などの湿地帯に生息する植物である。種子と栄養(球根)の両方で子孫を残し、その球根中にはでんぷん質を多く含む。そのため、アイヌの先住民族たちはその球根を貴重なタンパク源として食していたという。確かにオオウバユリの根は、見た感じもほとんどユリ根と変わらない。また、春の新芽も食べることができる。食料獲得が難しい冬から春にかけての時期をやり過ごすためのアイヌの人々の知恵だったのだろう。
 ところが10年前、札幌市内でも有数なこの屯田防風林内のオオウバユリ群生地の存在が脅かされることになったのだ。1999年にこの防風林は「野生動物との共生を目指した道路と緑地」というテーマで景観賞を受賞している。例えば、エゾリスのために道路で分断されてしまった防風林と防風林の間に専用の歩道橋を設置している。こうすれば、エゾリスはロードキル(交通事故)に遭うことなく、ある区域から別の区域へ自由に行き来できると考えられた。また、人が散歩できるような道路や休憩するベンチなどのスペースも設けられている。
 しかし、あるアイヌ民族の人権を訴える団体がこの計画の全貌を知って、開発予定となっていたオオウバユリの生息地の保護を訴えたのだ。実際、私が調査したときには、生息保護地は防風林のごく一部に残っているだけで、ほとんどの区域ではすでに変貌をとげていた。鉄道の高架下は半分ほど裸地が剥き出しの状態になっており、残りの半分にオオウバユリが点在していたのを覚えている。おそらく途中で工事が中断されたのだろう。保護を訴えた団体の主張が認められたことを物語っていた。「私たちにとってオオウバユリは、アイヌ文化の一部なのです」と、その団体関係者は語った。
 現在は、人が立ち入らないよう、この群生地をテープで囲っているらしい。オオウバユリは開花までに10年という長い歳月を必要とするため、一度撹乱が起きると回復までに相当な時間がかかる。また、帰化植物などと競合できるかどうかも未知数だ。だから私としても、この生息地をそっと残して欲しいと願わずにはいられない。
 しかし、「自然と人間の共生」というテーマを掲げて開発が行われたのにもかかわらず、「植物と人間の歴史」に注意を払わなかったのはじつに皮肉なものである。
 オオウバユリを見る度に、屯田防風林のことが思い出されてならない。

(大竹正枝)

おおたけ・まさえ…1965年生まれ、千葉県出身。現在、北海道大学農学研究科に在籍。植物が人間に与える不思議なパワーに興味を持ち、主に園芸療法について研究するかたわら、ガーデニング、環境保全、そして地域・農村活性化など幅広く関心を持つ。

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■インフォメーション

■田野城寿男Live情報

 好評だった前回のバレンタインライブにつづく第2弾。田野城寿男さんと彼の弟子、西村嘉洋さんの熱いアコースティックジャズサウンドが楽しめます。

・内 容:Sax & Guitar Duo
・日 時:2007年5月23日(水) 18:30開場 19:00開演
・場 所:Organic Cafe 青い空 流れる雲(札幌市中央区南1条西22丁目)
・問合せ:011・623・3887(Organic cafe青い空 流れる雲内)
・料 金:¥2,500(Organic Cake & Drink付き)限定22席




■次号予告
 上林早苗さんの『上海日記』は、チャンインのじいちゃん、シャオフォンさんが士官学校で起こした尿瓶(しびん)退学事件から始まります。「上海で一旗あげてやろう」と決心したシャオフォン少年の前に、いつくもの苦難が立ちはだかります。
 『危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡』は、「民主主義」について、あるいは過去の出来事をめぐって緊張が高まっています。「あと出しジャンケン」だと言われてしまった、編集長・和多田進が鈴木邦男氏に出すのは、「グー」か「チョキ」か、それともまさか……。
 尿瓶から民主主義までを網羅する、守備範囲の広さが自慢です。
 目が離せない次号『メルマガ北海道人』第18号は、5月10日(木)の配信です。

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