メルマガ北海道人

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『メルマガ北海道人』第16号 2007.04.26. ―「北海道人」、ゴールデンウィークは花見でしょ―
 まもなくゴールデンウィークです。桜前線は現在青森県あたりまで到達の模様。津軽海峡を越えて北海道に上陸するまであと少し、あと少し……。行楽地の花見映像を横目に、突然の雪に見舞われ、タンスにしまい込んだセーターを出すことも珍しくありません、北海道人は。慣れてますね、そんなこと。
 さて、今年のゴールデンウィークの天気はどうなることでしょう。桜の下でジンギスカンを楽しめるのでしょうか。とりあえず、鍋と炭と七輪の準備はお忘れなく。桜前線の到着より一足早くメルマガ第16号をお届けします。

となりの北海道人『私のお父さん』




■もくじ

連載「上海日記」

 チャンイン一家の夕食に招かれた上林さん。楽しい夕食のはずが……。親子げんかに始まり、話は1890年生まれのチャンインのじいちゃん、シャオフォンさんに及びます。「科挙」を目指すシャオフォン少年の耳に入った知らせは?!

連載「おわびの極意」

 今回の「おわび」と「訂正」は大漁です。ちなみに採取した1週間の月齢は7〜13、潮汐は小潮から中潮。大漁との因果関係は??

連載「危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡」

 鈴木邦男さんが読者に審判を求めました。「編集長・和多田進と私のどちらが正しいか、多数決で決めてもいい」と。北半球は夏向かって気温上昇中。往復書簡も然り。「葦津珍彦さんと民主主義」について鈴木さんが語ります。

連載「NEWSぱくりんこZ」

 ぱくりンカー山崎達之の趣味は車の運転です。朝から晩までパクりまくったあと、夜の小樽へドライブすることもあります。高速を飛ばしながら、その日のパクリ具合を振り返り、目を細めるのだそうです。

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□連載
【上林早苗の「上海日記」】第五回

「一家の食卓」

 「そういう話ならやめてくれ」
 きくらげのニンニク和え、ガチョウの塩漬け、豚肉の甘辛煮、干し豆腐とタケノコのニラ炒め、ジャガイモとハムのトマトスープ。四菜一汁が並んだ家族そろっての夕食中に事は起こった。1924年生まれの母シューリャンさんの話が国民党政権下での上海の惨状からはじまって、共産党による「解放」(1949年)後の生活へと移り、「毛主席のおかげで」と言いかけた、ちょうどその瞬間のことである。それまで「ウーム」と低いうなり声を出しながら聞いていた息子チャンインは、ここにきて堪忍袋の緒が切れたらしい。
 「いいか。新聞に載ってるような話はいい。今は俺たち個人のことを話すんだ」
 「それなら父が共産党を支持していたわ」
 「ハイハイ、支持してた、支持してましたとも。おふくろは、お上の怒りにふれて大事な年金を取り上げられるのが怖いからな」
 「バカおっしゃい!」
 もうガチョウ肉どころではない。チャンインは一息つくと、冷静さを保とうとしてか、ゆっくりとした口調で続けた。
 「本当は解放前のほうがよかったんじゃないのか? スッポンだの牛肉だのを家族でよく食ったと、じいちゃんは言ってたぞ。それに比べて解放後は配給切符がなけりゃ何にも買えない。しかも全国的な食糧不足だ。貧乏人が威張りちらしたあの社会が前よりもいい社会だと、おふくろはそう思うのか?」
 チャンインの3人目の夫人は黙って箸を動かしている。彼女は共産党員である。シューリャンさんは息子に目もくれず、私に向かって話しだした。
 「確かに解放前、うちの暮らしは悪くありませんでした。でも飢えたり、凍えたりして死んだ人が道に転がっていたのをこの目で見たんです。あの頃、国民党政府は私たち庶民のことなんて構ってくれなかった。みんながご飯を食べられるようにしてくれたのは毛沢東なんです」
 「共産党の勢力が迫ってたんだぞ。国民党政府は構いたくても構えなかったんだろうが」
 意外である。チャンインといえば社内有数の「日和見男」だった。会議や朝礼になると、その時もっとも有力な会社幹部の意向を代弁するので、同僚たちから反感を買っていたのだ。それが今夜は母の「日和見」を揶揄している。思えば、これまでにも私がシューリャンさんに昔の事を尋ねるたび、彼はこう言って嫌がっていた。
 「おふくろは自分の記憶と党から与えられた知識の区別がついていない」
 息子から見れば母のその「素直さ」がいら立たしいらしい。難しい時代を生きてきたシューリャンさんと、母の発言をもどかしく思う息子、そして沈黙を守る共産党員の嫁。親子げんか一つに交錯するそれぞれの思いは複雑そうだ。

写真
4月15日、革命戦士・雷鋒を記念して住民委員会主催による「人民のための奉仕イベント」が行われ、散髪が無料に(馬当路)

 さて、前回の続きである。命からがら故郷に逃げ帰った宮廷医に1890年、息子シャオフォンさんが生まれた。さきほどシューリャンさんが「父」、チャンインが「じいちゃん」と呼んだ人物である。
 シャオフォン少年は役人になりたかった。人を救うはずが自らの命を落としかけた父の後ろ姿を見て、「医者にだけはならない」と心に決めていたのである。そこで目指したのが科挙試験だ。科挙は当時、地方の人間が官僚になる唯一の道だった。少年は父から中国医学の手ほどきを受けながらも、暇を見つけては詩や古文を読みふけり、時が熟すのを待った。
 1905年、15歳になったシャオフォンさんの耳にある知らせが入る。
 「清朝政府が科挙廃止を決定」
 中国で約1300年もの間、受け継がれてきた官吏登用制度が終わりを告げた。それとともに少年の夢もあっけなく破れたのである。彼が新たな決心をしたのは、それから数年後のことだ。
 「上海で一旗あげてやろう」
 人生の決め手となる決断だった。時は1910年頃、中国各地で革命運動が起こり、孫文が中華民国を成立させる直前のことである。
 次回は故郷を離れたシャオフォンさんが士官学校で起こした尿瓶(しびん)退学事件から。「スッポン」のある生活までには、まだいくつもの苦難が待ち受けている。

かんばやし・さなえ…1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

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□連載
【おわびの極意】3月26日〜4月1日

日本経済新聞 3月27日 朝刊 p.39 北海道14版
「訂正」
 26日付朝刊1面「各地の震度」の図中で「上越5」とあるのは「刈羽5」の誤りでした。

朝日新聞 3月27日 朝刊 p.31 14版
「訂正」
 26日付写真グラフ「能登 震度6強」の「倒壊」の写真説明で、「興禅寺」とあるのは「総持寺祖院=輪島市門前町門前」の誤りでした。訂正します。

朝日新聞 3月27日 朝刊 p.26 14版
「訂正」
 25日付別刷りの小・中学校教職員の人事で、浜頓別小に異動する丹治久恵さん(猿払村鬼志別小)の記載がありませんでした。訂正します。

読売新聞 3月27日 朝刊 p.34 12版 道社B
「おわび」
 25日朝刊の小・中学校教職員の人事で、氏名が抜けていました。正しくは「浜頓別小(鬼志別小)丹治久恵」でした。おわびして訂正します。

毎日新聞 3月27日 朝刊 p.22 11版
「おわび」
 25日朝刊別刷りの小・中学校教職員の人事のうち、「宗谷」の小学校で氏名の欠落がありました。「浜頓別小(鬼志別小)」は、正しくは「浜頓別小(鬼志別小)丹治久恵」でした。おわびして訂正します。

北海道新聞 3月27日 夕刊 p.11 圏B
「訂正」
 26日の「札幌遠友塾が新入生募集」の記事で、申込先の泉さんの電話番号が「011・897・1427」とあるのは「011・897・1426」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 3月28日 朝刊 p.19 12版
「訂正」
 27日付「原油続伸」の記事中「対イラク追加制裁決議」とあるのは「対イラン」の誤りでした。

毎日新聞 3月28日 夕刊 p.4 4版
「訂正」
 27日夕刊「新日鉄、インドで生産」の記事で、インドの06年の粗鋼生産が「4万4000トン」とあるのは「4400万トン」の誤りでした。

毎日新聞 3月29日 朝刊 p.10 13版
「おわび」
 28日朝刊「東急に伊勢丹流」の写真説明で、武藤信一・伊勢丹社長と越村敏昭・東急電鉄社長が逆になっていました。正しくは「握手する(左から)越村敏昭・東急電鉄社長、武藤信一・伊勢丹社長、水田寛和・東急百貨店社長」でした。おわびして訂正します。

北海道新聞 3月29日 朝刊 p.6 A16版
「訂正」
 28日の「水平線・北アイルランド 和平の裏側」の記事で、英政府による北アイルランド支援策の金額が「三十五億ポンド」「一億ポンド」とあるのは、それぞれ「三百五十億ポンド」「十億ポンド」の誤りでした。訂正します。

朝日新聞 3月30日 朝刊 p.21 12版
「訂正」
 6日付「患者を生きる 妊娠・出産 地域で1」の記事で、宮城県登米市立佐沼病院で健診を受けた妊娠6カ月の女性に「次回から別のところに移ってください」と転院を求めたのが「吉田祐司医師」とあるのは、誤りでした。女性に転院を求めたのは別の医師でした。訂正します。

日本経済新聞 3月30日 朝刊 p.37 14版
「訂正」
 29日付スポーツ2面「FA短縮など次の焦点」の記事で「プロ野球界全体の反映」とあるのは「プロ野球界全体の繁栄」の誤りでした。

朝日新聞 3月30日 夕刊 p.5 4版
「訂正」
 27日付「月を見よう」の記事につくイラストで、地球と月の直径として示した数字は、どちらも半径の誤りでした。訂正します。地球の直径は約12756km、月の直径は約3476kmです。

朝日新聞 3月31日 朝刊 p.34 14版
「訂正」
 27日付朝刊「四女の新後見人 江川紹子さんに」の記事で、松本智津夫死刑囚の四女の申し立てを認める決定を出した「さいたま家裁越谷支部」は、「さいたま家裁」の誤りでした。訂正します。

北海道新聞 3月31日 朝刊 p.35 札幌圏
「訂正」
 30日の「情報パック」で「第11回はじめての手話教室」の開催日が「毎週水曜日」とあるのは「毎週金曜日」の誤りでした。訂正します。

読売新聞 3月31日 夕刊 p.14 4版
「訂正」
 30日の「東京ミッドタウン開業」の記事中、「年間約300万人の集客」とあるのは「3000万人」の誤りでした。

日本経済新聞 3月31日 土曜版 s13
「訂正」
 24日付頭脳訓練面「クロスワード」のヒントの2で「遠泳、自動車、マラソンを行う耐久競技」とあるうち、自動車は自転車の誤りでした。

(山崎達之)

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□連載
危機の時代に 鈴木邦夫・和多田進10年目の往復書簡 第10回

鈴木邦男→和多田進

「葦津先生と民主主義」

 長老は狡(ずる)い! フェアーじゃない! だって、そうでしょうが。「葦津珍彦さんのことを書きたい」と言い出したのは長老ですよ。葦津先生は右翼の思想家であり、凄い人だった。その人を「左翼」の長老が語るという。面白い。どこを認め、どこが違うのか。じっくり聞いてみようと思った。
 だから、「楽しみだ」と書いた。そしたら、私の言葉尻をとらえ、「楽しみな理由を言え」という。又、葦津先生のどこを尊敬し、どこに注目するのか言え、と。これは順序が逆でしょうが。「あと出しジャンケン」じゃないか。狡い。ルール違反だ。
 それに右翼・民族派の同じ陣営にいた葦津先生を僕が評価し、尊敬するのは当然のこと。不思議でも何でもない。ところが元・日本共産党で、その後も左翼の長老がなぜ葦津先生を認め、評価するか。それは不思議ですし、驚きです。誰もがそう思いますし、読者も聞きたいと思います。僕の言ってることは間違っていませんよね。何なら読者に直接聞いて、多数決で決めてもいい。それが民主主義というものだ。

写真
道10・山形県川西町(写真・WATADA)

 あっ、いけない。こんなことを言うと、「民主主義かぶれめ!」「民主主義は必ずしも正しくない!」と叱られそうだ。偏屈な長老に。でも、「手段」「手続き」としての民主主義は必要でしょう。我々の世代は、小学校の時からホームルームがあり、「多数決」「民主主義」は正しいと教え込まれてきたからでしょうか。右翼運動に入ってからも、<民主主義神話>からは抜け切れませんでした。
 右翼の世界では、「民主主義なんかアメリカから押しつけられたもんだ。いらねー」と言う人が多く、「憲法と一緒にアメリカに叩き返せ!」と言ってました。「日本には天皇がおる。それだけでいい。天皇親政だ」と叫ぶ人も多かったのです。アホな国民の多数決で天皇制が廃止されたらたまらない。そんな思いもあったのでしょう。
 でも、一般の右翼と違って、右翼学生は少し別でした。アメリカ型民主主義は否定しながらも、運動論、組織論は民主主義的でした。運動方針を決める時も、活発に議論し、最後は多数決でした。全共闘と戦う中で、彼らから影響を受けたのかもしれません。
 全共闘と闘う為に、必死で本を読み、勉強しました。でも右翼の先生の本は抽象的、観念的な本が多く、困りました。全共闘と闘う<武器>にならないのです。日本臣民としての生き方や、天皇への絶対の忠…といっても、全共闘には通じません。一般学生にも通じません。
 「通じる言葉を探すことが間違っている」と居直る右翼学生もいました。彼によれば右翼と左翼は「水と油」だといいます。「左翼は散文で、右翼は詩」だと。詩は散文と論争しないし、コンプレックスも持たない。そう言います。面白いと思いましたが、これでは「運動」にはなりません。
 そんな時に出会ったのが葦津先生の本でした。「天皇は会議の議長だ」と書いてました。「チェアマン」と仮名を振ってたような気もします。
 多数決で決まればそれを認める。賛否同数で、どうしても纏(まと)まらない時にだけ自らの意思を示し、それを会議の結論にする。ホームルームで育った我々、戦後民主主義世代にとっては実に分かりやすい論理でした。
 先生の本は全て、論理的、科学的だった。情緒的な「日本精神」に逃げ込まない。論理的な文章に命をかけた。1960年の安保闘争の時は、右翼は皆、「反共」「親米」で日米安保を支持した。葦津先生だけは民族自決の立場から日米安保に反対した。又、戦時下の軍国主義体制を批判し、日独伊三国同盟にも反対し、検挙もされました。反骨の人だったし、本物の維新者だったと思います。
 「戦後民主主義」を頭から否定し、「天皇親政」「大政奉還」などと大時代的な事を言う右翼が多い中で、葦津先生は民主主義を認め、その中で論を進めていった。言論の場という共通のリングの上で闘った第一人者だと思います。葦津先生についてはまだまだ語りたいことは多いのですが、それよりも長老がどこを評価するかですよ。では「あと出しジャンケン」をお願いします。

2007年4月16日


すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。


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□連載
【NEWSぱくりんこZ】第16回(2007年3月26日〜4月1日採取)

東日本高速道路がトイレの全面改修へ。暖房つき洗浄便座の洋式トイレ比率を3%から100%に。費用は総額45億円。(『朝日新聞』3月26日付朝刊)

在日米軍再編問題で「地方を疲弊させ札びらで引っ叩く。酷いと思わないか」と社民の福島党首。「酷いのは言い方」と安倍首相。(『日本経済新聞』3月27日付朝刊)

大阪市内の飲料自販機。150円のボトルコーヒーが賞味期限まで6日で50円、2日で10円。「時間との勝負ですわ」と自販機設置者。(『読売新聞』3月27日付朝刊)

高校野球で桐生第一を下した都城泉ケ丘は宮崎屈指の進学校。試合前日、佐々木監督が宿舎で日本史の授業。(『朝日新聞』3月28日付朝刊)

数学博士号を取得した金子和雄さん(71)。1世紀にわたって誰も解けなかったパンルベ方程式の解を発見。「かわいい方程式」。(『北海道新聞』3月28日付朝刊)

ダニエル・カールさんには選挙権がない。「税金はがっぽり払ってるんだけど」。(『朝日新聞』3月28日付夕刊)

マニラ市でバスジャック。容疑者は保育園園長(60)で「自分に賛同する人は蝋燭を」と要求。警察が蝋燭を揃え、事件解決。(『朝日新聞』3月29日付朝刊)

南アの警察長官がW杯期間中の売春合法化を提案。「国全体が興奮状態の中で売買春の広がりを止めようがない」。(『毎日新聞』3月30日付朝刊)

新議員宿舎について、「誰も入らないともったいない」と社民の福島党首。3月30日現在の入居希望者、社民は0人(割当戸数4)。(『朝日新聞』3月31日付朝刊)

「強盗にあった」と嘘の通報をした会社員(37)が書類送検。カッターで左腕3カ所に切り傷を作り、「男に後ろから切りつけられた」。(『毎日新聞』3月31日付朝刊)

漫画の入った数学の教科書について、「分数が覚束ない生徒もいる。漫画なら数学の敷居が低くなる」と都立高教諭。(『読売新聞』3月31日付夕刊)

タレントの小倉優子さんがカップ麺のイベントに登場。「こりん星にもある?」との質問に、「あります」「嘘です、ありません」。(『毎日新聞』3月31日付夕刊)

(山崎達之)

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■次号予告
 次号、『メルマガ北海道人』第17号は5月3日(木)、ゴールデンウィーク真っ只中に配信します。どんなに天気が良くっても、わき目も振らず、一通一通丁寧に配信します。遊び過ぎた脳みそをキュッと引き締め、仕事で疲れた体にじんわりしみ込む強力な読み物ラインナップはこちらです。
 音楽だけじゃなく言葉でも魂を揺さぶる、田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』、ゴッドハンド・張先生の話が終わり、新たな展開が楽しみな、岩崎稔の『大陸人の時間』、身近な自然を通じて世界の環境問題までを見通す、大竹正枝の『新・自然真営道』と、読み応えたっぷりの内容でお届けします。

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