メルマガ北海道人

HOME > 第8回


 メルマガ北海道人、末広がりの第8号に達しました。本当は第1号の前に0号というのがあったので末広がり+1ということになるのですが、そのような細かいことを気にしていては北海道の厳しい冬を乗り切ることはできませんよ。
 念のため添えておきますが、表題「「北海道人」でない」の「でない」は、否定の活用ではありません。推量です。もちろん北海道弁です。何を隠そう、読者の方からの提案を採用させて戴いた結果です。胆振管内白老町の柏倉恭三さま、ありがとうございました。採用をもって御礼に代えさせて戴きます。つまり御礼はとくにないということです。そのような細かいことを気にしていては北海道の嬉しい春を堪能することはできませんよ。

連載「となりの北海道人」
 まだまだ続きます、北海道人インタビュー。すでにして、のべ70人以上がご登場くださったのですね。本号も参ります、「私のお父さん」!

新連載「楽譜のいらない音楽授業」
 世界的サックス奏者・田野城寿男さんの登場です。ご本人のコラムは次号からということで、今回は「イントロダクション」=特別インタビューをお届け。音楽教育の真髄、「愛」にありと見つけたり!

連載「おわびの極意」
 表題で「おわびの極意」と言っておきながら、単なる「おことわり」まで収録してしまいました。仕方がありません。面白かったからです。

新連載「上海日記」
 本号は新連載が2つも登場する豪華仕様となりました。世界最大の都市・上海より、バイタリティあふれるチャイニーズ・ビジネスマンのお話。同市在住の才媛・上林早苗さんの筆でお届けします!

連載「新・自然真営道」
 大竹正枝さんの好調連載、今回は「札幌温暖化」の話題です。北海道人にとってもそうでない人にとっても、決して他人事ではないお話ですよ!

連載「どうでもいい話」
 あんな所やこんな所で耳にしたどうでもいい記録も、はや8回めとなりました。どうでもよさの末広がりをご堪能ください。

連載「大陸人の時間」
 並みの取材では得られない大国の首都の実態。そこに暮らす人ならではのエピソードが満載です。カメラマン岩崎稔さんの好調連載、第3回!

連載「NEWSぱくりんこZ」
 先日、ぱくりンカー山崎達之は風邪を引きました。巨大なマスクをかけて現われ、無言で新聞を読み、無言でぱくっていました。なんだか「Z」でした。

連載「危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡」
 鈴木邦男さんと編集長・和多田進の書簡も3往復となりました。このたびは、10年前の対談を振り返った鈴木さんが〈民主主義〉への思いを綴ります。よど号事件の田中義三、日本赤軍の重信房子、幕臣・榎本武揚、大鳥圭介と、“登場人物”も豪華絢爛の公開書簡!

※「イッセー尾形の旅日記」はまもなく再開の予定です。しばしお待ちを!

このページの先頭へ


064『会社を興した父を母が陰で支えていました』

並木亜妃さん(38)=タレント、札幌市出身、東京都三鷹市在住

 ―いつから東京にお住まいなんですか。
 先月からです。主人は14年間サラリーマンだったんですが、会社を辞めて札幌でミュージシャンをしていました。“自分が作りたい音楽”をどんどんカタチにしていったら東京から声がかかって。いい時期だと思ったので上京しました。自然な感じの流れですね。

 ―夫がサラリーマンからミュージシャンに。妻として不安はないですか。
 思いっきり不安定ですよね(笑)。でも彼が“音楽をやりたい”ということについては何年もかけて夫婦で話し合いました。主人は会社でもきちんと結果を出し、その会社員生活を通して世の中の流れが見えた上での音楽活動なので。あとは腕次第。どうなるかな〜と。

 ―“どうなるかな〜”とゲタを預けられるのがスゴいですね。
 父が会社を興し、カタチになるまでは母が大変な努力をしたのを見て育ちました。こんなことも、あんなこともあって……。それを母はバッタバッタと対処して気丈でしたね。今でもふたりで頑張っています。うちの両親、すごく仲がいいんです。「ママは昔キレイだったんだよ」「パパも格好よかったわよね〜」なんてお互いに言い合ってます(笑)。

(楢戸ひかる)


065『僕らの仕事は五感を磨かないとならない』

宇野孝さん(42)=美容家、帯広市出身、札幌市在住

 ―ご自身が持っているサロン(美容室)で、ときどきクラブパーティが行われるとか。
 クラブミュージックのジャンルのひとつ、「ドラムンベース」にヤラれちゃったんです。もともと美容家をしつつ夜はクラブでDJをしていたんですが、この音をどうしても札幌に広めたくて。今はDJをするより、広めるためのイベントを企画する方が多いかな。

 ―イベントの企画もお仕事なんですか。
 のめりこんでいる趣味ですね(笑)。僕らの仕事は五感を磨かないとならない。だから、いいものを見たり、聞いたり、触れたり、感じたり…ということが大切だと思うんです。そのツールのひとつが音楽というだけで、それ以外にもたとえば先日は田中泯さんのパフォーマンスをオーガナイズしたりもしていますよ、店ぐるみでね。スタッフには「技術は教えられるけど、感性、感覚は教えづらい。自分で得ていくしかない」と言っています。

 ―何だかアツい生き方ですね。
 自分のやりたいことは、採算とか考えず徹底してやっています。父は蒸気機関車に乗りたくてJRに勤めていました。ストイックな性格で最終的に蒸気機関車の運転手になるんですが、“やりたいものは、やりたいんだ!”というところが僕と似ている気がします。

(楢戸ひかる)


066『修学旅行の一番の思い出は、父からの手紙』

伊藤裕見子さん(52)=主婦、札幌市出身、札幌市在住

 ―お父さんは自衛官だったそうですね。
 背が高くて顔立ちも整っていたので、制服着たら、めちゃめちゃカッコよかったです。気骨があって本当に優しい人だったから、毎日のように、いろんな人が家に来てました。お正月なんか入れ代わり立ち代わり何十人も来て、母も私も妹も朝から晩までおさんどんして、お酒をついで回ってました。

 ―家族そろって、もてなし上手だったわけですね。
 人が集まってワイワイ騒ぐのが好き! そういう血筋なんでしょうね(笑)。でも、子どものころの私は神経質で体が弱く、よく寝込んでたんです。

 ―お父さんもお母さんも、心配なさったのでは。
 そうですね。中学に入ったころから徐々に寝込まなくなり、ひと安心したと思います。高校の修学旅行で京都の旅館に着いたら、私宛に父から手紙が届いていて、娘が長旅できるまでになった喜びみたいなことが書いてあったんです。担任の先生宛にも手紙が届いていて、父の愛情の深さに胸が熱くなりました。

(道産ヨネ)


067『もっと直接人の役に立ちたい』

久保田京さん(30)=法科大学院生、横浜市出身、札幌市在住

 ―今はどんなお勉強をされているんですか。
 将来は弁護士になりたくて、北大のロースクールで法律の勉強をしています。

 ―昔から弁護士志望なんですか。
 大学は一橋大で社会学部でした。卒業後は、ジェンダーやフェミニズムの研究者になりたくて都立大(現・首都大学東京)でドクター2年まで過ごしました。DV(ドメスティック・バイオレンス)の研究もしていたので、弁護士の先生と知り合いになることも多くて。そんな環境の中「研究もいいけれど、直接人を助ける仕事もやってみたいな」と思うようになりました。

 ―ロースクールでの勉強はいかがでしたか。
 大変です(笑)。授業は朝の8時45分から始まって、午後2時半頃まで。その後、自習室の自分に割り当てられた机で午後9時、10時まで勉強するという毎日です。でも法律の勉強は性に合っていたようで、「やっていけるかも…」という手ごたえは感じています。

 ―研究者から弁護士志望へ。ご両親はどんなご意見ですか。
 父は「医者、弁護士、研究者はすごい」とよく言っていたので、権威が好きなんでしょうね(笑)。だから私の転身については、自由に任せてくれているという感じです。

(楢戸ひかる)


068『 父ちゃんと、バッタ。をするのが楽しい』

縄手晴天さん(5)=保育園児、札幌市出身、札幌市在住

 ―父ちゃんのどんなところが好き。
 絵本を読んでくれるところ。たまーにね、母ちゃんが具合悪い時、ご飯も作ってくれる。ケチャップの赤い肉とか、スパゲティとか。

 ―父ちゃんと何をするのが楽しい。
 バッタ。おうちで育てているの。キャンプ場で父ちゃんとふたりでとった。あみでビュンってとった。でも、もう死んだ。あ、逃がしたんだわ。カエルもいたけど、いちばん小さいやつは死んだ。小さいやつが死んだ時に、ほかのカエルも全部逃がした。

 ―せっかく捕まえたのに、逃がしちゃったんだ。
 だってさ、おうちで育てた方が早く死んじゃうんだって。母ちゃんが言っていた。

 ―どこに逃がしたの。
 バッタはベランダに逃がした。カエルは父ちゃんが、あじと(父の勤務先)に行くところの公園に逃がした。そこは木がいっぱいだから。バッタとか虫とか捕まえられるからさ、そこに逃がしてあげたんだ。

(楢戸ひかる)


069『ああ、キレイだな。そのひと言が聞きたくて』

鶴間寿さん(54)=団体職員、後志管内留寿都村出身、札幌市在住

 ―お父さんも団体職員だったそうで。
 ええ。職場は違いましたが、道庁界隈でよくすれ違いました。ときたまススキノでも会ったりして。それぞれ連れがあるから「おう」と声をかけるぐらいで、すぐ別れてしまったけど、今になってみれば、おやじが現役のときに一緒に飲んでみたかったなぁ。まあ、たいして話すこともないんですがね。

 ―話さなくても相通ずるものがあるのでしょうね。
 おやじには脳梗塞の後遺症があって、このところ朝の着替えなんか僕が手伝ってるけど、以心伝心と言えるかどうか(苦笑)。暮らしに変化をと、車いすのまま乗れる車を買ってレストランや花見に連れ出しても、おやじの反応はいま一つ。「桜、キレイだなぁ」と水を向けても、「うん」でおしまい(苦笑)。

 ―介護は大変でしょうが、介護を通じて得たものも多いのでは。
 バリアフリーとか福祉サービスとか、世の中を見る目が変わったし、人間の尊厳についても考えるようになりました。何より、おやじが介助を必要としなければ、高齢の父と中年の息子のスキンシップなんてなかったと思います。

(道産ヨネ)


070『世の中捨てたもんじゃない』

藤田シロさん(7)=飼い犬、北斗市出身、北斗市在住

 ―シロとはずいぶん見たまんまの名前だね。
 わかりやすいだろう。ま、もとは違う名だったんだが、それは別にどうでもいいことだ。

 ―改名したということかね。
 どうでもいいと言ったのに。…つまり、もとの飼い主に捨てられたのさ。野犬として処理される寸前、今の主人の藤田俊二さん(74)が拾ってくれたわけだ。藤田さんはいろんな問題を抱えた子供たちの世話をしてる人でね、もうそういったボランティアを手がけて何十年にもなるっていうことだ。その上おれの面倒までみてくれてるんだから、まったく頭が下がるよ。

 ―実は「お父さん」のことを訊くのが趣旨なんだが。
 悪いけど、父も母も知らない。藤田さん夫妻が両親ってことでいいじゃないか。おれも一時は人生ほとんど諦めてたんだが、ここにきて世の中捨てたもんじゃないって思いを強くしているよ。あ、犬の一生は「人生」とは言わないか。

(小笠原 淳)


071『妊娠しているけど、離婚しました。迷いは全くなかった』

あさみさん(34)=事務員、札幌市出身、札幌市在住

 ―近々ご出産だそうですが。
 予定日は6月末です。ただ、先月離婚したんですよね。

 ―妊娠をしているのに離婚。なかなか勇気ある決断ですね。
 元ダンナには「実は妊娠しているんだけど、別れたい」と伝えました。彼には「ひとりで3人の子を育てるのは無理だろう。もう一度やり直そう」と言われましたが。

 ―決意は揺らがなかった。
 妊娠がわかったからって、やり直そうという気持ちは一切ありませんでした。“もう一人増えるから、がんばらなきゃ!”とかえって励みになりました。お金は何とかなると思うんです。

 ―ご実家の家族は、どんなご意見ですか。
 “自分で考えてそう決めたんなら、仕方ないっしょ”と。離婚を機に実家の近所に引っ越したんですが、父や母、姉が近くにいるのは心強いですね。今は私も在宅勤務で比較的のんびりしているので、仕事を引退して家にいる父とチラシを見ては安売りに出かけています(笑)。上がふたりとも娘なので、父は密かにお腹の子は男の子を期待しているみたい。

(楢戸ひかる)


072『“人に何かを伝える仕事をせよ”という父の遺志を継いで』

花田裕子さん(49)=LLPスノーマンズライフ代表、札幌市出身、札幌市在住

 ―LLPスノーマンズライフとは、どんな活動をされている団体なのですか。
 「北海道を元気にしたい」という人が集まってさまざまな活動をしています。最近では雪まつりの時に札幌ドーム周辺や福住にウェルカムキャンドルを灯したり、中心部の雪道整備(道路整備、砂まき、砂箱周辺の除雪)をしたり…。他にも北海道のアーティストの支援やスノーマンズグッズの販売もしています(公式HP http://www.snowman.tv/)。

 ―なぜそんな活動をされているのですか。
 私はもともと北海道の人間ですが、東京の国立市で20年ほど過ごし、父の死をきっかけに4年前にこちらに戻ってきました。父は死ぬ前に「人に何かを伝える仕事をせよ」と、私に言ったんです。具体的なことは何も言わなかったので、“何を誰に伝えるのか”を模索する中でさまざまな人と出会い、その人たちの想いをカタチにしたのが今の活動です。

 ―お父様の遺言をずいぶん律儀に実行されているんですね。
 父のことは尊敬していたので、ひとり娘のせいか「父の遺志を継がなければ」という想いがあります。死の直前、私のことを誉めてくれたことのなかった父が「女としてがんばっているあなたが好きだった」と言ってくれました。だから、がんばっているのかもなぁ。

(楢戸ひかる)

このページの先頭へ


Lesson00「イントロダクション」

 「メルマガ北海道人」、次号(3月8日配信)からサックス奏者・田野城寿男さんのコラム「楽譜のいらない音楽授業」がスタートします。
 「音楽教育」に強い関心を持つ田野城さんは、演奏活動のかたわらさまざまな形で教育の実践を続けています。自由な“教室”の空気が伝わるエピソードの数々や、自身の体験に裏打ちされた教育論などを、初めてのメルマガ連載で綴ってくれることになりました。
 連載開始に先立ち、「イントロダクション」として田野城さんのインタビューをお届けします。世界を股にかける音楽の伝道師の新連載に、どうぞご期待ください!

♪学校は答えをくれなかった♪
 学校に足を向けずに少年時代を過ごした。学校が、肝腎なことを教えてくれる場ではなかったからだ。
 「『人は死ぬ』ってことに気づいたんです。何やったって最後には死んじゃうんだと。それで全部おしまい。なんにも残らない。ものすごく怖いことですよ」
 故郷の広島市は、その20年ほど前に未曾有の悲劇に襲われていた。惨劇を象徴する建物に通い始めたのは、小学生のころだ。
 「最初は、川で魚釣りをしながら人生を考えた。広い川があって、潮の干満によって川の姿が変わるのを知った。海の魚になったり、川の魚になったり。『川は生きてる』って、その時思いました。川は生きてる、海も生きてる、空も生きてる、地球そのものが生きてる。ところが、原爆ドームに行って展示資料を見てみると、そういう生命の息づかいにはほど遠い現実があるわけです。『川も海も空も生きてるのに、人間はたった1発の爆弾で簡単に死んじまう』って、ものすごい衝撃だった。『じゃあ、いったい何のために生きてんだろう』―。大人なら知ってるかもしれないと思って、学校の教師に訊いてみた。そしたら、『馬鹿野郎、そんなことより黙って勉強しろ!』だって。それで、登校拒否。『学校、なんにも教えてくれないじゃないか』って思いました」

♪「行かなくていい」と母♪
 同年輩の子供たちが教室で過ごす時間を、近所の山や川で過ごした。
 「学校をサボって遊び疲れて帰宅途中に、母親にばったり。『こんな所で何やってんだ』ってことになって」
 なぜ学校に行かないのかと問う母に、問い返した。「なぜ行かなきゃいけないんだ」。母は、行かない理由を言ってみなさいと言う。「学校が大切なことを教えてくれないからだ」と、まともに答えた。少し考えて、母はやさしく言った。「それなら行かなくていいよ」
 「高校までそんな感じで、学校には出たり出なかったりを続けていました」
 中学生時代、ビートルズが心の友だったという。その後、「近所の兄ちゃん」の家でマイルス・デイビスのLPを聴き、「よくわからないけど、すごいのかも」と感じた。高校では、授業を早退してジャズ喫茶に通い詰め、卒業までに店内のレコードをすべて聴き終えた。「受験勉強なんかしてる場合じゃない」と、本気で思った。では、何をしたかったのか。

♪「できないから来たんだろ」♪
 ジョン・コルトレーンやデイブ・リーブマンのサックスを聴いた時、同じ楽器をやりたいと直感的に思った。
 「何を考えてこういう音を出せるんだ? 何を食べたらこういう音になるんだ? そうした疑問を解決したくてたまらない。でも、そのためにどこに行けばいいのかがわからない」
 心の師が3人いる。のちに実際の恩師となるデイブ・リーブマン、作曲家のジョージ・ラッセル、世界中の音楽家から尊敬を集めるジョー・アラッドの3氏だ。この3人に学べば人生の答えを得られるのではないかと、なぜか確信に近い希望を抱いた。
 「とりあえずバークリーに入って、そこから探せばいい…」
 当時、米ボストンのバークリー音楽院は、世界で唯一ポピュラー音楽を教育する音大として知られていた。その名門校の第一印象は「懐が深い学校」だった。
 「ろくに演奏したことない、楽譜も読めない、ブルースも知らない。そんな状態で受験しちゃって『駄目だ、できない、不合格だ!』って頭抱えていたら、先生が『合格』って。できないから来たんだろ、って言うの。そんなんでいいのかって思いましたね」
 それまで受けたことのない「教育」の場が、そこにはあった。

♪わかり合えないと意味がない♪
 バークリー在学中、実技のテストで100点満点を貰ったことがある。
 「でも、実際はメタメタな演奏だった。おかしいと思って『採点間違ってます』って申し出たら、先生が真顔で『間違ってない』って言うの。『ほかに上手な人たちがいっぱいいたでしょう』って言うと、頷いて『しかし、ヒサオが一番努力したじゃないか』って」
 《最初から上手な連中は、昨日と今日とでほとんど変わってない、だがお前は違った、昨日のお前と今日のお前とは全然違う、ベストを尽くした結果だ》
 「自分のベストを出すことが大事だと。音楽って、答えがひとつじゃないんですよ。基礎を身に付けた後は、オリジナリティの確立を目指すしかない。自分はどう思うか、自分は何者かっていうことを、自分の音で表現し続けるしかない」
 人生そのものだと思った。
 「恩師たちから授かったのは、技術以上に大切なものがあるってことです。なぜ演奏するのか。突き詰めたら、『愛』なんですよ。音楽を通じて世界中の人たちとわかり合えないと、音楽をやってる意味はない、って。性別や年齢が違っても、人種や思想や信仰が違っても、魂は伝わる、って」
 16年前、モントルー・ジャズフェスティバルのステージを踏んだ田野城さんに、プロデューサーのクインシー・ジョーンズ氏が言った。
《お前は誰にも似ていない》
 小学生時代の悩みは、いつの間にか消えていた。「音楽をする人間は地域や社会に貢献できるし、貢献していくべき」と知った今、そのイズムを子供たちに、若者たちに、自分の言葉で伝えていきたいと思っている。
 「やりたいことあったら、やってみたらいい。駄目なら何度でもやり直せばいいよ。世界は広い、どこにでも希望はある」

(聴き手・小笠原 淳)

たのしろ・ひさお=1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

http://www.tanoshiro.com

このページの先頭へ


朝日新聞 1月22日 朝刊 p.12 14版
「訂正」
 21日付の大相撲の記事につく「20度優勝力士の推移」のグラフで、大鵬の20度目優勝時の年齢が「25歳11カ月」とあるのは、「26歳0カ月」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 1月22日 朝刊 p.39 14版
「訂正」
 21日付「センター試験 リスニングでトラブル」の記事中、「松ケ崎和峰事業部長」とあるのは「松ケ迫和峰事業部長」の誤りでした。

朝日新聞 1月22日 夕刊 p.1 3版
「訂正」
 20日付の土曜フォーカス「伝統野菜に復活の芽」の記事で、日本橋高島屋にある京野菜専門店が「八百市」とあるのは「八百一」の誤りでした。訂正します。

読売新聞 1月22日 夕刊 p.10 4版
「おことわり」
 そのまんま東氏が知事としては本名での活動を希望していることなどから、東国原英夫氏と表記し、当分の間は本名の後に(そのまんま東)を付記します。

毎日新聞 1月23日 朝刊 p.13 11版
「訂正」
 22日「むずむず脚症候群」の記事で、出雲市の県名を「鳥取県」としたのは「島根県」の誤りでした。

北海道新聞 1月23日 夕刊 p.1 6版
「おことわり」  そのまんま東氏の呼称を本名の東国原英夫氏に改めます。同氏が知事としての活動は本名で行うとしているためです。当分の間、本名の後に「(そのまんま東)」を付記します。

朝日新聞 1月24日 朝刊 p.3 14版
「訂正」
 22日付「人工ダイヤの原料+熱=発電」の記事で、「人工ダイヤ」とあるのは、「人工宝石」の誤りでした。見出し、図とともに訂正します。

読売新聞 1月24日 朝刊 p.30 12版
「訂正」
 23日付の「新春インドアソフトテニス大会」(21日・室蘭市営の森体育館)の記録で、一般女子A準優勝は、「石谷・浪岡(エース)」の誤りでした。室蘭ソフトテニス連盟が発表しました。

日本経済新聞 1月24日 朝刊 p.39 北海道14版
「お断り」
 そのまんま東氏は本名で知事の公務に当たると表明しているため、東国原英夫氏と表記します。当分の間、本名の後に「(そのまんま東)」を付記します。

朝日新聞 1月25日 朝刊 p.35 14版
「訂正」
 24日付の青鉛筆で、生キャラメルの材料が「自家製の生クリーム」とあるのは「地元産の他社製生クリーム」の誤りでした。訂正します。

朝日新聞 1月25日 夕刊 p.3 3版
「おわび」
 25日付朝刊4面の参院委員長人事の記事で「文教科学委員長に加納時男氏をあてる人事を内定」とあるのは、狩野安氏の誤りでした。狩野、加納両氏並びに関係者にご迷惑をおかけしました。おわびして訂正します。
「訂正」
 24日付「ニッポンERの今(5)」の記事で、日本医学会総会が「今春、東京で開かれる」とあるのは「今春、大阪で開かれる」の誤りでした。訂正します。

朝日新聞 1月26日 朝刊 p.4 14版
「おわび」
 25日付の参院委員長人事の記事で、文教科学委員長に内定したのが「加納時男氏」とあるのは「狩野安氏」の誤りでした。狩野、加納両氏並びに関係者にご迷惑をおかけしました。おわびして、見出しとともに訂正します。

朝日新聞 1月26日 朝刊 p.31 14版
「訂正」
 25日付の村上世彰被告公判の記事につく見出しに「村上氏側証人」とあるのは誤りでした。証言者は、検察側の証人でした。訂正します。

北海道新聞 1月26日 朝刊 p.4 16版
「訂正」
 25日の「高橋・清治陣営 共闘し無党派票開拓」の記事で「来年四月の知事選」とあるのは「四月の知事選」の誤りでした。訂正します。

北海道新聞 1月26日 朝刊 p.17
「訂正」
 25日の「公開講演会『心的トラウマからの回復−児童虐待の被害者にかかわって』」の記事で、「2月27日午後8時」とあるのは「午後6時」の誤りでした。訂正します。

北海道新聞 1月26日 朝刊 p.26
「訂正」
 25日の10区10色「雪ボーロすでに5千箱」の記事で、「池田製菓」とあるのは「池田食品」の誤りでした。訂正します。

北海道新聞 1月26日 朝刊 p.31 16版
「訂正」
 25日の「『今もいじめ被害』全道で2万303人」の記事で、実態調査の対象が「札幌市を除く全道約四万二千人の小中高生ら」とあるのは「四十二万人」の誤りでした。訂正します。

毎日新聞 1月26日 夕刊 p.2 3版
「おわび」
 25日の「桑田真澄の挑戦」の記事で、松井秀樹選手とあるのは松井秀喜選手の誤りでした。おわびして訂正します。

読売新聞 1月27日 朝刊 p.2 14版
「おことわり」
 東国原英夫知事の表記は、今後は本名のみとします。ただし、記事によっては「そのまんま東」も付記します。

読売新聞 1月27日 朝刊 p.31 14版
「訂正」
 26日の「小樽の焼死者の身元判明」で、「小樽市新富町」とあるのは「小樽市長橋4」の誤りでした。

毎日新聞 1月27日 朝刊 p.19 13版
「訂正」
 26日の「北信越BCがドラフト会議」の記事で、「来年4月に開幕」は「今年4月に開幕」の誤りでした。

日本経済新聞 1月28日 朝刊 p.37 13版
「訂正」
 27日付「熱戦甲子園ビジネス」の記事で白河の関が「福島・茨城県境」とあるのは「福島・栃木県境」の誤りでした。

北海道新聞 1月28日 朝刊 p.36 16版
「訂正」
 27日(土)夕刊別刷り、週刊フムフム大図解「北海道のスキー1世紀」のオリンピックメダリストの表で、猪谷千春さんの出身地が「後志管内泊村」とあるのは「国後島泊村」の誤りでした。訂正します。

毎日新聞 1月28日 朝刊 p.11 11版
「訂正」
 1月21日の評『「帝国」の国際政治学』で、「民主化を対外政策の目標とし、そのため軍事力の行使を許さない」とあるのは、「……行使を辞さない」の誤りでした。

毎日新聞 1月29日 朝刊 p.1 14版
「おわび」
 05年7月28日朝刊1面「楽天市場顧客情報10万件流出か」と社会面「『楽天』流出データ」の記事で、「楽天関連会社の元社員」が「楽天市場」の顧客情報を大量に流出させたとする証言を掲載しました。
 しかし、この情報流出は、楽天市場に出店していた輸入雑貨販売会社の元従業員が同社の顧客情報を流出させたものであり、楽天株式会社またはその関連会社の従業員や元従業員が関与した事実はなく、誤りであったことが判明しました。 楽天株式会社に対し、おわびして訂正します。

北海道新聞 1月29日 朝刊 p.31
「訂正」
 28日の「上田氏推薦を決定 市民ネット」の記事で、上田文雄市長の年齢が五十五歳とあるのは、五十八歳の誤りでした。訂正します。

読売新聞 1月31日 夕刊 p.8 3版
「訂正」
 24日の「マイタイム」写真説明で「ウエストミンスター銃」とあるのは、「ウィンチェスター銃」の誤りでした。

朝日新聞 2月1日 朝刊 p.32 14版
「訂正」
 1月29日付「荒井・多原氏 推薦を了承」の記事で、「社民党も両氏を推薦する方針」とあるのは、「社民党は荒井氏を推薦する方針」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 2月1日 朝刊 p.5 14版
「訂正」
 1月31日付「金融審会長に堀内中大教授」の記事中、池尾和人慶大教授が就任したのは「第二部会会長」ではなく「第一部会会長」の誤りでした。

日本経済新聞 2月1日 朝刊 p.9 14版
「訂正」
 1月29日付国際面の「英郵便、民間乗り換え加速」の記事中の米ユニオン・パシフィックは新規参入企業ではありませんでした。

日本経済新聞 2月1日 朝刊 p.15 13版
「訂正」
 1月31日付「新社長・セルシス」の記事中、前任が「川本陽介社長」とあるのは「川上陽介社長」の誤りでした。

毎日新聞 2月1日 朝刊 p.5 4版
「訂正」
 1月31日夕刊「NFLスーパーボウルの話題」の記事で、コルツのQBペイトン・マニングが「アメフット一家の長兄」とあるのは誤りでした。ペイトンには兄クーパーがいます。

北海道新聞 2月1日 朝刊 p.5 16版
「訂正」
 31日の「北朝鮮 凍結口座解除を要求」の写真説明が、「北京入りした北朝鮮の呉光哲国家財政金融委員会副委員長」とあるのは、「協議後、記者の質問に答えるグレーザー米財務副次官補」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 2月2日 朝刊 p.37 13版
「訂正」
 1日付「プロ野球きょうキャンプイン」の記事で「松坂(ヤンキース)」とあるのは(レッドソックス)の誤りでした。

日本経済新聞 2月3日 NIKKEIプラス1 p.20s
「訂正」
 1月20日付「古湯を歩く」の記事中、「島木建作」とあるのは「島木健作」の誤りでした。

日本経済新聞 2月3日 朝刊 p.4 13版
「訂正」
 2日付「証券各社四−十二月 軒並み減益に」の記事中、東京証券取引所の一日平均売買代金が「二割弱減少」とあるのは、「二割弱増加」の誤りでした。

北海道新聞 2月3日 夕刊 p.5 6版
「訂正」
 2日の「北朝鮮核放棄に向け、米次官補が『初期措置で合意を』」の記事で、「1月末に北朝鮮で行われた米朝金融協議」とあるのは、「北京で行われた」の誤りでした。訂正します。

(山崎達之)

このページの先頭へ


「あなたの過去が知りたい」

春節快楽―旧正月の賑わいは盛大だ
友人チャンインへの聞き取りがまもなく始まる

 中国は今日(2月18日)、春節(旧正月)を迎えた。上海の巷でも爆竹がすさまじい音を立て、我が家では先月から準備していた正月用の保存食、干したウナギのしょうゆ漬けが食卓に上った。これを老酒のあてにすると、体が芯から温まって、心から「春節快楽」という気持ちになる。
 「あれ、やらないのか」
 友人の上海人男性から連絡があったのは、誰もが年末の準備に追われていた先日のことであった。うっかりしていた。2ヵ月ほど前、彼に「あなたの過去のすべてを教えて」と頼んでいたのに、私自身、仕事に追われて忘れかけていたのである。
 4年前、雑誌の仕事をしていたときの同僚であるチャンインは今年44歳になる。相当な知識とずば抜けた記憶力の持ち主で、それもそのはず中国屈指の最高学府、復旦大学の出身だ。現在はある外資系タイヤメーカー機関紙の編集長をしていて、毎日、スーツにネクタイ、スキンヘッドに自社販促キャップという姿でさっそうと通勤している。私生活では一昨年の春、前妻との壮絶な離婚劇の一週間後に作家の女性と3度目の結婚をして、私を含む関係者を仰天させた。現在はその新しい奥さんと、前妻との間に生まれた15歳の長女、83歳の母親の4人暮らしである。
 楽天家で「肉好き、金好き、美女好き」を明るく公言するなど、当時からユーモアは満点。しかし、相当なちゃっかり者で周囲は一時も油断がならなかった。「俺に(仕事を)任せれば万事問題なし」と胸を張るのだが、自分に都合がいいように事を運ぶので、結果はたいてい問題だらけ。風向きが怪しいと見ると、早々にトレードマークのセカンドバッグをつかんで会社から姿を消すような人だったのである。そんな彼のことを「最も苦手なタイプ」と話す上海人は1人や2人ではなかったし、仕事上、彼と組むことの多かった私は、その気持ちがわかりすぎるほどよくわかった。
 ところが、とかく敬遠されがちなこの元同僚のことが私はどうも嫌いになれないでいる。それどころか、自分が万人に愛されていると信じる、いや、少なくともその素振りを見せる彼のことがなんだかけっこう好きらしいのだ。このことは私自身にとっても長らく一つの謎であった。しかし、最近になって、私はある一つの可能性に思い当たった。
 私が一観光客として初めて中国の地を踏んだのは、大学1年生を修了したばかりの1997年3月のことだった。第2志望の中国語学科に不本意ながら入学し、ふまじめな「赤点学生」であった頃である。私は衝撃を受けた。街はごみだらけだった。車がほこりの中をクラクションを鳴らしながら行きかっていた。交通ルールはあってないようなもので、誰も守らない信号などいっそないほうが安全なのにと思ったし、妙齢の女性が路上で手鼻をかむ光景にもわが目を疑った。このとき目にした中国は私の知っている常識から言えばマイナス要素がほとんどだったと言えるだろう。しかし、私はとても感動していた。中国の人々にはほとばしるようなエネルギー、生きるために放出される圧倒的な力がみなぎっていたからである。マナーや外見などどうでもいいという気さえした。とにかくこれはすごい国だ、この国のことを知らなければと思った。気の抜けた学生生活を送っていた私がようやく一念発起したのは、まさにここからであった。
 私は友人チャンインに10年前のこの感覚に通じる何かを感じているのではないかと思う。自分の幸せに関してどこまでも貪欲なそのエネルギーを分けてもらうために彼に会っていた気がするのだ。私は彼の過去のすべてを聞きたいと思うようになった。そこには私が彼や中国に感じた生命力の秘密が隠されている気がするからである。
 幸い彼が乗り気になってくれているようなので、春節明けからさっそく聞き取りを始めることにした。そして、その記録を同時進行でここにアップしていきたい。どんな物語が語られるのか、今はまったくの未知数であるけれど。

上林早苗(かんばやし・さなえ)・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑の3人暮らし。

このページの先頭へ


「札幌温暖化を考える」

造林の神様と言われた小林文男理事長
台風の凄まじい爪跡
熱心に作業する小林さん(一番手前)とボランティアたち

 2月上旬に開催された「さっぽろ雪まつり」期間中、驚くことに雨が降りました。それに加え、例年にない積雪量の少なさ、そして春のような気温。札幌温暖化は確実に進行しています。
 2001〜05年の5年間、私はシラカバ花粉の飛散開始日の研究を行っていたのですが、その間のデータと20年ほど前のものとの違いに、思わず目を疑ってしまったことがあります。現在の花粉の飛散開始日と20年前のそれとでは、2週間ほどもずれがあるのです。以前はGW あたりから花粉が飛散していましたが、現在では4月の中旬から飛び始めています。つまり、札幌での春の訪れが徐々に早くなり、樹木もその気温に反応して早く花粉を飛散させたと推測されます。勿論これだけでは短絡的に札幌温暖化に結びつけるわけにはいきません。しかし、一つの事実として受け止める必要があります。
 それでは札幌温暖化の防止策として何をすべきなのでしょうか? 「工場から排出されるガスの規制」や「自然エネルギー利用への取組み」などは行政や自治体に任せるとして、私たち一個人では何ができるのでしょう? その主たるものは、“天然のクーラーである森”を私たちが自らの手で守ることです。NPO法人「森林遊びサポートセンター」の小林文男理事長は、「森を守っていくには市民の力が重要」と話しています。
 平成3年に発足したこの会は、地域住民を巻き込んだ植樹や森の下草刈り、自然とふれあう種々の行事を定期的に行うなど、札幌では、森林を守る市民団体の草分け的存在です。その他にも、台風によって被害を受けた森の倒木被害調査や風倒整備、子ども樹木博士の認定会を実施するなど、環境教育にも力を入れています。
 また、ある植物の自生地にまったく異なる遺伝子を持ち込む行為である“遺伝子汚染”についても正面から取り組んでいます。他所で採取した苗木を植えるのではなく、その土地で採取した種で育樹を行っているのです。2〜3年ほどその苗木を管理し、その中から丈夫な苗木を選抜して植林を行います。こういった地道な作業は、小林さんたちのような市民団体の力があってこそ出来ることです。
 こうして育まれた豊饒の森が、私たちに美味しい水や美しい景観を与えてくれます。そして、澄んだ冷たい空気や水が、コンクリート熱や車の排気ガスで熱くなった都市部を冷やしてくれるのです。
 小林さんは「まず森を身近に感じてもらうことが先決。そして、木を1本植えることの大切さを考えて欲しい」と話します。
 地球温暖化を含む環境問題に対して、私たちが出来ることは限られています。だからこそ、私たちの周囲で行っている試み―例えば、植林を行っている活動団体やその取組み、さらにそのグループを支援する方法などをもっと知るべきなのです。まず知ること、身近に感じること、そして行動することです。

(大竹正枝)

NPO法人「森林遊びサポートセンター」 = http://www.moriasobi.jp

おおたけ・まさえ…1965年生まれ、千葉県出身。現在、北海道大学農学研究科に在籍。植物が人間に与える不思議なパワーに興味を持ち、主に園芸療法について研究するかたわら、ガーデニング、環境保全、そして地域・農村活性化など幅広く関心を持つ。

このページの先頭へ


014 『特急列車内の老夫婦』2007年2月18日午前、渡島管内森町

夫…罐ビールを数本飲んで酩酊している
妻…酩酊中の夫を適当にあしらっている

夫「おいやおれでかい川かと思ったべや」
妻「ああそうかい」
夫「おいやでっかい川かと思ったべやなおい」
妻「そうだかい」
夫「おいやな、でっかい川に見えたべや」
妻「川でないから」
夫「なあ、ほんとよ。でっかい川かと思ったべやおれだら」
妻「そうかい」
夫「ほんとよ、ほんとあれよ、でっかい川さ見えたもなあ、おれだらなあ」
妻「川でないから」
夫「はははっ、おれだらお前、でっかい川だっちゅものなあ、はは」
妻「そうかい」
夫「ほんとによお前、でっかい川だっちゅうからなあおれだら、はははは」
妻「川でないから」

(小笠原 淳)

このページの先頭へ


「白タク、医療問題 ――北京の憂鬱」

 北京のタクシードライバーの仕事はかなり過酷だ。その日の売り上げから250元〜300元(約3912円〜4694円)をタクシー会社に払わなければならない。ガソリン代や車の修理費は、もちろん自分持ちだ。北京のタクシードライバーは、大体一日400元(約6260円)ぐらい稼ぐらしいので、自分の手元に入るのは一日100元〜150元(約1565〜2348円)の計算になる。
 段さんはタクシー会社に払うお金が高すぎるのが不満で、自分で車を買って白タクに転向した。
 私が初めて中国に訪れた90年代半ばは、車といってもほとんど車種が限られていた。また物凄く高価なもので、決して一般の北京市民に手が届くようなものではなかった。中国のWTO(世界貿易機関)加盟以降、世界の自動車業界が中国市場に参入したことで、以前よりも多くの車種から選べ、安く車を手に入れられるようになった。
 ある日、段さんの奥さんの張さんが嘆くように私にこう言った。
 「段が空港まで客を送っていたところ、待ち構えていた警察に捕まった」
 段さんはすぐに釈放されたが車を没収されてしまったという。張さんは例のごとく四方八方のコネを使い、車を取り返そうとしたのだが、今回の警察はなかなかコネが届かないという。段さんと張さんはしかたなく、罰金の2万元(約31万2989円)を警察に支払い、車を取り返してきた。
 以前は白タクの取締りなどはそれほど厳しくなかったのだが、2008年の五輪開催が決まって以降、厳しくなったという。それでもここ最近、白タクは増え続ける一方で、もちろん段さんもめげずに白タクを続けている。段さんのように40代後半でこれといった学歴や職歴、大きなコネクションが無い人は仕事を探すのがとても難しいのが現状だ。段さんは毎朝4時に起き、市の中心から空港まで行く人を探す。何人もの固定客がいるようだが、最近の白タクの増加やマイカーブームで客は少しずつ減っているそうだ。来年には市内から空港まで電車も通る。もともと合法的でない白タクの仕事、厳しくなるのは間違いないだろう。

洋服屋で働く女性たち

 張さんはこの段さんの事件をさかいに、私に会うたびに自分の不幸を愚痴るようになった。毎週2回私の家に来ているのだが、2時間ぶっ通しで生きている事の楽しみなど何もないと語っていく。
 「何がそんなに張さんを憂鬱にさせるの?」
 そう聞くと、
 「旦那の仕事が不安定で、家のローンがあと15年あり、息子は浪人生でお金が掛かる」
 「うん、うん」
 「段の高血圧も心配だし、自分も病気になったら怖い」
 確かに段さんの収入だけでは毎月の家のローンを返しながら息子の予備校代も出すのは大変だ。もしも段さんが倒れたら、という不安がずっと付きまとっているのだろう。
 そんな張さんをさらに憂鬱にさせる事があった。張さんは、すでにお父さんとお母さんを癌で亡くしていて、天津で農家をするお兄さんと天津市内に嫁いで行った妹さんだけが身内なのだった。その、天津のお兄さんも具合が悪く、どうやら肺癌で手術をしても治る確率は低いらしい。
 中国では農民はほとんど保険などには加入していない。もちろん張さんのお兄さんも例外ではない。北京での医療費は莫大で張さんが払ってきたのだが、もう諦めるしかないといった。
 中国では医療問題が深刻化していて、私も小児病院などの前に、地方から診察に訪れた親たちがテントを張りながら子供が退院するのを待っている様子を見たことがある。子供の医療費が高く北京での自分たちの滞在費が払えないのである。また張さんがこんな話をしてくれた。
 「ある地方からやって来た農民の患者が完治して退院する時に、お医者さんが『もう大丈夫ですよ、あとはお家に帰ってゆっくり休んで、美味しいものを一杯食べてください』と言ったの。そうしたら患者は『もう帰る家は有りません、すべてを売って治療費を払ったのですから』って」
 張さんのお兄さんは昨年末、息を引き取った。
 「最後は痩せこけて。可哀想で、可哀想で……」
 と張さんは悲しみを投げつけるように何度も言った。
 張さんの愚痴は私にとって重く響くことが多かった。段さんと張さんは、私が北京に来て知り合った中国人の中で一番身近に感じる人たちだ。そんな人の愚痴だからこれからも付き合ってゆきたいと思ってしまう。

(続く)

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。

ホームページ=(http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

このページの先頭へ



茨城県下妻市のHPキャラクター「シモンちゃん」。「萌えキャラのつもりはなく、お堅いイメージを払拭したかっただけなんですが」と情報政策課の平井英雄課長補佐。(『朝日新聞』1月20日付夕刊)

「第31回千葉マリンマラソン」で進路を示すコーンの配置ミスで約2.3km距離が短くなる珍事が発生。1人3500円の参加料は返還されない。(『北海道新聞』1月22日付朝刊)

オーストラリアで「ブッシュは世界一のテロリスト」と書かれたTシャツを着た男性(55)が航空便への搭乗を拒否された。「表現の自由の否定だ」と損害賠償を求める予定。(『朝日新聞』1月23日付朝刊)

中国・東北地方で都市再開発による住民の立ち退き移転事業が進行中。「この年でやっとまともな家に住めたよ」とバラックからアパートに引っ越した呉忠誠さん(81)。(『朝日新聞』1月24日付朝刊)

韓国MBCの大河ドラマ「チュモン」の放送時間が盧武鉉大統領の演説で深夜にずれ込み、「時間も守れない大統領にどんな約束ができるんだ」と怒りの声が。(『朝日新聞』1月25日付朝刊)

ボクシングの亀田興毅選手が「納豆ダイエット問題」について熱弁。「納豆は全然悪くないのにかわいそう。俺も何もしてないのに、悪く書かれる」。(『朝日新聞』1月25日付朝刊)

千葉県警千葉東署は1月24日、コンビニに押し入り飲食物を盗んだ朝鮮籍の無職の男(56)を逮捕。トイレに立てこもり、弁当を食べて出てきたところを御用。(『読売新聞』1月25日付夕刊)

米独立リーグ「ナショア・プライド」は、レッドソックス松坂大輔投手のジャイロボールに対抗して岡本晃投手の得意球をワサビボールと紹介した。(『読売新聞』1月25日付夕刊)

東大の赤門前で1月26日、消防演習があった。「入試突破」の鉢巻をした受験生役が「今年は絶対に受かるぞ。うわ、火事だ」と熱演。(『朝日新聞』1月27日付朝刊)

1月26日、安倍晋三首相の施政方針演説中、「横文字が多いぞ」と町村派がヤジると「うるさい。黙ってろ」と中川秀直幹事長。塩崎恭久官房長官は「大変元気よく演説していた」。(『日本経済新聞』1月27日付朝刊)

1月27日、矢野友理江選手が女子1500m自由形で高校新記録。日本新のペースだったが、残り100mで突然小休止、記録は幻に。「すごいばか」と本人。(『北海道新聞』1月28日付朝刊)

安倍晋三首相夫人の昭恵さんが1月28日、女性集会で挨拶。「外国に行くのが好きで主人と一緒にいたいので、外遊にはついていきたい」。(『日本経済新聞』1月29日付朝刊)

中国初の金メダリストで元スケート選手の楊揚さん(30)がテレビキャスターに転身。彼氏の有無について「この年でいないのはおかしい。誰かは内緒ですが」。(『朝日新聞』1月29日付夕刊)

フランスでミネラルウォーターの製造業者とパリ市が論争。「パリだけで毎年20万tのペットボトルが廃棄され、地球を汚している」と環境団体アジール。(『朝日新聞』1月31日付朝刊)

モスクワのルシコフ市長の同性愛者に対する発言が問題に。同性愛を麻薬犯罪と同列とみなし、「犯罪者は法の正義の力で攻撃すべきだ」と強調。(『朝日新聞』2月1日付朝刊)

千葉県「市原ぞうの国」のチンパンジー「スマイル」の観光大使就任で、環境省が困惑。「園外での活動はチンパンジーにとって楽しみだ」と坂本小百合園長。(『朝日新聞』2月2日付朝刊)

生後間もない女児を置き去りにした無職の女性被告(24)の初公判が2月2日、旭川地裁であった。検察官に「親がいない子供の気持ちを考えたことがあるのか」と問われ、「考えましたよ」。(『読売新聞』2月3日付朝刊)

(山崎達之)

このページの先頭へ


鈴木邦男→和多田進

「〈手段〉の民主主義 〈結果〉の民主主義」

 『僕が右翼になった理由、私が左翼になったワケ』(晩聲社)を出したのは1997年3月ですから、ちょうど10年前ですね。世の中のことは何でも知っている「村の長老」に、「愚かな若者」が質問をする。そんな感じの本でした。長老にはとても敵(かな)わないなと思いながら、でも啓発されることが沢山ありました。たとえば民主主義のこと、人生のこと、組織のこと…。
 実は、この対談の続編を出そうとしたんですよね。確か4回ほど対談をしたと思います。3回でしたかね。高田馬場の大正セントラルホテルで。あれはどうなったんでしょう。勿体ないですね。時局的な話が多く、話題が古くなったからでしょうか。あるいは、聞き手の「愚かな若者」が余りにも愚かだった為にボツになったのでしょうか。
 もう記憶も薄れていますが、長老が言った民主主義の「手段」と「目的」について、ハッと思ったことがありました。今の民主主義は「手段」だけです。それを平等に、美しく、立派にする。誰でも選挙に出られる。投票できる。それに尽きます。その結果、どのような人が選ばれ、どんな政治が行われようと構わない。「結果」や「目的」は関係ない。極端に言うとそんな感じがします。その疑問に長老が答えてくれました。

 少し話が飛びます。今年の1月1日に田中義三さんが亡くなりました。1970年の「よど号ハイジャック事件」に加わり北朝鮮に渡った赤軍派の人です。その後、カンボジアで逮捕され、タイで裁判を受け、日本に送還されました。「よど号」裁判で12年の刑を受け熊本刑務所で服役していました。去年の秋から急に体調を崩し、今年1月に亡くなりました。政治的立場も違うし、正反対の運動をやってきた人です。でも10年前ですが、会った瞬間に意気投合しました。心の許せる、本当にいい人だと思いました。

道・6(北海道・帯広)(写真・WATADA)

 「よど号」裁判の時、僕は頼まれて証言しました。「こんな有能でいい人を長期間、刑務所に入れるなんて“国家の損失”だ」と。その気持ちは今も同じです。
 青年が夢を持ち、日本にも夢があった時代の生き証人です。優秀で、国を憂え、世界を憂えたが故の行動でしょう。それに、北朝鮮に30年以上もいたこと自体、〈刑罰〉になっているでしょう。もう釈放してもいい。少なくとも明治の政治家ならば、〈敵〉であれ、こんな有能な人間は国の為に使おうと思ったでしょう。日本赤軍の重信房子さんも釈放して、外務大臣にしたらいい。そうしたら、アメリカの意のままにイラクに自衛隊を送ることもなかったでしょう。
 榎本武揚、大鳥圭介らは最後まで官軍に抵抗し函館の五稜郭に立て籠って戦いました。死罪にすべきところでしょう。だが黒田清隆は、「有為な人材を失うことは国家の損失で、死一等を減ずべきだ」と主張し、周りを説得しました。
 又、アメリカの南北戦争で勝利をおさめた北軍が南軍将兵をいち早く放免したことを口にし、「榎本らを拘禁していては野蛮国というそしりを受ける」と述べたそうです。これは吉村昭の『夜明けの雷鳴』(文藝春秋)に出ていました。幕府方の医師だった高松凌雲の生涯を描いた小説です。
 黒田は自らの信念に基づき、大久保、伊藤、岩倉、木戸らを説得します。これら「周りの人間」を説得するだけで、実現させてしまうのです。国会で議論もしない。選挙で民意を問うこともない。大体選挙だって、選挙権を持っている人は限られていた。〈民主的〉ではない。しかし、民主的ではない明治時代の方が今よりも素晴らしい、思い切ったことが出来た。そんな気さえします。
 榎本釈放の話の中で長老に聞いたのかもしれません。長老は言っていました。「〈手段〉が民主主義的でなかったからこそ、〈結果〉の民主主義が達成されたんだ」と。表現は少し違うかもしれませんが、僕はそう聞きました。多くの人に選挙権を与え、議論しているだけでは衆愚政治になる。そう言ったのかもしれません。誤解されやすい言葉ですが、あれ以来、ずっと考えています。もう一度、その辺のことを教えて頂きたいと思います。

2007年2月19日

すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。

このページの先頭へ



 次号からいよいよ「楽譜のいらない音楽授業」が開講します。プロフェッサー田野城の型破りな紙上講義、初回はさてどんなエピソードが飛び出しますか。受講資格不問・授業料無料の教室へ、ぜひお越しください。
 上林早苗さんの「上海日記」も見逃せません。謎の友人チャンインの来し方を探る旅の行方やいかに?
 次号も木曜日の配信です。「サーズデイはメルマガデイ」ということで、今後ともよろしくご贔屓に。なぜいきなり英語なのかは、訊かないでください。「サーズデイ」の「サ」は、できれば舌を軽く噛んで発声してください。イギリス生まれのひとは「サーズダイ」と発声してもかまいません。そんなことよりも「メルマガ」はかなり嘘の英語ですが、そのような細かいことを気にしていては北海道の待ち遠しい夏を無事に迎えることはできませんよ。
 「メルマガ北海道人」、次号(第09号)は3月8日(木)配信です!

ポータルサイト『北海道人』編集部(http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ