メルマガ北海道人

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 気がつけば6号に達していました、メルマガ北海道人でございます。
 6といえば西欧ではちょっと縁起のよろしくない数字ということになっておりますが、西欧の皆さんは「縁起」という漢字熟語とはたぶん無縁でしょうし、そもそもわが編集部は西欧ではなく北海道にあるので、そういうことは気にしないのです。6はよい数字でございますよ。なにしろ約数が多い。いくらでも割れる。割り放題。ねえ。よい数字です。なにしろ約数が多い。そして、約数が多い。まったくよい数字。約数が多いし。もう、よい数字極まる。約数がね、多いもの。ねえ。6だも。

連載「となりの北海道人」
 毎回毎回、9人の北海道人たちが同じテーマで語るシリーズ、第6弾です。今回も引き続き「私のお父さん」をどうぞ。もう、お父さんたら。

連載「おわびの極意」
 新聞各紙の「おわび」「訂正」を血眼になって集める担当・山崎達之は、最近髪型を変えました。そのせいかどうかは定かでありませんが、今回は豊作です。

連載「新・自然真営道」
 平成版「自然真営道」、ガーデニングブームへの警鐘が続きます。またまたショッキングな今回は、“クローン”の実態に迫る!

連載「どうでもいい話」
 盗み聴き愛好家にはたまらない連載、第6弾。移動中に盗み聴いた1篇と酩酊中に盗み聴いた1篇の、2本立てをどうぞ。

新連載「大陸人の時間」
 いきなり始まりました、インターナショナルな新連載! 北京在住のフォトグラファー岩崎稔さんが、お隣の大陸でリアルな人々を撮り、語ります。第1回「経済房のお手伝いさん」!

連載「NEWSぱくりんこZ」
 『北海道人』トップページ上部の一行ニュースは、毎日更新されています。あの傑作を見逃した方たちのために、バックナンバーをダイジェストで。

連載「危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡」
 12月に始まった往復書簡、第4回となりました。新右翼の雄・鈴木邦男さんが“長老”和多田進に衝撃の告白! 新聞のテレビ番組欄ならば感嘆符「!」を20個ぐらい付すところですが、ここはジャーナリスティックな場ですので3個に抑えておきます。えっ、邦男さんっていじめられっ子だったの!!!?失礼しました、疑問符も加えてしまいました。

※「イッセー尾形の旅日記」はまもなく再開の予定です。しばしお待ちを!

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046『自分の名前と責任で全てやりとりしたい』

後藤栄二郎さん(32)=MARUMI COFFEEオーナー、札幌市出身、札幌市在住

 ―お店を始めたのはいつ頃ですか?
 8ケ月前です。老舗コーヒー店にサラリーマンとして8年勤めた後、昨年の4月に独立しました。もともと独立志向だったんですが、それは父の影響が強いと思います。

 ―“お父様の影響”とは。
 父は『ペケレット湖園』という、北海道の樹木を10万本集めた庭園で高級ジンギスカン店を経営しています。常々「お客様にゆったりとした空間と時間を感じてもらいたい」と言って仕事をしていました。そんな環境で育ったせいか「仕事をするなら、お客様に喜ばれる商売につきたい」と、思うようになったんです。

 ―独立にこだわったのは、なぜですか。
 「自分の名前と責任で全てやりとりしたい」と思ったからです。父が人と話をしている姿は、すごく自信に満ちていました。「失敗したら、自分が責任を持つ」という姿勢があるので、物事を伝える言葉に説得力があって。そういう姿に強く憧れていたんですよね。

(楢戸ひかる)


047『口下手だったから、なおさら胸にじんときました』

秋田実さん(48)=飲食業、赤平市出身、札幌市在住

 ―赤平は炭鉱で栄えたところ。さぞ賑やかだったのでは。
 それはもう。繁華街も炭住も活気に満ちてました。父は炭鉱の職員で、ヘルメットの上に装着する安全灯の保守点検の仕事をしていたのですが、三番方で入った父に付いて行って職場に泊まったことがありました。中1のときです。

 ―お父さんの仕事ぶりをずっと見ていたのですか。
 途中で寝てしまいました(笑)。朝、売店で買ってもらった熱々の大きな“おにぎり”がすごくおいしくて、飲食の仕事に就いてからも、どうやったらあの味が出せるのか考え続けているんですが、いまだにわからないんですよ。

 ―よほど感動したんですね。お父さんとの近年の思い出は。
 父は一昨年亡くなったんですが、年老いた父から、なんと小遣いをもらいました。「たまに、あれだ、お前に小遣いやる」と言って3万とか5万とかくれるんです。私が独身時代、“食いぶち”として家に3万入れていたことと関連してるのかな……。決め台詞の「早くしまっとけ!」も耳の奥に残ってます。

(道産ヨネ)


048『仕事とは、“誰かのために役にたつこと”』

畠山美咲さん(23)=小学校特殊学級教諭、札幌市出身、札幌市在住

 ―障害児教育を仕事にしようと思ったキッカケは。
 幼馴染や同級生に障害を持った子がいたので、自然な形で関わりながら育ちました。小学校の頃には「そういう子たちと、どう遊べば喜ぶかなぁ」と考えていました。自分が工夫したことで相手が喜んだり、反応が返ってくることが楽しかったんですよね。

 ―今の仕事に就くことに迷いはなかったのですか。
 芝居や音楽などが大好きでしたが、それらはあくまで“プライベートの楽しみ”。私にとって仕事とは、やりがいを感じる、“誰かのために役にたつこと”というイメージがあったので、迷いはなかったですね。

 ―仕事=誰かのために役にたつこと、とはスゴイ考え方ですね。
 父は公務員なんですが、その理由を尋ねた時に「札幌という街が好きで、この街のために役に立ちたかったから」という答えが返ってきて。父のその言葉がストンと自分の中に入って、納得したんです。小さい頃から「尊敬する人」の欄には「お父さん」と書いていたからこそ、その父の言葉が自分を前へ押してくれたんだと思います。

(楢戸ひかる)


049『“農家のオヤジ”で終わりたくなかった父』

五十嵐恒さん(71)=美術ジャーナリスト、空知管内北村出身、札幌市在住

 ―北村ご出身ということですが、お家は何をされていたのですか。
 水田農家をしていました。農家だから水田や家があるんだけど、「跡をとれ」とは一度も言われたことがなかったね。それよりも小さい頃から「お前は大学まで行くんだぞ」と言い聞かされて育ちました。父は農業が好きじゃなかったんじゃないかな。

 ―お父様の希望通り大学に進学されたんですか。
 高校から札幌に出て、大学は東京に行きました。私が高校に入ったのを機に父は水田や家を全部売って、札幌に出てきて銀行員になったんです。

 ―肉体労働からデスクワークへの変化は大丈夫だったのですか。
 もともと、よく机に向かっていたからね。本を読んだり、日記をつけたり、町内会の役員をしたり……。「農家のオヤジで終わりたくない」っていう気持ちがあったのでないかと思う。日記をつける習慣は、オレも受け継いだ。小学校時代から始めて、今でもつけているから。活字に関する仕事についたのも、それが関係しているのかもしれないね。

(楢戸ひかる)


050『踊りすぎて熱中症で倒れる』

田代陽子さん(39)=映画監督、川崎市出身、帯広市在住

 ―神奈川のご実家では何歳まで過ごしたんですか。
 21までですね。近所に田んぼがあって、牛屋さんもいたりして、のどかな所でした。日曜日には父に誘われてヤマユリ採りに行ったり、キャッチボールしたり。今も山登りが好きなのは父の影響かもしれません。

 ―北海道に単身移住することになったきっかけは。
 学生時代にカナダのバンクーバーで暮らしたことがあって、そこの風景が北海道の十勝平野にそっくりだったんです。それで、学校中退してすぐ帯広に引っ越してきました。

 ―そのまま根付いてドキュメンタリー映画を撮ることになった。お父さんはなんにも言わなかったですか。
 新得町での映画祭に毎年来るようになりましたね。もうほとんどスタッフの一員。なんかすごく楽しそうですよ。みんなでお酒飲んで踊りまくって、次の日に熱中症で倒れたこともある。それ以来無理しないようにしてるみたいですけど、もうすっかり年一回の楽しみにしちゃってますね。

(小笠原淳)


051『馬そりに飛び乗り、湯たんぽ抱いて往診』

三森れいさん(60)=歌人、網走管内西興部村出身、札幌市在住

 ―お父さんは、長年、地域医療に貢献なさったそうですね。
 村に一つしかない診療所でしたから、病気、けが、何でも診ていました。昭和30年代、夜、ドンドンドンと玄関の戸を叩く音がすると、飛んで行って鍵を外すのが私の役目。冬場の往診は大概馬そりで迎えに来ていて、飛び乗った父は往診かばんと湯たんぽを抱き、角巻きを頭からかぶって暗闇に消えて行きました。血だらけになった人が担ぎ込まれるなど、いろんな経験をしているので、私たち家族もちょっとやそっとのことでは動じなくなりましたね。

 ―普段は、どんなお父さんでしたか。
 謹厳実直。読書好きで短歌や俳句を愛好し、勉強はもちろん、あらゆることを教えてくれました。父が毎朝聴いていたラジオの英語講座が、一時期、私の目覚まし代わりになっていました。昼夜を問わず村の人々に尽くした父は私の誇り。でも、小1の学芸会の開会の言葉、卒業式の答辞など、子ども時代の晴れ舞台を急患のために見てもらえなかったことは、ちょっと残念に思っています。

(道産ヨネ)


052『子どもだったことは一度もなかった』

elle of flowerさん(42)=ミュージシャン、札幌市出身、東京都三鷹市在住

 ―タトゥーにピンクのエクステンション(付け毛)と、個性的なファッションですね。
 いつも“普通って何?”と、思うんですよね。確かに中にいると“私だけ異質”と思う集団もあるけど、だからといってみんなに合わせようとは思いませんね。

 ―子どもの頃からそうだったんですか。
 私、子どもだったことがないんです。最初から大人だった。たとえば、おままごとをしている時。“泥の団子を御飯と思えと!? 面倒くさいシステムだな”と感じてる、みたいな。

 ―なぜそういう“子ども”だったのでしょう。
 父は会社を経営していたのですが、家の外に常に女性がいました。家に戻ってくれば母を殴って……。私は母を守る役目だったから、大人でなければならなかった。だから昔から本もたくさん読んで、いろいろなことを真剣に考えました。今、密度の濃い人生を送れているのはそのせいかもしれません。そんな家庭環境だったことに感謝しています。

(楢戸ひかる)


053『赤ちゃんの時から、ずーっとパパのことが大好きだった』

斉藤大輝さん(6)=保育園児、札幌市出身、札幌市在住

 ―パパの話を聞かせて欲しいな
 ダイチャンね、赤ちゃんの時から、ずーっとパパのことが大好きだった。じいちゃんちのトイレが怖い時も助けてくれるんだよ。

 ―パパのどんなところが好き。
 全部大好き。パパのことが大好きだから、パパと一緒に住んでいるの。ママは別に住んでいて、たまに会う。でもパパがいるから寂しくないの。ママに会う時は嬉しいけどね。

 ―パパと何をするのが嬉しいの。
 カブトムシのエサやり。あとね、一緒に眠る。眠るところには加湿器があるから、よく眠れるの。加湿器の灯りがあるから、部屋が真っ暗にならないんだよ。

(楢戸ひかる)


054『おやじから学んだことは、まずアユ釣り』

酒井広司さん(46)=フォトグラファー、後志管内余市町出身、札幌市在住

 ―お父さんを語るとき、真っ先に思い浮かぶことは。
 川釣り、海釣り、何でもやるけど、特にアユ釣り。かつての余市川は、今よりずっとアユが釣れ、おやじは毎回50匹ぐらい釣ってきて、親戚や隣近所にも配ってた。友釣りの種アユ(おとりに使う生きたアユ)は、売ってもいるんだけど、おやじは川に空針を流して自分で捕まえる主義。根をつめて一つのことをとことんやるところは、おやじの性格を引き継いでるんだと思う。

 ―お父さんは、どんな仕事をしていたんですか。
 普通の勤め人。写真も好きで撮ってた。おやじの世代は趣味で写真をやる人が多く、小さな暗室を作って、自分でモノクロのプリントしてたんだよね。

 ―お父さんのアルバムの中で、印象深い一枚は。
 台風か何かで倒壊する以前の余市水族館の写真かな。子どものころ海岸で遊んでいて、「ここに水族館があったんだよ」と聞かされてもピンとこなかった。写真でしか見られないものがあることを教えてくれた一枚というところかな。

(道産ヨネ)

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毎日新聞 12月19日 p.23 14版 朝刊
「おわび」
 18日朝刊12面「粘土の大地に土のう工法」の記事で、「松岡元・愛知工大教授」は「松岡元・名古屋工大名誉教授」の誤りでした。おわびして訂正します。

北海道新聞 12月20日 p.30 16版 朝刊
「訂正」
 19日朝刊「道の書類『一部開示を』」の記事中、二段落目に「開示請求は、北海道新聞社が道公安委に行った」とあるのは「道警に行った」の誤りでした。以下、「道公安委」「公安委」とあるのはいずれも「道警」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 12月21日 p.5 14版 朝刊
「訂正」
 20日付「市場化テスト、16事業追加決定」の記事中、「国立公園の管理業務」とあるのは「国営公園」の誤りでした。

北海道新聞 12月21日 p.25 朝刊
「訂正」
 19日の統一地方選札幌市議の立候補予定者の一覧表で、北区の北川一夫氏が「民主推薦」とあるのは「民主・社民推薦」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 12月22日 p.17 13版 朝刊
「訂正」
 21日付「熊谷組など23社が優先配」の表中、プリマハムを「07年3月期に優先配当を実施しない」と区分したのは誤りでした。同社は06年3月期に優先配当を実施、今期も行う見通しです。

北海道新聞 12月22日 p.11 夕刊
「訂正」
 20日の「ぶっくまあく」で「新陰流剣法」とあるのは「柳生新陰流」の誤りでした。訂正します。

朝日新聞 12月23日 p.13 13版 朝刊
「訂正」
 22日付のミサワホームホールディングスの9月中間連結決算についての記事で、「当期利益は前年同期に比べほぼ半減」としたのは「約9割減」の誤りでした。見出しとともに訂正します。

毎日新聞 12月23日 p.5 14版 朝刊
「訂正」
 22日「首相日々21日」の記事で、「天皇、皇后両陛下と昼食」は「天皇陛下、皇太子さまと昼食」の誤りでした。

朝日新聞 12月26日 p.1 3版 夕刊
「訂正」
 25日付本欄で方程式の変数について「2次方程式はxとy」とあるのは「2次方程式はxの2乗」の誤りでした。訂正します。

北海道新聞 12月27日 p.10 16版 朝刊
「訂正」
 22日の「わざフロンティア」で、「道立林業試験場(美唄)の協力で」とあるのは「道立林産試験場(旭川)」の誤りでした。訂正します。

日本経済新聞 12月28日 p.6 14版 朝刊
「訂正」
 27日付「フセイン元大統領死刑、早期執行めざす?」の見出しで「暫定政権」とあるのは「マリキ政権」の誤りでした。

日本経済新聞 12月28日 p.14 14版 朝刊
「訂正」
 26日付「豪ドル買い越し過去最高」の記事中、オーストラリアドルの買い越し幅について「(一枚=千ドル)」とあるのは「(一枚=十万豪ドル)」の誤りでした。

読売新聞 12月30日 p.1 朝刊
「訂正」
 29日の「イラク特措法延長へ」の記事中、「計約50万トンの人員・物資を輸送」とあるのは、「計約500トン」の誤りでした。

毎日新聞 12月30日 p.6 14版 朝刊
「訂正」
 29日「非正社員格差 中間に合わせて是正」の記事で、八代尚宏氏の発言で「正社員の賃金を引き上げる一方で」とあるのは「非正規社員の賃金を引き上げる一方で」の誤りでした。

北海道新聞 12月30日 p.9 16版 朝刊
「訂正」
 29日の「北洋銀行人事(1月1日)」は、「札幌銀行人事(1月4日)」の誤りでした。訂正するとともに、再掲します。また同日の「札幌信用金庫人事」で、「常務理事本店営業部本店長藤原和幸」とあるのは「常勤理事」の誤りでした。訂正します。

北海道新聞 1月1日 p.37 16版 朝刊
「訂正」
 元旦別刷り第4部、宇宙・環境特集3ページ「北の開拓魂」のイラストで、大気球観測の実施場所を示す線が「陸別」となっているのは「大樹」の誤りでした。訂正します。

毎日新聞 1月3日 p.25 朝刊
「おわび」
 1日朝刊「'07正月特集 鉄道網新時代」の広告ページ4、5面の「初夢クイズ」の「Q3・四字熟語問題」で、「ふんこつさいしん」の正しい熟語を選ぶ解答の「粉骨砕心」「粉骨細身」とあるのは、両方とも誤りで、正解は「粉骨砕身」でした。おわびして訂正いたします。

読売新聞 1月5日 p.4 14版 朝刊
「訂正」
 1日の特集「参院選立候補者予想」の北海道選挙区で、「共産は新人の擁立を検討」とありましたが、共産党は新人の党道政策委員長、畠山和也氏(35)の擁立を決めていました。

読売新聞 1月5日 p.14 14版 朝刊
「訂正」
 4日の箱根駅伝「シード権を確保した亜大」の写真は、9位でゴールした専大アンカー木下の写真でした。

読売新聞 1月5日 p.1 4版 夕刊
「おわび」
 4日の「諸井虔氏が死去」の記事中、「29日」とあるのは「昨年12月29日」のことでした。

朝日新聞 1月6日 p.30 14版 朝刊
「訂正」
 1日付の特集「2007年 主な日程予定」で、医療費が払い戻される高額療養費制度で70歳未満の人も請求手続きが不要になるのが、「9月1日」とあるのは「4月1日」の誤りでした。訂正します。

読売新聞 1月6日 p.12 12版 朝刊
「訂正」
 12月30日の「ゆく年に・上」に掲載した「政治の世界知り 関心持ち続ける」の投稿者の氏名「広部公」さんは、「広部公一」さんの誤りでした。

(山崎達之)

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「クローン」―ガーデニングの功罪 その4

台風18号の影響で被害にあった北大のポプラ並木
現在は若木が植栽されている

 植林や街路樹に植栽される苗木はほとんどクローンですが、もうクローン苗はやめて実生から育てた苗にしませんか? 果樹や観賞用木ならクローンでも問題ないでしょうが、街路樹や植林ではとんでもないことになりかねません。最近になって、ようやくこの事を唱える研究者や専門家がでてくるようになってきました。私もこの意見に賛同する一人です。
 「クローン」という言葉から、なんか体細胞融合や羊のドリーなどを想像してしまいそうですが、ここでは「挿し木」や「挿し芽」のことをいいます。クローンというのは、実は一度に大量栽培するには効率の良い方法なのです。特に樹木では種(実生)から育てると成木になるまで何年もかかるため、現在では効率のいいクローンで増やすのが一般的です。
 クローンで作られた「子」は「親」と同じ遺伝子を持ち、同じ形質を持ちます。ですから、根の張り方(比較的に根の張りが浅い)や成長速度にはあまり差異がありません。生産管理がたいへん容易ですし、街路樹の場合なら樹形や高さが同じだと見た目も良いということになります。
 ところが、クローンは環境撹乱(病害虫や台風などの被害などの衝撃)で生き残る術を知らないのです。これは、一家族全員が同じ風邪のウィルスでダウンしてしまうようなものなのです。つまり、同じ体質(形質)だから、みな同様にダメージを受けるということです。
 北海道に猛威を振るった2004年の台風18号の被害を思い出してください。老木や病気に侵されていた樹は別として、街路樹、公園、そして森林などで倒木の被害が多すぎたと感じませんでしたか? 「同品種なら同じではないか」と言われる人もいるかもしれません。しかし、私たち人間一人一人に個体差があるように、同じ品種の樹にだって個体差があるのです。だから、一見同じように見える樹木だって、よく見ると根の張り方や樹形が違います。どんなに学校で風邪が流行しても、クラスの中で2〜3人は風邪にかからない人がいるように、他と異なる体質(形質)をもっていれば大きな被害には至らないと思います。
 台風18号の被害に遭った樹木は、どれもクローン苗で植栽されたのではないかと私は推定しています。もしそうなら、これは実に恐ろしい未来を教えていることになります。近い将来、このクローンが引き金となって、大規模な土砂流出被害や倒木が起こる可能性も否定できないと私は考えます。
 春になると、本州ではスギ花粉が飛散します。花粉アレルギーの人にとっては大変な苦痛です。しかし、花粉を飛ばさないスギが富山で数年前に偶然発見されました。そして、その木を挿し木で大量増殖して植林するという計画が生まれました。花粉を飛ばさないスギだから、花粉アレルギーは下火になるというわけです。しかし、自然はそんなに甘いものではありません。人間本位の便利さを追求すれば、異なる形で自然は私たちに牙を向くのではないかと私は思います。

(大竹正枝)

※筆者紹介 おおたけ・まさえ…1965年生まれ、千葉県出身。現在、北海道大学農学研究科に在籍。植物が人間に与える不思議なパワーに興味を持ち、主に園芸療法について研究するかたわら、ガーデニング、環境保全、そして地域・農村活性化など幅広く関心を持つ。

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011 『JR特急の車掌と乗客』2007年1月15日午前、十勝管内新得町

車掌…推定50歳代男、蟹江敬三氏と川上哲治氏とを混ぜたような声
乗客…推定60歳代女、岸惠子氏と美輪明宏氏とを混ぜたような声

車掌「あれこれ、お客さんこれ、これ1号車これ」
乗客「はい?」
車掌「これ1号車ですよこれ」
乗客「はあ?」
車掌「これ1号車だから。ここ4号車だから」
乗客「はあ?」
車掌「これ、切符これ1号車なのこれ。ここ4号車なの」
乗客「ああ、はい」
車掌「これ、ここでないからこれあれ」
乗客「あの、誰か乗りますか」
車掌「えっ! や…。いっやあー。あっのおー。こおの先だらあれ、まあーずだーれもー、まあーず乗ーおーらないけどねえー」
乗客「じゃあ、いいですね」
車掌「いっやー。まあー…。まー、ま、まいいけどあの、あのあれ、できれば今度からあれ、自分の席にねー」
乗客「いいですね」
車掌「できればあれ、自分の席に、あれしてくださいねえー」
乗客「できればね」




012 『居酒屋のアルバイト店員ふたり』2007年1月16日夜、札幌市中央区

△…スポーツ好きだが実際に得意な競技はひとつもないような青年
▲…交際相手の女の子に自分の誕生日を憶えて貰えないような青年

△「C卓来るよ」
▲「しかも11時半だし」
△「11時半だし」
▲「あーいつあれ、メンタリティあれだから」
△「なん? バイトでしょ」
▲「だーめ、メンタリティあれ」
△「あそう」
▲「て言うかヘタレ」
△「フクちゃんはフクちゃん」
▲「フクちゃんバイトでしょ」
△「フクちゃんバイト?」
▲「フクちゃんバイトだし」
△「チーさん来ないの」
▲「フクちゃんバイト」
△「サエちゃんなんぼだったっけ」
▲「スカイマークのチン毛知ってる?」
△「何それ」
▲「スカイマークのチン毛」
△「あ、脚いて」
 (A卓オーダーいただきましたー!)
▲「はいよーう!」
△「はいよーう!」
▲「スカイマークのチン毛」
△「なんぼだったっけ」
▲「やっと10時だし」


(小笠原 淳)

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「経済房のお手伝いさん」

北京の取り壊しの進むフートンにて

 今年は正月2日からの北海道旅行で始まった。両親・兄夫婦と叔父の所謂家族旅行である。羽田−札幌往復航空券とホテル2泊がついて3万6千円という格安のツアーにみんなが集まった。初日は小樽を観光し、札幌で蟹を食べ、翌日タクシーをチャーターして旭山動物園へ向かった。タクシーの運転手は50代半ばの男性で、とにかくよく喋ってくれた。往復乗車しているだけで、だいぶ北海道のことが分かった。小樽でも札幌のホテルでもアジアの旅行客によく遭遇し、特に中国語と韓国語をよく耳にしたことを話すと、せきを切ったように台湾・香港・大陸からの旅行客のマナーの悪さが語られた。聞けば、何処かの温泉宿では風呂の桶が全部持ち帰られて大変だったとか。またツインベッドのホテルに無理やりエキストラベッドを2つも詰め込んで4人で泊まるのが普通だということを半ば呆れながら話してくれた。ちなみに我ら家族旅行も格安チケットの旅だったため、中国式にツイン1部屋に4人で泊まっていたのであるが……。まあ、それはさて置き、北海道の人と中国の人との接する機会も増えているという事が、タクシーの運転手の話で分かった。旅行や出稼ぎで来る中国の人と接触していて、本国での彼らの暮らしにも興味が湧いてきたという読者も案外、多いのではないだろうか。
 私は95年から中国の首都北京で暮らしている。北京にやって来た当初は、ほんの数年だけ見てみたいと思っていたのだが、人や街の変化を追いかけているうちに、飛び込んだ縄跳びからなかなか抜け出せなくなってしまったような、そんなふうに十数年が過ぎた。この急激に変動する国の首都において、右往左往と時代のうねりにかき混ぜられながら生きる中国人たちとの出会いは、私を今も此処にひきつける一つの理由でもある。そんな私の周りの中国人たちを何人か紹介してみたいと思う。

 段さん(48歳)と知り合ったのは、ちょうど4年前のことである。まだ出来たばかりの「経済房」(少し安めの団地)に引っ越してきて間もない頃、偶々乗ったタクシーの運転手が段さんだった。話していたら、同じ団地に住んでいたことがわかり、それ以来、早朝や荷物が多い時に予約して乗せてもらうようになった。段さんは約束した時間よりもいつも早く待っていてくれた。
 出かける際の足は確保できたが、私の家の中は目茶苦茶で、お手伝いさんを探していた。お手伝いさんというと、日本では贅沢だが、中国では時給5元(70円)から10元(150円)で来てもらえる。小さい子供がいたり、仕事が忙しかったりする場合、特別お金持ちでなくてもお手伝いさんを雇うことは珍しくない。段さんにそれを相談すると、
 「うちの嫁は掃除が好きで、綺麗好きだ。家に帰って聞いてみる」
 と言う。確かに綺麗というか、ほとんど物が無い家だったなあと、段さんの家にお邪魔した時の印象を思い出した。翌日、段さんの奥さんが家にやって来た。ご主人は段さんだが、中国は夫婦別姓なので、奥さんは張さんという。
 「私はこういう仕事はしたことが無いんだけど、困っているのならやってもいい」
 と率直な感じで話され、週に2度、張さんは掃除・洗濯をしてくれることになった。上下にアイラインをしっかり引いて、でも着ているものは寝巻きで掃除に来た張さんは、積み重なる本や雑誌を眺め、どうしてこんなに汚いんだとあきれ返った。とりあえず買い揃えた掃除機などを使って見せると、
 「あー、なんて電気の無駄遣いなのかしら。ほうきで十分」
 と新品の掃除機を押入れの中に押し込めてしまった。(続く)

執筆者紹介 いわさき・みのる…写真家。1974年、宮城県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。

ホームページ=( http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

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12月23日午前7時頃、石川県白山市内の防波堤で釣りをしていた男性が現金800万円の入ったリュックサックを釣り上げた。「漂流物」として同市が保管するという。(『読売新聞』12月24日付朝刊)

餌の時間に前脚で頭を抱えるポーズをする徳山動物園のマレーグマ・ツヨシ。雌のレーコの死後、そのポーズをしなくなったという。(『朝日新聞』12月25日付朝刊)

中国遼寧省の水族館で異物を飲み込み苦しんでいたイルカの「海海」と「楽楽」。「病気になったら助けてあげなきゃね」と身長236cmの鮑喜順さん(55)。(『朝日新聞』12月26日付朝刊)

ゲームでの栄光と現実の区別がつかなくなり、本当に消費者金融で借金して高級車を買う人も出現。「ネット中毒の6−7割はオンラインゲームが主因」と成城墨岡クリニック・墨岡孝院長(59)。(『日本経済新聞』12月26日付朝刊)

バドミントンのゲイル・エムズ選手(29)はスーパーモデル気取りの女子選手を批判。「汗を流して戦っている時に何でセクシーになれるの」。(『北海道新聞』12月27日付朝刊)

新庄剛志氏(34)が12月26日、「第1回ダンディ大賞2006」のスポーツ部門で大賞を受賞。「独特の陽気なキャラクターがダンディーと認められたようだ」とシェイプアップハウス社。(『日刊スポーツ』12月27日付朝刊)

故・ニヤゾフ大統領が旧ソ連のトルクメン共和国共産党第1書記に就任したのが85年12月21日。92年6月21日に大統領として再選を決めた。歿日は今月21日。統治期間は21年。(『朝日新聞』12月28日付朝刊)

川崎市交通局は12月27日、同局井田営業所の男性職員(59)を停職1カ月の懲戒処分に。ぎっくり腰で病気休暇を取得し、翌日ゴルフコンペに参加した。(『朝日新聞』12月28日付朝刊)

Q. ダンゴムシの飼い方を教えて下さい。A. エビやカニと同じ甲殻類なので、虫籠では飼えません。子は母親の腹にある袋で育ち、30〜200匹もの小さな白いダンゴムシに成長してから突如現れます。(『読売新聞』12月28日付夕刊)

12月26日に広島県内の郵便局に押し入った無職の男(50)と妻(31)が逮捕された。男が「金を出せ」と要求した時、妻は「早く出してあげて」と叫んで“人質”を演じたという。(『北海道新聞』12月29日付朝刊)

稚内署宗谷岬駐在所に勤務する青木弘隆警部補(41)に全国から手紙が。4月に流氷の海を泳いで島根県の男性を救助。11月には埼玉から宗谷岬まで逃走した殺人事件の犯人をガス自殺から救助し、逮捕した。(『朝日新聞』12月30日付朝刊)

北海道三笠市の三笠消防署が、21年ぶりに新しい救助工作車を購入。5040万円。これまでの車と違い、火を消すことができる。(『朝日新聞』12月31日付朝刊)

キューバのカストロ議長が革命記念日(元日)を前に「負ける戦いになる可能性は低い」と国民にメッセージ。自身の闘病のことだった。(『毎日新聞』1月1日付朝刊)

ジェイコム株誤発注騒動で20億円以上を稼いで話題になった「B・N・F」氏(28)の総資産は現在約157億円。「趣味は…ないですね。お金を使うことにあまり興味がないので」(『日刊スポーツ』1月1日付朝刊)

旭川市の旭山動物園は6年前、開園日を1月5日から同2日に繰り上げた。正月に「孫に動物園を見せると約束してしまった」と泣いたおばあちゃんがいたため。(『朝日新聞』1月3日付朝刊)

十勝・浦幌神社の境内に建つ乳神神社。まつられている“こぶ”「乳授姫大神」には、住民が「乳を授けて下さい」と祈願し、願いがかなったという言い伝えが。(『読売新聞』1月4日付朝刊)

青森県の精密機器製造会社と県の技術研究所は食品の熱量を測定する「カロリーアンサー」を共同開発。1台300万円。(『毎日新聞』1月5日付朝刊)

中国で「ネット中毒」の少年達を治療する施設がある。両親に騙されて連れてこられた江蘇省の中学3年の郭君(15)は「1週間学校を休んでちょっとゲームをしていただけなのに」。(『朝日新聞』1月6日付朝刊)

道警釧路署は1月5日、中古タイヤ3本を盗んだ無職男(20)と無職女(26)を逮捕した。地面に凍り付いた1本を湯で溶かして持ち運ぼうとしたが間に合わず、「4本あれば高く売れた」と供述。(『北海道新聞』1月6日付朝刊)

(山崎達之)

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鈴木邦男→和多田進

「僕も『いじめ自殺』していたかもしれない」

道・4(北海道)(写真・WATADA)

 長老様、今年もよろしくお願いいたします。
 さて、本題です。たしか名探偵ポアロだったと思いますが、「愛国殺人事件」というのがありました。「国を守るために売国奴を取り除いただけだ。私は無罪だ」と愛国者は主張します。「何を言うか。同じ人殺しに違いはない」とポアロは反駁します。
 僕も過去の「愛国殺人事件」を告白しようと思ったのですが、その勇気はないので、今回は昔の「愛国いじめ事件」の告白をします。小学校5年の時、たぶん僕が煽動したのでしょう、皆で木村君をいじめ、殴り、泣かせてしまいました。申し訳ありませんでした。その直前、「日本史」の授業があって、「元寇」のことを習ったのです。「ちくしょう、元の奴らめ!」「ひどい奴らだ」と子供心に怒りにかられました。
 それで休み時間に「元をやっつけろ!」と僕が言い出して、皆が「そうだ、そうだ」と続き、「元」をやっつけたんです。木村元という名前だったからです。別に彼は元の子孫ではありません。元旦に生まれたので「元」と名付けられたそうです。
 20年ほど後の同窓会で元君に会ったので謝罪しました。「それで僕は泣いたんだよね」と彼は懐かしそうに思い出し、笑っていました。ホッとしました。
 今考えると卑劣な「愛国少年」だったと思います。でも、いじめたのはこの時だけで、あとは、いじめられた経験ばかりです。父親が税務署勤務で転勤が多く、小学校は3回、中学は2回、かわりました。転校生はいじめられるものです。頭が平らだったので、「ひらっかめ」と言われたり、体が弱く青白かったので「アオ」と言われたり…と、からかわれました。一度、「マンボ」の真似をして歌ったら、「マンボ」と綽名を付けられたり。子供は残酷です。いやだと思うことをわざとやるんです。
 でも、これ位は牧歌的なものでした。中学3年の時、秋田の田舎から仙台に転校しました。荒れた中学で、不良が学園を支配してました。教師ですら殴られるし、怖がって注意しません。僕も因縁をつけられ、よく殴られました。学校に行くのがいやでいやで仕方がありませんでした。
 高校でも、いじめられました。教師までが体罰をします。ミッションスクールなのに生徒を殴ります。僕は右の頬を殴られたら左の頬を出し、自虐的に生きてました。いじめられてる仲間と一緒に空手道場に行ったこともあります。自衛を考えたのです。でも続きませんでした。「これをやるよ」と彼から「飛び出しナイフ」をもらいました。ギリギリの時は、これで相手を刺し殺してやろうと、ポケットにしのばせていました。
 地獄のような毎日でした。高校2年の時、浅沼稲次郎社会党委員長が刺殺されました。山口二矢という17歳の少年によってです。僕も17歳だったので、ショックを受けました。こっちは毎日いじめられてウジウジと生きているのに、こんな凄い男がいる。俺も強くなりたいと思い、それが後に右翼になったキッカケかもしれません。
 毎日いじめられながらも、何故か、自殺は考えませんでした。登校拒否も考えませんでした。意志が強かったわけではなく、単に、知らなかったのです。そんな「選択肢」があるとは思わなかったのです。テレビも普及してなかったし、たとえ遠くで「いじめ自殺」があっても伝わりません。生徒はどんなにいやでも学校に行くもんだ、と思いました。それしか道がないと思ったのです。今のように情報が多すぎるのも考えものです。「抗議の自殺」なんて報じられると、じゃ俺もやってみようかと思うかもしれません。当時の僕なら、アホだからやったでしょう。
 「こんな学校、燃えちゃえばいい」とも思いました。「戦争でも起これば、僕ら弱者も救われるのでは」と思ったこともあります。でも、混乱した時代なら、なおさら、弱い者はさらにいじめられる。漠然とではありますが、そう思っていました。じっと耐えるしかないと思いました。いじめられながらも勉強し、大学に入るしかない。それだけがこの地獄からの脱出方法だと思いました。大都会のマンモス大学ならどこでもいい。そこでなら、誰も僕に干渉しない。完全なる自由だ、ユートピアだと思いました。
 でも、必ずしもユートピアではなかったのです。それは又、後のお話です。

2007年1月17日

すずき・くにお…1943年福島県生まれ。67年早稲田大学政治経済学部卒業。70年同大学院政治学専攻科中退。70―73年サンケイ新聞社勤務。72年「一水会」設立、代表。99年同顧問。著書に『新右翼―民族派の歴史と現在』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社)、『言論の覚悟』(創出版)、『公安警察の手口』(筑摩書房)、『愛国者は信用できるか』(講談社)など。

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