守り続けて半世紀―山下水産の「生炊きしらす くるみin佃煮」

文・写真/小笠原 淳(商品写真提供/山下水産)

「続けろ」の遺言、本場をしのぐ味わい生む

 商人肌の創業者は、いまわの際に「細々とでもいいから続けてくれ」と言った。
 50余年前のその言葉を忠実に守り抜いた強い精神がなかったら、のちのモンドセレクション(国際食品品評会)金賞受賞作は生まれていなかっただろう。
 「遺言ですよ。『生炊きしらすは将来、絶対に評判になる』って。それを、おふくろがじいさんから直接聴いたわけです」と、山下邦雄さんは目を細める。祖父の栄吉さんと母の和子さん、現社長の山下さんの3代でつくりあげた味は、「山下水産」(後志管内寿都=すっつ=町)の看板商品となった。小女子(こうなご=イカナゴの稚魚)の佃煮にクルミをからめる「生炊きしらす くるみin佃煮」を自ら開発した山下さんは、控えめな口調ながら「伝統的な東京や金沢の佃煮をしのぐ味わい」だと自信を込めて話す。

3時間睡眠の日々、緊張絶えない1カ月半も、毎年のこと

 佃煮は、もともと保存食だった。
 「本来の目的が備蓄なんで、昔はごく濃い味に炊くものだったんです。それをおふくろが、時代に合わせて改良していった」のだという。山下さんが「おふくろ」と言う母の和子さんは、初代の栄吉さんが秋田県から呼び寄せていた佃煮職人の技を五感の記憶と持ち前の勘のよさでそのまま受け継ぎ、さらに独自の工夫を重ねてほかにない味と食感とをつくり出した。
 干した小女子を使うのが当たり前の佃煮に、長期保存が難しい生炊き製法をあえて使い、門外不出のタレで炊き上げる。保存性を損なうことなく、かつそれまでにない旨さを生み出す試みに、いつしか「硬く、ソフトに」の合言葉が冠されることになった。
 漁がある約1カ月半の間に1年分の佃煮を炊く。毎年4月から5月にかけて、「夜8時就寝、同日23時起床」の生活が山下さんの日常になる。深夜0時に積丹(しゃこたん)、1時に美国(びくに=積丹町)、2時に古平(ふるびら)、3時に余市と、各地の市場から自身の経験と眼、そして的確な指示で小女子を仕入れ、5時半には自ら釜の前に立つ。総勢60人が休日返上で集まり、6人の職人たちは釜の傍らで立ったまま朝食を摂る。釜に火が入ると作業場に甘い香りが満ち、その香りは建物の外にまで広がって、寿都の町を「もう佃煮の時期か」の声が包み込む。

「硬く、ソフトに」評価された晴れ舞台

 現場主義の社長は、こともなげに「何があっても休めない。漁の時期だけで120トンを目標に炊きますから」と言うが、身体で作業を憶えるには10年以上の歳月を費やしたのだった。
 「30歳で脱サラして、母に弟子入りですよ」―。30キロを超える醤油や飴、砂糖などの罐をうまく運ぶこともできなかった四半世紀前の修業時代を思い出す山下さんは、「まだまだおふくろにはかないません」とさえ言う。
 祖父の遺言に新たな発想が加わって生まれた「くるみin佃煮」は、クルミでしらすの魅力を引き立て「硬く、ソフトに」を現実にした。2005年、モンドセレクション金賞を射止めた社長は、その授賞式に臨み「週5万円」の貸衣装に身を包んで遠くベルギーのブリュッセルを訪ねたのだった。

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