日本の文化としてこの海苔を残さなければならない

―生産者の想いを支える食品問屋社長―

文・写真/楢戸ひかる(一部写真提供/ヤマムロ)

「酸処理」をしないで海苔を作るのは至難の技

 目の前にある「無酸処理のり」からは、磯の香りがした。
「この匂いが海苔をやっている醍醐味ですね」と、北見の食品問屋ヤマムロの2代目社長、山室正則さんはいう。海苔の香りが漂う工場併設の家で育った。長じてからは先代である父親と一緒に海苔の入札で日本各地を回り「この味どうだ」と、常に父から試された。その積み重ねで、おいしい海苔の味を体に染み込ませていった。
 そんな山室さんが「入札に行っても面白くない」と感じ出したのは、今から10年ほど前のことである。兵庫、徳島、香川…それぞれの浜ごとに海苔の“顔”があったのに、みんな金太郎飴のようになってしまった。
 その理由は、「酸処理」にあった。海苔の養殖を農業に例えるならば、それはさしずめ農薬にあたる。海苔を網ごと酸性の液に浸し、再び海に戻す方法だ。アオサなど他の海草や病原体を死滅させる効果が高く、ほとんどの市販海苔がこれを使っている。
 農薬を使わない有機農法が手間がかかるように、これをせずに海苔の養殖をするのは至難の技だ。山室さんは酸処理をしない生産者を探した。そして佐賀市の島内啓次さんに出会ったのだった。
 島内さんの海苔を一枚食べて感激した。
 「“この海苔を残そう”ということ以外は何も考えていなかった」と、当時を振り返る。

この海苔が世の中から消えたら、海苔でなくなってしまう

 二人の出会いを『朝日新聞』(平成7年5月28日付)が取り上げた。酸処理の話は自然食品としての海苔のイメージを壊す。そのため業界内だけのオフレコだったのに、外部に情報を流したと各所からのすざまじい攻撃を受けた。
 それでも信念を貫けたのは何故だろうか? 島内さんたちの「俺たちのつくり方は間違っていない」という生産者としての誇りと良心だったかもしれない。あるいは、「この海苔が世の中から消えたら、海苔でなくなってしまう。自分が守らなければ、誰がやるんだろう」という山室さんの思いがそれを支えたのか。
 無酸処理のりは、味に奥行きがある。かむほどに口の中に香りが広がり、かたくも、やわらかくもない程よい食感……。「黒い紙切れ」海苔との違いは、食べてみれば瞬時にわかる。
 人の評価は正直だ。海苔を食べた人たちが、応援団になってくれた。その存在に島内さんが勇気づけられ、「いいことなんて何もなかった」という雌伏の時を耐えて、10年目で海苔はひとり歩きを始めた。
 「今や島内さんは時の人ですよ。私は影武者、販路を広めて彼らの想いをカタチに変えるのが私の仕事です」山室さんはそう言って笑った。

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九州の有明海で採れた海苔を北海道の北見市で焼く。焼き色を見ながらの作業なので、海苔を焼くのは自然光がある午前中のみ。

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「海苔をさわっていると落ち着く」と山室正則社長。

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海苔の色味を見るだけでなく、火であぶって香りをかぎ味見をする。「お客さんへの責任から石橋を叩くような選び方をした」という先代。

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山室さんと島内さんの出会い(平成7年、佐賀県西与賀町) 「このころは、ここまでこられると思っていなかった」と山室さん。

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