「素人だからこそできた」極上の牛トロ

文・写真/小笠原 淳

「牛の召し使い」と見つけたり

 「『肥育』の素人だったからこそ、ここまでできた」と言う。
 「牛本位の牧畜」を実践する牛の世話人は、26歳の時に立ち上げた牧場に「ボーンフリー」の名をつけた。ノンフィクションの雄篇『野生のエルザ』の原題(BORN FREE)に由来する命名には、牛たちの“生まれながらの自由”を尊重する思いが込められている。自身を「牛の召し使い」と称して憚らない世話人は、牛の望むことだけを考え続けた結果、35年間を経て“究極の素人”になった。
 「牛肉の味は品種だけでは決まらない」という言葉は、専門家の口からは決して出てこない。「大事なのは育て方。…プロは牛よりも『データ』大事にするから、こんなこと言わないね。馬鹿でないと言えない」と苦笑する。ボーンフリー育ちのアンガス牛を試食した専門家が、舌の「データ」に頼って「これ和牛だろう」と世話人を問い詰めたことがある。「アンガスとホルスタインのF1(一代雑種)ですよ」と説明すると、「あり得ない」「おかしなこと言うな」と必死で否定し、挙げ句に「あんたは信用できない」とまで言った。言われた牛飼いとしては、「データより牛の方が正直なんだけど」と笑うしかない。

ナチュラルチーズが鳴らした警鐘

 もともと酪農を手がけていた牧場が肉牛生産に針路を変更したのは、ナチュラルチーズが“よい醗酵”をしにくくなったからだった。牛乳を効率よく生産する目的で一頭あたりの乳量を増やしていくと、チーズの醗酵に係わる微生物が乳の中で充分に働けなくなるのだ。牛を不健康にしてまで搾乳量を増やしたくなかった世話人は、開業20年目にして酪農から手を引き、肉用牛を「自由に」育て始めた。
 十勝管内清水町の外れ、60ヘクタールの草原で、和牛やアンガス牛、ホルスタインなどが自由気ままに過ごしている。牛まかせの牧場では、彼らの糞さえそのまま放置されるが、どういうわけか匂わない。微生物がたちまち分解してしまうからだ。
 牛を健康に、自由に育てると、流通上の規格に合わなくなる。そのため、販売・流通の手段は自ら構築していくしかない。「可能な限り健康に育てれば、健康な肉になるだろう」と考えた牛の世話人は、「健康の連鎖」を実践するために規格外の道を選んだ。

「十勝でなきゃできないことがある」

 効率を二の次にすることで、奇蹟の牛肉は生まれた。調理・調味をまったく欠いた生食の形で供される「牛トロ」を、寿司や丼などのシンプルな献立で普及させたことも常識破りだった。製造・販売を担う十勝スロウフードの代表を務める藤田恵さんは、「手を加えないことに意義がある」と話す。初めて世話人と会った日を振り返り、「帯広のお寿司屋さんで牛の『大トロ』を食べたんです。真っ白の脂が、常温でみるみる溶けていく。衝撃的でしたね」と、今も消えない感動を口に乗せる。
 「外国産の肉で『十勝のハム』とか、昔は平気で言ってたんですよ」と言う藤田さんは、畜肉加工の現場経験が長かった。「消費者は、牛ならなんでもいいんじゃないか。まして十勝は松阪のようなブランドと無縁だし」と割り切っていたはずが、ボーンフリーとの出会いで眼を啓かれ、現在手がける牛肉を「日本一」と自負するまでになった。
 現役の世話人は、「北海道の牧場がなぜ道外の真似しないといけないのか」と頸を傾げる。「北海道でなきゃ、十勝でなきゃできないこと、やればいいのに」と。

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