「今こそ『収穫の喜び』味わえる時代なんです」

―みっけもん市場が自信をもって送り出す和寒の野菜

文・写真/小笠原 淳

職業「百姓」―胸張って言えるようになった跡取り息子

 「今こそ、収穫の喜びを味わうことのできる時代なんですよ」と、中原浩一さんは言う。
 故郷の上川管内和寒(わっさむ)町は、ずっと農業の町だった。北海道第二の都市・旭川から車で1時間も走ると、丘に囲まれたその町が見えてくる。
 「昔は手作業での仕事が多く、『やらないといけない』。それだけでした」と、毎日のように農作業を手伝わされた幼いころを振り返る。刈り取った稲を「はさがけ」して乾燥させる秋には、どの年も作業が深夜にまで及んだ。3人兄妹の長男だった「跡取り」は、開拓農家だった祖父の兼吉さん(故人)にことのほか可愛がられ、いつしか「家を継ぐ」ことを当たり前と思うようになっていたという。
 高校卒業の夏に父と喧嘩して家を飛び出し、旭川でネクタイを締める仕事に就いたことを結果として正解だったという。いくつかの職場で正社員採用を持ちかけられながら、そのたびに辞退して転職を繰り返したのは、いつか家に戻るためだった。「これからは、農業を知っているだけでは駄目だ」という信念のもと、販売や流通、加工業などのノウハウを得ようと見聞を広める日々が20歳代半ばまで続いた。高校時代に進路を訊かれて「自営業」と答えた青年は、そのころには堂々と「百姓」と言えるようになっていた。

自信を持って「うまい」と言える作物を

 自分の手がけた作物を「うまい」と言うのは恥ずかしいことではない。その意気を行動で示そうと、農協青年部では八面六臂の活躍を続けた。秋の「全国消費者大会」に毎年参加して消費者と直接向き合う「百姓」は、他にいない。
 市場の決めた「規格に合わない」作物であっても、“個性”を武器に自信をもって売った。台風でビニルハウスが倒壊し、ネギがすべて曲がってしまった年には、会社員時代に身につけた“飛び込み営業”で飲食店をまわって一把残らず完売したことがある。名産の「越冬キャベツ」を自身の手で運びたいがため、本業の傍ら運送会社でハンドルを握った時期もある。地元の農業を盛り立てたい思いが嵩じて2003年春には町議選に出馬し、無所属・新人・最年少でトップ当選を果たした。
 麦や大豆などの穀物は、国の援助なしに栽培を続けることが難しい「奨励作物」として知られる。制度の改訂で助成の対象が「作付面積10ヘクタール以上」の農家に絞られることになった時、若手町議は一農家の立場で地域の生産者を集めて説明した。大きな農業生産法人をつくり、みんな一緒に地域農業を守っていくしかない、と。
 4軒の同業者が理解を示して有限会社NKファームは生まれた。05年1月に船出したばかりの法人では、昔ながらの穀物や野菜などを収穫するだけでなく、工場を設けて漬物や惣菜など加工品の製造も手がけている。その年の春には旭川市に直売場「みっけもん市場」を開き、自分たちの生んだ作物を自分たちの手で売り始めた。代表を務める中原さん自らも直営食堂の厨房に入って毎日のようにソバを打っている。
 「ほかの物と同じく農産物も“商品”でしょ。自分たちのつくった物を『おいしい』と言ってもらえる機会が増えたら、それこそが『収穫の喜び』に繋がると思うんです」
 何足ものわらじを履いてなお「百姓」の汗を掻くことを厭わないのは、汗がすべて喜びに繋がることを体が知っているからだろう。

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