「当たり前」を突きつめたら、北海道の黒大豆に出会った

―北のめぐみ・豆汁

文・写真/小笠原 淳(商品写真提供/北のめぐみ)

豆と話をするから、いいものができるんだ

 「仕事するんなら、仕事の相手と会話しないと駄目ですよ」という相良勇夫さんの言葉に、異論の余地はないだろう。ここでいう「相手」は、人間に限らない。「どんな商売でもそう。機械屋さんは、機械と話をしてるでしょ」と言葉をつなぐ。かくいうご本人は、「豆と話をする」人である。北海道のほぼ中央・滝川市に隣接する雨竜(うりゅう)町産の黒大豆に魅せられ、豆の成分そのままの「豆汁」を開発した。

飽きない食材求めて出会った「北海道」

 東京・神田に生まれた江戸っ子が北海道に眼を向け始めたのは、20年以上前のことだった。
 14歳で都内の鮮魚店に草鞋を脱いだ。早朝6時から夜9時まで、年に2日間の休日を除いては休みなく働き通す日々だった。行商に行く日は、深夜0時をまわっても帰宅がかなわず、自転車を漕ぎながら熟睡したことも一度や二度ではなかったという。
 16歳で料理人の道に入った。和食店、寿司店と歩いたが、どちらも酒が付き物なので、辞めた。独立が目標の自分に酒は不要だ―。
 「中華そばなら、酒を売らずに済む」。そこで、中国料理店で働くことにした。
 しかし、当時は都内でも本格的な料理店が少なく、就業は難しいものがあった。流転すること30軒。銀座・東生園、福禄寿、芝パークホテル…。紀尾井町のホテルニューオータニに職人として勤めたのは、1964年8月のことだった。
 70年10月、東京・中野でやっと念願の独立を果たし、惣菜専門店を開店したのだった。頭を下げることのできない職人であることは、今も変わらない。
 北海道の素材に出会ったのが、まさにそのころだった。米やお茶のように毎日口にしても飽きない食材が、北の大地にはふんだんにある。どれもみな、「話」の通じる相手だった。

川越さんの豆じゃないと安心できない

 黒大豆に注目したのは、生産者に惚れたのがきっかけだった。
 雨竜町の農業・川越慎二さんの手がける大豆を初めて口にした瞬間から、ほかの大豆を大豆と思えなくなったと相良さんは言う。
 「ずば抜けたうまさ。黒大豆つくる人はいっぱいいるけど、安心して仕入れることができるのは川越さんの豆だけだ」と思った。それから豆と会話を重ね、いろいろな加工製品を構想するに到る。川越さんの豆に出会ってから8年目、「豆汁」は2005年に形をなした。販売が始まったのは06年、今年のことである。
 同業者からは「何でそんな売れそうもないものを」と揶揄された。それには、「自分はアホだから」と笑って答えるだけだ。「当たり前の方法で育てられた豆を当たり前の方法で提供してるだけ」という相良さんの言葉に、職人の矜持がちらりと覗いた。

← 一覧へ戻る

「食」とかかわって半世紀以上の相良勇夫さんは、その場に豆がなくても豆と会話する

「食」とかかわって半世紀以上の相良勇夫さんは、その場に豆がなくても豆と会話する

寒暖の差が激しい雨竜では、ひときわ糖度が豊富な黒大豆が生まれる

寒暖の差が激しい雨竜では、ひときわ糖度が豊富な黒大豆が生まれる

川越さんが丹精込めて面倒をみる大豆たち(雨竜町の農園)

川越さんが丹精込めて面倒をみる大豆たち(雨竜町の農園)

皮ごと挽いて煮出した「黒」=写真=と、実のみを挽いた「白」とがある

皮ごと挽いて煮出した「黒」=写真=と、実のみを挽いた「白」とがある

札幌市中央区の事務所を訪れ、その場で商品を求める人もいるという(※06年12月から同白石区に移転)

札幌市中央区の事務所を訪れ、その場で商品を求める人もいるという(※06年12月から同白石区に移転)