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特選エッセイ集 2006年7月26日公開

「北海道の美質」立松和平

 北海道の美質は何かと問われて、私はまず人のよさではないかと思う。口に出すことがすなわち心の中のことそのままであるということは、全国的に見ると案外に珍しいのである。古い文化のあるところは、口に出すことと心の中のことが違い、それを補うのが昔ながらの因習であったりする。先祖代々そこに暮らしている人ならともかく、よその人間はそんな微妙なことはわからない。そんな困難なことはなく、北海道の人間はまっすぐである。そのまっすぐさが快い。

立松和平

 たとえば約束の時間に遅れたとする。謝ると、すぐにこんな声が返ってくる。
 「なんも、なんも」
 自分はなんにも気にしていないし、あなたはなんにも気にする必要はないというのである。本当にそのように思っているのだとわかるから、こちらも安心して、それで終る。それでもまだ別の文化を引きずっている人は、その言葉を後にひっぱったりする。すっきりしない思いでいると、このようにいわれる。
 「そんなこと気にすることないべさ」
 「べさ」といわれると、本当にそうだなあと思わせる。この方言の接尾には、「自分はこう思うのだし、あなたもこのように考えたらいいのではないだろうか」という思いやりの雰囲気がある。

 北海道は自然のよいところである。私は北海道東部の知床や釧路にいくことが多いのだが、札幌あたりでも自然を満喫するのは簡単である。たとえば北海道の玄関口の千歳空港のすぐ脇には、美々川(びびがわ)という小さな川が流れている。伏流水が地上に湧出し、そこを水源としていきなりはじまる川である。湿原や台地をゆっくり蛇行して流れるこの川は、世の穢れに染まっていないというほどに美しい。この川にカヌーを浮かべ、流れとともに下っていくと、幸福な気分になる。こんなに美しい川が国際空港のすぐそばにあるのは驚きである。

 美々川を下っていくと、ウトナイ湖に至る。ここは渡り鳥を保護するために国際的に取り決められたラムサール条約の登録地で、野鳥の聖域(サンクチュアリ)である。四季折々、いついっても鳥の姿を見ることができる。このあたりは苫小牧である。
 札幌から支笏湖も近い。支笏湖に向かって千歳川を溯(さかのぼ)っていくと、フィンランドやスウェーデンの北欧の雰囲気である。大都会の利便性と自然のよさをあわせ持つ札幌は、日本でも最も暮らしやすい大都市であると私は確信する。

 この夏のはじめ頃、知床からの帰路、大雪山に登ってきた。黒岳は残雪も多くて歩きにくかったが、山頂のあたりにいってみて、花が咲き乱れていることに感動した。カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)という言葉は昔から知っていたが、この場所のことだなと実感した。ここまで少々つらい思いをして登ってきて、私は幸福な気持ちになった。山の行き帰りには層雲峡温泉にはいってきた。遊ぶことには事欠かないのが北海道である。

 北海道にいると実感することがある。観光旅行とは違い、自分で食事をつくるため買物にいく。スーパーマーケットにはいると、東京あたりでは考えられないほど新鮮な野菜や魚が、これも東京あたりでは考えられないほどの値段でならんでいる。料理の腕をどうふるうか迷うほどである。
 夏のはじめ頃は、アスパラがにおい立つようにみずみずしい。冬になると、ハウス野菜が驚くべき多様性を見せてならぶ。ニラなどの葉物は、低温栽培の技術が確立して、一日中ストーブを焚くのではなく、朝一度焚いてその熱を巧みに使っている。あまり温度を上げすぎず、低温でゆっくりと育てたほうが、うまい野菜ができる。
 北海道の冬の寒さを恐れる人もあるだろうが、家がきちんとつくられているので、寒いということはない。総じて、北海道は暮らしやすいところである。

■立松和平 プロフィール

1947年、栃木県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。在学中に「自転車」で早稲田文学新人賞を受賞。宇都宮市役所に勤務ののち、1979年から文筆活動に専念。1980年「遠雷」で野間文芸新人賞、97年「毒 - 風聞・田中正造」で毎日出版文化賞受賞。行動派作家として知られ、近年は自然環境保護問題にも積極的に取り組む。日本と世界各国を旅し、小説、エッセイ、紀行文、絵本など幅広い創作活動を続け、2002年には歌舞伎座上演「道元の月」の台本で第31回大谷竹次郎賞受賞。北海道では特に知床の自然と人に魅かれ、ログハウスを建て、知床を第二の故郷としている。最近の小説に『不憫惚れ』(アートン)、エッセイ・紀行文に『立松和平の旅する文学』(洋々社)、『立松和平日本動物紀行』(日経BP社)、『立松和平 日本を歩く』(勉誠出版)などがある。

http://www.tatematsu-wahei.co.jp/

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