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北海道のお宝めぐりー美術館に出かけよう!ー 北海道人特集・2006年8月23日公開

「馬(絶筆)」神田日勝(1970年制作・183.0×204.0cm・ベニヤ板・油彩) 神田日勝記念美術館(鹿追町)

事実ではなく真実を描く。その作品たちが喚起するさまざまな想い。

祭壇に掲げられた聖画のようにおごそかに展示された「馬」。


祭壇に掲げられた聖画のようにおごそかに展示された「馬」。終日ライトに照らされ続けたため、1995年、修復のために京都の専門業者へ。その間に阪神大震災が発生するが、幸運にも無事戻ってくることになった。修復は、描かれた表面だけ残してベニヤを薄くはがし、裏を補強する方法。しかしベニヤをつなぐため縦横に打たれた小さなクギが「このままではサビて絵に影響が出る」と判断され、結局抜いてしまうことに。では今、表面に見えているクギは? 実はこれ、修復士によって描かれているのである。

 この馬の前で、だれもが歩を止める。思わず見入る。立ちすくむ。ある人はその姿に哀しみを感じ、ある人は見えないはずの後ろ足の存在を強く感じ、ある人は寒気に白い鼻息をつく確かな馬の呼吸を感じたという。館内にある感想ノートに記された言葉たちだ。

 何より心を捕えて離さないのは、この目だ、と彼らは口をそろえる。白目を持たない鉛色の底知れない瞳に、鈍く、だが確かに一点の光が宿る。人によって哀しくも力強くも見えるこの目は、つまり、見る人の心を映し出す力があるのかもしれない。
 「日勝の絵には、人それぞれ何かを強く感じ取るようですね」と副館長の菅訓章(すが・のりあき)さんは言う。描かれた時代を知る人は郷愁、旅人であれば絵からにじみ出るこの土地の風土性。若い人の中には、夢半ばで夭逝した日勝へのある種の共感や、彼の絵の持つパワーに打たれて帰る人も多いそうだ。

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教会(カテドラル)の内部をイメージさせる内観。音響が良く、特にアカペラのコンサートはすばらしいという。

教会(カテドラル)の内部をイメージさせる内観。音響が良く、特にアカペラのコンサートはすばらしいという。

階段を登った中2階には日勝の小品とアトリエの再現コーナーがある。

階段を登った中2階には日勝の小品とアトリエの再現コーナーがある。

アトリエコーナーにある机。

アトリエコーナーにある机。日勝は引き出しに絵の具をこんなふうに突っ込んでいたそう。

 「日勝といえば、緻密に毛の一本一本まで描くイメージが強いでしょう。でもこれが写実かというと、決してそうではない。見たままの事実を描くのではなく、対象の真実を描く画家だと私は思います」と語る菅さんの案内で館内を巡ると、代表作の一つ「飯場の風景」の前に。働き疲れた男2人がストーブを囲み寝入る姿だが、「この絵、3代目館長の小檜山博さんが、『おれの親父と兄貴に似てるんだ(笑)』って言うんですよ。日勝に飯場経験はないから、この絵もいわば想像。よく見ると、このストーブも写実じゃなくてね…」。
 菅さんの解説は続く。「日勝は、貧しくてカンバスや多彩な絵の具が買えず、ベニヤ板に茶色っぽい絵の具で描いたというのが通説。でも私は、彼の描きたい世界を描くには、それがふさわしかったからそうしたのではと思えるんです」。長年にわたる同館の建設運動に携わり、やがて副館長を務めるに当たっては、40歳を過ぎて学芸員の資格を取得した菅さん。「絵の専門家じゃないから、私の解説は自分が感じたことをお伝えするだけ」と笑うが、それだけ来場者の目線に近い話ができる、とも言える。

「馬」と並び、もっとも有名な日勝作品の一つ「室内風景」。

「馬」と並び、もっとも有名な日勝作品の一つ「室内風景」。シリアスな作品だが、随所にユニークな遊びも。当時有名な米の広告のコピー「みんなおかわり」が「みんなおわかり」になっていたり、本当は石原裕次郎だった広告が女性に変わっていたり、神田3兄妹のことを書いたらしき記事が載っていたりする。機会があったら、すみずみ見てみよう。
(1970年/北海道立近代美術館蔵)


「日勝は農民画家と呼ばれるのを嫌がりました」と語る菅さん。

「日勝は農民画家と呼ばれるのを嫌がりました」と語る菅さん。「確かに、教員が絵を描いても教員画家とは呼ばれない。一画家として正しく評価されたい思いだったのでしょう」。背後にあるのはクリムトの「接吻」の構図を思わせる作品「人間A」。かつて取材に訪れた女優・真野響子さんがこの絵に魅せられ、2年間で3回通ったという。

 たとえばABCと3作ある「画室」シリーズ。「青いイスに注目を」。Aでは左端に申し訳なさそうに位置し、上にタオルが置かれている。Bではほぼ中央に移動し、上にパレットが乗る。Cでは、何も乗せないイスが堂々とメインの存在を占める。「これは、日勝がどんどん中央画壇に進出していく様子と、自覚を強めていく課程を暗示しているんだと思うんです」。
 ほかにも、描き込まれたアイテムや段ボールの文字の変遷、構図の不動さや、暗い絵から色彩の爆発と言えるタッチへの変化、そしてさらなるモノトーンへの回帰など、菅さんはすみずみにまで推理めいた解説を展開して、見る者の心をぐいぐい日勝の世界に引き込んでくれる。もちろん、鑑賞に理屈など要らない。でも時には、こんな謎解きめいた話を聞きながら味わうのも一興だ。特に日勝のように、さまざまな想いを喚起する作品の場合は。

美術館では1995年から毎年、小中学生を対象に「馬の絵作品展」を開催している。

美術館では1995年から毎年、小中学生を対象に「馬の絵作品展」を開催している。応募作品は10年間で1万点を超えた。


神田日勝(かんだ・にっしょう)

神田日勝(かんだ・にっしょう)

1937年、東京市板橋区練馬(現・東京都練馬区練馬)生まれ。8歳のとき、戦火を逃れるため一家で鹿追町へ移住。長じて絵の才能に目覚め、開拓営農に励みながら熱心に油絵を制作。23歳で全道展に初入選。筆を使わず、馬や農村の情景をパレットナイフや手で描く大胆かつ緻密な画風が画壇の注目を集める。独立美術選抜展・第一回北海道秀作美術展に出品、全道展会員としての活躍…などを積極的に続けるが、1970年に32歳で急逝。


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