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北海道のお宝めぐりー美術館に出かけよう!ー 北海道人特集・2006年8月23日公開

「えものを背負うノチクサ」 本田明二(1980年制作・50.0×33.0×36.0cm・ブロンズ)/本田明ニギャラリー(札幌市)

1979年に道立近代美術館で「蠣崎波響展」を見た本田明二は、先住民の有力者たちを描いた有名な錦絵「夷酋列像」の内の一枚に強く引き付けられた。

<< 1979年に道立近代美術館で「蠣崎波響展」を見た本田明二は、先住民の有力者たちを描いた有名な錦絵「夷酋列像」の内の一枚に強く引き付けられた。他の男たちが端正な立ち姿や座像を見せる中、「納窒孤殺(ノチクサ)」という男の絵だけが身をかがめ、仕留めた鹿を背負って立ち上がろうとしている。確かに思わず目を引かれる構図だ。間もなく、本田は何かに目覚めたかのように本作を制作。以後、「けものと男(あるいは少年)」を作り続けた。


作品も本人も、一見無骨で実は繊細。彫刻家の父を顕彰するギャラリー。

 くったりとした重たげな獲物を背負い、今にも立ち上がろうとしている男の姿。永遠に止まった躍動を持つこの作品は、彫刻家・本田明ニの晩年の代表作である。後に「けものと男」という立像シリーズに発展する作品群の記念すべき第一作であり、題名を「えものを背負うノチクサ」という。
 「あまり作品を語る人ではありませんでしたが、これに関してだけはハッキリと『波響の影響』と言っていました」と、実娘で同ギャラリーオーナーの近藤泉さんは語る。

 本田は1989年に急性肺炎で69歳の生涯を閉じるまでの10年間、ほとんど「けものと男」だけを作り続けた。あるいは木で、あるいはブロンズで、あるいは版画で。人間らしい厚みのあるものもあれば、薄くデフォルメしたものもある。が、いずれも子馬か子鹿と見える「けもの」をかつぎ、計り知れない思索をたたえた像だ。

 なぜしゃがみ姿が直立になり、人種を特定しない普遍的な男の姿へと変わっていったのか、今となっては分からない。もしかすると、「北海道的というものがあるとすれば、それは意識して出て来たものではなく、半年間の雪との闘いの中から自然とにじみ出てきたものだ」と語った本田の言葉通り、いたいけな生命を背負い守りながら、毅然として過酷な寒さや運命に立ち向かう北の人間を象徴するようになったのかもしれない。

「けものと男」のさまざまなバリエーション。

「けものと男」のさまざまなバリエーション。左は陶板に描き焼き付けたもの。右はデフォルメした木彫作品。

「道標ーけものを背負う男」

「道標ーけものを背負う男」
ギャラリー以外でも本田の作品を鑑賞できる場所は多い。これは、札幌芸術の森野外美術館にある代表作の一つ。
[関連リンク・札幌芸術の森]
http://www.artpark.or.jp/


 「馬は大好きでした。特に子馬の、まだバランスの悪いあやうげな感じがいとおしかったらしく、作品がたくさんありますよ」。
 作風と同様、「一見無骨そうで実は繊細」だった本田。こわもてな風貌の奥にある人柄は多くの人に愛され、今でも彼の思い出を楽しげに語る美術関係者やススキノの女将たちは多い。饒舌ではないが、話せば知識が豊富で楽しい。大晦日には、アトリエを兼ねた自宅に作家仲間や後進たちなどを招いて大宴会を開く。最後は決まって自ら割り箸のタクトを振りかざし、大音量の第九のレコードに合わせてオーケストラを指揮。客たちが“奏でる”楽器は、その辺にあるホウキや木材だ。

 そんな本田も、北海道文化章を受賞し、数年先まで制作の予定がぎっしり、というノリにノッた時期に他界。膨大な作品が遺された。「実は作家の遺族は、たいてい同じ悩みを抱えているんです。作品は、アトリエや倉庫に眠ったまま。公立の美術館でも引き取る余裕はないし、売れば?と思うかもしれませんが、相当有名な作家でないと難しいのが現状です」。
 そこで近藤さんは、思い切って2003年にギャラリーを開設。義父を慕っていた夫・章三郎さんの励ましと後押しが力になった。
 「父の作品と、父と同時代で活躍した先生たちの作品を多くの人に見てもらえる場、伝えていける場に」。そしてゆくゆくは、若い作家に発表の場を提供するようにもなりたいと言う。「ここからはばたいてくれるようになればうれしい。そういう形で名が残ることも、父にとって喜ばしいことだと思うんです」。

「本田明ニ像」本郷 新

「本田明ニ像」本郷 新
本田明ニをもっとも愛したのは本郷新だったかもしれない。後輩というよりは親友のように年下の本田を頼りにし、釣りや制作の手伝いやと、何かと行動をともにしたという。「本郷先生が亡くなられたときは、私にも分かるくらい心にポッカリ穴が開いた状態でした」と近藤さんは振り返る。

ギャラリーを開いたことで、「自分も本田作品を持っている」という情報も集まるようになったと語る近藤泉さん。

ギャラリーを開いたことで、「自分も本田作品を持っている」という情報も集まるようになったと語る近藤泉さん。「買い集めるのは無理ですが、どこにどんな作品があるか、所在を記録していくことが今後の課題です。」


<< 吹き抜けが印象的な明るくモダンな館内。スペースは1階と2階に分かれ、らせん階段が両者を結ぶ。

吹き抜けが印象的な明るくモダンな館内。

本田明ニ(ほんだ・めいじ)

本田明ニ(ほんだ・めいじ)

1919年、空知関内月形村(現・月形町)に生まれ、札幌第二中学校(現・札幌西高)を卒業後、上京。木彫家・澤田政広に師事。戦時中はシベリアに3年抑留、復員後は札幌に定住して作家活動に専念。代表作は、「スタルヒンよ永遠に」(旭川市スタルヒン球場)、「栄光」(札幌市・真駒内五輪記念公園内五輪小橋)、「道標ーけものを背負う男」(札幌芸術の森野外美術館)ほか。81年に札幌市民芸術賞、86年に北海道文化賞を受賞。

<< 生前、本人が一番気に入っていたという肖像写真。遺影としても使用され、今はパネルとなってギャラリーのエントランスに飾られている。(撮影/佐藤雅英)


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