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紫薫るラベンダーの大地−もうひとつの富良野 北海道人・2006年6月特集

消えかけたラベンダー、再生への扉

↑ファーム富田の『彩りの畑』。本来は花の種子を生産する畑だが、カメラマンの格好の被写体になったことから注目され、今は富良野地方の花観光を象徴する存在。(写真提供:ファーム富田)

富良野ラベンダー、苦難のとき

 「もうつぶすしかないとラベンダー畑にトラクターで踏み込んだときは、我が子を手にかけるようなもので、精神状態が普通じゃなかったんでしょう。本当にラベンダーの悲鳴が聞こえたんです」
 年間100万人もの観光客が訪れる「ファーム富田」(中富良野町)の会長・富田忠雄さんは、「そのとき」の光景が今も頭から離れない。

 

 ほとんどが富良野産だったという道内のラベンダーオイルの生産量がピークに達したのは1970年。その直後から、輸入香料や合成香料の登場で国産天然香料の需要が激減し、香料会社のオイルの買い上げが次々と打ち切られていったのだ。もうラベンダーは一銭も生まない。総面積で今の数倍もあった富良野地方のラベンダー畑は、またたく間に姿を消した。

 

 しかし、「ラベンダーは私たち家族の希望だった」という富田さんは、どうしても畑をつぶせずにいた。

 そして、「もう1年。あと1年」と引き伸ばしていた1976年のこと。突如、カメラマンや旅人が続々と畑に訪れ始めた。前年、知らぬ間に撮影された富田さんのラベンダー畑の写真が観光ポスターに使われ、その美しさが人々に知れ渡ったのがきっかけだった。
 「見てもらうために作った畑ではありません。でも、畑を訪れ感動してくれる人の声は、大きな励みになりました。そして一人の女性が、ラベンダーを生かし続ける方法を教えてくれたのです」

富田忠雄さん

↑富田忠雄さん。上富良野町で出合ったラベンダーに魅せられ、1958年に栽培を開始した。今もラベンダーを愛してやまない。(写真提供:ファーム富田)

一家で旅の女性から教えられたポプリやサシェを作り始めたころ

↑「管理費用だけでも得られたらラベンダー畑をつぶさなくてもすむ」との思いから、一家で旅の女性から教えられたポプリやサシェを作り始めたころ。(写真提供:ファーム富田)

そして、花人たちの聖地に
FARM TOMITA
■ファーム富田

住所:中富良野町北星 電話:0167-39-3939
見学:4月下旬〜9月 8時30分〜18時、10月〜4月中旬 9時〜16時(※施設によって時間が多少ちがいます)
URL:http://www.farm-tomita.co.jp/

ファーム富田の施設写真

 「今もどこのどなたかわからない」というその女性は、ラベンダーの本場・南フランスで特産品となっているラベンダー製品の話をしてくれたという。富田さん一家はポプリやサシェ(匂い袋)を作って販売を始め、女性の言った「ラベンダーを生かしたものづくりをすることで、ラベンダーを生かし続ける道」へと踏み出して行く。

 

 訪れる人は年々増える一方だったが、「周囲からは『そのうち人は来なくなる』と言われた」という。
 「人を癒し惹きつけるラベンダーの魅力がホンモノだと周囲が確信するようになるまでには、10年ぐらいかかったように思います」

 以後、ラベンダーは地域の大切な観光資源となり、富良野の丘によみがえっていく。今、美瑛、上富良野から富良野市へと続く国道は、沿線に幾多ものラベンダー園が点在し、富田さんが花を見に来る人に使った『花人(はなびと)』という言葉から『花人街道』と呼ばれている。

 

 「私はただ、ラベンダーを生かし続けたいという思いと、人さまに喜んでいただけるのがうれしくて、無我夢中でやってきただけ。花人たちが私を導いてくれました」

 「富良野ラベンダー」再生の扉を開いた男の言葉は謙虚だ。そしてこう付け加えた。

 「すべては、あの日、悲鳴を上げたラベンダーの妖精の導きだったのではないかとも思えるのです」

■関連リンク

・中富良野町 http://www.furano.ne.jp/nakafurano/

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