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北海道の大きな馬たち

ばんえい競馬の始まりと伝説の騎手・中西関松

草ばんばからばんえい競馬へ

中西関松氏

▲▼中西関松氏(写真提供:中西トシエさん)

中西関松氏

 北海道では、今も各地で地域の祭りとして、馬にソリを曳かせて競わせるばんば大会(草ばんば)が行われている。古くは開拓農民による農耕馬の力比べに始まり、農村の娯楽として行われてきたこの大会が、ばんえい競馬の原形だ。

 ばんえい競馬界の伝説の騎手・中西関松氏(故人)は、戦前から各地の草ばんばで手腕を発揮していた。
 「どこそこで大会があると聞けば、馬を引き連れて出かけて行った。昭和22(1947)年に旭川でばんえい競馬が始まったときには、これぞ自分の進む道と思ったようです」
 と、妻の中西トシエさん(帯広市在住)は振り返る。 
 「でも、しばらくは山仕事も続けていましたよ。騎手専業になったのは昭和40年代(65年〜)からでしょうか」
 中西氏のそもそもの仕事は運送業。騎手になってからも、レースのない期間は馬とともに山へ入り木材運びをしていた。当初はみな兼業騎手だったという。

馬と働いてきた男たちの馬レース

 かつて農家には農耕馬がいて、山には伐材を、漁村には海産物を、炭鉱には石炭を運ぶ馬がいた。人の移送も、人のし尿を運ぶのも、雪や氷の運搬もしかり。人の働く所には馬ソリや馬車があり、大きな馬の姿があった。
 そして、草ばんばに出場していたのも初期のばんえい競馬の騎手も、中西氏同様、馬を連れて働いていた人たちだ。その仕事は、農家、馬車引き、造材業、農産物の運搬、石炭運び、家畜商、軍馬の鍛練指導・・・。

 中西氏は、その後、30年近くも名騎手としてばんえい競馬をもり立てた。初期の記録がないため定かではないが、通算2000勝は上げただろうといわれる。後継の育成にも力を注ぎ、教えを受けた騎手や調教師が今も現役で活躍する。
 「主人はレースでは馬を怒鳴ったりもしたけれど、ふだんはとてもかわいがっていた。本当に馬が好きでした」
 と、トシエさん。

 戦地で大量の軍馬が命を落とし、戦後、大型馬は激減していた。食料難もあり、実役馬と食用馬の増産、馬産産業の振興という役割を担い、公営のばんえい競馬は開始される。そこには、馬とともに働いてきた男たちが、自慢の馬の力と愛馬とのきずなを披露する姿があった。

草ばんば

▲草ばんば/1952年・長沼町(『長沼町九十年史』より)

ばんえい競馬のルーツ

▲ばんえい競馬のルーツ・『ケツ引き』(墨絵)(帯広競馬場内「馬の博物館」所蔵)

▼初期のばんえい競馬/1947年ごろ・旭川市(写真提供:中西トシエさん)

初期のばんえい競馬/1947年ごろ・旭川市