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北海道の大きな馬たち

ばん馬のルーツと功労馬『イレネー』

北海道の開拓に尽くした、ばん馬の祖先たち

帯広競馬場に建つイレネー像

▲帯広競馬場に建つイレネー像

開拓時代の馬耕風景

▲開拓時代の馬耕風景(写真提供:北海道開拓記念館)

 ばんえい競馬の開催会場の一つ、帯広競馬場の敷地に入ると、1頭の馬の銅像が迎えてくれる。像の馬の名は『イレネー』。1910年にフランスからやって来たペルシュロンという品種の大型馬だ。

 このころ、日本では西洋の大型馬の輸入が盛んになっていた。軍馬の増産をめざす軍部の主導によるものだが、明治以後、入植者による開拓が進められていた北海道では力のある農耕馬が求められていた。
「重種馬」と呼ばれるペルシュロンなどの西洋の馬は、なにせ大きくて力持ち。性格もおとなしく、切り倒した大木の運び出しにも、プラウなどの農耕具を曳くのにもよく働く。彼らは開拓移民の片腕となり、その子孫は昭和になってからも農耕に荷役にと活躍を続けた。

 ばんえい競馬の大きな馬・ばん馬は、こうして北海道の開拓と発展に尽くした農耕馬の子孫にあたる。そして、「農耕馬の父」にして「ばん馬の父」とも称されるのがイレネーだ。といっても、イレネーは競走馬だったわけではない。功労馬としてたたえられるゆえんは、後継馬の産出実績にある。

功労馬・イレネー

▲功労馬・イレネー(『北海道種雄馬名鑑』/北海道輓用馬振興対策協議会より)

開拓時代の木材馬搬風景

▲開拓時代の木材馬搬風景(写真提供:北海道開拓記念館)

イレネーイメージ画像

子孫たちの姿を見守るイレネー

 フランスから十勝の種馬牧場(現・家畜改良センター十勝牧場。音更町)に種付け馬として迎えられたイレネーは、なんと1070頭以上に交配。18年間の存命中に遺した直系の種牡(ぼ)馬は、実に559頭に及んだ。これは以後の北海道の開拓と馬産経済の発展に大きく貢献し、重種馬の馬産王国・十勝のいしずえを築いた偉業だったといわれる。

 その功績をたたえようという声がわき上がり、十勝畜産組合によって旧・十勝会館前に初代イレネー像が建てられたのは1930年、イレネーがケガで命を落とした2年後のこと。銅像など敵国の標的になると反対する軍部の声も、人々の強い思いにかき消された。おひろめの日には全道から関係者が駆けつけ、盛大な除幕式が行われている。
 この像は第二次大戦中の金属供出に放出されてしまうのだが、1964年、十勝農業協同組合連合会が2代目を再建。これが帯広競馬場に建つイレネー像だ。

 かつて先祖が何百キロもの荷を曳いて活躍したように、大きな体で鉄ソリを曳くばん馬。そんな子孫たちの雄姿を、イレネー像が静かに見守っている。