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北ノ星ヲメザシテ 北辰の旗とともに

缶詰めにも輝く星マーク

 五稜星は「開拓使印」「開拓使章号」などとよばれ、船に掲げられるだけでなく、開拓使関連のさまざまな施設の旗章、建物の装飾などにデザインされ、人々に親しまれた。明治6(1873)年1月に開庁した真っ白な開拓使札幌本庁舎の上にも、この旗がひるがえっている。本庁の旗は、白地に赤く染め抜いた星で、毎日当直の手で日の出とともに揚げられたという。

 そのほか、学校や病院の旗章、消防ポンプ付属旗章、屯田兵の制服、鮭缶や鹿肉缶詰など官営工場製品のラベルなど、いろいろな場所に描かれた。身近なところでいえば、現在もサッポロビールに受け継がれている開拓使麦酒醸造所の星だ。
 しかし、明治11(1878)年になると、各施設で旗の掲揚がとりやめとなる。原因は経費節減のためともいわれるが、確かなことはわからない。また、明治15(1882)年には開拓使そのものが廃止となり、その役目は消えていく。
 それでも、北辰の旗は北海道開拓のシンボル、フロンティアスピリットの象徴として、その後も長く人々に愛され続けていった。

明治6年、開拓使札幌本庁舎落成記念

明治6年、開拓使札幌本庁舎落成記念(『明治大正期の北海道』/北海道大学図書刊行会発行)

琴似兵村屯田兵の開墾着手記念撮影

明治8年、琴似兵村屯田兵の開墾着手記念撮影(部分)。中央に写っている旗に、五稜星のマークが見える。(北海道大学付属図書館北方資料室所蔵)

開拓使別海罐詰所開所式ノ景

明治11年、開拓使別海罐詰所開所式ノ景(北海道大学付属図書館北方資料室所蔵)

開拓使製品のラベル

開拓使製品のラベル。開拓使の缶詰工場は石狩(サケ・マス)、美々(シカ)、厚岸(カキ)、別海(サケ・マス)、択捉(サケ・マス)にあった。(北海道立文書館所蔵/複製)

100年の時をこえて、よみがえった七稜星

黒田清隆が提案した図案

明治5年に黒田清隆が提案した図案。(『稟議録』/北海道立文書館所蔵)

 またたく間に人々に浸透した五稜星だが、こんな話がある。
 五稜星が旗章に決まったのが明治5年2月、同年9月に、開拓使次官・黒田清隆がそれを「七稜星に更正したい」と願い出たのだ。この記録は『稟議録』に残っており、青地に赤い星の図柄もついている。これはこれで、なかなか美しい。
 しかし、政府は「前に決めたものを使いなさい」と却下。黒田がどうして、たった半年で変更願いを出したかは不明だが、七稜星の構想はあっさりと消えた。

 話はまだ終わらない。
 じつは、開拓使の旗章は赤い五稜星、と正式に定めた記録は見つかっておらず、船の旗章がいつのまにか「開拓使(本庁)旗章」となり、そのままどんどん広がっていったと考えられている。
 それも明治11年に旗の掲揚をやめてから、北海道には正式な旗もマークも存在しなかった(これは北海道に限ったことではなく、昭和20〜40年代にシンボルを定めた都府県が多い。ちなみに現在はすべてに都道府県旗、都道府県章がある)。

 北海道では昭和42(1967)年、開道100年を記念して道旗と道章を決めることになった。当初は一般公募で決めようとしたが、膨大な数(7500点以上)のデザイン案が寄せられたもののなかなか決まらず、最後は北海道のデザイン界の第一人者・栗谷川健一氏の案が採用された。
現在、道旗の説明にはこう書いてある。

北海道旗
■北海道旗
道旗は、本道開拓史が使用した北辰旗と、当時着想されていた七稜星のイメージを現代的に表現したもので、地色の紺色は北の海や空を意味し、星を囲む白は光輝と風雪を表し、七光星の赤は道民の不屈のエネルギーを、またその光芒は未来への発展を象徴したものです。(昭和42年5月1日制定)

 ここにある「当時着想されていた七稜星のイメージ」とは、黒田が提案したあの七稜星のことだろう。約100年の時をこえて、七稜星が北海道のシンボルとなったことを彼が知ったら、なんと思うだろうか。

【参考文献、参考サイト】

取材協力:函館市史編さん室 紺野哲也さん

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