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★赤レンガのてっぺんにはためく星印の旗は、現在の北海道旗章。一方、破風にある星印は明治の開拓時代のシンボル。赤レンガには、ふたつの時代のシンボルが仲良くそろっている。
旧道庁の赤レンガや札幌時計台には、赤い星のマークがたくさんついている。 よく見ると、屋根の下の装飾に必ずといっていいほどある。どこか異国風で、明治の西洋建築によく似合うこの星は、いつ現れたのだろう。
5つのトンガリのある星は、「五光星」とか「五稜星」とよばれる。 北海道の記録に初めて登場するのは、明治5(1872)年のこと。この年1月に、開拓使付属船の船長だった函館の蛯子末次郎(えびこ・すえじろう)という人が、船の旗章として青地に赤色の五稜星を考案したのが始まりといわれる。明治3年の太政官布告により、外国に行く船には国旗とともに所属する省府藩県の旗を掲げることが決められ、船艦用の旗章が必要になったのだ。開拓使の記録をまとめた『本支庁文移録』には、そのときの説明文と図案が残っている。 「此五陵形旗章ノ原因タルヤ、北晨星ヲ象リ、則青色地ニ赤色ヲ點付ス」 北晨(北辰)とは、北極星のことだ。この案は開拓使に採用され、明治5年2月に外務省や大蔵省のほか、神奈川・兵庫・長崎・新潟県に通達され、正式に「北海道船艦旗章」として認められることになった。
★明治5年「北海道船艦旗章」となった五稜星の図。ていねいに青と赤で彩色されている。現在の星印より心持ちふっくらしている。(『開拓使公文録』/北海道立文書館所蔵)
★蛯子末次郎/天保13(1842)年〜大正元(1912)年 箱館で生まれ、蘭学者の武田斐三郎のもとで航海術を学んだ。ちなみに、武田斐三郎は函館五稜郭の設計者である。もしかすると、末次郎は恩師の造った五稜郭をイメージして星の旗章を考えたのかもしれない。(写真:「函館市史編さん室のホームページ はこだて人物誌」より)
考案者の蛯子末次郎は、武田斐三郎とともに箱館奉行の海外貿易船に乗り、厳しい航海のなか測量の任務をつとめあげた人物。その後、開拓使御用掛に任命され、多くの重要な船の船長として活躍し、「日本の近代文明に新風を吹き込んだ航海師」とよばれている。 明治のはじめ、大海原で船をあやつる彼らの道しるべとなったのは、北の夜空で不動に光る北極星だった。末次郎はそれをシンボルとしたのである。それはまた、北海道をめざして、大いなる希望と不安を抱いてやってきた人々の思いと重なり合い、北海道開拓そのもののシンボルとなった。 「北辰」は、漢字を書き変えると「北進」。 北へと進む人々の心に、文字どおり希望の星として心強く輝いたにちがいない。