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寄稿 人跡未踏の自然の彼方 月尾嘉男

月尾嘉男(つきお・よしお)

月尾嘉男(つきお・よしお) プロフィール

1942年愛知県生まれ。東京大学工学部卒業、同大学大学院工学系研究博士課程修了。名古屋大学教授、東京大学教授などを経て2003年から東京大学名誉教授。研究テーマは人工知能、仮想現実、感性情報処理など情報技術の関係分野に挑戦。カヤックやクロスカントリースキーを愛好し、スキーでは毎年、湧別原野オホーツク100kmクロスカントリースキー大会に出場。カヤックでは1990年代より知床半島から南西諸島まで全国各地の河川や海岸でカヤックをするとともに、地域の有志と環境維持や地域振興を目指す私塾を全国17カ所で開催。北海道では「知床半島塾」「釧路湿原塾」「羊蹄山麓塾」「北広島郊外塾」「萌州沿岸塾」を開催している。2004年2月に南米大陸南端のケープホーンをカヤックで周回。
近年のおもな著書に『日本が挑む五つのフロンティア』(光文社)、『縮小文明の展望:千年の彼方を目指して』(東京大学出版会)、『ヤオヨロズ 日本の潜在力』(講談社+α新書)などがある。

詳しくは>>月尾嘉男の洞窟
http://www.tsukio.com/

 ここ10年近く、毎年1回か2回、羅臼や斜里のカヤック仲間に案内され、知床半島でカヤックを堪能している。大抵は羅臼の20km北東にある相泊漁港から出発し、知床半島の先端を周回して斜里の30km北東にあるウトロ漁港を目指す、全体で60kmの航海である。ときとして風向きが順調な場合には日帰りということもあるが、途中でキャンプをしながら2泊3日とか3泊4日という行程が普通である。

 カヤックを進行させるだけでも困難な強風、海面に細波ひとつない無風、数メートル前方も見通せない豪雨など、様々な自然条件に出会ってきたが、この半島には一度として期待を裏切られたことがない。五湖の断崖に象徴される自然の景観や、幾度となく出会うヒグマ、クジラ、アザラシなど野性の動物との遭遇も素晴らしいが、最大の感動は一部の番屋を例外として、60kmの区間で人間の痕跡にまったく出会わないことである。

 道内の積丹半島、岩手の三陸海岸、長崎の九十九島など、全国各地の名勝でカヤックをしてきたが、これだけの規模で無人の陸地が連続する場所は日本国内にはない。それは大正から昭和にかけての開拓や80年代の知床半島横断道路の開通など開拓の方向と、70年代から開始されたトラスト運動や80年代の国有の森林の伐採への反対運動など保全の方向との軋轢のなかで、地域の人々が保護を選択してきた見識の賜物である。

 しかし、この見識の背後には、先住のアイヌ民族の自然についての哲学が反映していると想像している。今年4月から道内で毎月一回放送される「月尾嘉男・未来世紀日本」という番組を制作している。これはアイヌ民族以外にとっては未踏の地域であった蝦夷を、江戸末期に6度にわたって走破した探検家松浦武四郎の視点から現代を見通し、このフロンティアである大地の未来を検討していくという内容である。
 この松浦は生涯の全国行脚を膨大な冊子と地図にして記録しているが、二度の知床半島の探査も「知床日誌」として出版している。そこには旅程の詳細な記録は当然として、地形の特徴、産物の種類、植物の名前、アイヌの人々の生活の様子など、ありとあらゆるモノとコトが記録されている。それらのなかでも驚嘆するのはアイヌの言葉による地名を克明に記録していることである。

松浦武四郎
▲松浦武四郎
(北海道大学附属図書館所蔵)
松浦武四郎著『知床日誌』 文久3(1863)年に出版された木版の本(北海道大学附属図書館所蔵)

 現在の知床半島の詳細な地図でも、地形は正確であるものの地名は所々に記載されている程度であるが、松浦が生涯6度の探検の集成として安政6(1859)年に作成した詳細な北海道地図「東西蝦夷山川地理取調図」には、羅臼から半島の先端を経由して斜里までの区間に約100箇所の地名がアイヌの言葉で記載され、「知床日誌」には、それらの意味も説明されている。
 現在も使用されている地名でいえば、ルサは本来「ルシヤニ」で、道無という意味であり、そこからは断崖の連続で道路がないからである。イワオベツは本来「ユワオベツ」で、硫黄のある河川という意味である。有名な「カムイワッカ」は神水であるなどという説明が記載されている。しかし、現在の地名と対応できるのはわずかな一部でしかなく、大半は現在では消滅してしまった名前である。

 現代の視点からは、知床半島は人跡未踏の自然と理解してしまうが、先住のアイヌ民族の視点からは、漁労や儀式などで頻繁に探訪していた場所である。カヤックで周回するとき、松浦がアイヌの人々に案内されて小舟で周回していた時代を想像し、眼前の光景に先住民族の視点を重層させてみると、知床半島は自然と文化が一体となった存在として浮上してくる。世界遺産指定を契機に、この複合した視点を回復することも意味がある。

東西蝦夷山川地理取調図首クリックで拡大
▲東西蝦夷山川地理取調図首[20]
安政6(1859)年に松浦武四郎がつくった北海道地図の知床半島の部分(北海道大学附属図書館所蔵)

[関連情報]
・月尾嘉尾 未来世紀日本(北海道テレビ放送株式会社)
http://www.takeshirou.com/

・北海道デジタル図鑑 100の物語[歴史]探検家
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/02/07.html
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