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長川萬五郎
▲長川萬五郎
(写真提供:羅臼町郷土資料室)

■知床半島横断
長川萬五郎 おさがわ・まんごろう(1858-1928)

 江戸時代の知床もやはり漁業の場所だった。松前藩から許可を得た「場所請負人」という独占商人が漁場を取り仕切り、アイヌの人々を雇って漁業を行い、厳しい労働を強いることもしばしばだった。
 明治になって場所請負の制度は廃止されたが、その後も漁業の中心となったのは、過去の場所請負人とその縁者だった。
完全にその勢力が失われるのは戦後のことだ。それでも明治時代には独立経営の漁師が現れる。中心となったのは函館からの参入者で、そのひとりに長川萬五郎がいた。



長川吾郎
▲長川吾郎(写真提供:羅臼町郷土資料室)

知床横断道路
▲現在の知床横断道路(撮影:宇仁義和)

 長川は1899(明治32)年に函館から移住、サケ定置などを経営するが、羅臼から斜里への道路建設を陳情するため、この時代に知床半島の横断をおこなった。斜里側の岩尾別温泉から羅臼温泉までの横断だから、現在の知床横断道路にあたる地域を踏査したのだ。横断道路開通への夢を身体であらわす一流のパフォーマンスといえるだろう。
 萬五郎が死去してからは、息子の長川吾郎(おさがわ・ごろう)が漁業を継いだ。彼は戦前に昆布の増殖事業を試みるなどチャレンジ精神があり、趣味では貝類の研究を続けた。その成果は「ラウスバイ」と「オサガワバイ」の2つの新種発見につながった。収集した約千個の貝殻は、羅臼町郷土資料室に寄贈されている。


[関連情報]
・羅臼町郷土資料室

羅臼町の歴史、民族、産業、自然などの資料を展示。吾郎が収集した貝も展示している。
住所:羅臼町栄町102番地
電話:0153-87-2004(羅臼町公民館)
開館:10:00〜17:00、土日・祝日・年末年始は休館
羅臼町郷土資料室
(写真提供:羅臼町郷土資室)




赤木寅一
▲赤木寅一
(写真提供:斜里町立知床博物館)

■未開の地にこそ展望あり
赤木寅一 あかぎ・とらいち(1902-1985)

 1945(昭和20)年8月、ソ連軍は日本との不戦条約を反故にして樺太・千島へ侵攻を開始、住民の多くは着の身着のままで北海道に引き揚げた。仕事はなく、農業の復興が優先されたため漁民は生活に不安を抱えたままだった。そんななか、「人里離れた未開の地こそ新たな展望が開ける場所」とウトロでの漁業を決意したのが、赤木寅一だった。



ウトロ漁港
▲現在のウトロ漁港(写真提供:斜里町立知床博物館)

 赤木は戦前、樺太で漁業組合長として活躍した広島県人で、それまで知床との関わりはなかった。持ち物は鍋・釜のみでウトロに到着し、漁業番屋や倉庫、旧兵舎を仮住まいとする不自由な生活から出発した。ボロ船を借り、粗末な網で小ニシンや小サバを獲って売り金に換え、冬はアザラシを食べ脂を燃やした。
 彼を頼って多くの引揚げ仲間が集まったが、なにより尽力したのは金の工面だった。年に149日も出張したのも、国や道、金融機関に掛け合って漁協への融資に奔走したためだ。こうして、サケ定置漁業で活気づくウトロの歴史はゼロから始まったのである。





村田吾一
▲村田吾一
(写真提供:羅臼町郷土資料室)

■望郷の思い
村田吾一 むらた・ごいち(1905-1993)

 戦後初の公選の羅臼村長だが、趣味の植物栽培や、知床や国後島を題材にした多くの著作で知られる。
 空知の生まれで鳥取で育ち、国後島で小学校の教員を務めた。羅臼に来たのは大戦前夜の1941(昭和16)年。戦後、初めての選挙が行われて村長となり、生活安定をめざし、漁田開発事業として道南地方から100戸あまりの入植者を受け入れた。「魚の城下町」の基礎を築いたひとりであり、村長を退いてからは地元の信用金庫の支店長に就任した。

 以上、表の顔であるが、村田は文才に恵まれ、また植物採取と栽培を趣味としていた。戦前には国後最高峰の爺々岳(ちゃちゃだけ)にも登り、周辺の高山植物の調査を続けたが、日本は戦争に負け、目の前にひろがる島には帰ることができない。毎日島影を見るに付け望郷の思いがつのり、1963年に「雲流るる国後」を出版する。当時、地元からの著作はめずらしく、「知床のすがた」(1972年)とともに読み物としてもおもしろい。文学と自然の両方を語ることができる人は少ないが、それを実現し、どれほどの文化人・有名人であろうと相手に不足を感じさせなかったという。


村田吾一著『雲流るヽ國後』と『知床のすがた』 村田吾一著『雲流るヽ國後』と『知床のすがた』
「あの楽しかった白い雲の流れている下の国後を、毎日真正面から見て暮らせることがとても楽しいのである。(中略)私はここで国後や千島の番人として、島を見守って暮らすことを決心した。機会があったら来てください。島をしみじみ懐かもうじゃないか…。お便りも下さい。島の便りも致しましょうから…。」(『雲流るる国後』より)

[関連情報]
・羅臼国後展望塔

海抜167メートルの高台にあり、羅臼のまちなみと国後島を一望することができる。
住所:羅臼町礼文町32番地1
電話:0153-87-4560
開館:4〜10月は9:00〜17:00、11〜3月は9:00〜16:00、月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始休館




藤谷豊
▲藤谷豊
(写真提供:斜里町立知床博物館)

■「しれとこで夢を買いませんか」
藤谷 豊 ふじや・ゆたか(1923-1994)

 村田吾一が羅臼の顔なら、斜里の顔は藤谷豊である。肩書きからいえば斜里町の町長を務め、本業は漁業で知床岬近くに番屋をかまえていた。昭和30年代末から16年の町長時代は暮らしの向上を実感できる幸福な時代で、知床でも主要な課題となっていた「まちづくり」を実現してきた人物といえるだろう。
 けれども、そんなことよりも、「しれとこ100平方メートル運動」の提唱者といった方がわかりやすい。

 キャッチフレーズは「しれとこで夢を買いませんか」。一口8,000円で全国から寄附を募り、そのお金で町が土地を購入し、保全につとめる。8,000円は約100平方メートル分の土地の値段だ。しかし、土地を買うのではない。あくまでお金は夢への対価である。
 藤谷はイギリスのナショナル・トラスト(※)を紹介した新聞コラムから着想を得て、この運動を始めた。
 自然の保全には金がいる。この現実に真っ向から取り組み、夢を現実のものとした。町が取得した土地があるからこそ、ヒグマやエゾシカを相手に国内トップレベルの調査研究活動が実現している。



財団法人日本ナショナル・トラスト協会
全国で活動しているナショナル・トラスト団体も紹介しています
http://www.ntrust.or.jp/

[関連情報]
・しれとこ100平方メートル運動ハウス

1977年から97年までに運動に参加した人(参加者人数49,024人)の名前がプレートに記されている。
住所:斜里町遠音別村岩尾別(知床自然センターのとなり)
開館:4月下旬〜10月20日までは8:00〜17:40、10月下旬〜4月中旬は9:00〜16:00
ホームページ:http://www.town.shari.hokkaido.jp/100m2/
しれとこ100平方メートル運動ハウス
(写真提供:知床斜里町観光協会)

(文中敬称略)



[参考文献]
・北海道水産新聞社編『知床開発の歩み〜秘境に挑んだ海の男たち〜』ウトロ漁業協同組合(1974)
・根室・千島歴史人名事典編集委員会編『根室・千島歴史人名事典』根室・千島歴史人名事典刊行会(2002)
・斜里町史第三巻編纂委員会『斜里町史第三巻』斜里町(2004)


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