北海道人・特集バックナンバー HOME バックナンバー一覧

生命のつらなる場所 知床半島

知床の歴史 知床の基礎知識・入門編 知床半島の自然史

■知床の先史文化

 知床半島に人間が住むようになったのは最近の話ではない。「秘境」といわれつつ、海岸部にはいまから数千年前の縄文文化の遺跡があり、なんと知床岬には続縄文文化やオホーツク文化の大集落が見つかっている。 
 「オホーツク文化」とは聞き慣れない名前かも知れないが、アムール川やサハリン方面からの移住者が築いた独特の文化で、古墳時代から平安時代の年代にかけて北海道のオホーツク地方を中心に展開した。漁労や海獣狩猟を生業にしていたらしく、トドやアザラシ、クジラの豊富な知床でも各地に遺跡を残している。また、同時期の土着文化は擦文(さつもん)文化と呼ばれるが、両方の特徴をあわせ持った土器が羅臼町内から発見され、遺跡の名をとって「トビニタイ式土器」と名付けられた。知床は自然だけでなく、考古学の世界でも重要な場所なのである。


オホーツク土器

▲オホーツク土器(斜里町立知床博物館蔵)


トビニタイ式土器

▲トビニタイ式土器(斜里町立知床博物館蔵)



■アイヌの人々

 知床半島の先端部はいまも道路がなく、住人は、漁のある季節にだけ番屋に住む人々だけ。しかし、小さな岬や目立つ岩、川筋などには、岬の先に至るまでこと細かにアイヌ語の地名が残されている。それは、この地がもとはアイヌの人たちが小舟で行き来した生活の場であった証拠である。江戸時代の記録によると、現在のウトロやルシャ、知床岬、羅臼側のルサやサシルイには小さなコタンがあった。
 彼ら文字記録を残さなかったので、本州からの出稼ぎや移民である和人(わじん)たちの見聞録や調査記録が歴史資料となっている。知床の具体的な記録は18世紀末になってようやく現れる。そこに見られるアイヌの人々の姿は和人が経営する漁場での労働者である。春のニシン、夏のカラフトマス、そして秋のサケ漁に従事し、対価として米や酒を得る。
 ただし、人々の暮らしを知るには幕末の探検家・松浦武四郎(※7)を待たなければならない。彼が見たのは和人に手荒く使われ、ときには遠くの島での労働を強いられる人たちの姿であった。もちろんアイヌの人たちの知識や伝承も記録していて、現在も当時の地名にこめられた意味を伝え知ることができる。


※7
[松浦武四郎について]

・北海道デジタル図鑑「100の物語」歴史・未踏の地を歩いた探検家
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/
02/07.html



羅臼町でのニシン漁。昭和17年(写真提供:羅臼町教育委員会郷土資料室)

▲羅臼町でのニシン漁。昭和17年(写真提供:羅臼町教育委員会郷土資料室)

■豊かな海を舞台にした漁業の歴史

 今も昔も海の幸豊かな知床だが、江戸時代には松前藩から許された「場所請負人」による漁業が行われていた。知床半島は斜里場所と国後場所に属していたが、この地で明治の終わりまで大きな勢力をもっていたのは藤野家である。
 明治中ごろの斜里漁業は、サケ、マスを中心とした漁業だった。とりわけマスは「斜里鱒」といわれるほどの産地だった。明治35(1902)年からはホタテ漁が始まり、製品の多くが中国に輸出されるなど、昭和初期にはまちはホタテ景気に湧いたという。
 羅臼でも明治半ばからサケ、マスを中心とした漁場が開かれ、次第に人口が増えはじめる。その後、オヒョウやタラなどの漁が盛んになり、道内各地から多くの人々が一旗あげようと知床にやってきた。
 戦後、択捉島や国後島などの北方四島は旧ソ連に占領され、知床半島の眼前に見えない国境線が引かれる。今も、国後の島影は、望郷の地である。



■きびしい農業開拓

 漁業一辺倒だった知床での農業開拓は、大正時代に始まる。ウトロから川を一つ隔てた幌別台地と、羅臼岳の麓の岩尾別台地までが開墾されることになった。しかし入殖地は岩だらけで、水も容易に得られず開墾は困難を極めた。さらに、バッタの来襲がわずかに耕した畑の作物を壊滅させ、このときの開拓の試みは挫折した。
 その後、昭和10年代におもに道内居住者の再入植、そして戦争被災者を中心とした戦後入植と計3回の集団入殖が行われたが、結局は農業を永続させることができなかった。最後の居住者も昭和40年代に離農し、後日、開拓跡地を乱開発から守るために斜里町によって「しれとこ100平方メートル運動」(※8)が展開された。この運動は全国に拡大し、現在も活動を続けている。


知床連山と廃屋となった豚小屋

▲知床連山と廃屋となった豚小屋



※8[しれとこ100平方メートル運動について]

・斜里町役場環境保全課 しれとこ100平方メートル運動の森・トラスト
http://www.town.shari.hokkaido.jp/100m2/




知床岬

▲知床岬、啓吉湾の夕日


知床岬

▲知床岬


■さいごに

 日本の自然は、知床といえども人間の影響を受けた「歴史的な自然」である。
 現在の知床のすぐれた景観や生態系も、一定の規模の経済行為の影響下に成立し、存続してきたものにちがいない。しかし、その自然が特別なのは、歴史的自然のなかに「原始性の豊かな生態系」が保存されていたことにある。人間を排除せず、保護と利用を両立する新たな世界自然遺産のモデルとなることが、知床の将来像なのだろう。


前のページへ 生命のつらなる場所知床半島目次へ戻る 次のページへ

生命のつらなる場所 知床半島 北海道人トップページへ 知床半島マップ