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特集 北国ラーメンものがたり 北海道四大ラーメンを訪ねる 函館編 取材・文・写真/高山 潤・編集部
幕末の開港都市、函館にやって来た中国文化・続き

函館のまちと中国料理
 その後、明治43(1910)年には蓬莱町(現在の宝来町)に中華料理店「蘭亭」が開店し、昭和初期にかけて函館の代表的な中国料理店となる。明治43年には函館在住の華僑が中心となり、純中国式建築による「函館中華会館」が開館。中華会館が発行した冊子『関帝廟』にある年譜によれば、明治12(1879)年に12名だった函館の華僑の人数は、大正元(1912)年に142名にまで増えている。
昭和4年「函館新聞」に掲載された「蘭亭」の広告
▲昭和4年「函館新聞」に掲載された「蘭亭」の広告。店は蓬莱町の映画館「錦輝館」の隣に建っていた。

1910年に完成した函館中華会館
▲1910年に完成した函館中華会館。日本現存で最古の中華会館といわれる。建築のために集められた資金は2万円余とされる。ちなみに同年に完成した国指定重要文化財「旧函館区公会堂」の建築費は5万8千円余と記録されている。
中国料理のおもな地域
函館塩ラーメンイメージ画像

 この当時、函館に暮らしていた中国人は、中国南部の広東省・浙江省の出身者が多かった。
 広東といえば、中国南部の玄関にあたる広州を中心とした地域で、「食材広州」といわれるように古くから各地の美味が集まり、さまざまな料理が発達したところである。味の特徴は、素材の持ち味をいかし、油気が比較的少なく、あっさりとして薄口。初めて中国料理を食べる日本人の口にも入りやすかったと思われる。
 函館で最初の貿易を行ったかの陳玉松も広東出身だった。
 彼は、函館を訪れた翌年1月に、取引先を招いて新年の祝宴を開いている。
 残念ながら宴会メニューの記録はないが、そうした席で、お国自慢でもある広東料理をふるまったと考えるのは想像に難くない。おそらく、その後の華僑たちも、遠い異国の地で円滑な商売を続けていくために、函館の役人・有力者・取引相手との交流を欠かさなかったはずだ。

 昭和16年の函館でラーメンを出していたと思われる食堂が、「北海道麺業組合聯合会員名簿」に「柳麺部」としてのっている。その数31店。ラーメンが函館市民の生活に、根づいていたことがわかるが、この店の多くが「北京軒」「東洋軒」「港軒」などの中華食堂である。
 まだラーメン専門店などない時代、函館ラーメンは、このような中華料理店で食べられていた。
 塩味のスープはたしかに「清湯」風でもある。
 その背景のひとつには、まちがいなく函館に根づいた中国料理の歴史と文化が存在しているのである。



[参考文献]
『函館蕎麦史』(函館麺類飲食業組合)
『にっぽんラーメン物語』(小菅桂子著・講談社)
『関帝廟』(社団法人函館中華会館)
『くわしい、やさしい中華料理』(グラフ社)
『専門料理全書・中国料理』(柴田書店)
『暮らしの設計232・横浜中華街』(中央公論社)など
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