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特集 北国ラーメンものがたり 北海道四大ラーメンを訪ねる 函館編 取材・文・写真/高山 潤・編集部
函館は、「塩」。


函館の塩ラーメン
▲函館の塩ラーメン
協力:「ラーメンめんしょう」函館市昭和2丁目1-23
 「函館ラーメン」という呼び名が、「塩ラーメン」であるという認識とともに一般的になったのは、ここ十年ほどの出来事ではないだろうか(※1)。
 函館に住む人たち(30〜40歳代以上)にとっては、「ラーメンと言えば、なんにも言わなくても塩ラーメン」である。自分たちが食べているラーメンが、特に函館ラーメンと意識したこともなかった。店で注文するときも、わざわざ味を言わない。ただ「ラーメン」と言えば通じたのである。

 こうした昔ながらの函館ラーメンは、透明に澄んだ塩味スープに、少し柔らかい細めの麺、具はチャーシュー、メンマ、ホウレンソウ、麩、長ネギなど。毎日でも飽きずに美味しく食べられる、あっさり味のラーメンである。
 「ご当地ラーメン」といわれるように、庶民の味の代表であるラーメンには、地域の食文化が色濃く現われる。ここ函館にも独自のラーメン文化が発達している。その歴史と背景をひもといてみよう。
なまラーメン
▲ゆるやかなカーブをえがくストレート麺、断面は角、太さ約2ミリ

※1 1996年に日清食品から発売されたインスタントラーメン「日清のラーメン屋さん」は、北海道のご当地ラーメンという位置づけで「札幌味噌風味・函館塩風味・旭川醤油風味」の3種をラインナップしている。

幕末の開港都市、函館にやって来た中国文化

養和軒の南京そば
 「透明・塩味・あっさりスープ」の函館ラーメンのルーツをだとっていくと、明治の幕開けとともに始まる、函館と中国とのつながりが浮かび上がってくる。
 函館における中国人・華僑の動きを見てみたい。
 函館(当時は箱館)を最初に訪れた中国人は、1854年に通訳としてペリー艦隊に同行した広東省出身の羅森といわれている。彼は函館から故国へ昆布を土産に持ち帰った。
 さらに、1858年の修好通商条約の締結によって、翌年に函館・横浜・長崎が自由貿易港として開港されると、同じく広東省出身の陳玉松という商人が函館を訪れ、昆布を買いつけている。この時の取引が、函館における最初の日中貿易となったようだ。
 その後、函館は昆布をはじめ干しアワビ、干し貝柱など、中国の高級料理に欠かせない乾物、海産物の貿易の拠点となり、それにともなって函館に住む華僑も多くなっていった。

明治17年4月28日、函館新聞の広告。「南京御料理 養和軒 アヨン」のメニューに「南京そむ(そば)」が載っている。
▲明治17年4月28日、函館新聞の広告。「南京御料理 養和軒 アヨン」のメニューに「南京そむ(そば)」が載っている。
明治17年、旧船場町(現在の末広町)に開業した「養和軒」
▲明治17年、旧船場町(現在の末広町)に開業した「養和軒」。2階建ての木造西洋建築で、当時流行した型の玄関灯がついている。(小沼健太郎複製『商工函館の魁』より)
養和軒の建物
▲養和軒の建物は木造二階建ての洋風建築で、函館の居留していたドイツ人商人のシュリュッター(シュルター、函館ではシロタと呼ばれていた)の邸宅を購入したもの。ちなみに、この建物は明治22年に現在の函館市湯川町に移築され、函館市教育委員会文化財課によれば、昭和50年ころまで現存していたという(函館市文化財保護協会編・川嶋龍司著『はこだての文化財 古建築編』より)。

 加藤昌市編著『函館蕎麦史』によると、「幕末、開港場となった函館には明治初年相当数の華僑が住みつき、その周辺から中国料理が市民に浸透していった。その中には当然中華風の麺料理があったし、華僑の経営する中国料理店も出来た」とある。
 このあたりに、ラーメンの姿が少し見えてくる。
 また、明治17(1884)年4月28日発行の「函館新聞」には、「南京御料理 養和軒 アヨン」と記された広告が載っている。アヨンとは店の経営者の名前で、広東省出身の中国人といわれる(※2)。
 広告文の意味は、およそ次のようになる。
 「西洋料理店として開業して以来、多くのお客様のおかげで繁盛しており、たいへん感謝しています。さて、これまで函館という港町には、南京料理店が存在しないことを残念に思ってきました。そこでこのたび、当店で鮮魚や鶏肉を使った南京料理をご用意することにいたしました。来る5月8日からサービスを開始いたしますので、どうぞお試しください。」

 この広告の中に、「南京そば十五銭」という文字が見える。これが現在の函館ラーメン、つまり「透明・塩味・あっさりスープ」のルーツかどうかは定かではないが、「南京そば」という活字が資料に現われるのは、現在のところこれが最初とみられる。
 ちなみに、東京で初めてラーメン(支那そば)が店で売り出されたといわれるのは、明治43(1910)年の浅草「来々軒」であるから、これより26年も後のことになる。


※2 養和軒の店主と目されるアヨンについては、函館市市史編さん室編『函館むかし百話』(幻洋社)の「華僑経営の洋食店」で検討が加えられ、当時の在留外国人名簿からアヨンの正式名が「広東省出身の陳南養」がであることがわかっている。陳南養は函館にあったイギリス領事館の専属料理人で、「函館新聞」に掲載された広告によれば、明治17年1月に洋食店「養和軒」を開店した。
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