ラーメン横丁誕生――進化、発展するラーメン
戦後の復興が進むなか、ラーメン屋台をめぐる動きは目まぐるしく変化していく。
昭和23(1948)年の北海道新聞によると、同年4月、市の「都市美化計画」により創成川沿いや狸小路の屋台、露店が一掃され、許可を得た店が指定地域で営業を行うことになった。
南3条から5条の西2丁目付近、札幌劇場の近くも指定地域となり、菓子店、果物店などさまざまな店が建った。松田勘七氏も昭和24年にこちらに移る。このとき勘七氏の隣にいたのが、のちに「味の三平」を開く大宮守人氏だった。勘七氏に「ラーメン屋をやらないか」と誘われて技術を習い、研究熱心だった彼は調理法や調理の器具などに改良を重ね、「味噌ラーメン」を生みだしている。 |