北海道人・特集バックナンバー HOME バックナンバー一覧

特集 北国ラーメンものがたり 北海道四大ラーメンを訪ねる 取材・文/編集部
その3 戦後屋台で復活するラーメン・続き

ラーメン横丁誕生――進化、発展するラーメン
 戦後の復興が進むなか、ラーメン屋台をめぐる動きは目まぐるしく変化していく。
 昭和23(1948)年の北海道新聞によると、同年4月、市の「都市美化計画」により創成川沿いや狸小路の屋台、露店が一掃され、許可を得た店が指定地域で営業を行うことになった。
 南3条から5条の西2丁目付近、札幌劇場の近くも指定地域となり、菓子店、果物店などさまざまな店が建った。松田勘七氏も昭和24年にこちらに移る。このとき勘七氏の隣にいたのが、のちに「味の三平」を開く大宮守人氏だった。勘七氏に「ラーメン屋をやらないか」と誘われて技術を習い、研究熱心だった彼は調理法や調理の器具などに改良を重ね、「味噌ラーメン」を生みだしている。



昭和40年ころ、東宝公楽劇場の横にあった初代ラーメン横丁
▲昭和40年ころ、東宝公楽劇場の横にあった初代ラーメン横丁。(撮影:西田保次氏)
昭和38年の初代ラーメン横丁
▲昭和38年の初代ラーメン横丁(写真提供:札幌市写真ライブラリー)
 しかし昭和26(1951)年、ここも再び立ち退きとなる。同年、東宝公楽映画館の横(中央区南5条西3丁目)に8軒続きの建物ができると、一番北側に「龍鳳」が入り、1軒の寿司店を除いてすべてがラーメン店となる。初代「ラーメン横丁」の誕生だ。
 このうち現在も同じのれんで店を続けているのは、「龍鳳」と「芳蘭」の2軒のみ。
 「芳蘭」は旧樺太から引き揚げてきた西田保次氏が開いた店で、はじめは菓子店だったのが、すぐラーメン店に転身した。
 19歳のころから店に入っている娘の百合子さんが、当時をふり返って話してくれた。
 「今もそうですが、うちのスープは豚骨と鶏ガラ、昆布、それに野菜を煮込んでとります。当時は根昆布をふんだんに使っていて、贅沢なスープだなあと思ったのを覚えています。休みの日には、他のお店のラーメンも食べに行きましたよ」
 観光客がラーメン店に押し寄せるのはもう少し先のことで、ラーメン横丁は公楽で映画を観た恋人や、会社勤めの人、近くの飲食店の店員などで賑わった。

「芳蘭」   西田百合子さんと、現在の店長で3代目、息子の花野純さん   「芳蘭」のしょうゆラーメン
▲「芳蘭」住所:札幌市中央区南5西5 初代ラーメン横丁で生まれ、昭和45年からススキノの一角に店を構える。 ▲西田百合子さんと、現在の店長で3代目、息子の花野純さん。 ▲「芳蘭」のしょうゆラーメン。百合子さんいわく「ラーメンは必ず毎日食べるけど、やっぱりこればっかり食べちゃう。味噌は1カ月に1回くらい」。


 そして昭和44(1969)年、札幌オリンピック開催による道路拡張のため、市民に親しまれた横丁は姿を消す。2年後に新しい「ラーメン横丁」(中央区南5西3丁目)ができ、また別の店が軒を連ねる。数年後にススキノ交番の横に「新ラーメン横丁」(南4条西3丁目)が生まれ、現在は狸小路やJR琴似駅付近にも多くのラーメン店が密集して営業している。
 札幌で生まれ育ち、進化、発展していくラーメン。いつも私たちの身近にあるラーメン。これからどこへ進んでいくのか、ずっとたのしみに応援しつづけたい。
2005年現在のラーメン横丁(札幌市中央区南5西3丁目)
2005年現在のラーメン横丁(札幌市中央区南5西3丁目)
▲2005年現在のラーメン横丁(札幌市中央区南5西3丁目)
前のページへ 北国ラーメンものがたり目次へ戻る 次のページへ
北海道人トップページへ 特集 北国ラーメンものがたり