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特集 北国ラーメンものがたり 北海道四大ラーメンを訪ねる 取材・文/編集部
その2 喫茶店に広がるラーメン・続き


フルーツパーラーでもラーメン

 当時の札幌のラーメンがどのようなものだったのか、どうしても知りたいと思い、いろいろ探していくなかで、その手がかりを教えてくれる人と出会った。狸小路に店を構えていた「百留屋(ひゃくとめや)」の2代目で現会長、大正11(1922)年生まれの堀尾正四郎さんである。

昭和初期の百留屋の食堂店内 昭和30年ころの百留屋の正面
▲昭和30年ころの百留屋の正面
(『札幌狸小路発展史』より)
▲昭和初期の食堂店内。壁の品書きにラーメン、五目メン、チャーシューメンの文字が見える。(写真提供:堀尾正四郎さん)

 大正8(1919)年、狸小路2丁目に果物店「百留屋」が開店した。店の奥には、果物の盛り合わせや、フレッシュジュース、フルーツみつ豆などを出す「パーラー」も併設していて、ここでもラーメンが人気だった。
 「パーラーでコーヒーやアイスクリームを出しているうちに、だんだん軽食を増やすようになりまして、最初はなべ焼きうどん、それからカレーライス、ハヤシライス、ラーメン…というように、食堂部門が大きくなっていったんです」
 と正四郎さんは言う。そして、小さいころに食べたラーメンのこともしっかり覚えていた。
 「いちばん最初のラーメンは8銭で、よく売れていました。上にのっていた具は、メンマ、ほうれん草、チャーシュー、のり、日の出かまぼこかナルト2切れ。味は確かしょうゆ味で、スープのダシは豚骨、鶏、玉ネギ、長ネギなどでとっていたと思います。そのころは、洋食のコックさんがラーメンも作っていました」
 洋食のコックさんの手によるラーメンは、少しハイカラな味がしたかもしれない。

 それから、正四郎さんは第二次大戦に出征後、札幌に戻り家業を継ぐ。戦後は果物店は閉め、食堂だけを続けることにした。戦後の物のない時代、市場で材料をかきあつめ、何とかできるものを調理して店を続けた。その間もラーメンはずっと作り続け、3年ほど前に食堂を閉店するまで、狸小路でラーメンを出し続けていた。
 大正、昭和、平成と3つの時代にわたり、どれだけ多くの札幌市民がこの店のラーメンを食べたことだろう。

 

昭和14年ころの百留屋のメニュー
▲▼昭和14年ころの百留屋のメニュー。単位は銭。店には洋食と和食の料理人がいて、最初のラーメンは洋食のコックさんが作った。
昭和14年ころの百留屋のメニュー
昭和14年ころの百留屋のメニュー
狸小路「百留屋」の二代目で現在会長の堀尾正四郎さん 狸小路「百留屋」の二代目で現在会長の堀尾正四郎さん。
25のときから70歳まで、45年間ラーメンをつくっていた。

[参考文献]
『札幌喫茶界昭和史』(沖積舎)
『さっぽろ文庫・別冊 札幌生活文化史』(札幌市・札幌市教育委員会)
『さっぽろ文庫43 大正の話』(札幌市・札幌市教育委員会)
『有合亭物語』(私家版)
『札幌狸小路発展史』(札幌狸小路商店街商業協同組合)など

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